ようやくスクーリングが終わった2007/07/11 09:19

Excel画面のコピー

ようやく佛大の春季スクーリングが完了した。昨日も深夜までかかってレポートを書き上げて、提出すれば、完了である。

3年前に卒業した通信の大学院の同期(1年先輩か)の人が、夏季スクーリングで講師をされるという。私は生徒として通っているのだと思うと落差に唖然とさせられる。

7月末には再び夏季スクーリング1科目に出席しなければならない。

今回のスクーリングの感想としては、洛中洛外図と浄土教絵画の2科目ともに絵画関係の科目であったが、どちらも印象批評的な事を述べたり、推測、憶測でものを言う事は簡単だが、実証を伴わせる事は難しい。また、思想や時代背景、歴史といった成立当時の社会環境の状況を考える事も重要だが、果たして、個々の作品をみる時には、その作品自体の個性も存在する筈だから、仏教絵画にありがちな宗派の思想、理論の呪縛のフィルターを通してみると、本来の姿を見失ってしまう可能性もある。

いずれにしても、学術的に客観的な作品の分析を行う事は大変だと感じた。大抵の美術批評の論文を読んでも主観的なもの、あるいは、解説にとどまっているものが多く、真の研究と言えるものは少ない。「偉い先生が書いている論文だから、主観的な批評・評論でも正しい。」といった根拠のない権威主義が通っているような気がしてならない。


洛中洛外図のレポートには、作中に描かれている人物の社会階層的な分類など統計グラフ等も挿入して、客観的な論述を行ったつもりだが、全体をコントロールし得るだけの説得力に乏しいようだ。

図は、上杉本洛中洛外図に描かれた人物の社会階層毎の分布グラフ。(レポートに使用した。)
16世紀の京都を都市社会学の立場で把握しようとする試みだ。(修士論文では、源氏物語の研究で作中人物の発話表現の解析で同じ手法を採用したが、誰も相手にしてくれなかった。)

権威主義に基づく、主観的批評の集大成、これが文学や芸術の研究であるとすれば、結局は、時代の潮流に流されて消え去ってしまうだろう。

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