凄い混雑でした!!2008/05/11 19:27

いって来ました。「源氏物語千年紀展」!!!
 印象と言えば、凄い人!人!人!
 展示スペースが絵画資料の顔料の劣化を防ぐ為に暗くしてあるので、見るのに時間がかかり、また、音声解説レコーダーが、この様な混雑を想定して作成していないので、これを聞きながら、展覧しようとすれば、後ろの人間から文句を言われる始末。
 私は、貧乏なんで、母の日向けに図録を買ったら、お金が無くなってしまったので、そんなもの買えなかった。
 展示の目玉は、源氏物語若紫巻の断簡(東京国立博物館蔵)
 以前、このブログにアップした例の絵画断簡(ブログのは、復元画であるが、こちらは貴重な本物)。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/01/17/2565572
 これ以外には、近世以降の土佐派、狩野派の源氏絵の主要な作品、例えば、卒論でも取りあげた久保惣美術館蔵の源氏絵鑑等の実物がみれたり、三条西実隆の筆の詞書入りの源氏絵等非常に価値があるものだと思う。
 金雲のかけ具合や実際の微妙な色調などは、印刷では、表現出来ないので、実物を見るしかない。
 これ以外には、鎌倉から室町期に制作されたと見られる『源氏物語絵詞』は、恐らく国宝源氏物語絵巻に次いで、古い時代に制作された源氏絵としては、貴重だと思う。
 しかし、私が最も感動したのは、源氏物語の本文の諸本の実物が揃って展示されていたことであり、
 青表紙系大島本、尾州家河内本を初めとして、別本系では、保坂本、陽明文庫本等の実物を見ることが出来た。
 ここで大きなヒントとなったのは、冊子本の大きさであり、最も大型は、河内本、次いで青表紙本で、大きさは現代のA4版以上の大きさであるのに対して、別本系の諸本は、大体17~18㎝四方の升型であり、非常に小振りである。
 私見としては、河内本、青表紙本の時代になって、源氏物語は、本文だけの享受が本格化したと推定され、御物本や別本系は、もともと公家の家に伝わっていた本であり、これらは、花嫁道具といった用途以外に、源氏絵冊子と別冊になっており、当然、絵冊子は、面白いので、使い回されて消耗してしまって、本文のみがのこされたと思う。
 出来れば、保坂本は、前半の部分の後半の宇治十帖以降を同時に展示して欲しかった。筆跡が異なるか否かで、臨模本か敷き写本か判別出来るからだ。
 つまり、別本系は、この物語の享受形態の最初の姿を留めていると考えられる訳。
 これ以外には、定家奥入り、紫明抄、河海抄等の原書等、明月記(源氏物語の写本を制作する記事が載っている部分)、栄華物語、紫式部日記等の原典が展示されていたことであり、普段ならば印刷資料でしかみることが出来ない元の本文が展示されていた。
 近世以降の印刷物で、古活字本の源氏物語も非常に興味深いものであった。
 出来れば、その本文がどの系統の属する底本に従っているかを調査してみたい。
 同じ青表紙本でも三条西家本と大島本等、その他の諸本と内容が異なる為に近世以降の源氏物語享受史を研究する際に重要な資料に成り得る。
 期待していた以上に貴重な資料が数多く展示されており、もう一度見学してみたいと思った。
 見学が終わったら目はショボショボ身体はヘトヘト。
 でも、卒論に使用している資料の原典がみる事が出来た感激でした。

 日曜日なので三条通は大賑わい。
 イノダコーヒー店も順番待ちという事でこの通りでは全然ゆっくりできなかった。
 今度は、平日の静かな日にでも訪問出来ればと思う。

中古文学会春季大会2008/05/11 22:38

2008年度中古文学会春季大会が京都の龍谷大学深草学舎で開催された。
 龍谷大学は、開学370周年を翌年にひかえて記念行事が目白押し。
 龍谷大学大宮図書館2008年度特別展観 『王朝文学の流布と継承』も今月25日まで開催されている。
 写真のカレンダーも同大学が所蔵する源氏畫を元に作られており、また、図書館の所蔵品としては、源氏物語細流抄、源氏小鏡については、特に貴重なライブラリーとなっている。
 春季大会は、初日に記念公演で、京都女子大学教授 川本重雄氏「『源氏物語』と『源氏物語絵巻』の空間表現」及び徳川美術館副館長 四辻秀紀氏「国宝源氏物語絵巻とその復元摸写をめぐって」が開催された。
 川本氏の講演内容は、建築史がご専門だけあって、古代の住居の構造は、特に平安期以前の時代には、壁面で密閉された居住空間が主体であったのが、平安朝の内裏造営では、平屋建ての広大な敷地面積にも関わらず、周囲は、壁面ではなく解放空間で構成されている。
 寝殿造りが代表的な例であるが、これは、庭園での儀式を行う場所と居住空間が共通していたことがこの様な開放的な空間を産み出したとされている。
 内部の居住空間としは、御帳台や屏風室礼が設置され、そこで日常的な寝所等の機能を果たした。これらの設置場所は、南側の母屋の南庇の御座等が代表的であるが、こちらは、様々な行事が行われた為に常時設置された訳ではなくて公的な空間の色彩が強かった。一方、北庇では、プライベートなスペースで半ば恒常的に居住スペースの役割を果たしている。
 国宝源氏物語絵巻に描かれているのは、柏木1の御帳台や宿木2の屏風室礼があげられるが、特に面白いのは、夕霧巻で病床に横たわる柏木を夕霧が見舞う場面であるが、北庇の寝所が段差を持って描かれているが、これも建築構造的に見て、理論に適っているそうである。
 こうしてみると、俯瞰角度等の問題はあるけれども源氏物語絵巻の構図は、当時の寝殿造りの内部の構造に非常に忠実に描かれていることが判る。
 つまり、絵巻の構図については、恣意的、あるいは、詞書の記述に忠実に構成されているというよりも、寝殿造りの家屋構造から必然的に決まってくる構図という。
 当日に資料で配付された藤原忠実の東三条殿のアイソメ図を見れば、南側及び北側からの視点でそれが確認出来る。
 川本氏の講演内容は、私の卒論『源氏物語の絵画化の方法』に参考になったというまでも無いが、構図法の分類で、収斂型としたものが、特に川本氏の講演内容に関わってくるので、今回の講演を元に手直しする必要で出てきた。
 次の徳川美術館副館長 四辻秀紀氏「国宝源氏物語絵巻とその復元摸写をめぐって」は、NHKで「蘇る源氏物語絵巻」というテーマで放映された内容について、内輪話を含めた講演内容であり、特に、当時の絵の具や顔料の成分分析法が紹介され、全体で五十箇所以上についてピンポイントで成分分析が行われたことや犯罪捜査に使用される「可視光域蛍光撮影法」について紹介された。
 これらの調査の結果、女君や光源氏の顔等は、従来考えられていた以上の大幅はレタッチが何度も行われていることが判り、決して、この絵巻が、900年前に描かれたままの姿を留めていないことが示された。
 例えば宿木3については、群青の絵の具が舶来品の可能性もあり、江戸末期か明治期にも補筆が行われている点なども説明された。
 結局、当時の絵の具の成分や料紙の強度、保存条件等から、そのままの状態では、1000年近くの間、そのままの姿を保たせる事は不可能という事になる。
 これは、納得できる話で、奈良国立博物館等にある仏画を見ても鎌倉期までのものは、非常に保存状態も良好なものもあるが、平安期に遡れるものは、辛うじて輪郭が判る程度に劣化してしまっている例が多く、源氏物語絵巻として実用鑑賞に堪える姿をとどめるには、補筆、補修は避けてとおる事ができないことだったのだと思う。
 復元模写については、これらの顔料成分等の分析や特に「可視光域蛍光撮影法」で検出された輪郭線等を参考にしながら作業が行われるが、情報が欠落してしまっている部分は、絵師の想像によるしかないという。若紫巻の1巻を含め19場面の復元画がこの様な手順で完成されたということが紹介された。
 それよりも興味がもたれたことは、絵巻は後の世の補筆が行われているが、描かれた当時の絵師達は、有職故実、合わせの色目等、1㎜以下の部分まで精密に描こうとした態度がみられることや、国宝源氏物語絵絵巻が成立当初から絵巻として描かれていたのか、それとも冊子であったかという問題、一部では、この絵巻は、豊臣大阪落城の折、徳川家と蜂須賀家によって火災から救い出され、両家に伝わったという説もあるが、実際には、徳川と蜂須賀両家の縁組の引き出物として使われ、その際に補筆作業が行われた可能性がある等面白い話を聞くことが出来た。
 その後の懇親会でも、直接、現在、取り組んでいる卒論「源氏物語絵画化の手法」で疑問に思っていることを、四辻氏や川本氏、あるいは、源氏物語絵詞の校訂者でもある片桐洋一氏先生や寝覚物語絵巻の断簡等、古筆切の鑑定の大家である田中登先生、あるいは、国文学研究資料館教授の伊井春樹先生等、源氏研究では、当代一流の先生に教えを請うことが出来た。
 特に田中先生は、「国宝源氏物語絵巻が書かれた当時は、絵師達の地位は書家に比べて非常に低かった。こうした面から見て、やはり、詞書から、研究を進めるのが正道だと思う。絵巻物の研究は、新たな断簡がこれからどんどん発見され、次々と書き換えられるだろう。頑張りなさい。」と励まして下さった。また、古筆鑑定の立場からは、「国宝源氏物語絵巻」の成立年代は、12世紀後半、長秋記の記録から50年以上も後に制作されたと考えられるとされ、そうなれば、源師時の携わった源氏画は、「国宝源氏物語絵巻」ではないことになる。当時は源氏画が幾つも描かれており、むしろ、その方が自然という考え方もなり立つようだ。
 いずれにしても研究テーマに直接噛み合う有意義な講演を拝聴することが出来て、学部生という肩身が狭い中で無理に出席して非常に有意義だったと思う。

源氏物語初体験は映画館で2008/05/11 23:01

京都文化博物館で開催されている源氏物語千年紀展にちなむイベントとして、「源氏物語と平安京の世界 記念映画上映」が5月1日から6月8日まで行われている。
 「源氏物語 浮舟」(1957年大映京都作品)は、私が幼い頃に初めて触れた源氏物語である。
 つまり、私の「源氏体験」は映画から出発している。なにか薄暗い寝殿造りの御座所の場面で怪しげな影が動いたり、愛欲の懊悩に身悶える薫や浮舟の姿は、幼児の私に、大いに恐怖と好奇心を植え付けてくれた。
 新源氏物語(1961年大映京都作品)も母親に連れられて映画館でみた覚えがある。幼児向きに書かれた源氏物語(そんなのある訳ない)というので、母親や叔母からおおまかなストーリーを聞かされた。
 その時には、絵描きの叔母が書いた源氏物語絵巻を元に、あらすじの説明を聞いて、大きな興味を持ったことを記憶している。
 一番、興味を持ったのは、物の怪や寝殿造りの暗い空間、引目鈎鼻風の女性像である。
 当時、私は、古い建築、寺社の奥まったところには、こうした人達が妖霊となって潜んでいて、女の人は、特に長い髪の毛を振り乱して出てくるのだと思った。
 御格子の構造が、古い神社建築にも残っていたし、鬱蒼とした鎮守の森には物の怪や木霊等が潜むのにピッタリの場所だったからだ。
 源氏物語の全編は、谷崎潤一郎訳で読んだのは、小学校6年位だったと思う。家には、古典名著全集があり、雨月物語その他の江戸文学類も親に隠れて盗み読みした記憶がある。