河童について2007/11/02 09:19

 講談社から『日本妖怪大百科』(全10巻)が発売された。
 日本の妖怪全般を紹介していくシリーズの様だが、第1回目は、「河童と水辺の妖怪」である。
 各地の河童伝説が紹介されているが、特に目新しいものはない。黄桜酒造の「河童博物館」を今年の夏、訪問したが、少なくともそれ位の規模のデータが収集されていたらと思う。少し、残念である。
 河童と言えば、何か日本の原風景の中に棲みついた「モノガナシイイキモノ」と言う印象が私には強く感じられる。
 イメージ的には、岡野弘彦氏が『折口信夫の晩年』(中公文庫)に書かれている、折口への哀悼の文章が非常に強い。
 「器の中の水は、水銀のしたたりのやうな重さで、ひかりながら、汚れた泉の面に波紋を描いていった。泉のそばの、葉を落とし尽くした樺の梢の風音は、この水霊の故郷であった津軽の野づらを渡る風音を、私に思わせた。河童は、出石の家から移されて、今も國學院の古代研究所に置かれている。その炯々と光る目を見ていると、私はまだこの像に残っている魂を疑うことが出来ない。西角井先生が入魂して、20年も折口先生の家に祀られていた河童である。私の抜き得た魂は、この像に籠る霊の何分の1かに過ぎなかった気がする。」
 この岡野氏になる作品の中で、最も感動的な文章であり、先生への哀悼の気持ちと折口民俗学の全てがここに象徴的に記されている。折口信夫の民俗学は、柳田民俗学が、プロイセン科学精神の合理性に基づくものであったのとは対照的に、江戸時代からの精神風景を20世紀人の感性を持ってトレースし、言葉で言い換えたものであると思う。
 鬼は別として河童やこの本に描かれている水辺の妖怪の大部分は、江戸時代の名もない庶民達によってイメージされた精霊・妖霊達である。そこには、途方もなく古い時代からの何気ない日常生活の膨大な積み重ねの中で培われた「心の世界」と「生活文化」の融合が凝縮されている。
 折口信夫氏は、河童の表情の中にある不気味ではあるが、何か一種の哀しさに民俗学者として、あるいは、歌人として、日本人の感性の伝統的な本質を感じ取られたのだと思う。