今年は、隙間だらけの1年間だと思う2009/01/01 08:48

ブログを始めて早くも3年が経過し、4年目に入った。

 昨年の世の中の動きを見ると、一般民衆の生活は、一層の階層の分化、多様化が進み、これは、世界共通の経済文明を確立しようとするグローバリズムと対峙するものとなった。

 一方、政治、経済社会は、旧弊としたグローバリズムに執着し、1つのホコロビが、世界全体の経済に大きなダメージを与える結果につながった。大量消費の時代が終わり、消費も多様化の時代に入った。

 実体経済が後退した要因は、この様なグローバリズムの名のもとに巨大資本がM&A等を続けた結果、肥大化する一方で、変化する時代に対応出来るだけの多様性が失われていったことにあると思う。

 米国自動車産業の破綻は、金融バブルの崩壊が原因だとみられているが、昨年の出来事以前に既に終わっていたと言えるだろう。

 フォード以来の大量生産、大量消費の時代は、ついに終焉を迎えたのだ。

 こうして、かなり前から、その予感を持って、人々は、もはや活力を失った実体経済を捨てて、イメージ・夢によって左右される金融・投資経済に走っていった。

 大企業では、様々なイメージ・夢に振り回されながらも、実体経済の運営を続けざるを得ない羽目に陥ったのである。

 こうして、工業生産を中心とする産業社会は、夢によって成り立っている砂上楼閣の「市場」に支配される状況に陥ってしまった。

 サブプライムローンは、その一つで、「悪夢」であった。悪い夢のイメージが止めどなく拡大して、投資資産の価値が暴落し、その結果、大量の解雇が生まれ、消費の停滞が生まれた。これが、現在の世界恐慌の要因である。

 今年も人民(イッパンショミン)の社会や生活文化は、厳しい状況の中で、更に経済格差が拡大し、それが、結局は、ライフスタイルの多様化につながっていくだろう。

 小泉元総理が、「格差社会? なるほど。別に格差があってもよいじゃないですか。」と国会で発言したが、私もそうだと思う。

 企業・金融経済のモノカルチャー化を市場原理で、修正するのは、「民の格差拡大・多様化」であり、ケインズの原理に替わる21世紀の経済原理が産まれようとしている。

 今年も衰退する企業、興隆する企業・産業と大きな差が生まれるだろう。大量消費の時代が終わったことを認識し、それぞれの階層に向けて、「生活提案」を行うことが出来て、その結果、ライフ(消費)スタイルの需要にマッチした商品やサービスの提供が出来る会社が残っていくのだと思う。

 特に、不特定多数を対照とした店頭販売は益々厳しい状況になるだろう。趣味・嗜好品から生活物資まで、個別に選択・供給が可能なネットショッピングが一層、活発になると思う。特にチェーン展開が出来ない規模の企業店舗や個人商店・サービスでも、新たな流通形態に対応出来るのかがポイントになると思う。

 お金持ち相手の「会員制店舗」というのも面白いアイデアだと思う。ステータスをサービスとして提供し、その代価として商品を買ってもらうのである。

 IT・デジタル機器の市場が昨年は不振であったのは、こうした世の中の動きに逆らってモノカルチャー化が進んだからである。特にデジカメについては、シェア競争の場と化したが、これは、「似たような商品」を出来るだけ多くの消費者に販売する競争であり、「買う側」にとってみると新鮮さが欠けていた。だから、デジカメ離れが起こったのだと思う。

 そうした中で、昨年末に、ゲリラ的商品を展開しているEXEMODEがヤシカブランドで低価格のデジカメ(1400万画素)を販売する一方で、マニュアルレンジファインダー・銀塩カメラという私の様なマニアしか買わない様な面白い商品を発売することを発表した。これは、従来の大量生産、大量消費の時代では、「ニッチ」と言われる商売の方法だが、既に「ニッチ」はなくなり、「あちこち隙間だらけ」の世の中になってしまっている状況が反映されているのだと思う。

 お金持ちもビンボー人も欲しいものがそれぞれ存在するのである。私は、50袋300円のウーロン茶を探し求めて街を歩くが、一方で、数千円のウーロン茶しか飲まない人もいるのだ。

源氏物語全文が携帯可能に2009/01/01 11:04

IXYDIGITAL70で撮影。
 PSPで青空文庫リーダーを起動出来る様になって、実に面白いものが出来たものだと感心している。
 通常のテキストファイルでもこんな風に表示出来るので、高千穂大学教養部教授の渋谷栄一先生校訂の源氏物語本文(原文)を全てPSPに転送してみた。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
これ以外に紫式部集、紫式部日記等もある。


これだと文庫本等よりもずっと軽い嵩張らないのでちょっとした源氏物語の催しや学会に参加する時に携帯するのに便利だ。この他、梶井基次郎、太宰等の作品も入れて楽しんでいる。
 捜査は、殆ど○とXのキーで出来るが、ファイルのオープン等、面倒くさい点もある。

 しかし、画面の大きさ、重さ、白地に黒で活字文字が表示されるので、凄く読みやすい。パソコンよりも良好だと思う。

これは、「凄い」商品だ!2009/01/01 18:35

IXYDIGITAL70で撮影。
DV-610AVは、ヨドバシのポイント(おまけ)で買ったが、さすがに安いだけあって、「凄い」商品だと思う。

SACDで5.1チャンネル再生可能というのに超安価でマニアの間でも話題になっている。

「凄い」というのは、悪い意味で凄いで、特に哀しいのは、アナログ音声出力が雑音だらけである点である。SACDは、アナログ出力とHDMI端子からデジタル出力が出来るが、HDMI端子から入力して、SACDのフルスペックをDA変換出来るコンバータを持っていないので、結局、アナログ出力に依存する以外にない。

この音が凄いというか、雑音だらけでしかも痩せて歪んでいる。私が自作したアナログディスクの真空管式イコライザーよりも、ノイズが大きい。色々いじくり回して、ビデオ出力の黄色のコンポジットケーブルを外したら雑音が軽減したが、明らかにハムノイズが、聞こえる。

もっと哀しいのは、ヘッドフォン端子がない(パイオニアのDVDプレイヤーも附属していなかった)だから夜間等は、悪い音のアナログ端子からサウンドブラスター(上)のLINEin端子から入力してヘッドフォンをそこから差し込む以外に方法はない。

ヘッドフォンで聞くと、大変ノイズレベルが高い。管球式プリを通して聞くアナログディスクは、真空管特有のヒートノイズ(シーっというピンクノイズに近い高音)が極く僅かに聞こえるだけだが、SACDの方は、ブームというノイズにデジタル系のノイズも聞こえる。

DVD-AUDIOは、まだ試していないが試す前に結果がわかりそう。CDは、DAコンバーター(パラサウンド製)を通して聴くのでノイズは皆無だが、どうゆう訳か、音がSONY等のプレイヤーに比べて音は薄い目である。

この機械は、パイオニア製の同じく普及価格帯のAVサラウンドアンプシステム等を接続して使用する為に企画されたと見えて、ノイズ対策を十分に行っていないので、せっかくSACDやDVD-AUDIOが再生可能なマルチディスク再生システムで、最も安い機種というメリットを活かせないでいる。

また、ハイブリッド型のディスク(CDとSACD)の場合は、SACDが自動的に選択されて再生される。実際、ハイブリッドディスクでCDの録音の方が音が良い場合があるので、そういった選択が出来ないのもSONYの普及価格帯のプレイヤーに比べて遜色がある。

オーディオ志向の人は、この製品を選ばない方が良いだろう。

写真のカバさんも何やら物憂げである。
さすがに正月元旦で暇というか無理に暇にしているので、家電をいじったり、PSPの青空文庫で源氏物語を読んだり、色々出来るので、普段ももっと休みが欲しいと思った。

「PよりG」の方が怖い2009/01/02 13:15

IXYDIGITAL70で撮影。
 G1のファームウエアのバージョンが早くも1.0から1.1にバージョンアップした。

 最初の使用感のところで指摘した電子ファインダーの画質調整の機能が加わった。彩度と輝度調整が可能になった。

 ところが、残念なことに実際のファインダー画像は、赤みが勝ちすぎているのを調整する色相調整の機能は附属していない。これは、実際にCCDに取り込まれる画像と同期させなければ行けないのでファインダーレベルでイジルわけにはいかない為らしい。

 それにしてもバージョンアップの作業はスリリングだ。途中で操作したり、最悪の場合、バッテリーが切れたり、電源が落ちれば、カメラ自体が起動しなくなってしまう。修理扱いになる。

 G1には、電源アダプターがついていないので、バッテリーを満充電にして行うのが鉄則だが、うっかり、なくなりかけのバッテリーで作業をしてしまった。

 作業が開始された直後がこの写真で、上のG1には赤いランプが表示される。「危険信号」だ。

 LUMIXのサイトからダウンロードしたファームウエアをSDメモリーにメモリー読み取りアダプターから転送して、それをG1に装着すると、「バージョンアップしますか?」が表示されるので、ハイを選択すれば、勝手に作業を始めてしまった。

 PSPのCFW導入作業は、ACアダプターを装着しての作業なので、Pバッテリーが正常で、MMSがちゃんとしていたら、注意して作業を行えば、まず、作業に失敗することはないが、G1の場合は、バッテリー起動で作業をしているので、落ちたらエライことになる。

 「PよりG」の方が怖いコトになる。

「『PSP-Vista』の起動画面」2009/01/02 14:54

IXYDIGITAL70で撮影。
こんな馬鹿なことをやっているが、結構、サクサクと動く。CPUのクロックアップで通常の1.5倍程度の速度で動作している。ゲームなんか凄く速いです。

最近、入手した海外の情報では、PSP3000のCPUの換装実験(旧バージョンのCPUに換装)した結果が紹介されていたが、結局、IO、その他関係の動作は、確認されたが、グラフィックボードへの信号が出ない。(ポート番地等が変更になっているか、もしくは、グラフィックのクロックモジュールが別になっている。)

つまり、CPUの解読に成功して、対策を講じても、基盤自体の設計もかなり改編されている(恐らくゲームのスピード向上の為)ので、ハッキングは難しいだろう。

これまでの結果、サービスモード(判る人には判る)起動画面までこぎ着けたが、その後のフラッシュメモリーの読替えについては、CPUの解読が前提となるが、当面は無理だろう。

こうしてグズグズしている間にSONYでは、次世代機の開発が着々と進行中で、PSP1000から2000までの時代は終わり、PSP3000は、過渡的段階、4000もしくは、PSP2以降の時代に入ろうとしている。

どんどんハードが進化している割りには面白いソフトが少ないので、エミュレータや自作ソフト、改造ソフトの蔓延を許してしまうという悪循環を産んでいる。

結局、オープンアーキテクチャーにしないとジリ貧になるのは目に見えているのでは。

80年代末の懐かしさに嵌る2009/01/03 23:25

 P*P2000でスーパーファミコン用のエミュレータソフトを起動させると、懐かしのゲームが出来る。
 カーネル1.50に新型PSPは対応していないので、まず、カーネル1.50での実行をエミュレートする必要がある。
 つまり、旧型P*Pの方が、1.50環境をエミュレートする必要がないので高速で動く筈。
 私のファームウエアは一番新しいバージョンなので対応する1.50カーネルでの実行環境をつくるには、「ビールの画面のソフト」しかない。
 さらにスーファミ用エミュレータをその中から起動させて、その上にソフトを走らせる。不思議なことに、ファミコン等古い時代のゲーム(8ビットや16ビット時代)のゲームよりもN64のSマリオ等新しい時代のゲームの方がエミュレータでサクサクと動く。
 下のは、シム・アースというゲームで、以前、PC9801で嵌っていたゲームで、1980年代末に発売された。
 地球温暖化、バイオマスエネルギー、持続可能な文明社会を追究、シミュレーションするゲームで、30年先を予見しており、凄いと思う。
 そんな訳で、今日もエミュレータ三昧であった。ROMも自分で吸い出さなくても、あるサイトで入手することが出来るが、これもヤバイだろう。

ガリレオの「宇宙」も「調和の幻想」に過ぎず2009/01/04 23:41

IXYDIGITAL70で撮影。(ハンガリー切手)
 今年は、ガリレオが望遠鏡(彼が発明者との説は嘘で、既に先に組み立てた人がいるのをきいて、追試した訳である。)を組み立てて、始めて天体に望遠鏡を向けて観測を始めて400年という年に当たる。

 望遠鏡での天体観測は意外にも日本にもはじめられて早い時期に伝わり、徳川家康が月面に望遠鏡を向けたこと記述が残っている。(関ヶ原合戦の年代や徳川幕府の成立時期を考えるといかに早く世界中に天体望遠鏡が伝わったかが判る。

 ガリレオ式望遠鏡は、凸レンズに凹レンズの接眼鏡を組み合わせた幼稚なものであり、倍率は、30倍程度、月面のクレーター、金星の満ち欠け、木星のガリレオ衛星は見えたが、土星の輪は判らなかった。なにやらコブの様なものが左右についているという記録が残されている。
 伝記を読んだ小学生の私も父親からもらったヤシカの2眼レフのファインダーのレンズから凹レンズ部分を抜き出して、長焦点の凸レンズを組み合わせて、早速、最初の望遠鏡を組み立てた。レンズ枠から鏡筒まで全てボール紙製であった。
 残念ながら、月面のクレーターは確認出来なかったが、五月山に登って家の方を眺めて、自宅の屋根がハッキリ見えた感銘は忘れない。
 400年の記念行事としてガリレオの望遠鏡を組み立てる催しやキットが発売されている。
http://www.astroarts.co.jp/news/2008/12/04telescope_workshop/index-j.shtml
 実際にレンズを磨くところから始める体験行事も企画されている。実際に天体観測には、視野が狭いガリレオ式よりもケプラー式(凸レンズに凸レンズを組み立てた望遠鏡)が適している。

 ところで、最近の子供は、あんまり偉人伝等を読まなくなったようだ。私は、読書では、事実について書かれたものしか興味がなくて、伝記やファーブル昆虫記は良いと思ったが、シートン動物記や椋鳩十は、動物の行動が人間の様に脚色されているので嫌いだったし、最近の子供に好かれている宮沢賢治等も嫌いだった。

 最近の子供は、大人が植え付けた「甘っちょろい・夢のイメージ」で詩歌、俳句、童話、ポニュとか、カピバラや、宮崎アニメにホンワカしているが、それが、日本の競争力の低下を招いているのだと思う。こうして、コンピュータハイテクと童話・イメージの世界が共存しており、これは、不況に直面している世界経済の甘っちょろさに通じると思う。

「もっと事実を観察して見つめて欲しい。」

 ガリレオ・ガリレイと私の出逢いは、種痘の父、ジェンナーの伝記を本屋で探していたが、見つからず、仕方なく、ポプラ社かなんかの小学校中学年向けの伝記を買って読んだことに始まる。

 今年の天体ショーとして、ガリレオを記念する年にピッタシなのが、「土星の輪消滅年」であることで、ちょうど土星の輪が地球との傾き加減で消滅するのが、太陽のむこうがわの位置になるので、観測出来ないが、厚さ数十キロの輪がいかに薄いか体験出来るかが、今年の秋以降に判明するだろう。

 ガリレオの功績としては、コペルニクスの地動説を実際に観測で証明した(ガリレオ衛星)ことにあるが、これは、科学的発見というよりも、宗教・哲学的な新たな思想展開という点の方がむしろ注目される。

 つまり、太陽系のミニモデルとして木星系の観測で証明した訳である。今の時代もむしろガリレオの延長上にある。「太陽系外惑星の発見」で既に木星の倍位の惑星が存在する恒星系が幾つも発見されており、太陽系以外の惑星の存在が着実に証明されつつある。惑星の大気さえ観測されており、これらも科学的功績というよりも、新たな「生命観」、思想の誕生につながる可能性がある。

 現代社会には、「宗教裁判」は存在しないが、研究・業績へのアカハラ等や差別も多く存在する等、折角、優れた研究や業績があっても認められないのは、ガリレオ時代と同じであろう。

 ガリレオの科学的発見で最も評価されているのは、「振り子の等時性」であり、これらは、ガリレオの天体望遠鏡を惑星観測が可能な水準まで引き上げたクリスティアーン・ホイヘンスによって、時計に応用される。これらの研究は、重力加速度等の天体力学へと応用されていくので、望遠鏡の観測よりも、ずっと重要であるだろう。
 
 更に面白いのは、ガリレオの家系は、ルネサンス時代には、有名なリュート奏者(マンドリンの様な形をしていて多くのコース(弦)が張られていて、複雑なポリフォニーの曲も演奏出来る。)の家系である点である。

 ガリレオの父のヴィンチェンツオ・ガリレイは、リュートの為の作品集を残しており、日本でもギター曲に編曲されたものが出版されており、あの有名なサルタレルロ等の舞曲も幾つか収められており、叙情的な美しい作品も多い。私も一時は、リュート音楽の演奏に凝った時代があり、テープに演奏も残っている。

 ガリレオ・ガリレイは、親父さんよりもリュートの演奏が巧みであり、振り子の等速性等の研究には、リュート弦が使用されたとか。弟のミケランジェロ・ガリレオもリュート奏者でイタリアを出て、ポーランドの宮廷で活躍する。
 その後、ガリレオ家には不幸が訪れる。

 家族全員がペストで亡くなり、ドイツに逃れた甥だけが生き残り、ミュンヘンの宮廷で活躍する。
 以前、「ハルモニア・ムンディ」のことを取りあげたが、ガリレオもやはり、天体の運動を彼なりの新しい宇宙観で、調和があると考えていた。
 この点が、現代天文学と異なるところで、現代天文学では、急激な時空の歪みが亀裂を産み、その破滅と崩壊への途上の刹那の時間にたまたま私たちが存在している世界が存在しているのに過ぎず、エントロピーの過程を辿っているのである。
 「それでも地球は回っている。」という彼の言葉も事実であるが、最近の観測で、特に、閏年の挿入が6年置きに延期された様に地球の自転速度の変化が最近の10年間で大幅に変動しているので、「時間学者」にとって悩みの種となっている。

 宇宙の調和的構造が、等速・規則運動や美しい音楽のハーモニーを産んでいるというのは、実は、「唯識」の「幻想」に過ぎないのである。



 写真は、ハンガリー切手

Lica社(本物)Elmar50㎜沈胴+G1で撮影2009/01/05 22:42

lumix-G1で撮影
 昨年末に購入したLUMIX-G1+フォーサーズアダプタ+M42アダプタ+Lマウントリングでの撮影である。
カメラの様子は、下記の記事
http://fry.asablo.jp/blog/2008/12/31/4036174

 Lica社(本物)のElmar50㎜の沈胴が結構、動きがカタイのが幸いして、沈胴させた状態で、無限遠を合わせる等の微調整が出来るので、この方が便利。同社製のズミタール50㎜も沈胴式だが、鏡胴が太いので、完全に奧まで入れることが出来ず、ピントが合わず使用できない。
 
 つまり、現時点でLマウントで完全に写るのは、Elmar50㎜のみである。G1の設定もレンズがオフでも動作が続けられる設定に変えて、Aモードでの撮影(勿論、マニュアルフォーカス)。更に、絞りも今回は開放(F3.5)にした。そうでないと夜間の撮影は厳しい。

 マイクロフォーサーズでの50㎜レンズは、35㎜の100㎜の画角となるので、かなり画面が望遠よりになるので、構図を決めるのも最初は、手間取った。更に、手振れ補正が当然効かないので、夜間の場合は、ISO感度を400以上に上げる必要がある。だから結構ノイズも発生する。また、古いレンズらしくコントラストも幾分、低い目である。

 100㎜画角は、人間の眼で視覚認識されている対象の大きさとほぼ等倍に写る。しかし、画角は視覚の4分の1も無い狭い範囲になる。これでフレーミングして撮影して面白い対象は少ない。今回の撮影を通じて、こんなに肉眼で大きく見えているのに、視野も広いという「人間の眼」の高性能を本当に認識された。

 左上のボール等、古いレンズでもこんな風に写る。でも、どちらかと言えば、お地蔵さんとか、先日も同じ店を撮影したが、赤い怪しげな照明の店等が面白く撮影出来る。

 阪急電車は完全に露光不足だが、夜の電車が好きなので、敢えて撮影した。

 ところで本日、スペアのバッテリーを購入したが、あまりにも高いので唖然!ヨドバシ価格で7000円を超えてしまう。カメラを買う時には、付属品の価格も良く調査して買うべきだ。PENTAXやEOSに比べてもアクセサリーやバッテリーの価格は割高だと思う。

背景のボケかたが気に入った2009/01/05 22:47

 この写真もLumix-G1で撮影。背景のボケかた綺麗なので好きだ。
 
 色調はやはりクラシックレンズの特徴が出ており、くすみがちで、それが、面白い味を出していると思う。

Lumix-G1+Elmar50㎜モノクロ2009/01/05 22:51

lumix-G1で撮影
 最初からモノクロで撮影。やはり、Lica-Elmarは、モノクロ時代に開発されたレンズだけあり、モノクロになった途端にディテールの描写力が際だってくる。特に線路の曲線の感じが好きである。