ロボちゃん「怒りの日」2008/02/10 17:19

 ディアゴスティーニのマイロボットが終わったので、マイミュージックスタジオというのを取りあえず、店頭で買っている。
http://www.de-club.net/mms/
 PCでの音楽編集の方法が学べるというのが売り物で、シンガーソングライター(SSW-LITE5.0)のこの雑誌用の特別バージョンがついて来る。また、素材CDを使って様々な音源から編集出来る仕組み。
 創刊号は、500円位で安かったが、第2号から1190円に値上げされる。
 おまけにヘッドフォンがついて来たが、これが実にショボイというか、私のデカイ「ぶつぞう」の様な頭には入らない。
 仕方なくロボちゃん用にした。ついでに録音に参加してもらう。
 SSWLITE5.0は、フル機能が使えるお試し版(期間限定)がダウンロード出来る。
http://www.ssw.co.jp/products/ssw/index.html#lt40w
 いまのところマイミュージックスタジオのSSWには、MIDI編集機能がついていないが、試用版は、アナログ、MIDI音源も使用できる。
 面白いのは、メロディーから伴奏まで勝手に作ってくれる機能で、だれでもジャズ、演歌、ロック等ジャンルを選択して作ってくれる。
 実際には、簡単なメロディーラインを4種類位スコアか楽器演奏で入力出来ないとまともなものは使えない。
 手元の子供のオモチャ用の鍵盤を接続して、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」をMIDIで録音して、ロックの伴奏を自動でつけてみた。
 他にもクラーイ3拍子の曲とかソフトをイジッていると勝手に出来てくる。
 変な曲の出来上がり。主旋律をダルシマーという楽器(どんな楽器か判らんが、実に気味が悪い音がする)のにしてみた。
 さて、歌手、ロボちゃんの登場!
 結局は、歌が歌えないんで、戯言を喋ってもらう事にする。
 こうして、出来上がったへんな作品をMP3に落として見たので聞いてみたい人は聞いてくらはい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/robo1.mp3
 実に馬鹿らしいので、この雑誌続けようかどうか迷っている。

寒さの後に開花2008/02/11 09:41

PENTAXDLで撮影、SCMPENAX-F ZOOM80㎜側で撮影。トリミングしてある。AUTOPCTモードで撮影
 厳しい寒さが去り、雪が溶けたと思ったら、ようやく自宅の梅が開花した。
 盆栽の紅梅はかなり前から咲いていたが、庭の階段を挟んで西側に咲く野生種(30年以上前、この土地に引っ越して来た時に生えていたのを山どりして植えた)の梅は、庭の梅の中で最も早く、2月初旬に開花するが、今年は1週間程度遅れた。
 階段の東側には、白梅があるが、こちらは、まだ、蕾が固い。2月の終わり頃になるかも知れない。
 この様に、開花時期が異なるので、紅梅、白梅と見事に揃った姿を見る事は出来ない。
 PENTAXDLで撮影。このカメラの色調が気に入って最近、よくシャッターを押している。

絢爛たる伽藍の中で2008/02/12 23:59

母校の懐かしい風景、ここも新学舎建設で取り壊されてしまった。戦前からの建物のそうだ。
 最近は、暗いニュースが多い。沖縄の米兵暴行事件等、地域の自立を脅かす事件の多い事。
 先週は、岩国市長選挙が報じられたが、結局、基地容認派の市長が当選した。国が基地移転を受け入れなければ、地方助成予算をカットすると圧力をかけて来た事も背景となっているようだ。
 4年前に佛大通信制社会学部応用社会学科の卒論で、地域活性化プロジェクトを取りあげたが、当時の岩国市の状況を取材調査を行った。基地問題ではないが、やはり、国からの地域助成事業の方が、住民主導の地域活性化プロジェクトよりも優先され、結局は、自主性が失われてしまう状況等を報告書にまとめた。
 国からの助成金を受けるという事は、やはり、一方で弱みを握られると言う事だ。
 私学助成もそうであり、財政的に厳しい大学では、予算のかなりの部分を国からの助成に依存している。
 もし、助成が受けられなかったら、多額の寄付金を父兄や学生から集めなければやって行けないと学校関係者はもらす。
 今回、定員割れを起こした私学への助成金を大幅にカットするという方針が文部科学省から示された。
 従来から、文科省から研究予算の助成を受ける為には、大学の運営から教育の具体的内容まで、大学基準協会の認証評価を受ける事が前提となっており、特に文化系では、国文、国史等の既存の学科教育制度の見直し(改革と呼ばれている)が行われなければ、予算が打ち切られるので、やむを得ず従うという事が、有名私学からFランクの大学まで行われている。
 その結果、人文学科という胡散臭い名前の学科が誕生、大学関係者では、「ジンモン」と呼んでいるらしい。「ジンブン」は、なにやら変なイメージを想像させるだからか。「人間とことば・・・」とか得たいの知れない名前の学科やコースで、従来の国文学を教えている知人もいる。それでも職を失ったり、研究予算をカットされるよりもマシという。
 今回は、これに追い打ちをかける状況である。しかし、得体の知れない名前、一体、何をこの大学で修得するのか判らない様な学部、学科は、これまで以上に定員を確保する事が難しくなってくるだろう。
 日本のジンブン系の大学教育は、今、危機的な状況に直面している。既存の学問・研究大系と教育システムの乖離が大きな障害となり、学会すら満足に開催出来ない状況になりつつある。
 国のやり方は、最初に無理な学部・教育体制の変更を強制し、学生離れを起こしやすい状態にしておいてから、定員割れ大学の助成金をカットするという。段階的な私学淘汰を目的としたものではないだろうかと疑いたくなる。
 定員割れの大学が助成金を打ち切られた事で、有名大学や企業や団体の財政支援が受けられる大学のみが生き残る状況が作られていく。
 この点は、地方・地域政策も、教育行政も共通しており、中央集権制が一層、強まる状況がもたらされることになるのだと思う。
 大学教育の独自性を維持するには、本質を追究していく以外にない。
 30年近く前に卒業した母校(関西の中流私学)を久しぶりに訪問した驚き呆れた。トイレはウォシュレットで、お湯が出る洗面所が屋外の施設まで作られている。新興宗教の神殿の様な建築物が次々に造られている。
 国からの助成金や高い授業料、更には校友から何億という寄付金を集めてこれらの施設が作られていく。
 私たちの大学時代は、夏の冷房さえなかった。トイレも石けんがあるだけで驚いたものである。 打ちっ放しのコンクリートは崩れて鉄筋が剥き出してで危険であった。それでも独自性があり、優れた研究を行っている先生の授業に感心したものである。
 至れり尽くせりの母校の図書館を訪問して驚いた。2階の開架閲覧室にある国文学の書籍はボロボロで、10年、20年もほったらかしの状態。
 学部生は、開架閲覧室でしか直接、本を取ってみる事が出来ないのが母校のシステム(4回生は特別扱いという事らしいが)
 3回生になって専攻コースを選ぶらしいが、この有様では、国語・国文学コースを専攻する学生が増える事は期待出来ない。
 多くの資金を投じて建設された巨大伽藍がキャンパスに林立する中で、学生の拠り所とする図書館蔵書は、貧乏だった私たちの大学生時代以下の水準になってしまっている。

視直径僅か10秒に2008/02/13 23:32

110㍉反射PL20㍉コリメート方式でEXP505で撮影したムービーをRegistaxVer4でコンポジット処理(240枚相当)
 昼間は雪であったが、夜から晴れたので火星を撮影する。
 視直径は僅か10秒、12月の接近時に比べてかなり小さくなってしまっていて、自分の機材では、これが限界に近い。
 ドーズの限界で見えている火星の直径の1/10以下のものは分離出来ないので細かい模様の撮影は無理になった。
 それでも大シルチスが見える。
 今年の火星は、天候に恵まれず、何も出来ないまま、火星は遠くに行ってしまった。

現代仏教の実践としての「看護論」2008/02/14 23:35

『仏教看護論』藤腹明子著 三輪書店

 大阪の旭屋書店は、医療・看護関係の書籍に力を入れている。
 私は、看護や医療等とは無縁の人間だが、医学書や看護関係の本を立ち読みするのが好きである。
 「仏教看護」と言う言葉をこれまで聞いた事はなかった。
 佛大通信の応用社会学科で、選択科目であったと記憶しているが、保健・医療社会学を履修した。担当は藤田和夫先生で、国立精神衛生研究所におられた方で、看護技術にも詳しい。
 応用社会学科のスクーリングには、看護師の方が多く来られていた。そうして、実に自分のビジョンを明確に持っており、熱心な学生さんが多く、パワーポイント等を使用した発表等も手慣れた感じでなんなくこなして行くのを眩しい思いで見ていた事を記憶している。
 藤田先生は、同時に社会学の研究方法の内、統計学的な手法にも詳しく、『調査研究ステップアップ パソコンを使えばこんなに簡単』(日本看護協会出版会)の著書も書かれている。
 社会学部で私が学んだのは、臨床社会学の応用としての保健・医療社会学であり、そのコンセプト自体を仏教の観点から扱ったものではなかった。
 そういえば、「仏教社会学」という学問分野も未だ定義されていないのではないだろうか。佛教大学の社会学部の先生でも、この言葉を話されたのを聞いた事実はない。
 ところが、藤腹明子氏(国立京都病院附属高等看護学院を卒業された後、佛教大学文学部仏教学科を卒業されている)によるこの本は、佛教の観点に立った医療・看護論を展開されている。
 これは、本当にユニークなことだと思う。
 特に第2章の仏教看護の主要概念では、①人は、五蘊仮和合としての存在である、②人間は常に変化変転し続けている存在である。③人間は過去・現在・未来の時間を生きている。④人間は他のものとの関係の中で共存共生している存在である。⑤人間は煩悩を持った存在であるとともに同時に自己表現に向かう存在である。⑥人間は独自性を有した唯一無二の存在である。という、6つの定義づけを行った後、病と苦しみ、そして健康とは何か。仏教から見た生活や環境という概念について述べている。
 医療や看護には、プライマリケアやターミナルケア等の概念が含まれてくるが、病は、結局、縁起によってもたらされたものであり、その因果関係を究明する事で、発症や病の進行を防ぐ事が可能であると指摘されている点に感心させられた。
 また、死の恐怖を、どの様に取り除くかも結局、苦痛を和らげる事にもつながってくるだろう。
 第3章以下は、具体的な看護論であり、専門家でないものには判りにくいが、第5章で、「看護とは、結局、人間関係である。人間関係も常に縁起、因果関係によって変化して、新たな作られたり、破綻したりする。」とまとめられている点が面白い。
 佛教大学では、仏教理論を「仏陀の教え」等の科目で学習するが、どうしても大昔に生まれた思想で、我々の生活とは関係ないと考えがちで、知識として考えても「生活実践」として仏教を考える機会はあまりない。
 ところが、この本を読めば、仏教が、どんなに私たちの生活と深い関わりを持つ「生活宗教」である点に気づかされる。
 仏教と現代社会の接点については、様々な思想家や作家が書物を著されているが、どれも難しく、高級で凡庸な私には、今ひとつ具体的ではない。
 しかし、最も身近な「私達の身体と病気、医療」という点が仏教とどの様に関わってくるかについて知ることで、仏教思想への理解が進むだろう。
 内容については、著書の思いこみはなく、「仏陀のことば スッタニパータ」や「法句経」等、正確に仏典を引いて、その内容と仏教看護の現実との関わりを説明されている事を付け加えておきたい。
 仏教の実践としては、僧侶による冠婚葬祭の儀式、伝道・教化、地域コミュニティの育成、文化財の保護等の活動が主に考えられがちであるが、本来の仏教のあり方に最も近いのが、医療、看護、介護の世界でないだろうか。また、看護は科学でもある。私は、科学と仏教との関わりについてもつねづね考えているが、この本では、それが具体的な形で示されている点にも注目される。

仏涅槃会2008/02/15 22:08

『釈迦』(瀬戸内寂聴著 新潮文庫)

 今日は、涅槃会(ニルヴァーナ)という事で、こういった本をゆっくり読んでみるのも良いかなと思う。
 実際には、この他、『ブッダ最後の旅』(中村元訳)等大般涅槃経の翻訳も重要になる。
 寂聴さんの釈迦もやはり、大般涅槃経から多くを取材されている。
 独特なのは、主にアーナンダの目を通してブッダの最後の日々の姿を描写している点で、第3者の視点導入で聖人の生涯を描くというのは、案外に近代文学的なのではないだろうか。
 例えば、遠藤周作の『イエスの生涯』では、語り手の存在は規定のこととして、あたかも作者の目を通したかの様にイエスの生涯を描いている。この場合は、独特の神聖・威厳が生まれるが、同時に人間性の描写が希薄となる嫌いもある。
 『釈迦』では、アーナンダの目を通した生身の姿が描かれている。チェンダーのキノコ料理にあたって大量の下血に衣服が汚れながら背負われて最後の旅を続ける釈迦の姿や、女人の目を通した釈迦像もアンバパーリーや尼僧院での比丘尼の生活を通して描かれていく。
 女人にとってブッダの教えはなんであったのかと言う事も大きなテーマ。
 アーナンダやダイバダッタ、アンバパーリーやその他の女性達の人物造詣も、見事でなにやら淫靡な雰囲気も感じられる。この辺りの描き方は、さすが、こういった文章の大家であった瀬戸内晴美の片鱗を窺わさせられる。
 寂聴のブッダの弟子達の人物造形の方法やイメージは、手塚治虫のブッダに非常に近い。
 特に王舎城の悲劇の場面等の描写は、酷似していると言っても良い位。手塚のブッダは、寂聴さんの『釈迦』よりも15年前に書かれた作品である。片方は劇画であり、小説ではないので剽窃といった様なものではないが、少なくとも密接な影響を感じるのは私だけではないだろう。
 アーナンダは釈尊の没後の姿まで描かれ、阿羅漢果をついに釈迦の生前に得る事が出来なかったと想定されている。
 これは、アーナンダの視点を通して釈尊の生涯を描いているのだから、あくまでも人間の視点で描かれなければならないと言うコンセプトから敢えて、その様な設定にされたのだろう。
 アーナンダの覚りの場面も描かれている。大きな衝撃に見舞われる様な描かれ方がされているが、私には、覚りというものは、そのようなものではないと直感する。
 手塚の描いた釈尊の覚りは、修行成就とその後の2段階に分けて描かれている。最初の覚りは、チベット仏教の如来像の思想に似たものであり、私は、この様な事を覚られたのではないと思う。
 寂聴さんも、未だ覚りの体験をされた事がないのだろうか。
 中村元訳のブッダ最後の旅で一番、私にとって謎となった事は、釈迦が入滅される時に瞑想に入られる。一度は、非想非非想の境地に域に到達されてから、再び戻られてから息を引き取られるのは、何故だろうかと言う点である。
 この問題についても寂聴さんの『釈迦』を読んでも回答は得られない。それは、あくまでも人間としての釈迦の生涯を描いているからだと思う。
 釈迦の入滅は、あくまでも仮の肉体が滅んだに過ぎないからだ。

久しぶりの月面2008/02/15 22:25

FZ7で撮影 シャッター速度は,1/8位
 今日は、久しぶりに穏やかな夜なので、月面を撮影してみた。
 LumixFZ7と114㎜反射経緯台、PL20㎜でコリメート拡大法で撮影。
 先日、ヨドバシカメラでビクセン製のレリーズアダプターを購入した。
 野鳥撮影に使用されるが、天体写真に応用可能。デジカメでは、リモコン機能がないものは、ぶれない様に撮影するには、タイマー機能をつかうしかないが、ベストな構図の時にシャッターが切れないので不便。
 でもこのアダプターを使用すると自在にシャッターが切れて、連写も自由自在。
 LUMIXFZ7は、軽量だし、ファインダーでの撮影が出来るので細部の合焦の調節が出来るので便利だ。

火星に懲りずに挑戦2008/02/16 00:34

 もう、昨日になってしまったが、火星の画像処理も行った。FZ7のムービーで撮影したものをREGISTAXで処理。
 レリーズアダプターの威力か、ブレが少なく、この間よりもシャープな火星が撮影出来た。北極冠を捉える事に成功した。
 限界に近い大きさだが、空気が安定していたので、比較的表面模様が映りやすかったようだ。

難所を通過!2008/02/16 12:05

IXYDIGITAL70で撮影。
 Nゲージは、Zゲージよりも大きいので走りに迫力があるが、大きなレイアウトが無理なので、飽きが来てしまう。
 トミックスのミニNゲージのレイアウトを使えば、ダイアモンドクロス等の変化型のレイアウトが楽しめるが、日本の鉄道シリーズ等の小型車両に限定されてしまう。
 大型の通常サイズの機関車も、この難所をクリア出来るものもあるが、大型客車はこのままでは難しいかも。
 ポイント切り換え等で、車両によって走向コースを変える事が出来れば、面白くなると思う。
 ビデオは、今回からユーチューブにアップロードすることにした。
http://jp.youtube.com/watch?v=EAotZxGTKso
 アップロードに時間がかかるのが難点かな。でもこれでHPの容量を気にせずにアップロード出来るのは良いことだと思う。

土星の傾きがこんなに小さくなった。2008/02/17 00:12

過去3年間の土星画像を1枚にまとめてみた。
 今晩も天気が良かった。
 午後10時頃帰宅後、9ヶ月ぶりに土星を撮影した。(写真の1番下が今回撮影した土星)
 それが一番したの画像で、解像度もあまり高くない(それでも28枚の静止画を合成してある。)が、傾きは更に減少し、輪が非常に見えにくくなってしまった。更に傾きが小さくなれば、相当、大きな望遠鏡でないと見えなくなってしまうだろう。
 天体はこういった変化が面白い。
 それにしても凍てつく寒さだったです。