魔剣と日本神話、神々の黄昏2009/04/16 23:27

 日本神話の中で、スサノヲノミコトは、大活躍をする。

 特に八岐大蛇退治の話、古事記神代巻の名場面の1つだと思う。大蛇退治の結果、草薙の剣を手に入れる。

 これに似た話としては、ニーベルンゲン物語があり、ここでは、勇者ジークフリートの大蛇退治の話が登場する。

 大蛇の名前はファフナー。
 戦前のドイツの慈善切手の楽劇「ジークフリート」には、この大蛇退治の場面が描かれている。(この図案と色合いは絶妙だと思う。)

 ワーグナーの楽劇ジークフリートの第2巻く第2場が、その大蛇退治の場面である。ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮イタリア放送交響楽団の演奏が素晴らしい。大蛇のうなり声や戦いの有様等、息を飲むよう。

 大蛇退治に用いられる剣がノートゥングという魔剣である。実は、「指輪」の中では、この剣は、大神ヴォータン→ジークムントとトネリコの木の話→ブリュンヒルデ→ジークフリートと受け継がれていく。

 ファフナー退治の結果、ジークフリートは、その返り血を浴びて、身体の一部を除いて不死身の身体になるし、「指輪」を手に入れる。

 この後、ジークフリートは、ヴォータンに出逢い、神の権力の象徴である大きな杖をノートゥングで叩き折ってしまう。既に、この段階で神々の権威は、過去の物になっているのを象徴している。


 その後、ジークフリートは、炎の中に眠らされているワルキューレと出逢い・結ばれ、神の城であるワルハラの崩壊へと向かっていく。

 魔剣ノートゥングは、生と死、神と人間、永遠と滅亡を切り分ける為のアイテムである。

 古事記の説話と比べてみると、ノートゥングと共通しているのは、十拳剣であり、これは、イザナギノミコトの剣である。これは、フツヌシノミコト、タケミカズチミコト等の誕生と関わっており、やはり、神々の生成と関連した剣であるが、同時にスサノヲの八岐大蛇退治に使用された。

 草薙の剣は、八岐大蛇から発見された剣である。つまり、「剣が剣を産み出す」という暗喩が内在している。これは、神が天下りて、人間世界を産み出すことにつながっていく剣でもある。だから、三種神器の草薙の剣は、天皇家が人間界の長たる証でもあるのだと思う。


 他にゲルマンやケルト系の説話では、ヴェーオウルフがある。ここで登場するのは、ヘアルフデネの剣、ウンティング(ジークフリートに登場したフンディングに響きが近いのに注意)、巨人作りの剣が登場する。

 ベーオウルフは、巨人作りの剣でグレンデルを退治する。このグレンデルは、鬼の様な邪悪さとおぞましいまでの強さを誇る強敵である。悪知恵も働く。

 更に、このベーオウルフに関連しているのが、源頼光の鬼退治の説話である。どちらも鬼や怪物の腕を切り取り、その切り取られた腕を取り返しに怪物が現れるまでそっくりである。

 佛教大学大学院テキスト『源平盛衰記難語考』(黒田彰,2001,佛教大学)の中の
「源平盛衰記と中世日本紀」や「中世学問の世界と太平記 鬼切、ベーオウルフのこと」等がこれらの驚くばかりの共通点が描かれている。

 中世という時代の文化環境は、驚く程、グローバルである。例えば、斎藤英喜先生の『読み替えられた日本神話』には、『大和葛城宝山記』が挙げられている(第3章)が、なんと、仏教芸術で蓮華化生の項で安藤佳香先生がビシュヌ神話を取りあげられているが、そのものずばりで常住慈悲神王として、取りあげられている。インドのヒンドゥー説話に至るまで、中世日本紀の世界の中では、包含されていくのである。

 こうした時代背景の中で、古代イギリスやゲルマンの説話が形を変えて日本に伝来しても全然おかしくないのである。

 神話を勉強していくと、これまで学修して来たことがらが、まるで糸で括り挙げていく様につながってくるのだから驚きである。

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