源氏物語初体験は映画館で2008/05/11 23:01

京都文化博物館で開催されている源氏物語千年紀展にちなむイベントとして、「源氏物語と平安京の世界 記念映画上映」が5月1日から6月8日まで行われている。
 「源氏物語 浮舟」(1957年大映京都作品)は、私が幼い頃に初めて触れた源氏物語である。
 つまり、私の「源氏体験」は映画から出発している。なにか薄暗い寝殿造りの御座所の場面で怪しげな影が動いたり、愛欲の懊悩に身悶える薫や浮舟の姿は、幼児の私に、大いに恐怖と好奇心を植え付けてくれた。
 新源氏物語(1961年大映京都作品)も母親に連れられて映画館でみた覚えがある。幼児向きに書かれた源氏物語(そんなのある訳ない)というので、母親や叔母からおおまかなストーリーを聞かされた。
 その時には、絵描きの叔母が書いた源氏物語絵巻を元に、あらすじの説明を聞いて、大きな興味を持ったことを記憶している。
 一番、興味を持ったのは、物の怪や寝殿造りの暗い空間、引目鈎鼻風の女性像である。
 当時、私は、古い建築、寺社の奥まったところには、こうした人達が妖霊となって潜んでいて、女の人は、特に長い髪の毛を振り乱して出てくるのだと思った。
 御格子の構造が、古い神社建築にも残っていたし、鬱蒼とした鎮守の森には物の怪や木霊等が潜むのにピッタリの場所だったからだ。
 源氏物語の全編は、谷崎潤一郎訳で読んだのは、小学校6年位だったと思う。家には、古典名著全集があり、雨月物語その他の江戸文学類も親に隠れて盗み読みした記憶がある。

鉄橋購入2008/04/10 23:52

IXYDIGITAL70で撮影。
 先日、新しいレイアウトづくりの為に必要なトミックスの鉄橋を購入。
 現在、走らせているレイアウトの中に陸橋の形で組み込んでみた。
 うまく走行する。
http://jp.youtube.com/watch?v=eb6Dxv5E9a0
 走行させているのは、485系雷鳥と小田急2200系である。この車両を改造して能勢電にしてしまう計画。ヘッドライトの形状の加工等が必要になってくるので大変だ。
 しかし、鼓滝の鉄橋の色は、さび止め塗装の様な色なので、後で、塗装し直さなければならないのが難点だ。
 これからB2のサイズで、この鉄橋を組み込んで複線走行出来るかという問題に取り組んでみたい。

近鉄ビスタカー堂々走行2008/04/06 22:01

 関西大学では、毎年4月の第1日曜日にスプリングフェスタ(全学同窓会の様なもの)が開催される。
 今回のイベントとして鉄道模型の走行会を開催。
 大型レイアウトに、HOゲージが疾走。
近鉄30000系EX ビスタカーが走る抜けます。
http://jp.youtube.com/watch?v=03MSSwW0c64
 Nゲージに比べてやはり迫力がありますな。
 子供達も大喜び。

蘇州夜曲2008/04/02 23:45

IXYDIGITAL70で撮影。
 最近は、仕事の殺伐とした原稿を夜中まで書いていて、それでも間に合わず、次の日も朝食、昼食をとらず、やって書き上げるのが午後1時位で、ホッとしてアンプやラジオのスイッチを入れる。
 この間、書いたようにFMを聴取を再開しているが、この時間のNHKは、深沢彩子さんの歌謡スクランブルが放送されている。
 仕事中にかけているのは、バッハのブランデンブルク協奏曲の5番で、メヌエット楽章をリピートさせているが、歌謡曲を聴いているのがバレルと恥ずかしいので、歌謡スクランブルは、ヘッドフォンでこっそり聴いている。
 これを聴いていると疲れがとれて眠くなってくる。最近は、夜も空中浮遊の夢をみたり、疲れて、殆ど眠れないが、これはリラックス出来る。
 最初はなんとなく聴いていたが、やはり曲目や歌詞が気になってくる。
 昨日と今日と2回続けて蘇州夜曲が流れて来たが、歌手が違うので、全然異なった曲に聞こえる。
 この曲は、たしか、東宝映画の「支那の夜」の主題歌だったと思うが、作詞は、西条八十である。
 西条八十は祖父とも友人であり、幼いときに何度かお目にかかり、童話等を読んで頂いたり、アルバイトで書かれていた少年少女小説をいただいたりした想い出がある。
 やたらお金持ちの家が出てきて、食べ物が多く出てくるので子供ながら閉口した。
 蘇州夜曲の歌詞には、何か漢詩の原詩があるような気がしてならない。
 張継(720頃~780頃)の
  月落烏啼霜満天
  江楓漁火對愁眠
  姑蘇城外寒山寺
  夜半鐘聲到客船
ということになるのか。
 何分、こうした歌謡曲や詩歌の知識が乏しい為に判らない。季節が外れている様な気がしてならない。こういった趣きなのだろうか。
  旧苑荒台楊柳新
  菱歌清唱不勝春
  只今惟有西江月
  曾照呉王宮裏人
 未だ「楊柳新」には新しすぎるけれども。 
 2回も同じ曲が放送されたのも何か、意図があるのか、深沢さんに尋ねてみたいものだ。
 
 写真は、自宅の近くの桜の花、週末までこの美しさがもつのだろうか。

夜の靱公園に桜が咲いた。2008/03/27 22:15

IXYDIGITAL70で撮影。5枚の写真を1枚に合成してあります。
夕方の大阪市内の靱公園は、不思議な世界。
上の不思議な意味不明の物体は、四角柱をしていてアクリルの様なケースの中に花のホログラムが4つの光で色を変えて光っています。
 他にも怪しげなオブジェが一杯。
 下はようやく開花した桜。夜なので、フラッシュを炊いたので、近くの花だけが白く写っています。
 昼間の公園では、大分、赴きが違うでしょう。
 最近は、色々と物騒なので夜の公園は避けたいですが、私の姿を見た他の人の方が、その様に感じていたかも知れません。

ブルトレ7両編成2008/03/22 21:33

IXYDIGITAL70で撮影。
 最近では、ブルートレイン「銀河」が利用者減少を理由に廃止された事が話題になっていた。
 私は、大学生の頃、九州旅行に「彗星」を利用した事があるが、乗りごこちはそんなに良くなく、それにしては、運賃が高いと思ったが、ワイワイがやがやの学生旅行はさぞかし周辺のお客さんに迷惑をかけただろう。
 それでも彗星に乗っておいた事は良かったと思う。関西と九州がこんなに離れているんだと体感出来たからだ。
 最近では、夜行バスも便利であり、廃止されても無理はないが、ゆったりした列車旅行があまりにも少なくなっている気がする。
 こうした気持ちを反映して、Nゲージでブルトレを編成してみた。
EF65←カニ21←ロビーカー←オシ245→ナハネ20→ナハネフ23→カニ24
 滅茶苦茶な編成だが、なんか、本物らしく見える。全て中古品で揃えたので、状態はバラバラだ。走行は、良好で半径170㎜のカーブもなんなくこなしてくれる。
 最近では、Zゲージの車両セットも販売されている。(なんと客車も点灯可能)
 でも2万円を越える値段は高い。中古のNゲージだったらこの5分の1位の値段で楽々揃ってしまう。
 以下は走行ビデオ
http://jp.youtube.com/watch?v=15TF5YzYQfM

パステルカラーの街2008/03/19 20:20

FZ18で撮影
 私は、神戸の街が好きだ。この街は憧れに満ちている。幼いときに私を養い切れない両親は、小豆島の画家の祖父の元に数年間私を預けた。
 両親から見放されたと言うか見捨てられた僅か5歳の私は一人で船に乗って小豆島に旅立った。
 そんな私を暖かく見守ってくれたのが神戸の街。
 しかし、地震の後、神戸は変わってしまった。潤いが無くなった。
 実は、先週の土曜日から火曜日までずっと休み無しで、神戸、京都、京都、大阪南港と連チャンで出歩く羽目になっていて本当に疲れている。
 そんな憂鬱な気分を慰めてくれたのは、パステルカラーの街だった。
 神戸の街がみんなパステルカラーだったら絶対に移住すると思う。

異様に赤い夕焼け2008/03/14 21:09

IXYDIGITAL70で撮影。
 黄砂の為か、最近は、夕空が異様に赤い。気味が悪いこともある。
 また、地震でもあるのだろうか。
 夕陽の写真を撮るのが、大好きだ。
 IXY-DIGITAL70も、もう2世代も前のカメラになってしまったが、デザインに愛着があるし、使いやすいので、買い換える気にはならない。
 最近のCANONのコンパクトデジカメにも手振れ補正がついているが、カメラが手になじんでくると、こんな露光時間が長い写真でもぶれにくいので、そんなに必要はない。

白梅と紅梅がやっと咲きそろった。もう、梅のシーズンは終わり2008/03/13 23:23

IXYDIGITAL70で撮影。
 自宅の門から玄関への道(なんというのだろうか)に左右に植えられている紅梅(実際にはピンクだけど)と白梅だが、ついに白梅も本格的に咲いてきた。左右1対で咲くのは微妙なタイミングで、もうすぐ紅梅の方は終わってしまう。白梅は木が年寄りなので、あんまり咲かずに終わってしまうが、大変な量の梅の実がなって、それが、階段のところにコロコロ転がって、それを踏んで転けそうになる事もある。いずれにしても、もうすぐ梅のシーズンは終わりという事。

ロケットが飛び立った!2008/03/13 23:22

IXYDIGITAL70で撮影。
日本橋から難波に抜けて帰るのが何時もの道筋だが、その目印になるのがロケット広場だった。それで、ロケットを目印に捜したけれども見当たらず、道に迷ってしまった。
 看板に「ロケットが飛び立ちました」って書いてあった。
 それでようやく納得して、ロケットが撤去されていたんだ。
 このロケット、宇宙開発事業団のNロケットの本物なので、何時も、興味を持って眺めていたが、こういった面白いものも無くなって難波の街は殺風景になっていく。