源氏物語千年紀にこんな論文が書けて幸せだなぁと思った。2008/04/13 17:49

 金・土・日の3日間でようやく卒業論文「源氏物語の絵画化の手法」の草稿を書き上げた。
 少しずつ資料を収集していたと言っても、残されていた作業も多く、幾つかの断片を書いていたと言っても草稿の形にまとめ上げるには、かなり、苦労があった。
 今、ビールを飲んで、この文章を書いているが、作業で案外手間取るのは、註をつける作業で、註をつける段階で、この論文の問題点に気がついたりする。
 前回は、「大和物語の話末表現について」の論文であったが、これは、枚数から見れば、卒論の3分の1程度。
 紀要に掲載される論文の場合は、あまり、枚数を増やすと問題があるので20枚どまり。
 修士論文は論外としながらも、久しぶりに50枚の規模の論文を書いて手応えあった。
 最後のまとめを書き上げて、800字詰めのワープロフォーマットを見ると、26頁を指していた。図表を入れてだから、少し、枚数は足りないかもしれないが、殆ど計算通りに出来上がったので、唖然とする。
 源氏物語の学部の卒論は、30年近く前に卒業した関西大学以来だから、改めて時の流れを感じる。
 内容は、やはり、雲泥の差がある。30年前の自分は、今以上の愚かな存在であり、自分が表現したい事も表現仕切れない面があった。
 そんな論文を審査して下さった清水好子先生には感謝したい。
 今回の論文の註にも清水好子先生の論文が引用されている。
 清水先生も昭和30年代に源氏物語の絵画化に関連する論文を書かれている。もう一度読み返してみたい。
 亡くなる寸前まで、源氏物語の絵画化と音楽の問題について関心を持ち続けていらっしゃった事を鮮やかに記憶している。
 4月後半から、5月の初めは、藤紫の花の季節は、先生が最も愛しておられた時期だった。にこやかなお顔が未だに目に浮かぶ。
 今回、原稿では、柏木巻の薫君の五十日の誕生祝いの儀の場面を取りあげたが、本文の校合作業を行うと、やはり橋姫と共通し、別本系保坂本と共通本文を持つ部分が多く見受けられた。保坂本については、源氏物語別本集成の解説で、大阪大学の伊井教授が解説を書かれていたことを記憶している。特に第2部以降の書写年代は、鎌倉期に遡るという。
 とすれば、定家の青表紙本に匹敵、もしくは、それ以上に古態を残しているテキストであり、平安末期に成立された源氏物語絵巻本文と共通箇所がある点は十分に頷ける事である。
 今回の論文への取り組みの成果としては、古筆切、断簡のテキスト校合作業を行い、国宝源氏物語絵巻の失われてしまった部分についての推定について、室町期の源氏絵詞や近世以降の源氏絵と照合する作業が行えた事で、これは、復元された若紫巻を含めて大きな研究の成果であったと確信している。
 自分としては、源氏物語千年紀に、この様な研究が行い得た事を慶賀の至りだと思っている。
 図は、柏木巻「薫君誕生五十日のお祝い」の場面、この場面が源氏物語で御法の巻に次いで中心になる場面だと思う。卒論では、視点導入の分析を行った。

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