風神と龍2009/07/07 08:59

CyberShotDSC-W120で撮影
昨日、東急ハンズで発見した携帯装飾用の転写シート?で、風神と龍をF201IDに貼り付けたが、フィルムが浮いてしまって、風神の毛の一部と風袋?が浮き上がってしまった。

龍もしっぽの部分がはみ出てしまった。後になって風神をもっと上にすれば良かったとか後悔している。

やり直しできるんだろうか。剥がすと痕が残りそうで恐い。

観音・七夕信仰と曽根崎心中2009/07/07 22:48


 今日は、七夕である。七夕というと、どうゆう訳か、佛大通信大学院のN教授(今は、退官されている)の演習で取りあげた近松浄瑠璃、曽根崎心中を想い出す。
 徳兵衛、お初の道行きの段で、(寂滅為楽の鐘がなり)「草も木も空も名残りと見あぐれば、雲心なき、水の音、北斗は冴えて影映る、星の妹背の天の川・梅田の橋を鵲の橋と契りて、いつまでも、我とそなたは女夫星(めおとぼし)。かならずさうとすがりより、二人がなかに降る涙、川の水嵩も増さるべし。」
 
 この道行文が、作品の中でもっとも強い印象を与えて、未だに私は、七夕と言えば、お初、徳兵衛のことを思いだしてしまう。別に人形浄瑠璃が好きではないのだが、N教授のお陰である。

 この道行の後、天神の森の場面に移っていくわけだが、それは、ここでは、関係がないので止めておく。

 それよりもどうしてか、ずっと疑問に思っていたのが、この曽根崎心中の冒頭に「観音めぐり」という場面がある。

 N教授は、どうしてここに観音めぐりが出てくるのか敢えて説明されなかったが、人形遣いの面白さを演出する為に配置されたという。
 「げにや安楽世界より、今この娑婆に示源して、我らがための観世音、仰ぐも高し、高き屋に上りて民の賑わひを、契りおきて難波津や、みつづつ十とみつの里、札所札所の霊地霊仏・・・・」
 その後、お初は、軽やかに、大坂三十三箇所の観音霊場をめぐっていく。たしかに人形師にとっては、腕の見せ所だったが、もっと深い意味がありそうだ。

 最近でも観音信仰を持つ古いお寺のある地域では、「七夕花火大会」というのがあり、そういったお祭りを行う風習があるところもある。

 七夕祭りのこの日は、観音信仰では、満願日といって、この日にお参りをすると4万数年日の御利益があるとされている。古い観音経や暦にその様な記述がみられるという。

 つまり、お初にとっては、観音霊場めぐりは、徳兵衛と添い遂げたいという願掛けのお参りであり、道行の七夕は、二人の逢瀬を象徴すると同時に古くからの観音・七夕信仰を背景にようやく2人が心中という形で添い遂げるという「満願」が間近に迫っていることを表現しようとしている。

 この様なことを書いた研究論文があるかないかは知らないが、私が調べたところでは、この曽根崎心中は、観音七夕信仰と強いつながりがあるということになる。

 そういった点で心中場面では、「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」、「南無阿弥陀仏」ということになるのだが、結果的に、観音菩薩は、徳兵衛、お初を夫婦として、極楽往生への手ほどきをしたことになる。

 こうして、曾根崎心中は、浄土信仰の道を説く、説教浄瑠璃の伝統を受け継ぐと共に観音七夕地域信仰との深いつながりをも示しているのではないだろうか。

 図は、曾根崎心中初演時、お初道行きの上演風景