物語の自由間接言説と話末表現の関係2010/01/03 15:12

竹取物語の言説

正月休みは、たまたま手元にあった學燈舎の國文學「竹取物語 フィクションの誕生」を読んで過ごした。

源氏物語、竹取物語は、「物語の出来の祖(おや)」との称号を与えられている。

この「物語」という言葉について、近代における古典文学研究の「物語」のジャンル的定義と捉えて、「古体を残している。」とか、「仮名表現による物語文体のプリミティブな表現」と位置づける考え方が多かった。

私の師であられた清水好子先生も「物語の文体と方法」でその様な観点から竹取物語の文体を「古拙」と評されているし、源氏物語を「物語文学史の発展の頂点」と捉え、以前の作品は、源氏物語の頂点にいたる「経過」として見なす考え方は、現代の大学教授先生方の中にも見受けられる。

私も、大和物語が、伊勢物語を踏まえ、それに説話的要素を融合、源氏物語の様な高度な位置を目指す経過的段階であり、特に、その文末表現の切断様式に注目して論文を書いたが、「発展的経過」という観点は、指導教官からのアドヴァイスによって加えたものである。

物語は、「言辞・ディスクール」である。ディスクールを言語の一部として価値認識した場合に、ディスクールには、優劣、発達・未発達という区別(差別?)は存在しない。

これは、言語学者が共通して持っている観点である。

この考え方は、例えば、民俗学においても中心的位置づけとなり、「中央」に対する「地方」という観点からローカリティについては、対等の位置づけを行う様になっている。

物語は、その成立当初から、「特殊なジャンル」という位置づけから、少なくとも院政期にいたるまでは、名筆によって書かれることはなかった。

平安時代には、無数の物語が成立したが、それらは、一般の宮廷女官階級の間で伝えられて、口承、あるいは、反古紙等の裏に覚え書きとして書き留められてきた。

「ものがたり」の「清書」という概念は、あの紫式部日記を除いては存在しえず、余程、好事家でなければ、あり得なかったのである。

「竹取物語」の断簡は、室町初期以前に遡ることは出来ない。テキストの系統も大きく2系統の分類されるが、残存する伝本では、テキストの系統樹を描くことは不可能である。

 しかし、その構成、文体、ディスクールは、「祖」という見方を越えて完成の域に達している。

 近代における古典文学研究における「物語」とは、仮名表現による文学作品という見方が中心で、単なる口承伝承を書きとどめたものでも、あるいは、漢文の訓読に近い内容のものでも成立した時代等から、「物語」の総称でまとめられてきた。

 清水好子先生は、「物語の作風」の中で、「作り物語」という言葉を初めて使われたが、古来の「物語」と、「作り物語」とは、明確に区別すべきである。

 つまり、古来の「物語」は、伝承であり、「作り物語」は、伝承の話形を活かして再構成し、視覚的・場面的表現に置き換えた新しい文学ジャンルなのである。

 源氏物語の絵合巻での「物語の祖」という言葉は、「作り物語の皓歯」という言葉に置き換えたい。

 竹取物語には、竹取の翁伝承、羽衣伝承、月人降臨伝承、富士山伝承、地名伝承、求婚譚等の複数の「物語」の祖形が巧妙に合成されている。

 そうして、「作り物語」たる最大の所以は文体表現である。それは、場面の視覚的表現が導入されている点である。

 學燈舎のこの本には、「竹取物語と文体」(東原伸明)の論文が掲載されている。この論文には、語り手の位置づけと言説との独自の関係が、この物語の文体の中心的要素として機能していると定義し、「言説の非体系的区分と自由間接言説」の関係の独自性を指摘しており、そこには、登場人物→「いまは昔・・けり」という語り手→「とぞ、言ひ伝えたる」筆録者が存在していると述べられている。

 これは、私がこれまで、様々な論文で展開して来た「場面の視覚的表現」というキーワードにつながっていると考えている。東原氏は、若紫巻の垣間見の場面を例に挙げて、竹取物語の視覚的表現との共通点を指摘されている。

 そうして、「自由間接言説」こそが、この「作り物語」たる「竹取物語」の文体の最大の特徴とされている。

 私の考え方では、「自由間接言説」を伴っていることこそが、「作り物語」と定義づける必要条件であると考えている。

 「自由間接言説」とは裏腹に、「とぞ、言ひ伝えたる」筆録者の存在を強調する文末表現は、「自由間接言説」と今、その場に存在する物語(語り・読み物語)の享受者との関係を明示し、「作り物語」の仮想世界から現実空間への橋渡しを行う重要な役割を示している。

いわば、「春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空」なのである。

定家卿のこの和歌では、夢浮橋巻を暗示している。その文末表現は、「・・とぞ(本にはべるめる)」と言う文末表現への解釈が暗示、あるいは、暗喩されているのかも知れない。

結局のところ、竹取物語も源氏物語の「作り物語」たる表現能力を立派に持っていて、その表現技法の未開・進歩、優劣等を論じること自体が無駄なのである。
既に、「竹取物語」の段階で、「作り物語」の文体表現技法は、完成の域に達していたと私は考えている。

写真は、私蔵の写本、定家卿が書いた「奥入り」の「鈴虫巻」の一部。

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