ロシアの支配から立ち上がる ― 2010/11/01 09:40
この時期になると、とうゆう訳かシベリウスが聴きたくなる。
シベリウスの音楽のイメージといえば、もう10年以上前に北海道のニセコアンヌプリに旅行した時に、その雄大な秋野原の風景に感動して、シベリウスのシンフォニーの第3番の第1楽章の特徴的なリズムフレーズを想い出したりした。
この写真のCDは、シベリウスの中でも、もっとも通俗的な交響曲第2番とフィンランディア、トゥオネラの白鳥、悲しきワルツ(死のワルツ)の組合せ。
交響曲第2番のやり方としては、このオーマンディやカラヤンの様に華麗極まりなくやる方法や、或いは、渡辺暁雄やオッコ・カム、ヤルヴィの様な地味にやる方法がある。
どちらが本格的かと言えば、後者であるが、シベリウス本人は、オーマンディの演奏を大変賞賛しており、それは、まるで、グスタフ・マーラーとメンゲルベルク等の関係にも似ている。
オーマンディ指揮フィラディルフィア管弦楽団のサウンドは、たしかにアメリカ的であるが、その色彩感にやや憂愁を交えた独特のものがある。だから、シベリウス以外には、ラフマニノフのコンチェルト等の伴奏も素晴らしい。
トゥオネラの白鳥は、黄泉の国の湖に飛来する白鳥である。音楽も北欧的な憂愁を讃えながらも、例えば、日本的な伝説性をその表現世界の中に感じることが出来る。
フィンランド人は、ユーラシア大陸を旅して、この地域に辿り着いた民族なので、そういったアジア人の感傷を受け継いでいるのかも知れない。特に日本武尊の死の場面の古事記の描写にも白鳥が出てくるが、白鳥と黄泉の国のイメージがオーバーラップしている点で、カレワラ伝説等と大きな共通点がある。
更にカレワラ伝説が、ユーカラとの類似性を指摘されているのも知られており、何か遠い昔の共通の文化風土を持っているのかも知れない。
フィンランディアは、「独立歌」である。冒頭の重苦しいトロンボーンの音は、ロシアの強い支配がフィンランディアに及んでいたことを示している。
ロシアの植民地支配からの独立を目指す民衆の力が音楽に描かれている。通常フィンランディアは、管弦楽のみで演奏されるが、これは、なんと合唱音楽つきであり、感動は数倍に膨れあがる。
合唱はフィラデルフィア管弦楽団合唱団であるが、アメリカの合唱団らしく、その圧倒的なスケール感、女声の輝き、色彩的な和声感等々、優れた演奏で、この演奏を聴いて、僕は何度か涙したこともある位。
同じ頃、ロシアの圧政、極東支配は、日本にも及ぼうとしていた。それは日本海海戦での決定的な勝利で打破された。フィンランド人も日露戦争で日本がロシアの暴力に打ち勝ったことを聞いて、大きな共感を覚えたそうだ。
今、ロシアの大統領が、北方領土を訪問するなど、日本には、北から南から他国の支配の魔手が伸びてきている。
こうした「魔手」を討ち滅ぼす為にもフィンランディアの様な国家一丸となった国民芸術・文化活動が求められる様になってきている。
シベリウスの音楽のイメージといえば、もう10年以上前に北海道のニセコアンヌプリに旅行した時に、その雄大な秋野原の風景に感動して、シベリウスのシンフォニーの第3番の第1楽章の特徴的なリズムフレーズを想い出したりした。
この写真のCDは、シベリウスの中でも、もっとも通俗的な交響曲第2番とフィンランディア、トゥオネラの白鳥、悲しきワルツ(死のワルツ)の組合せ。
交響曲第2番のやり方としては、このオーマンディやカラヤンの様に華麗極まりなくやる方法や、或いは、渡辺暁雄やオッコ・カム、ヤルヴィの様な地味にやる方法がある。
どちらが本格的かと言えば、後者であるが、シベリウス本人は、オーマンディの演奏を大変賞賛しており、それは、まるで、グスタフ・マーラーとメンゲルベルク等の関係にも似ている。
オーマンディ指揮フィラディルフィア管弦楽団のサウンドは、たしかにアメリカ的であるが、その色彩感にやや憂愁を交えた独特のものがある。だから、シベリウス以外には、ラフマニノフのコンチェルト等の伴奏も素晴らしい。
トゥオネラの白鳥は、黄泉の国の湖に飛来する白鳥である。音楽も北欧的な憂愁を讃えながらも、例えば、日本的な伝説性をその表現世界の中に感じることが出来る。
フィンランド人は、ユーラシア大陸を旅して、この地域に辿り着いた民族なので、そういったアジア人の感傷を受け継いでいるのかも知れない。特に日本武尊の死の場面の古事記の描写にも白鳥が出てくるが、白鳥と黄泉の国のイメージがオーバーラップしている点で、カレワラ伝説等と大きな共通点がある。
更にカレワラ伝説が、ユーカラとの類似性を指摘されているのも知られており、何か遠い昔の共通の文化風土を持っているのかも知れない。
フィンランディアは、「独立歌」である。冒頭の重苦しいトロンボーンの音は、ロシアの強い支配がフィンランディアに及んでいたことを示している。
ロシアの植民地支配からの独立を目指す民衆の力が音楽に描かれている。通常フィンランディアは、管弦楽のみで演奏されるが、これは、なんと合唱音楽つきであり、感動は数倍に膨れあがる。
合唱はフィラデルフィア管弦楽団合唱団であるが、アメリカの合唱団らしく、その圧倒的なスケール感、女声の輝き、色彩的な和声感等々、優れた演奏で、この演奏を聴いて、僕は何度か涙したこともある位。
同じ頃、ロシアの圧政、極東支配は、日本にも及ぼうとしていた。それは日本海海戦での決定的な勝利で打破された。フィンランド人も日露戦争で日本がロシアの暴力に打ち勝ったことを聞いて、大きな共感を覚えたそうだ。
今、ロシアの大統領が、北方領土を訪問するなど、日本には、北から南から他国の支配の魔手が伸びてきている。
こうした「魔手」を討ち滅ぼす為にもフィンランディアの様な国家一丸となった国民芸術・文化活動が求められる様になってきている。
最近のコメント