新発見か!もう1つの「若紫巻」断簡の存在2008/01/17 23:33

 卒業論文「源氏物語の絵画化の手法」は、ノロノロペースで進めている。
 通信大学院で修士論文を書いた時の意欲や精力はもはや残っていない。
 特に50歳に近づくと、視力と根気の衰えが感じられる。
 仕事の煩雑さと戦い、強引に時間を作り、研究を進めていくような無茶は出来なくなった。
 また、研究紀要や論集等、幾つか、書いたものが印刷されて出版されてみると、それを読み返して、不備に気がつくありさまで、自信喪失もひどい。
 こうして、以前の様な良い意味での恐い物知らずの気楽さがなくなってしまった。
 それでも、第1章が原稿用紙枚数で14枚程度書き上げた。
 源氏物語の絵画化を行うのに選択された場面の例として、復元若紫巻を取りあげた。
 東博の断簡から最近、優れた復元画を書く人が現れた。
http://www.hcn.zaq.ne.jp/internet-gallery/emaki-01.htm
 この復元前の図像を見た事があるが、僧都の姿がどうにか判る程度で、これが、あの源氏物語絵巻の断片であったとなかなか思える人は少なかったろう。
 近世初期に茶道の隆盛にともない、茶掛としてズタズタにされてしまったカケラが断簡と呼ばれているものだが、若紫巻以外にも数点伝えられている。
 断簡は、絵画部分と詞書(文字が書かれている部分)に別れて、バラバラに所有される。
 若紫巻断簡は、これまで僅か3行の詞書が残っているのみであった。
 今日は、帰宅後、この若紫巻の断簡を調査してみると、復元若紫巻(北山の僧都と源氏)の場面ではなくて、全く、別の場面である。源氏が初めて、直接、若紫を訪ねて行き、そこで、幼い声を聞く場面である事が判明し、現在、伝えられている青表紙本源氏物語の本文とピッタリ一致した。
 ここで驚くべき事実が明らかになった。
 それは、国宝源氏物語絵巻の若紫巻の場面は、少なくとも複数存在していた事である。
 恐らく、既に気づかれている事だと思うが、新たな発見だと思う。
 第2の若紫巻場面がどんな風に描かれていたか、恐らく、それは、吹抜屋台で描かれ、几帳の端から源氏が若紫を除いている場面であったろう。
 中世から近世にも源氏絵が制作されている事を知る貴重な資料として、片桐洋一先生が翻刻された大阪女子大所蔵の『源氏物語絵詞』がある。
 この本には、源氏物語の各巻の絵画化のノウハウが記載されている。多くは、その巻・場面の粗筋を書き、本文を次に抜き出して書き、絵画化の勘所を示してある。
 これを見ると、若紫巻は、合計8場面が掲載されている。当時は、これから2~3場面を抜き出して絵画化する方法が採られていたようだ。
 復元若紫巻の僧都と源氏の場面も「絵詞」に記載されている。しかし、詞書断簡の場面は、この本には記載されていない。
 僅か3行だけしか残されていない第2の若紫巻がどの様な構図であったかを具体的に知る方法は、今の段階では、発見出来ないままである。
 新資料を更に探索する必要があるだろう。特に茶掛、断簡は、これからも発掘されてくる可能性もある。絵画が見つからなくても、例え、詞書の部分だけが発見されても、かなりの復元推定が可能になるので、期待したい。
 それにしても、調査を進めていくと、第1章の若紫だけで10枚以上になってしまった。これでは、規定の50枚以内に書き上げる事は難しくなってしまい、困り果てている。
 図版は土佐派の若紫巻から部分を抜き出したもの。

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