2人の先生が日本神話を論ずる2010/11/29 23:15

 久しぶりに佛教大学に行き、上代文学の先生の講演を拝聴したが、非常に興味深い内容であった。実は、昨年は、同じ佛教大学でも神話学の先生の講義をNHKカルチャーセンターで受講したが、テキストは、古事記と日本書紀、更には、中世以降の資料を含めた文献資料も読んでいく内容であったが、やはり、かなり類似していると思った。

 シラバスAは、神話宗教学系の先生のもので、シラバスBは、国文系の先生のものである。これをみる限り、かなりの共通性が認められるが、但し、これは、古事記、日本書紀という限られた資料から、日本神話の諸相をみていく訳なので、当然、類似せざるを得ない。

 先日の講義でも日神系とアマテラス系の分類について、テキスト注釈、文献学的な立場、あるいは、中国の歴史書の影響を踏まえた方法で見解が述べられたが、神話系宗教学系の先生の場合は、文献というよりも、文献から想起されるイメージ、また、現在まで伝えられている神道儀式等を踏まえ、作り上げられたアマテラス像を中心に解釈を述べているのに対して、国文系の場合は、あくまでも、文献記述の解釈が中心となっており、実証的である。

 でも、残念ながら実証的な方が、なにやら説得力に乏しく、正直言って面白くないのが、残念なところ。
 国文でも古代文学というのは、想像とかイメージで補完されなければならず、その材料があまり多くないのが、大変なところだと思う。
 また、天孫降臨についても、歴史的立場、神話学的立場、文献注釈的立場と分類は出来るが、先日の講演では、果たして、歴史的立場から述べているのか(津田先生の論文)、あるいは、文献学的立場での述べているのか判りにくく、結論めいたものは、神話学的立場に結局は傾斜してしまうという1つの限界をみせつけられてしまった。

 私個人としては、古事記と日本書紀というのは、別個の資料と割り切って考えた方が良く、神話学的立場の場合は、古事記に限定して読んでいった方が良いと思う。日本書紀については、別の系統の本文がところどころ織り込まれており、それを比較することは、1つのヒントにはなるが、いくら正確に分類、構造を検討してみても、結局のところは、成立論の段階までには至らないと思う。

 但し、伊勢神道や中世神道まで含めて日本神話のありかたを考えようとすると、どうしても中世日本紀の世界にも踏み込まねばならず、日本書記の分析と理解も必要になって来る。

 しかし、これも、結局のところ神道史の研究には役に立つが、日本神話の客観的理解に結びつくかと言えば、否であると思う。

 この様に考えていくと、日本書記の成立論が明らかにされたところで、日本神話の本質的な理解には結びつかないのではと考えてしまう。
 

シラバスA

第1回 神話とは何か。神話伝承学の可能性
第2回 アマテラスとスサノオ。戦う女神のイメージ
第3回 「うけひ」物質変成の呪術
第4回 岩戸こもり、死と再生のイニシエーション
第5回 皇祖神への成長
第6回 伊勢神宮創建の深層
第7回 「祟り神」としてのアマテラス
第8回 天孫降臨の深層
第9回 ホノニニギとは誰か
第10回 ホノニニギとサクヤビメの結婚
第11回 コノハナノサクヤビメの「一夜婚」とは
第12回 浦島太郎のルーツへ。失った釣針を求めて
第13回 海幸・山幸神話の隠された意味
第14回 異類結婚の伝承と天皇家の結婚形態
第15回 神話と歴史のミッシングリンク

シラバスB

第1回 国生み
第2回 黄泉
第3回 イザナギ、イザナミ神話のまとめ
第4回 誓約
第5回 石屋戸隠り
第6回 天照大神と須佐之男命神話のまとめ
第7回 八上比売
第8回 須勢理毘売
第9回 沼河比売
大国主神の国造り神話のまとめ
第10回 天孫の天降り
第11回 天孫と木花之佐久夜毘売との聖婚神話のまとめ
第12回 海幸彦と山幸彦
第13回 山幸彦と豊玉毘売との破局神話のまとめ
第14回 古事記の男と女をめぐる神話の振り返りとまとめ
第15回 神話から歴史への展開

コメント

トラックバック