元旦の新開地地下街を歩く2011/01/01 21:40

 ブログの読者の皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 今日は、何時も通りの時間に目が覚めて、朝食を取ろうと階下に降りると、何時もは、9時過ぎにならないと起きていない母親がいて、「あけおめ」と言った。「そうだ、あけおめまだしてないね。」ということで、そういった簡単な挨拶の後、おうぶの家から持って来たパンを食べた。ついでに家のお雑煮も食べた。

 ウチのお雑煮は、醤油味でほうれん草が入っている。関東風なのかな。これもうまいと思う。

 年賀状がおうぶの家の方にたくさん届いているかもと、9時過ぎに家を出た。

 途中の道にこの30年以上は、お世話になり続けている多太神社に初詣。1人の方が、おられた以外は、誰もいなかった。早速、お賽銭を上げて、パンパンとやる。

 社殿の横で、しめ縄を張って、中で大きな丸太の様な木を燃やしているので、暖かそうだと思って、火に当たっていると神主さんが話しかけてきた。「寒いですね。この時間にはまだ、あんまりみえられませんよ。」ということだった。

 お辞儀をして柏手を打つ行為をしていると、パッと心の中が明るくなって、身体が清々しい暖かさに包まれた。

 これだからお参りする人が多いのだと思う。しかし、最近、気になることもある。それは、注連飾りを飾っているおうちが実家の方も、おうぶの家の周りにも減っている。

 クリスマスの時は、ドアには、リースを飾り、電飾とかツリーを飾っているおうちは多いのに、注連飾りは減った。どうしてだろう。

 昼前にはおうぶの家について、たくさんの郵便物がポストに詰まっていたので、取り出す。年賀状、兵庫県の広報誌、郵趣サービス社のDM、佛大同窓会誌、俳句童子1月号等々。

 年賀状は思ったよりも少なかった。最近の自分の交友範囲の縮小がそのまま現れている感じ。でも、懐かしい大学の友達や通信大学院の同窓生等からも届いている。手書きの年賀状は、大変少なくなっている。僕のも手書き風だが、印刷だ。

 家では、先日、ヤフオク中古で購入した42インチの液晶(東芝製)をみる。ぼろ家の窓くらいの大きさはある。ちょうど、曾根崎心中をやっていたので、それをみながら昼食(ラーメン)を食べた。

 1時30分頃には、家を出て、新開地の福寿で飲んだ。元旦からやっている。メニューも焼き鳥以外は、全部ある。フルメンバーで頑張っている。ビール、レッドアイ(トマトとビールのカクテル)、芋焼酎を飲み、おでん、サーモン、ホッケ焼き等を注文した。正月から美味しかったが、どうゆうわけか、良くお酒が回った。

 その後、新開地の地下通りをうろつく。高速神戸の方に向かうと湊川神社があるので、その方面を目指す。破魔矢を持った人がこちらに歩いてくる。驚きは、古書街が元旦から営業しているので、しばらく立ち読み。その後、地上に出ると、凄い行列が出来ている。初詣の順番待ちをいう。2~3時間はかかると思ったので、やめた。

 梅田行きの阪急に載り、ヨドバシカメラをうろうろ。去年に比べて、2/3位に客が減っている。京都にも出来た影響とか、一番、目立ったのは、中国人の客が殆どいなくなり、ヨドバシが日本人の手に戻った。お店にとっては、大打撃。日本向けの中国人ツアーが中止されている影響が出ているようだ。

 ゲームコーナーで、大戦略Ⅲを買い、家路についた。これから、ゲームを楽しもうと思う。

俳句って楽しい????2011/01/02 22:09

 童子1月号が届いた。内容については、WEBを参照して欲しい。
http://www10.ocn.ne.jp/~douji/

 今年から表紙絵が、辻桃子先生が子供の頃に書いた母親の絵になっている。今年も、ヌードを期待していたのに、残念。

 例の花童子に掲載句は、次の通り。
 
×帯広の街モノクロに秋時雨

○旧獄舎紅葉に染まる煉瓦塀
 (旧獄舎紅葉染めたる煉瓦塀)

○微睡みぬ子栗鼠ひもじき栗一つ

×白樺の幹数え行く紅葉道

○念仏の声の途絶えて山時雨

 結局、3勝2敗で散々。しかも、念仏の句は、
投句する時に「禿げ鷲の老いを数えし秋日暮れ
」に換えて俄に適当な句を作った。

 嘘俳句なので、それが○になるなんて、吟行とか写生とかなくて、当たり前のカタチの句を作っておれば、採用されるということになり、そんな当たり前の俳句を作っていても、僕には、くだらない。

 今後もこの路線を変えずに、投句を続けて、来月には、たった2句、あるいは1句、あるいは、採用無しになってもそれはそれで良いと思っている。

 句会も当たり前の句を出して、討論してもツマラナイと思うので、辞めて置こうかと思っている。

 「俳句って楽しい!」というのがキャッチフレーズだが、この会に入ってみて、「俳句ってつまらん・・」というのが、印象になってしまう。

 結局、この同人は伝統俳句の会なので、この会を選んだこと自体が間違っていたのかもしれない。

 「伝統」なんて、なんの意味があるのかしら。
 春夏秋冬の季語なんて、とうに、ナンセンス化しているのに。

佛大詰め合わせセット2011/01/02 22:27

佛大から「佛大詰め合わせセット」が届いた。

 同窓会報「紫野82号」、「佛教大学案内」、「先生ありがとうキャンペーン冊子」、「佛教大学B-ISM」である。

 これだけの冊子を全ての会員に送るだけ、大変な費用がかかっていると思う。僕が払った寄付金も吹っ飛んでしまうだろう。

 しかし、紫野、B-ISM等をみていると、「佛大と卒業生」の関係というのが、ちゃんと同窓会活動のコンセプトに組み込まれているのは、意義があると思う。

 関大の校友会誌も送られてくるが、卒業後と、その後に規約改正時に「終身会費」を2回も払ったのに、更新期間がくると、クルマの車検みたいに10年毎に1万円ずつ払わないいう滅茶苦茶なシステムになって、どう考えてもおかしいのに、しつこく請求用紙が送られてくるのも考え物。

 それに関大の校友会は、大学と卒業生とのつながりという部分が希薄で、単なる応援団、仲良しグループであるので、参加しても意味を感じない。

 それに比べて、佛教大学の場合は、「大学教育は、在学時だけではない。むしろ、卒業してから、学んだことを社会に有意義に活かすかということの方がずっと重要である。」という考え方らしくって、好感がもてる。

 大学案内は、残念ながら、編集が平凡でつまらない。これを大学のことを知らない人がみたら、インパクトに欠けるつまらない資料になってしまうので、もっとメリハリがある編集にしないと、PR要素に欠けると思う。

 一番、ショックだったのは、通学生と通信制の割合で、以前は、通学1:通信2 という時期もあったのに、今は、通信生が通学生を下回っている状況である。

 このままでは、通信教育部の採算が合わなくなり学費の値上げとか募集の打ち切りにならないかとか心配である。

初夢は兄弟親子喧嘩かな2011/01/03 09:24

今年も三日目。

初夢は、父、弟と血みどろの喧嘩の不吉な内容だった。どうゆう訳か、母親の姿はなかった。

「童子風」の俳句を詠んでみる。


篝火を目指して登る初詣
神主と焚き火当たりて年を越す
山雀も初詣したる神社道
初夢は兄弟親子喧嘩かな
年賀状遅し遅しと杯重ね

俳句的に表現されている和歌の特色2011/01/03 09:57

 お正月なので、百人一首の和歌の中で、上の句のみで、俳句になりそうなのを選ってみた。すると、次の24句となった。

 全体の2割強が上の句だけで、季語を備え、単独で意味をなすことが出来る。この様な和歌の上の句の特色として、「に」、「は」、「ば」という接続助詞を伴うことで、これで、下の句につながっていくので、俳句として考えると少し違和感がありそう。

 また、⑤は、竜田川=紅葉ということで、秋の句ととったが、果たして、是非はどうだろうか。

 この様に上の句が俳句的に表現されている和歌の特色としては、上の句で、情景・状況を表現して、下の句で自分の心境や境遇を詠むという方法。すなわち、「場景の中の自分」を読んでいるという、「場面表現的」な和歌が多い。

 例えば、源氏物語の出てくる和歌の大部分が、上の句だけで、場景・状況を表現している作品の割合が、詳しく調べてはいないが、通常の和歌集に比べて多い。つまり、「場面表現」の一部として、和歌が大きな役割を果たしているのだと思われる。

 この様な和歌の表現形式が何時の時代から活発になったのか等、調べてみるとかなり面白いと思う。

 俳句的にみれば、⑨などは、素晴らしくて、現代俳句にもそのままつながる表現だと思う。

①あきのたに かりほのいおの とまあらみ
②おくやまに もみじふみわけ なくしかの(よ)
③はなのいろは うつりにけりな いたずら(に)
④きみがため はるののにいでて わかなつむ
⑤ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ
⑥いまこむと いひしばかりの ながつきの
⑦ふくからに あきのくさきの しをるれば
⑧つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ
⑨やまざとは ふゆのさびしさ まさりける
⑩こころあてに おらばやおらむ はつしもの
⑪あさぼらけ ありあけのつき(と) みるまで(に)
⑫ひさかたの ひかりのどけき はるのひ(に)
⑬なつのよは まだよひながら あけぬるを
⑭しらつゆに かぜのふきしく あきのの(は)
⑮やえむぐら しげれるやどの さびしき(に)
⑯いにしへの ならのみやこの やえざくら
⑰もろともに あはれとおもへ やまざくら
⑱はるのよの ゆめばかりなる たまくら(に)
⑲たかさごの おのえのさくら さきにけり
⑳あわじしま かよふちどりの なくこえ(に)
21ほととぎす なきつるかたを ながむれ(ば)
22なげけとて つきやはものを おもはする
23みよしのの やまのあきかぜ さよふけて
24かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれ(は)

金が無い程、物欲が高まるものだ。2011/01/04 19:04

 金が無い程、物欲が高まるものだ。
 
 M系の工場立ち上げのメンバーとして、山奥の工場で働いて、27歳で、月に50万、賞与夏冬200万ずつもらっていた時期があるが、仕事が殺人的に忙しくて、血の小便が出る程だったので、性欲、物欲もなくなってしまった。(カーステ用のイコライザ回路の設計と、部品実装ロボットのプログラミング)

 とうぜん1年もたなかった。

 今は、50歳でその時の年収の半分以下だ。
 それも消え去ろうとしている。

 その工場未だに操業を続けている。中国にも進出して巨大企業になった。

 ところで、42インチの中古の液晶テレビ(東芝地上・BS・CSデジタルハイビジョン 42LC100)をヤフオクで4万円で衝動的に落札したので、PC用のディスプレイにAQUOSを使用している。

 今後、1週間は、チキンラーメンで頑張らねばならない。

 この42型、液晶のバックライトにムラがあるし、フェースネットワークという機能があるが、純正リモコンではないようで、アクセス出来ない等々、いかにも中古らしい。

 結局、中古液晶は、店頭で買わないと駄目ということを悟った。4万円位だったら、新品フルハイビジョンの32型が買える値段だが、42インチというのに飛びついてしまった。

 返品は、落札後10日以内ということだが、一応、起動して、画面は、なんとか正常なので、これでは、無理だろう。

 AQUOSは、PCディスプレイにしては、アナログなので、解像度がイマイチで、実家のIOデータに比べて、やはり劣る。

 写真やビデオの表示は綺麗。また、EXCELLを何枚も開いて、エディタ、IEを複数起動して仕事しているので、画面が少しでも広いのは助かります。

 昔は、PC用に32インチのディスプレイがあったのに今は、24インチどまりなのは、何故だろうか。

十日恵比須2011/01/05 10:28

十日恵比須で関西句会の吟行を予定しているが、参加しようかしまいか迷っている。俳句ならば、別に人混みに出なくても詠めるし...


初恵美須なにわ言葉も得意げに
えべっさん繁盛大声耳痛し
福笹の鯛キラキラと福招く
十日戎はヨイヨイに酔い酔ひて
ホクホクと恵比寿顔の露天売り

鍋物をすると湯気が幽霊の様に立ち上る2011/01/06 20:12

 今日の朝は、まさに凍てつく感じ。まだ、室内が零度以下ということもないが、そろそろそんな状況も近づいてきているようだ。

 室外は、マイナスである。ガラス窓に霜がついた様な、結露したものが凍結した様な感じだった。

 ここまで来ると、石油ファンヒーターで9℃まで温度が上がると凄く暖かい様な感じがする。

 鍋物をすると湯気が幽霊の様に立ち上るし、風呂に入ると真っ白で何も見えなくなる。

 窓ガラス凍て曇りたる朝餉かな

 湯気幽霊立ちし鍋直ぐ冷めり

 寒々や寒々嫌々あんぽんたん

大阪→京都間4分って本当?2011/01/06 20:31

 今週は、新年会続きで、それから帰って来てから、何時もの通りのノルマの記事を書き続けなければならない最悪な状況で、掃除もブログもなかなか更新出来ない。

 写真は、関西商品取引所新年会でのパフォーマンス。

 チョンマゲ君コンビが、江戸時代の堂島の米先物取引の値段情報を岡山、和歌山、京都等に伝えた旗振りを実演している。

 旗を動かすだけで、数字と上げ下げが判るという。

 最初は、飛脚で相場情報を伝えていたが、それも、時間がかかるので、役に立たなかった。

 それで、旗振りという通信方法を発明した。

 右の兄ちゃんが遠めがねで反対側の山の上の旗をみて、それを左の兄ちゃんに伝えて、その通りに旗を振る仕組み。
 
 こうした伝達方法って時間がかかりそうだが、実際には、
 大阪→京都  4分
 大阪→和歌山 3分
 大阪→岡山 15分

 で届いた。明治になって電話による通信も行われる様になったが、大阪→岡山で1時間かかったらしい。

 つまり、電話は、オンラインではなくて、口頭で一定の量の情報を伝えていくので、全ての相場の限月を伝えるには、何度も電話しないと駄目。

 ところが、旗振りは、シーケンシャルな形で情報が伝達されるので、リアルタイムに近い。シーケンシャル光通信が電話によるパケット情報の伝達に勝ったいう訳か。

 江戸時代には、こんなに熱心に相場やってた大阪も、今は、とうもろこしや小豆、エビも殆ど相場が立たず、どうなるかといった状況。

 70年振りの米の先物取引復活で、地域振興になるか。今の大阪、関西経済の状況って、たった1つのことを新たに立ち上げるのも大変な苦労がいる状況で、それは、地域社会の活性化と同じ状況になっている。

 それにしても、4分で本当に京都まで届くのか淀川沿いか、あるいは、高層ビルの屋上で、実際に実験やってみたら面白いかも。

そうか、パソコン時代も終わりか2011/01/07 10:42

 日経新聞電子版記事「さらばパソコン マイクロソフト30年目の決断」

 マイクロソフトがウインドウズの次世代バージョンについては、パソコン以外の端末にも重点を置いて対応させると発表した。パソコンの覇者がパソコン時代の終わりを宣言したようなものだという。

 以前もウインドウズモバイル等のOSがあったが、今回は、パソコンとの垣根を無くして、同一のレベルでの対応を考えているということなのだろうか。

 最大の特色としては、携帯スマートフォン等の半導体でも動作する様に開発されるという。

 私、個人の意見としては、ウインドウズの退潮の原因としては、結局、ハードウェア業界との同調による新OSの開発体制の連携が破綻したことが大きい。

 つまり、CPUの性能がどんどん改善し、進歩しているが、デュアルコア以降は、性能の改善が頭打ち。折角、ハードウェアが改善しても、OSが重く、セキュリティホールだらけ、ウィルス対策ソフトでガチガチに固めてしまうと、なんの為のマシンやOSのバージョンアップがされたのか判らなくなる。

 また、世界的な景気の後退や、クラウド等の技術の発達で、パソコン自体のOSやハードウェアへのニーズが後退し、需要はむしろ、ビジネス以外のゲームや携帯、モバイルでの多様なライフスタイルへの対応が求められる様になっていることも大きい。

 ウインドウズが失敗した原因としては、OSの範疇を超えた肥大化にある。また、バージョンアップが非常に複雑で、その度に再起動が必要など、ユーザーへの大きな負担を与えたことによる。

 今後のOSの方向性としては、軽量化とシリコンメディアに密着し、OS自体がハードウェアに組み込まれた形での供給が主流になると思う。

 つまりOSのファームウエア化である。つまり、デジタルカメラと同じ様な形。データやアプリケーションの互換性は保ちつつも、ハードウェアへの傾斜が強くなる。

 そうなると、MS-DOS時代に逆戻りの様な感じになるのか。MS-DOSは、一応の汎用性をうたっていたが、ハードウェアとのプラットフォームへの対応が脆弱であった為にそれぞれのメーカー製品のハードに対応したアプリが必要であった。 しかし、メーカー毎の独自性が強かった為にハッカーやウイルス攻撃に意外に強かったこと等のメリットもあった。

 プラットフォームの改善と安全性の共存等の課題が克服されれば、「影の下の力持ち」であり得るかも。

 この記事の最後の文章の日本の有力パソコンメーカーがマイクロソフトに「残念ながらウィンドウズは採用出来ない」と語ったという。

 そうなれば、LIMUXなのか、それもMACOS、そういった部分が知りたい。僕の理想は、PSPのファームウェアの様なグラフィックの強さと強靭さを持ったGUI、速いOSだ。

 とにかく、汎用ウィンドウズが凋落する中で、マイクロソフトの残された道は、大手家電メーカーとの連携の強化、OEMによるOSの開発と提供が中心になるだろう。

 しかし、それは、時代の逆行につながりかねないと思う。それよりも、以前、私が記事に書いた通り、システム全体の暗号化、記号化等のセキュリティ設計の画期的な改善によるハッカー対策によるOSの頻繁な更新の必要性を無くして、ユーザーの負担を軽くすることが、この会社の生き残りの道だと思う。