ロッスム社のユニバーサルロボット2007/12/04 20:18

 ロボットと言う言葉、アイザック・アシモフや最近、映画化された「アイ・ロボット」が、語源というか印象に残りがちだが、実は、チェコスロバキアの作家、カレル・チャベックの作品「R・U・R(ロッスムのユニバーサルロボット)」と言う三幕からなる戯曲がオリジンである事実を知る人は少ないだろう。
 右の女性は、人間ではない。スラというロボットだ。
 時代は、近未来という事になっているが、戯曲の中の生活文化の様式は、ヨーロッパの1920年代に一番近い。少し、東欧風、スラブ風の感じもする。それは、スラの服装や髪型を見ても明らかだ。
 主な登場人物は、R・U・R(ロッスムのユニバーサルロボット社)社長のハリー・ドミン、ファブリ技師、ガル博士、ハレマイエル博士、ブスマン領事、ロボットのマリウス、スラ、ラディウス、ダモン、ロボット1~4号である。
 既に戯曲に描かれた時代のグローバルな資本主義競争は、限界まで来ていた。そうして、サバイバル競争に生き残る為には、人間よりもずっとコストが低く、しかも、誰もが嫌がる仕事をするロボットが求められていた。
 R・U・Rのロボットは、コンピュータのウインドウズの様に国際規格化され、全世界のシェアを独占。既に35万体のロボットが製造され、熱帯地方等の過酷な労働条件にも耐え抜く等あらゆる仕様の「製品」が産み出されていた。
 ヒューマノイド型ロボットは、最初は、無機的な材料で製造された。しかし、人間以上に過酷な労働を強いようとすれば、最も、問題となったのは、耐久性の低さであった。こうして、バイオヒューマノイドが産み出された。「万能細胞」の技術を応用されたスラの様な人間以上に人間らしいロボットは、組織の再生能力を持ち、人間の様な産毛さえ生えているが、耐久性は、抜群だった。
 ガル博士は、ナチス時代のマッドサイエンティストを思わせる風貌だ。ニュルンベルグ党大会当時の様な制服を着ている。
 こうして、ロボットは、下層労働者以下の過酷な労働を余儀なくされる様になっていった。
 その後は、ソビエト社会主義革命が辿ったのと同じ経過を辿る様になっていく。
 つまり、ある日、バイオヒューマノイドは、反乱を起こし、革命は成功、ロボット国家が誕生する。
 この辺りは、「人造人間キャシャーン」に似ている。生体解剖を思わせる凄惨な場面も見られる。
 ロボット達は、人間の卵細胞の様な増殖力を持たないので、バイオ再生には、人間の生命力が搾取の対象となる。人間は、生殖用の飼育動物と化していく。
 それにしても凄い作品である。SFというよりも社会主義小説である。
 19世紀後半から20世紀初頭の資本家と労働者の対立は、階級闘争と言う形で考えられて来た。しかし、構造主義の台頭と共に、社会システムの中での装置としての労働や労働者のあり方が考えられる様になった。
 つまり、「労働行為」は、資本家の直接搾取の対象と言う考え方から、資本主義の階層社会システムの中で、社会装置(キカイ)としての位置づけが行われる様になる。
 装置(キカイ)としての労働者が、すなわち、チャベックが象徴的に産み出したロボットなのだ。
 この作品の後半には、人間の労働者とロボットの対立が描かれる。
 また、構造的搾取の歪みが、差別・搾取・階層間闘争の多重性と言う形で具現化する事をこの作品は示している点が、特に注目される。
 佛教大学応用社会学科で、環境社会学という科目を履修したが、水俣病がレポートの課題であった。
 一般的には、水俣病は環境問題、企業のモラル等の考え方で捉えられていたが、実は、チャベックのロボットと同じ体質を持った社会の構造病理の位置づけとして、応用社会学の検証・考察の対象となる。つまり、この点に社会病理を見いだし、その分析を行う必要があるのだ。
 この公害問題が発生した地域の企業城下町としての社会のあり方、公害病で更に追いやられる立場となった被害者と隣接の地域住民は、同じ様に実は、企業の地域搾取の対象とされて来たが、お互いに反目、対立しあう様になる。
 こうした対立が、幾重にも重なった複合的社会病理の元凶となっていく。
 この「多重の病理」がすなわち大きな問題である事を気づかなければならないと指導教員から教えられた。
 チャベックのロボットは仮想社会である。そうして、こうした社会労働問題の矛盾をこの戯曲によって、1920年代の時代閉塞の社会風潮の中で、大衆に訴えようとしたのだと考える。
 現代、我々も実は、チャベックのロボット社会とは、無縁ではない。
 バイオ技術が急速に発達し、ヒューマノイド時代の私たちの今後の歩む道とのオーバーラップしている部分を感じざるを得ない。