これからスクーリングに出かけます。2007/12/22 11:49

史料大成「長秋記」の該当箇所
 また、明日からスクーリングなので、今日の内に京都にまで出かける。何せ早起きが死ぬほど苦手な私は、5時起床等、絶対無理。ホテルに朝食がついているが、この時間も惜しんで眠り続けている程。
 午前中は、既に提出してしまった仏教美術資料研究のレポートの資料を再び読み直し、佛大図書館から借用した長秋記の源師時が源氏物語絵巻制作に関わっている部分を読む。
 源師時は、村上天皇の後裔であり、藤原忠通に子が出来ない為に一時は、藤原氏の養子にされようとした。ところが、その後は、忠通に子が出来て、不遇であった。その後、摂関政治から院政へと移行、冷遇されていた師時が、宮中行事や造仏、その他の文化事業の中心人物となっていく。長秋記には、12世紀後半を中心とした当時の宮廷の様子が非常に詳細に描かれている。
 さて、『長秋記』には、「源氏絵間紙」という記述が出てくるが、この解釈をめぐって異論がある。大抵の解説書は、やはり、絵の用紙であると解釈し、師時が絵画部分の制作にまでかかわっていたとしている。(例えば、『よみがえる源氏物語絵巻』 NHK出版等)
 しかし、そこまでは私は読めないとおもう。
 文字通りに解釈すると「源氏絵の間の紙」であり、これは、絵巻の絵の部分と絵の部分の間(あいだ)の紙、すなわち、詞書(テキスト)がかかれる料紙や、その他の装幀の事を意味しているのだと思う。
 詞書が書かれている料紙自体が平安芸術の粋を集めたものであり、模様は浄土を現しているとの記述さえある。また、春夏秋冬の月次を踏まえ、更に、各巻の趣向に見合った紙を制作しなければならない。実は、源氏物語制作で最も手間がかかるのは、この料紙をデザイン→透き込み→装幀の作業であり、一番、知的教養があり、絵巻物に理解がなければ出来ない事である。
 つまり、詞書に使われる用紙は、師時に仰せられ、それを承り、絵画の部分は他の者に仰せつかったのである。もし、源氏絵の全てを師時に仰せられていたら、私が師時ならば、真っ先に絵の部分について詳細を尽くして、書くが、残念ながら、詞書の部分の料紙だったので、自分が承けた料紙の記述を先に書いて、その後、簡単に「画図、進むべし云々」と書いているのみである。 
 師時は、非常に残念だったのだろう。「私ならば、絵仏師の多くを抱えていて、いくらでも素晴らしい絵巻物を完成できたのに」と思ったに違いない。それが悔しいからか、その後、源氏絵に関する記述は全く出てこない。
 こうして、国宝源氏物語絵巻の成立事情は、遙かな時空に埋もれてしまったのである。
 以上が私が独断に考えた説である。
 ところで、レポートに書いた「橋姫巻」詞書について、源氏物語絵巻の本文について更に照合を進めてみた。池田亀鑑氏の源氏物語大成をもとに合わせていくと、この間書いた形容詞、「らうたし」→「美し」といった部分は、どうやらこの絵巻詞書の独自異文という事になるが、「なえたる」→「なえばみたる」の違いや接頭語等の用法、一部本文の省略箇所の殆どが別本系横山本に一致しており、極めて類似性が強い。
 横山本は、源氏物語大成のそれぞれの巻によって、青表紙本に入れられたり、別本に入れられたりしており、別本と言う系統がある訳ではない。青表紙本の系統から逸脱し、河内本系とも異なる本文を別本として便宜上分類したものである。この点については、国文学研究資料館の伊藤先生のWEBに詳細に説明されている。
http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/HTML/R1.5_kenkyusi.html
 つまり、横山本自体が青表紙本の系列に別の系統の本文が混入した性質を持っていると推定される。従って、これのみでは、源氏物語絵巻の詞書本文の性格を定義づける事は出来ない。但し、当初、横山本に近い本文が橋姫巻の詞書を作成する際に使用されたという事が言えるだろう。
 源氏物語の研究者であられた清水好子先生が演習中に、「別本系の本文には、青表紙本よりもかなり古い性格を持った部分もあるが、同時に、後代の解釈も加わってしまって変質した異文も混ざっている本文もある。書写の間違いよって生じた校異は比較的少ないのではないのだろうか。」とおっしゃられていた事も想起される。
 但し、ここで問題なのは、「らうたし」→「美し」の相違については、大成の校異には見当たらない事である。私は、池田亀鑑先生は、その凡例で十分に調査出来なかった本文があると述べておられるが、その作業の精密さ・網羅性は、十分信用に足ると思う。仮に、この様な大がかりな形容詞の改編が行われた場合には、その系列の異文が存在する筈だが、見当たらないと言う事は、やはり、この絵巻物独自の改編という可能性も浮かび上がる。
 「橋姫の巻」をご覧になっていただければ判ると思うが、やはり場面の中心は、2人の姫君の美しく佇む様子であり、その画面の重心とも言える言葉は、「美し」に集約される。
 青表紙本に見られる「らうたし」という語感は、韻文的であり、視覚的直接性が薄い。一方、「美し」は、一層、強い視覚的認識を伴う言葉である。絵巻物の効果を高める為に、場面表現の中心となる視覚性の高い「美し」に敢えて変更した可能性も捨てきれないのだと思う。
 これらの事は、源氏物語絵巻の創作コンセプトにも関わってくるので無視できないと思う。