辛うじてレポートを書き上げたが2007/12/19 00:02

→の作図が不細工。視点が向かって右から左へ移動している事が判る。
先週の日曜日で終わった日本美術史資料研究と仏教芸術資料研究の
レポートをなんとか仕上げた。

読み返してみると、間違いが多く、体調が悪いとこんなものかと思う。源氏物語の橋姫の巻の視点導入を図をコンピュータで作図したが、これが旨く出来ない。それでも合計10枚位のレポートをプリンタで出力して、表紙をつけてホッチキスで閉じて出来上がり。

参考文献や注釈等の書き方もまずい部分が目立った。

卒業論文も源氏物語絵巻を取りあげるが、やはり、全ての場面について、詞書の本文校異から、解釈、画面との対照、構図との関連について分析を行う必要があると感じた。

同じ、橋姫の巻でもやはり、国宝源氏物語と近世土佐派では、雲泥の出来具合の差があり、近世の作品は、比較として使用するか、もしくは、良くても、国宝源氏物語に選択されていない場面等を調べる時に利用する程度にとどめておいた方が良いかも知れない。

現在、国宝源氏物語は、詞書の書風から、10巻本に分類されているが、詞書のテキスト分析を行う事で、果たして、現在の分巻が正しいのかそうでないのかを判断する材料にも使用出来る事に気がついた。これも論文にまとめて、国文学として発表しても、それなり、価値があると思う。恐らく既に先行研究などもあると思うが、骨の折れる作業だけに目先の派手さを追う研究が多いこの分野だけに案外穴場かも知れない。

全日本選手権 フォーミュラ・ニッポン第9戦編2007/12/19 00:17

 先日、このブログに書いたパナソニックのデジカメ、LUMIXFZ18を使用した全日本選手権 フォーミュラ・ニッポン第9戦編 の撮影会を紹介するページが掲載され、私が撮影した写真も掲載されている。
http://lumixclub.jp/event/fz2007/report/report4.html
 それにしても私の写真が一番下手だと思う。田村弥先生の写真は、同じカメラではなくて何かズルをしたのかと思わせる程、車体に光沢があり、スピード感なども全然違う。
 今から思えば、当日は、シャッター優先モードで1/800で撮影したが、これよりもシャッター速度を落とした方が速度感が出せたかも知れない。
 参加者の作品でカーブの部分が多いのは、ここではかなり速度を落としているので別に流し撮りを意識しなくても被写体を収めやすいから。
 流し撮りが一番、参加者でうまく出来ているのは、minoさんの作品か。また、速度感のある撮影をしてみたくなった。

ベーオウルフ、おぞましい怪物退治の深層2007/12/19 23:26

 『中世イギリス英雄叙事詩 ベーオウルフ』(忍足欣四郎訳,岩波文庫)

 最近、映画で上演されているが、おぞましいようなポスターを見るだけで、見に行く気にはなれない。しかし、内容を含めて、いずれは映画化されると思っていた。
 以下は公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/beowulf/
 監督は、おなじみのロバート・ゼメキスで「リング」と「300」がひとつになったこの壮大なファンタジー」という惹句に興味を覚える人はいるだろうか。
 時代設定を中世にして、ヒロインが怪物達を退治するタイプの話は、これまで何度もロールプレイゲーム等も取りあげられてきた題材だ。こうしたものに慣らされているとさして新鮮な驚きを感じないかも。
 元々は吟遊詩人に語られるべき中世イギリス英雄叙事詩で、文学ジャンルとしては、「語り物」という事になるか。
 興味深いのは、この伝本は、大英図書館に保存されている写本1冊だけで孤本という点である。語り物ゆえに書物として保存される価値はなかったのだろう。
 1753年に大英図書館に入る前には、1731年にコットン文庫に収められていたが、不幸にも火災に遭い多くの写本が焼失したと言う。この本は奇跡的に救い出された1冊でもある。
 その遙か前には、サジックの修道院に保存されていた。2人の写字生によってコツコツと写しとられたおかげで、私たちは、ベーオウルフの作品に触れる事が出来る。
 遙か30年近く前に大学の中世英文学史の授業を受け、その時にこの作品の事を聞いた事がある。成立は、7~8世紀頃のことだと見られる。
 忍足氏の訳は、残念ながら現代語であり、古詩の面影を良く伝えておらず、散文的である。例えば、グレンデルが腕をもぎ取られる部分は、
「重ね来たった者は、自らの身体の自由が効かずして、ヒイェラーク王の勇敢なる親族におのが手をしっかと掴まれているのを知った。おぞましき悪霊は、身に激痛を味わった。彼の肩には、大きなる傷があらわとなり、腱はぶっつりと切れ、肉は弾けた。」
 これでは面白くない。次の文章を読んで欲しい。
 「俄に虚空掻き曇り、杜の上に物立駆ける様に見えけるが、空より、綱が鬢髪を掴みて、中に取り手ぞ上がりける。(綱)、件之太刀を抜きて、虚空を払い切りにぞ載せたりける。雲の上にあっという音して、血の顔に颯(さっ)とかかりけるが、毛の生えたる手の指に有りて、熊の手のごとくなるを。」
 この方がずっと緊迫感があるだろう。ところで、綱とは誰の事だろう。清和源氏頼光の郎党、渡辺綱の事である。文章は、太平記巻三十二の「鬼丸鬼切事」から引用したものである。
 この挿話は、ベーオウルフと太平記の中の逸話にそっくりの話が出てくる点については、私がお世話になっている佛教大学の黒田彰先生の論文「中世学問の世界と『太平記』」に、指摘されており、既に日本では、昭和初期の先行研究にも出てくる。また、英文学者がベーオウルフの側から「ベーオウルフがデネの宮廷を悩ます食人鬼グレンデルと戦ってその腕を奪い、更にグレンデルの母親が宮廷の重臣を殺したので、沼の底に女性を埋めると言う話が渡辺綱の有名な鬼神退治の話と妙に似たところがある。」との指摘もされている。但し、この様な類話は、202種も指摘されており、日本の太平記の記述との類似のその一つという事だがあまりにも類似しすぎている。特に、「鬼の腕切」+「母親の復讐」と2つの話形が結合した形で伝達されているという点から見れば、その伝達ルートはかなり、短距離であったとも見る事が出来る。
 8世紀の中世初期のイギリスで成立した伝説が、凡そ400~500年の時空を経て中世後期の日本に伝来し、それは、かなり直接的であった可能性もある。ローマ時代を別として、東洋と西欧が接近した時代は、大きく分けて3期ある。第1期は、8~9世紀のヴァイキングの時代、第2期は、モンゴル帝国の時代、第3期は、大航海時代である。日本にベーオウルフが伝達した時代について第3期は、時期が異なるから外して、第2期についても、話型の日本化と平家の滅亡を契機に顕在化した剣譚との結合が太平記に見られる事から、こうなるまでには少なくとも2~300年は経過していると見れば、一番可能性が強いのは、第1期である。つまり、北極ルートで、シベリア、ツングース、渤海等から奥州へ伝達されたと言う可能性もあるのではないだろうか。
 更に黒田先生の論でもそれ程、考慮されていないが、この伝説が源氏に非常に関わりが深い点である。源平盛衰記等でも奥州藤原氏と源氏の関係が非常に強い事等が、奥州経由で伝達したとすれば、これも第2期の北方ゲルマン、奥州伝播説の妥当性が強まるのではないだろうか。
 映画のべーオ・ウルフでは、この印象的なシーンがどの様に描かれているのかについては、少し、見てみたい気もする。