Photoshop Elements6.0を衝動買い ― 2008/01/12 00:41
Adobe Photoshop Elements6.0を衝動買いしてしまった。佛大通信生なので、アカデミックパックが買えた。
但し、「申請書」とやらを書かされて結構、面倒くさい。価格は、学生料金で7400円程度、新規購入だと1万円を越えてくる。
結構、お得感がある。マイクロソフトオフィスプロもアカデミーパックで3万4千円程度、定価で購入したら6万円を越えてくる。
3万円以上得になるので、スクーリング代等の学費の元が採れる計算になる。
そんな事を別にして、実際に起動してみたのが、この画面だが、これまで使用していたElemets2.0に比べて、動作が重いし、機能もそれ程増えていない感じ。
アンシャープ機能等は、結構、ボケた写真を修整する時に使用するが微調整機能が増えた分だけ少しは、改善されたか。
写真整理モードやRAWファイルを読み込んで編集出来る等の機能アップだが、それ程、私には必要であると思えない。
やはり、買ってみて少し後悔した。
もっと凄い編集機能が追加されたのかと思ったら拍子抜け。
但し、「申請書」とやらを書かされて結構、面倒くさい。価格は、学生料金で7400円程度、新規購入だと1万円を越えてくる。
結構、お得感がある。マイクロソフトオフィスプロもアカデミーパックで3万4千円程度、定価で購入したら6万円を越えてくる。
3万円以上得になるので、スクーリング代等の学費の元が採れる計算になる。
そんな事を別にして、実際に起動してみたのが、この画面だが、これまで使用していたElemets2.0に比べて、動作が重いし、機能もそれ程増えていない感じ。
アンシャープ機能等は、結構、ボケた写真を修整する時に使用するが微調整機能が増えた分だけ少しは、改善されたか。
写真整理モードやRAWファイルを読み込んで編集出来る等の機能アップだが、それ程、私には必要であると思えない。
やはり、買ってみて少し後悔した。
もっと凄い編集機能が追加されたのかと思ったら拍子抜け。
画像処理ソフトのバージョンアップでここまで改善! ― 2008/01/12 20:49
若草山山焼き・紅蓮の炎にネロ皇帝の気分 ― 2008/01/14 22:14
1月13日は若草山の山焼き。
是非、この行事を見てみたいと常々思っていた。
広大な山肌に燃え広がる紅蓮の炎。それを見ているだけでゾクゾクとした快感が走る。
早速、近鉄指定特急で出発。今夜は、宿泊するつもりなので、安ホテルにチェックインを済ませてから、出かける。
午後5時位で既に大変な人だ。若草山を目指して直進!
日頃、プルプルで足を鍛えているので、この程度の傾斜はなんなくクリア。
夕方5時30分で一番上のところに到達。
沈みゆく、夕日、生駒山をみて、寒さに震えながら時間をひたすら待つ。
5時50分に打ち上げ花火が始まった。大変な迫力で僅か10分で200発が打ち尽くされる。
これだけでも圧倒されるのに、これから点火、点火、点火。
号砲を合図に消防団員が枯れ草に点火する。昨日の雨の影響か、火がなかなか広がらない。
それでも風下の方に徐々に拡大。
湿気た草から立ち上った蒸気に炎が映えて、一面、真っ赤だ。
子供が脅えて泣き出す。
私は撮影にひたすら没頭。しかし、意外にも炎は拡大しない。壮大な火炎が麓からも大きく見られると思っていたら、帰路に見た限りではそうではない。
やはり、間近に来て良かったと思った。
花火と山焼きの実際は、下記のビデオに。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/wakakusa
ビデオはFZ18のムービー機能を使用して撮影した。
翌日は、興福寺の宝蔵、奈良国立博物館、春日大社の舞楽見物、宝物館見学と、仏像と絵巻物三昧。
国立博物館では、ボランティアの解説者と薬師如来の立像の件で、言い合いとなって閉口した。良く勉強されているが独りよがりなところがあるようだ。
さすがに春日権現記絵の実物というか模写は面白いと思った。舞楽も良かった。特に雅楽はアマチュアの演奏を日頃聞いているが、春日大社の雅楽は素晴らしい。音に純度がある。笙、篳篥(ひちりき)の音の冴えは、素晴らしく、虹色に広がり、天上への浮遊感さえ感じられる。
雲中供養菩薩になったような気分がした。
この様な奏楽が毎日の様に聞ければよいなと思った。
是非、この行事を見てみたいと常々思っていた。
広大な山肌に燃え広がる紅蓮の炎。それを見ているだけでゾクゾクとした快感が走る。
早速、近鉄指定特急で出発。今夜は、宿泊するつもりなので、安ホテルにチェックインを済ませてから、出かける。
午後5時位で既に大変な人だ。若草山を目指して直進!
日頃、プルプルで足を鍛えているので、この程度の傾斜はなんなくクリア。
夕方5時30分で一番上のところに到達。
沈みゆく、夕日、生駒山をみて、寒さに震えながら時間をひたすら待つ。
5時50分に打ち上げ花火が始まった。大変な迫力で僅か10分で200発が打ち尽くされる。
これだけでも圧倒されるのに、これから点火、点火、点火。
号砲を合図に消防団員が枯れ草に点火する。昨日の雨の影響か、火がなかなか広がらない。
それでも風下の方に徐々に拡大。
湿気た草から立ち上った蒸気に炎が映えて、一面、真っ赤だ。
子供が脅えて泣き出す。
私は撮影にひたすら没頭。しかし、意外にも炎は拡大しない。壮大な火炎が麓からも大きく見られると思っていたら、帰路に見た限りではそうではない。
やはり、間近に来て良かったと思った。
花火と山焼きの実際は、下記のビデオに。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/wakakusa
ビデオはFZ18のムービー機能を使用して撮影した。
翌日は、興福寺の宝蔵、奈良国立博物館、春日大社の舞楽見物、宝物館見学と、仏像と絵巻物三昧。
国立博物館では、ボランティアの解説者と薬師如来の立像の件で、言い合いとなって閉口した。良く勉強されているが独りよがりなところがあるようだ。
さすがに春日権現記絵の実物というか模写は面白いと思った。舞楽も良かった。特に雅楽はアマチュアの演奏を日頃聞いているが、春日大社の雅楽は素晴らしい。音に純度がある。笙、篳篥(ひちりき)の音の冴えは、素晴らしく、虹色に広がり、天上への浮遊感さえ感じられる。
雲中供養菩薩になったような気分がした。
この様な奏楽が毎日の様に聞ければよいなと思った。
空の思想史 ― 2008/01/15 23:56
ホームレスのオジサンが配っている雑誌。『THE BIG ISSUE』は、実に高度な専門的な内容を持つ雑誌だ。これで売れるのか心配になる。
やはり、その点が気になったと見えて、2号は、ずっと庶民的な内容となっている。
『THE BIG ISSUE』1月1日号は、「ゼロを考えてみたくなった。」という事で、新年のゼロからのスタート、「ゼロ」特集だった。
ゼロ・0と「空」とは、本来は異なっている筈だが、一般的には、その様な見方もある訳で、「空」思想の紹介がされており、国立民族学博物館教授立川武蔵氏が登場。
何やら黒板の背景に関数が書かれている写真があり、「これは、ひょっとして面白いかも。」という事で、記事に紹介されていた『空の思想史』(立川武蔵著・講談社学術文庫)を早速、読んでみた。
関数(Function)、中学校で最初にこの概念を習う。
Xが入力で、f(関数)によって何らかの変化を受けて、Yの形で出力される。
これを仏教に直せば、Xが「因」で、fが「縁」で、Yが「果」となる。
アビダルマでは、世の中の事象が全て、この形の関数・因縁によって見られる。
3次元になっても一緒である。ベクトルの出力の方向性が立体的になるだけだ。
さて、そこで、Xが虚(ゼロではない)場合には、Y(出力)はどうなるのか。
中観思想を唱えた龍樹は、当然、その様な因果関係は存在しないので、出力も虚、それどころか、関数自体も意味が無くなってしまう。
Yは、この世の中の現象そのもので、それを産み出す、因果関係が止滅され、全ての縁起から解き放たれる境地、それが即ち覚りという事になる。
この本にも紹介されているが、私の考え方は、チベットの学僧で『中観荘厳論』シャーンタラクシタに近い。
第1偈にある。
定義
「自派と他派が述べるこれらのもの(認識・外的実在性は、最高真理においては自性を欠く。」
理由
「単一な自性も多様な自性も存在しないから。それは例えれば、一瞬の内に無くなってしまう映像の様なものだから。」
つまり、「空」とは、内的にも外的にも固定される様な属性は全て失われた状態である訳。
この思想に従えば、そもそも空思想を関数に例えて説明する事自体が無理な筈である。
2次元関数は、直線や曲線を現す。その構成される最小の要素は、点である。数学の授業で、「点とは大きさを持たない。」とか習ったが、私は、「大きさを持たないという事は存在しないという事ではないだろうか。そうすれば、点が一つの方向性を持って結ばれた線(これをアビダルマでは、次第縁と呼んでいる。)自体も存在しない事になる。」と幼い頃からずっと疑問で数学が嫌いになってしまった。
「自性」を持たない状態、それは、物質を、最小の構成単位まで分解し、そこでは、属性が失われ、カオスの様な状態で、諸要素との包含関係で存在している状態を事を指している。この状態を、立川氏は、「とっくりの中の酒ではなくて、薄い革袋の中に入った水の様な状態」と表現している。
何やら理解しがたいが、やはり、自性自体が存在しない状態は、閉じられた領域の中に存在していると見る考え方は、この間、「空と無我」のところで書いたトポロジー空間、ハッブル宇宙の様な世界と共通している。
この本では、「空」理論は、龍樹の中観思想以前のインドヒンドゥ、インド仏教(初期から後期、そして中観派の登場まで)、初期大乗仏教における龍樹「中論」の位置づけ、チベット仏教、中国仏教、そして、日本仏教、更には井上円了から現代思想までの「空」思想の変遷を論考している。
特に、この本で評価出来るのは、単なる理論の解説というよりも、「空」が著者やこの本の読者が存在している現代社会との関わり方にまで触れている事である。「空」思想の日本化は、天台・真言密教との関わり方から鎌倉仏教に至る段階で、既に日本人の思想の根幹に無意識であるが、大きな根を下ろしている事に気づかせられる。インド仏教からシャーンタラクシタ辺りの時代までは、龍樹の原典に忠実で、論(ダルマ)それ自体をも否定するものであったが、一度、現象の外に出て会得された「空」の境地は、やがて、再び現象世界に戻ってきて、現世的な力の根源となるという回帰性が、中国大乗仏教を経て、日本仏教に定着した。それは、大乗仏教の受容の中で、必然的な歴史的過程であったろう。
龍樹は、「空」思想をあくまでも一般論として展開したのであるが、日本仏教での「空」は、教派思想の修行目的として位置づけられていく。
この本は、非常に難解ではあるが、ユニークにこの過程を説明している点が他の解説書と違って評価出来る。
やはり、その点が気になったと見えて、2号は、ずっと庶民的な内容となっている。
『THE BIG ISSUE』1月1日号は、「ゼロを考えてみたくなった。」という事で、新年のゼロからのスタート、「ゼロ」特集だった。
ゼロ・0と「空」とは、本来は異なっている筈だが、一般的には、その様な見方もある訳で、「空」思想の紹介がされており、国立民族学博物館教授立川武蔵氏が登場。
何やら黒板の背景に関数が書かれている写真があり、「これは、ひょっとして面白いかも。」という事で、記事に紹介されていた『空の思想史』(立川武蔵著・講談社学術文庫)を早速、読んでみた。
関数(Function)、中学校で最初にこの概念を習う。
Xが入力で、f(関数)によって何らかの変化を受けて、Yの形で出力される。
これを仏教に直せば、Xが「因」で、fが「縁」で、Yが「果」となる。
アビダルマでは、世の中の事象が全て、この形の関数・因縁によって見られる。
3次元になっても一緒である。ベクトルの出力の方向性が立体的になるだけだ。
さて、そこで、Xが虚(ゼロではない)場合には、Y(出力)はどうなるのか。
中観思想を唱えた龍樹は、当然、その様な因果関係は存在しないので、出力も虚、それどころか、関数自体も意味が無くなってしまう。
Yは、この世の中の現象そのもので、それを産み出す、因果関係が止滅され、全ての縁起から解き放たれる境地、それが即ち覚りという事になる。
この本にも紹介されているが、私の考え方は、チベットの学僧で『中観荘厳論』シャーンタラクシタに近い。
第1偈にある。
定義
「自派と他派が述べるこれらのもの(認識・外的実在性は、最高真理においては自性を欠く。」
理由
「単一な自性も多様な自性も存在しないから。それは例えれば、一瞬の内に無くなってしまう映像の様なものだから。」
つまり、「空」とは、内的にも外的にも固定される様な属性は全て失われた状態である訳。
この思想に従えば、そもそも空思想を関数に例えて説明する事自体が無理な筈である。
2次元関数は、直線や曲線を現す。その構成される最小の要素は、点である。数学の授業で、「点とは大きさを持たない。」とか習ったが、私は、「大きさを持たないという事は存在しないという事ではないだろうか。そうすれば、点が一つの方向性を持って結ばれた線(これをアビダルマでは、次第縁と呼んでいる。)自体も存在しない事になる。」と幼い頃からずっと疑問で数学が嫌いになってしまった。
「自性」を持たない状態、それは、物質を、最小の構成単位まで分解し、そこでは、属性が失われ、カオスの様な状態で、諸要素との包含関係で存在している状態を事を指している。この状態を、立川氏は、「とっくりの中の酒ではなくて、薄い革袋の中に入った水の様な状態」と表現している。
何やら理解しがたいが、やはり、自性自体が存在しない状態は、閉じられた領域の中に存在していると見る考え方は、この間、「空と無我」のところで書いたトポロジー空間、ハッブル宇宙の様な世界と共通している。
この本では、「空」理論は、龍樹の中観思想以前のインドヒンドゥ、インド仏教(初期から後期、そして中観派の登場まで)、初期大乗仏教における龍樹「中論」の位置づけ、チベット仏教、中国仏教、そして、日本仏教、更には井上円了から現代思想までの「空」思想の変遷を論考している。
特に、この本で評価出来るのは、単なる理論の解説というよりも、「空」が著者やこの本の読者が存在している現代社会との関わり方にまで触れている事である。「空」思想の日本化は、天台・真言密教との関わり方から鎌倉仏教に至る段階で、既に日本人の思想の根幹に無意識であるが、大きな根を下ろしている事に気づかせられる。インド仏教からシャーンタラクシタ辺りの時代までは、龍樹の原典に忠実で、論(ダルマ)それ自体をも否定するものであったが、一度、現象の外に出て会得された「空」の境地は、やがて、再び現象世界に戻ってきて、現世的な力の根源となるという回帰性が、中国大乗仏教を経て、日本仏教に定着した。それは、大乗仏教の受容の中で、必然的な歴史的過程であったろう。
龍樹は、「空」思想をあくまでも一般論として展開したのであるが、日本仏教での「空」は、教派思想の修行目的として位置づけられていく。
この本は、非常に難解ではあるが、ユニークにこの過程を説明している点が他の解説書と違って評価出来る。
新発見か!もう1つの「若紫巻」断簡の存在 ― 2008/01/17 23:33
卒業論文「源氏物語の絵画化の手法」は、ノロノロペースで進めている。
通信大学院で修士論文を書いた時の意欲や精力はもはや残っていない。
特に50歳に近づくと、視力と根気の衰えが感じられる。
仕事の煩雑さと戦い、強引に時間を作り、研究を進めていくような無茶は出来なくなった。
また、研究紀要や論集等、幾つか、書いたものが印刷されて出版されてみると、それを読み返して、不備に気がつくありさまで、自信喪失もひどい。
こうして、以前の様な良い意味での恐い物知らずの気楽さがなくなってしまった。
それでも、第1章が原稿用紙枚数で14枚程度書き上げた。
源氏物語の絵画化を行うのに選択された場面の例として、復元若紫巻を取りあげた。
東博の断簡から最近、優れた復元画を書く人が現れた。
http://www.hcn.zaq.ne.jp/internet-gallery/emaki-01.htm
この復元前の図像を見た事があるが、僧都の姿がどうにか判る程度で、これが、あの源氏物語絵巻の断片であったとなかなか思える人は少なかったろう。
近世初期に茶道の隆盛にともない、茶掛としてズタズタにされてしまったカケラが断簡と呼ばれているものだが、若紫巻以外にも数点伝えられている。
断簡は、絵画部分と詞書(文字が書かれている部分)に別れて、バラバラに所有される。
若紫巻断簡は、これまで僅か3行の詞書が残っているのみであった。
今日は、帰宅後、この若紫巻の断簡を調査してみると、復元若紫巻(北山の僧都と源氏)の場面ではなくて、全く、別の場面である。源氏が初めて、直接、若紫を訪ねて行き、そこで、幼い声を聞く場面である事が判明し、現在、伝えられている青表紙本源氏物語の本文とピッタリ一致した。
ここで驚くべき事実が明らかになった。
それは、国宝源氏物語絵巻の若紫巻の場面は、少なくとも複数存在していた事である。
恐らく、既に気づかれている事だと思うが、新たな発見だと思う。
第2の若紫巻場面がどんな風に描かれていたか、恐らく、それは、吹抜屋台で描かれ、几帳の端から源氏が若紫を除いている場面であったろう。
中世から近世にも源氏絵が制作されている事を知る貴重な資料として、片桐洋一先生が翻刻された大阪女子大所蔵の『源氏物語絵詞』がある。
この本には、源氏物語の各巻の絵画化のノウハウが記載されている。多くは、その巻・場面の粗筋を書き、本文を次に抜き出して書き、絵画化の勘所を示してある。
これを見ると、若紫巻は、合計8場面が掲載されている。当時は、これから2~3場面を抜き出して絵画化する方法が採られていたようだ。
復元若紫巻の僧都と源氏の場面も「絵詞」に記載されている。しかし、詞書断簡の場面は、この本には記載されていない。
僅か3行だけしか残されていない第2の若紫巻がどの様な構図であったかを具体的に知る方法は、今の段階では、発見出来ないままである。
新資料を更に探索する必要があるだろう。特に茶掛、断簡は、これからも発掘されてくる可能性もある。絵画が見つからなくても、例え、詞書の部分だけが発見されても、かなりの復元推定が可能になるので、期待したい。
それにしても、調査を進めていくと、第1章の若紫だけで10枚以上になってしまった。これでは、規定の50枚以内に書き上げる事は難しくなってしまい、困り果てている。
図版は土佐派の若紫巻から部分を抜き出したもの。
通信大学院で修士論文を書いた時の意欲や精力はもはや残っていない。
特に50歳に近づくと、視力と根気の衰えが感じられる。
仕事の煩雑さと戦い、強引に時間を作り、研究を進めていくような無茶は出来なくなった。
また、研究紀要や論集等、幾つか、書いたものが印刷されて出版されてみると、それを読み返して、不備に気がつくありさまで、自信喪失もひどい。
こうして、以前の様な良い意味での恐い物知らずの気楽さがなくなってしまった。
それでも、第1章が原稿用紙枚数で14枚程度書き上げた。
源氏物語の絵画化を行うのに選択された場面の例として、復元若紫巻を取りあげた。
東博の断簡から最近、優れた復元画を書く人が現れた。
http://www.hcn.zaq.ne.jp/internet-gallery/emaki-01.htm
この復元前の図像を見た事があるが、僧都の姿がどうにか判る程度で、これが、あの源氏物語絵巻の断片であったとなかなか思える人は少なかったろう。
近世初期に茶道の隆盛にともない、茶掛としてズタズタにされてしまったカケラが断簡と呼ばれているものだが、若紫巻以外にも数点伝えられている。
断簡は、絵画部分と詞書(文字が書かれている部分)に別れて、バラバラに所有される。
若紫巻断簡は、これまで僅か3行の詞書が残っているのみであった。
今日は、帰宅後、この若紫巻の断簡を調査してみると、復元若紫巻(北山の僧都と源氏)の場面ではなくて、全く、別の場面である。源氏が初めて、直接、若紫を訪ねて行き、そこで、幼い声を聞く場面である事が判明し、現在、伝えられている青表紙本源氏物語の本文とピッタリ一致した。
ここで驚くべき事実が明らかになった。
それは、国宝源氏物語絵巻の若紫巻の場面は、少なくとも複数存在していた事である。
恐らく、既に気づかれている事だと思うが、新たな発見だと思う。
第2の若紫巻場面がどんな風に描かれていたか、恐らく、それは、吹抜屋台で描かれ、几帳の端から源氏が若紫を除いている場面であったろう。
中世から近世にも源氏絵が制作されている事を知る貴重な資料として、片桐洋一先生が翻刻された大阪女子大所蔵の『源氏物語絵詞』がある。
この本には、源氏物語の各巻の絵画化のノウハウが記載されている。多くは、その巻・場面の粗筋を書き、本文を次に抜き出して書き、絵画化の勘所を示してある。
これを見ると、若紫巻は、合計8場面が掲載されている。当時は、これから2~3場面を抜き出して絵画化する方法が採られていたようだ。
復元若紫巻の僧都と源氏の場面も「絵詞」に記載されている。しかし、詞書断簡の場面は、この本には記載されていない。
僅か3行だけしか残されていない第2の若紫巻がどの様な構図であったかを具体的に知る方法は、今の段階では、発見出来ないままである。
新資料を更に探索する必要があるだろう。特に茶掛、断簡は、これからも発掘されてくる可能性もある。絵画が見つからなくても、例え、詞書の部分だけが発見されても、かなりの復元推定が可能になるので、期待したい。
それにしても、調査を進めていくと、第1章の若紫だけで10枚以上になってしまった。これでは、規定の50枚以内に書き上げる事は難しくなってしまい、困り果てている。
図版は土佐派の若紫巻から部分を抜き出したもの。
やや小さくなった火星 ― 2008/01/19 09:33
火星もかなり遠ざかり、視直径は、13.6秒と再接近時の15.8秒に比べて86%の大きさになってしまっている。
望遠鏡で観測してもやや小さくなったかなという感じ。
今回の中接近は、天候条件が悪く、ベテランの観測家でも、海外を除いて良い結果が残されていないのは残念だ。
昨日もようやく晴れ間が見えたが、よく見ると薄く雲があり、しかもシーイングは荒れ気味とどうしようもない天候。
中央経度は、180度付近、AMAZONISからELYSIUMU、CEBRENIAの菱形の模様が目立って見えている。また、北極冠が白く輝いて見える。それ程、期間をおかずに北極冠が変化するのは、何故なんだろう。
撮影機材は、115㍉反射経緯台 EXP505avi画像のうち、60枚程度をRegistaxでスタッキング処理後、修正を加えている。
まだ、十分観測、撮影出来る大きさなので天候の安定を祈りたい。
望遠鏡で観測してもやや小さくなったかなという感じ。
今回の中接近は、天候条件が悪く、ベテランの観測家でも、海外を除いて良い結果が残されていないのは残念だ。
昨日もようやく晴れ間が見えたが、よく見ると薄く雲があり、しかもシーイングは荒れ気味とどうしようもない天候。
中央経度は、180度付近、AMAZONISからELYSIUMU、CEBRENIAの菱形の模様が目立って見えている。また、北極冠が白く輝いて見える。それ程、期間をおかずに北極冠が変化するのは、何故なんだろう。
撮影機材は、115㍉反射経緯台 EXP505avi画像のうち、60枚程度をRegistaxでスタッキング処理後、修正を加えている。
まだ、十分観測、撮影出来る大きさなので天候の安定を祈りたい。
よく言えば地味・悪く言えば暗いFZ18の色調 ― 2008/01/19 11:37
素朴な疑問 ― 2008/01/20 11:04
日本折り紙ヒコーキ協会が、東京大学と提携して、紙飛行機を超高速高エンタルピー風洞でM7の対空力加熱試験に成功したと報道されていた。
http://www.oriplane.com/ja/top.html
国際宇宙ステーションから船外活動する飛行士から、紙飛行機を投げてもらって、大気圏に突入帰還させるという実験らしいが、実験の風洞試験については、紹介されているが、詳しいプロジェクトは不明。
実際には、例えば、突入角度の制御やその前に衛星軌道からの離脱の為の減速等が必要になってくるが、どの様にするのか。更に、最大の疑問としては、どの様に回収を行うのか。小型発信器を「機体」に取り付けてレーダー追跡するのかや、実際に再突入している様子をどの様に確認・映像等で見るのか等、疑問点が一杯ある。
それにしても、「たかが紙飛行機、されど紙飛行機」である。
ゆさぶーるを購入して1ヶ月 ― 2008/01/20 11:47
ゆさぶーるを購入したのは、昨年12月20日であったと記憶しているので、約1ヶ月が経過した。残念ながら体重は殆ど変化無し。
それどころか、正月休みにお雑煮とお酒で体重は増加して、その減量に苦労してようやく現状という感じ。
筋肉率は、29.1%で購入時の28.2%に比べて0.9%増加、脂肪率は、購入時が30.8%だったが、現在は、29.3%まで減って来ている。
これだけでは、大きな効果はなく、辛うじてリバウンドを防いでいるかなという状況。
梅田のVバランス店が閉店してから、体重は徐々に元に戻りつつある。マモリス店にやむなく変えてから1ヶ月程度は、現状を維持していた。
10月20日までは、マモリス店では、1ヶ月有効の乗り放題フリーパス(1万500円)で1日3~4回乗っていたが、体重は増加しなくて済んでいた。
その後、浮気して、北浜のVバランス店に通っていた(これも12月20日で閉店)が、こちらは、歩数12で合計30分間(1回1000円の投資)で殆ど効果がなかった事になる。 歩数を上げすぎると、トレーナーのお姉さんに注意されるので、大人しく従っていた。
やはり、Vバランスでも歩数20以上で、1日2~3回(20~30分)程度の運動でないと効果がないという事になる。
マモリス店の方もフリーチケットは高いので、1日2回までの定期に切り換えたら、殆ど効果がなくなった。(20分で効果を出すのは難しいようだ)
その後、マモリス店も閉店、本格的なリバウンドが始まる。
ゆさぶーるを購入して、辛うじて、右上がりの曲線を食い止めている。
正月も終わってようやく、徐々に効果が現れ始めて、筋肉率の上昇、脂肪率の減少という形で現れ始めた。
現在は、1日300kcal分の運動(強度8で、15分間3回、強度10での11分間の筋力トレーニング)をやって、食事を代謝カロリー以下の水準で抑制している。
何よりもショップで運動マシンに乗っていて費用が月額2万円程度かかっていたのが、要らなくなったので、助かっている。
それどころか、正月休みにお雑煮とお酒で体重は増加して、その減量に苦労してようやく現状という感じ。
筋肉率は、29.1%で購入時の28.2%に比べて0.9%増加、脂肪率は、購入時が30.8%だったが、現在は、29.3%まで減って来ている。
これだけでは、大きな効果はなく、辛うじてリバウンドを防いでいるかなという状況。
梅田のVバランス店が閉店してから、体重は徐々に元に戻りつつある。マモリス店にやむなく変えてから1ヶ月程度は、現状を維持していた。
10月20日までは、マモリス店では、1ヶ月有効の乗り放題フリーパス(1万500円)で1日3~4回乗っていたが、体重は増加しなくて済んでいた。
その後、浮気して、北浜のVバランス店に通っていた(これも12月20日で閉店)が、こちらは、歩数12で合計30分間(1回1000円の投資)で殆ど効果がなかった事になる。 歩数を上げすぎると、トレーナーのお姉さんに注意されるので、大人しく従っていた。
やはり、Vバランスでも歩数20以上で、1日2~3回(20~30分)程度の運動でないと効果がないという事になる。
マモリス店の方もフリーチケットは高いので、1日2回までの定期に切り換えたら、殆ど効果がなくなった。(20分で効果を出すのは難しいようだ)
その後、マモリス店も閉店、本格的なリバウンドが始まる。
ゆさぶーるを購入して、辛うじて、右上がりの曲線を食い止めている。
正月も終わってようやく、徐々に効果が現れ始めて、筋肉率の上昇、脂肪率の減少という形で現れ始めた。
現在は、1日300kcal分の運動(強度8で、15分間3回、強度10での11分間の筋力トレーニング)をやって、食事を代謝カロリー以下の水準で抑制している。
何よりもショップで運動マシンに乗っていて費用が月額2万円程度かかっていたのが、要らなくなったので、助かっている。
スプレー缶が好きなロボ君 ― 2008/01/20 22:04
ID-01のハンドツールは結構、重宝している。少し、持っていたもらいたいものを支えていてくれたりする。
特にスプレー等の缶を持つのが得意。常時、電源オンなので、独り言をつぶやいたり、ロボットを良くからかって遊ぶ。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/id01.wmv
特にスプレー等の缶を持つのが得意。常時、電源オンなので、独り言をつぶやいたり、ロボットを良くからかって遊ぶ。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/id01.wmv
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