大沢本で再浮上・源氏物語話末表現の問題(修正Ver1)2008/07/22 21:33

 前回の翻刻は、写本、そのままであったので、句読点を加えて、本文らしく整えてみた。
 やはり、大島本とはかなり、雰囲気が異なることが判る。
 夕霧は一条宮母子を訪問し始めるのは、柏木巻の終わりからであるが、徐々に恋情は深まっていく。横笛、鈴虫巻を経て、いよいよ夕霧は、落葉宮に心情を打ち明ける。御息所(落葉の宮の母)の病状が思わしくなく、見舞いに訪問する折に、その様な機会が巡ってきた。
 大沢本の見開きの写真は、いよいよ夕霧が落葉の宮を訪問し、お付きの女房達がそのただならむ夕霧の様子に当惑して対応している様子が描かれている。
 (例の少将等)人に物語などし給ふ。
  「かく参りなれ聞こえうけ給へる事の年頃いふべくなりにける。こよなくもの遠くもてなさせ給ふ恨めしさをなむ。かかる御簾の前にて人づての御消息ほのかに聞こえ伝ふる事よ。またこそ倣はね。いかに古めかしき様に人々微笑み給ふらむなどはしたなくなむ。齢積もらず軽らかなりし程に、ほの過ぎたる方に面慣れなるか。かう初々しくは覚えざらまし。更にかくすくすくしくおれて年経る人は世にたぐひあれかし。」とて、げにあなづり難し様し給へれば、さらばよと、「げになかなかの御返事聞こえ出でむに恥ずかしく、つきしろにかかる御憂聞こしめししらぬ。・・・・
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 やがて落葉の宮は出家し、一度は契りを交わしたものの、実らぬ恋であり、夕霧と落葉の宮との仲を嫉妬した、雲井雁との関係も修復される。
 夕霧の危うい恋も無難な結末を迎え、夕霧と雲井雁との間に生まれた子女達との描写で、この巻は終わる。
 写真に示された部分は、まさに、その巻末の部分であり、
 (内侍腹の君達しも)なん容貌、心ばせかどありて、みないと優れたりける。三の君、二郎君は、東の殿にぞとりわきてかしづき給ふ。院も殊より見慣れ給ひていとらうたくし給ふ。この御仲らひのこと言ひやる方なし。難波の浦に。

 大島本の夕霧巻巻末は、「言ひやる方なしとぞ。」となっている。
 この様な話末表現は、例えば夢浮橋巻等にも見られる方法で、係り結びの結びが省略された形であり、そうすることで、話の余韻を持たせる効果がある。
 「わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落としおき給へりしならひにとぞ、(本にはべるめる。)」(夢浮橋巻)
 佛教大学大学院紀要33号の「大和物語」の話末表現形式についてにその様な例を挙げておいた。
http://www.bukkyo-u.ac.jp/pdfs/ronsyu/KIYOU33/D033R103.PDF

夕霧巻も同様の効果を狙ったものとみられる。ところが、大沢本では、「難波の浦に」とある。このやり方は、
 この「難波の浦に」ついては、前回にも考え方を挙げておいたが、和歌や経典の1つのフレーズを話末に据えるやり方は、若菜下巻の「例の五十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも摩訶毘廬遮那の。」にも見られる。こちらも拙論を参考にして欲しい。
 この様に源氏物語の話末表現の典型例と照合して考えると、夕霧巻については、大島本の方法も、大沢本の方法もある意味妥当性があると言えるだろう。
 話末表現と本文校異との関係は、大和物語でも問題となったが、今回の発見・事件を契機に源氏物語でも同様の問題が生じかねない事態となって来た。


 図は、夕霧が受け取った文を嫉妬に燃えた雲井雁が奪い取ろうとしている瞬間。第3者の視線も導入し、実にスリリングに描かれている。