やはり、世の中大変なことに2008/07/01 23:48

 昨日、書いた様に仕事で上洛したが、日本人のこれからの食料事情がどうなるのか本当に心配になった。
 エコフィードというのは、リサイクル飼料で、食品工場やコンビニなどで発生する賞味期限切れ等の食品残さを飼料に加工したもの。
 海外の穀物価格が既に3倍に上がっている。(つまり、日本国内で販売されている通常の食品で15~20%程度上昇して騒いでいるが、こんなのは序の口)
 既に、食料安全保障が懸念される様な自体になってきている。
 たしか、昨年から緊急用の穀物の備蓄数量を増やすという措置が採られているが、これで、精々2~3ヶ月程度の備蓄量しかない。
 もし、アメリカやカナダ、オーストラリア等で干魃や異常気象で穀物が収穫出来なくなった場合には、確実に日本人は飢える事になるだろうとのこと。
 昨年暮れに改正食品リサイクル法が施行されたが、これまで、食品産業のリサイクル用途としては、肥料が飼料よりも上であったが、それが、飼料が第一優先にされた。
 穀物飼料の価格高騰で、畜産農家が立ち行かなくなれば、国内の畜産生産自体がストップしてしまう。
 鶏卵や牛乳等の生鮮品の大部分が国内生産に依存しているので、こうしたものがまず不足してくる事になる。(既にチーズ等は不足して来ている。)
 エコフィードに使用されている食品残渣は、豆腐の製造時に発生する粕やビール、焼酎、醤油、菓子、コーヒー等の製造の際に発生するもので、ビール粕を除いてこれまでは、廃棄処分されていたものである。
 つまり、悪い言い方では、ゴミという事になるが、既に、日本の食料生産は、こういったものまで無駄なく活用しないと立ちゆかなくなって来ているということ。
 日本全体の畜産飼料の需要は、2,500万屯であるが、その内、1,200万屯余りは、アメリカから輸入されるとうもろこしである。エコフィードの使用比率は、この2~3年間の努力の成果で、248万トン(食品残渣発生量の約21%までの飼料化が完了している。国内の飼料需要量の約10%までがエコフィードで担える様になって来ている。
 更に、国産の自給飼料(飼料用イネや、サイレージとうもろこし)等を加えて、名目上の自給率を更に上げる努力が必要だが、やはり、輸入穀物への依存を完全に断ち切る訳にいかない。
 将来、主食の米は、別として、畜産品等の価格は数倍にもなる可能性もある。
 それよりも心配なのは、絶対供給量が不足してくることであり、最悪の場合は、食管制度の復活や有事配給制度の検討等の動きも出てこないとは限らない。
 例えば、タスポという煙草自販機購入用のカードがあるが、あれが、そのまま配給チケットに応用する事が出来る。
 個人情報をあれ程までカードに入れるという事は、将来は、国民1人当たりの配給量制限を徹底する為に使用される可能性もあるという事である。
 世界の人口が爆発的に増加して、食料増産が追いつかない状況、更にこれに追い打ちをかける様に地球温暖化による異常気象で穀物の凶作等が重なれば最悪である。
 まさに、食べたくても食べられない、買いたくも買えない時代がやってくるという事になる。
 米一升=金一升といえば言い過ぎであるが、そんな時代が再びやって来ようとしている。
 漁業は大丈夫と思っていたら、石油資源枯渇やマグロやイカ釣り漁船の操業停止と言う、戦時中さながらの状況となっている。
 エタノールと現在は言うが、これは、松根油と呼ばれ、戦時中に航空燃料の代替に生産が奨励されていたもので、これが再びバイオマス資源として注目されている。
 地球の食料不足を根本的に解決するには、強制的にCO2や窒素ガスを注入し、光触媒技術を使用し、遺伝子組み換えで飛躍的に生長速度を高めたクロレラ等の蛋白資源を応用して、工業的手法で、食品資源を生産出来る技術を開発する必要があるだろう。
 合成食品の時代の到来である。

 この秋から、食料品の大幅値上げが待っている。特に保存が効く、インスタントラーメン、マヨネーズ、調味料等は、買い置きしておいた方が良いだろう。ああ、それに、ビールも出来るだけ買っておかねば、秋以降の大幅な値上げが決定しているから。
 写真は、全部で2千頭以上を飼っている日本でも、最大規模の牧場。 牛さん達は、自分からやって来て、自動的に搾乳されている。
 この牧場では、輸入配合飼料に依存せず、食品残渣を飼料として早い時期から活用しており、全国有数の牧場にのし上がった。輸入穀物飼料に比べて格段に飼料コストを下げる事が出来るからだ。

ペーパーレスを目指して(情報化戦略)2008/07/02 21:35

 官庁等が主催する会議やシンポジウム等を取材したら、大量の冊子類が配られる。
 こうしたものを保存しておけば、たちまち足の踏み場の無くなってしまう。
 最近では、入手した資料は画像ファイル化して、紙の方はシュレッダーで裁断、廃棄する事にしている。
 スキャナーは、以前、このブログで紹介したマイミオシリーズのMFC425-CNを使っている。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/06/02/3557825
 これならば、カラーでも図の様に一応、再利用可能な形で画像化しておける。この資料は、全部で35頁位のものであるが、ドキュメントフィーダ機能があるので、50枚程度ならば余裕で読み取る事が出来る。
 但し、難儀なのは、最近も役所は経費、資源節約で裏表印刷しているので、表側(奇数頁)を読み取ったら、裏側(偶数頁)を読み取らなければならない。
 更に、画像は、フォトショップエレメントで読み込んでおいて、強制終了すれば、画像を保存するか否か聞いてくるので、保存するを選んで、「名称未設定」でフォトショップファイルで保存させる。
 その後、再びフォトショップを立ち上げて、バッチ処理を選択し、jpgファイルに一括変換する。
 もっとも厄介な作業は、頁のナンバリングでこれはファイル名で対応しておかないと後の管理が困難になる。
 これは手作業でウインドウズのファックスビューワーソフトで画像をプリビューして、右クリック、プロテパティを選択して、頁番号に名前を変更していく。
 この作業がしんどい。
 50枚位の原稿から画像ファイルを全部作成するまでほぼ30分位の時間がかかる。これでもかなり効率化されていると思う。
 保管方法としては、生のjpgファイルを保存するのも良いが、私の場合は、ウインドウズファックスビューワーからクセロPDFというフリーソフトでPDFファイルに出力して電子冊子化をする。
 こうしておけば、メールで他の人に大量の情報を送る事も出来るし、後々の情報管理に役立つ。
 これは仕事でも研究でも同様の効果が期待出来ると思う。

博雅笛譜で柏木を彷彿とする2008/07/02 23:56

iPODを買って1週間位経ったのだろうか。
 音声が圧縮されていて本来は、音質が劣化している筈だが、CDを直接ヘッドフォンで聴いているのに比べてそれ程、音質は劣化していない。少し、レンジが狭くなり、ツルツルした感じの音に変わっており、デジタル臭が少ないの評価が高い理由だろうか。
 電車の中でも自宅でもこれで静かに音楽を聴けば、他の人に迷惑を掛けることもない。
 論文等執筆中に最近、良く聞いているのは、平安時代の笛の名手であった博雅が残した日本最古の笛譜を長谷川景光が蘇演したもので、特に雅楽でも私は、黄鍾調の曲を好んで聞いている。しみじみとしており、どこか別世界から聞こえてくる様な不思議な音がする。
 源氏物語の柏木を彷彿とさせる。
 奈良法相宗薬師寺声明(薬師悔過)等で、8世紀後半の薬師信仰の形態等を彷彿とさせてくれる。
 いずれも音質は素晴らしい。管球アンプで再生したら特に音の湿り気等までもが伝わってくる。これ以外には、隠れキリシタン(長崎県五木地区やシタール演奏、浄瑠璃等をiPodに転送して聞いている。
 それと他にはポッドキャストというので、日経新聞のニュース等を電車の中で聞いている。これらも非常に良質な情報なので、有効である。
 現在、使用している容量は、15~16GB程度で十分に余裕がある。既にベートーヴェン交響曲全集やブルックナー全集等も転送しているが、ワーグナーの楽劇等もこちらに入れてしまおうと思う。

マネキンの荘厳にグプタ朝唐草2008/07/03 19:18

7月に入り浴衣の季節に。
 百貨店も夏物セールで、こんなマネキンのディスプレーに模様替えとなっている。
 男女のカップルは、浴衣なのにコーギー君は、ネクタイ姿という変な趣向。
 それよりも面白かったのは、背後の文様というか荘厳(笑)が、グプタ朝唐草と蓮華紋となっている点である。
 グプタ朝唐草のコブの部分が少し位置が違っている様な気もするが、デザイナーはこれが、どの様な文様か知っていたのかが知りたいところ。
 また、佛大仏教芸術コースの安藤先生の意見等も聞いてみたい。でも、こんなツマラナイことには答えて下さらないだろう。

大阪女子大本「源氏物語絵詞」の成立時期について2008/07/04 23:14

 片桐洋一先生が校注・翻刻された大阪女子大学蔵の源氏物語絵詞は、どの様な事情で制作されたのかということと、成立時期について考察を行う際に、やはり、場面選択ということが重要であることに気がついた。
 この点については、卒論にも触れているが、以前、ブログに柏木巻の場面選択の表を挙げたので参照して欲しい。
「柏木の巻場面アナリーゼ」
http://fry.asablo.jp/blog/2008/04/11/3056205
 結局、国宝源氏物語絵巻と近世の源氏絵の場面選択とは、大きな傾向の違いが見られるという点がある。
 国宝源氏物語絵巻で絵画化されているのは、この表の⑦の朱雀院下山と女三宮出家、⑨の柏木、夕霧に真実を告白、死去、⑩若君の五十日の祝儀の3箇所であるが、近世の源氏絵では、柏木の病気平癒の為に聖が加持祈祷を行う場面、この巻の最後の方の場面である夕霧と落葉宮を訪問し、和歌の贈答を行う場面に限定されている。
 ところが、大阪女子大蔵の源氏物語絵詞では、⑦の朱雀院下山と女三宮出家、⑩若君の五十日の祝儀、⑫夕霧、柏木の未亡人、御息所を訪問、⑬夕霧、大臣邸を訪問が挙げられており、特に国宝源氏物語絵巻と重複している箇所と⑫、⑬の様に源氏物語絵詞独自の場面が選択されている。
 残念ながら、源氏物語絵詞は絵画の部分がないので、どの様な構図が知る由もない。
 先日の京都文博の千年紀にも別系統の本の源氏物語絵師(中世期)のものが出展され、これは、国宝源氏物語絵巻に次いで古い資料という事であるが、残念ながら、全ての巻を見る事が出来なかったので、どの様な場面が選択されていた知る事は出来ない。
 (独)国立文化財機構の藤本孝一氏によれば、「文書・写本の作り方」の著書や、実際の講演で、現存する絵詞本のうち、詞の部分のみが残されているもののかなりの割合で、絵の部分が切り離されて、再製本された可能性を示唆されている。
 大阪女子大本の源氏絵詞も元々は絵画部分が残されていた可能性はある。
 選ばれた場面の性格から見て、この本が成立したのはほぼ中世期と見て良いだろう。
 というのは、国宝源氏物語で選ばれた場面と近世期の場面選択の特性の両方の性質が、その選択傾向に認められるからである。
 明らかにこの絵詞は、近世的な場面選択の傾向とは離れたところにある。
 但し、本文は、源氏物語をそのまま引用しているのではなくて梗概化された本文である。梗概化された本文を利用していても、源氏物語の場面の深層の理解がある程度、残存していたので、平安末期の源氏物語の場面の見方の価値観が未だ残されている一方で、近世的な方向性に少し動き始めたという事が示されているのかもしれない。
 ここに挙げている場面は、近世の源氏絵でかなり早い時期に描かれたとみられる。伝住吉如慶筆の源氏物語扇面画帳から、聖が柏木の病を加持祈祷する場面である。
 近世的な源氏絵解釈の幕開けである。

定家卿自筆「奥入り」が届いた!2008/07/05 23:07

 今日、帰宅してみたら、オークションで落札した定家自筆本「奥入り」(模本)が届いていた。
 桐の箱に収められており、仰々しい感じ。
 実際の和本の装幀や傷んでいる様子等も再現されている。
 何よりも驚いたというか関心したのは、朱書の部分や頁で切断されていたり、貼り付けられている箇所等まで再現されている点である。
 源氏物語大成や渋谷栄一先生がつくられたオンラインの奥入りデータベース等を参照しながら読んでいこうと思う。
 結局、古典の元の姿はこういった写本なので、これを見て、読んで、理解出来なければ、源氏物語を研究したということにならないので、本来ならば、本当の写本を見て勉強すべきだが、私の様な恵まれない者の為に、この様な模本が作成されたのだと思う。
 結構、安い値段で色々オークションや即売等で出ているので、これ以外にも大和物語や源氏物語の諸写本等も収集している。
 写真は若菜下の部分で、

  けふのみと春をおもはぬ時たにも
  たつ事やすき花のかけかは
  
  ちはやふる神のいかきにはふくすも
  秋にはあへすもみちしにけり

  もみちせぬ時はの山は吹風の
  をとにや秋をきゝわたる覧
  
    篁ひらの山さへ(朱書)
  秋の夜のちよをひと夜になせりとも
  ことはのこりて鳥やなきなむ
  花のかを風のたよりにたくへてそ
  うくひすさそふしるへにはやる
  (元々左側がキレテいる部分)
  ふしまちの月十九日の月な
  毛詩云
  女ハ感陽気春思男 男感陰気
  秋思

  よる方もありといふなるありそうみの
  たつしらなみのおなし所に

  わかこゝろなくさめかねつさらしなや
  をはすて山にてる月を見て

こひしなはたかなはたゝし世中の
  つねなき物といひはなすとも
まてといふにちらてしとまる物ならは
  なにをさくらに思まさまし

 毛詩が引いてある部分は、現在、数年かかかっても未だ完成をみない、執筆中の「源氏物語~光源氏の言葉」シリーズの、「六条院の女楽」でも取りあげているが、源氏物語の構想の根幹の部分である。定家卿も、こういった点について気がついていたに違いない。
 それにしても脱線ばかりしていて、卒論「源氏物語の絵画化の方法」の清書論文の提出はどうなることやら。

ヒヤヒヤ感よりもサラサラ感が良い2008/07/06 10:11

 クールマックスのマットと掛け布団を使用して1週間になるが、そんなにクールという感じではない。(ネーミングと実際の使用感が一致しないという欠点がある。)
http://fry.asablo.jp/blog/2008/06/28/3600407

 むしろ、体温の保温性が高いのではないかと思ってしまう。

 でも、何故か、蒸し暑い夜なのに、これまでの寝具に比べて寝付きやすい様に思える。

 吸水性が高いので、身体の汗はおろか、湿気までも吸収されてしまう感じで、独特のサラサラ感と保温感があり、それが、安眠につながるのかも。

 冬でも使えるのではないかと思う。

 最初は、四隅にゴムバンドがついていて、これをマットにとめて使用するということに気づかず、寝ていてまくれ上がって困ったが、しっかり、固定すれば寝心地はなかなか良い。


 クールマックスを使用したTシャツがユニクロで販売されている情報もあるので、調べて購入してみようと思う。夏場に滝のような汗をかいたら、水分の蒸発特性が特に高いという繊維の性質から、ヒヤヒヤ感が体験出来るかも。

今、法隆寺金堂壁画に中国の学者達の熱い視線が2008/07/06 10:31

 先日の四条センターで安藤先生による法隆寺金堂壁画の講演があったが、その中で、鉄線描について、どの様な文化的背景があるのかという点について簡単な説明があった。

 その中で、于闐(ホータンの旧名)の画家で、『歴代名画記』巻8に登場する「尉遅乙僧(いっそう)」という絵描きの名前が出てきた。

 ホータンの画家達は、西域美術を唐の長安に伝えるという役割も担っていたが、その活動のバックグラウンドは、ダンダン・ウィリク等の地元での活動が際だっている。

 鉄線描は、「屈鉄盤糸」とも呼ばれるが、これは、中国の伝統的な画法である「遊糸描」や「蘭葉描」とは、全く筆つかいはことなっている。

 ダンダン・ウィリクの仏画の特色としては、肉体の輪郭線は、朱線、衣文線は、黒線で描かれる点に特色があるが、そういった場合に従来画法では、立体感、存在感で希薄な印象を受けるが、「屈鉄盤糸」を使用することで、輪郭の生命力が増し、存在感を際だたせている。

 面白いのは、ダンダン・ウィリクの画家、「尉遅乙僧」等の画風を研究している中国の研究者が法隆寺金銅壁画に今、熱い視線を注いでいる点である。

 北京大学の研究グループによるレポート(下記参照)には、特に注目するものがある。今後、西域の仏教絵画の研究が進展すれば、日中交流の文化的背景が一層、明らかにされるのではと期待される。
http://dsr.nii.ac.jp/narratives/discovery/02/

ライカマウントのデジカメ製作記12008/07/06 21:01

先日のEXEMODE210という200万画素のデジカメを3100円で購入したという記事を書いた。
http://fry.asablo.jp/blog/2008/05/15/3516172
 トイカメラとも言えるが、基盤はご覧の通り1枚で構成されている。(写真左上)
 右端の黒いものが、CCDの上に乗っかったレンズである。
 これを外したのが右上の写真。
 プラケース(110*60*40)を買って来て、この中に、基盤と筐体の下半分を装着、更に、蓋側には、ライカマウントのスクリューマウントを螺旋止めした。(左下の写真)
 穴開けに手間取ったので、今日の作業はこれでおしまい。スクリューマウントは、ジャンク品で修理不能のゾルキーC(エス)から取ったもの。
 仮組して、試しにLICA-ELMAR50㎜を装着したのが右下の図。
 次回の作業は筐体のファインダー側に、モニター用の液晶が見える様に穴開けと、シャッター部の穴明け、アクセサリーシューの取り付け(ゾルキーのものを応用)
 試しに、WAVカメラの設定にして、室内を写してみたが、かなり望遠気味になるものの画像は元のレンズよりも鮮明。
 無事に完成すれば、Lマウントレンズで撮影可能なデジカメの誕生。
 ピント合わせは手動・目測で行う。
 Lマウント撮影可能なデジカメは、EPSONのRD-01しかないが、価格は、24万円もする。
 これは費用はカメラを入れて、6千円程度。残念なのは、以前、所有していたカラースコパー24㎜とファインダーを売却したしまったことで、これがあれば、結構、実用になると思う。
 ピントの微調整に苦労しそうだが、うまく、動作してくれたら、EXEMODEの300万画素のカメラを買って、分解して、同様な加工を施して、ライブビュー可能なカメラを作ってみようと思う。
 最近、入手した情報では、使い捨てタイプのデジカメが誕生するらしい。この基盤等も取り出せれば、この様なカメラへの改造に使えるかもしれない。
 それにしてもパナソニックからL・Mマウント可能なデジカメが6~8万円位で発売されないかなと思う。
 名前は、LUMINAX LICAシリーズと言った名前で、エルマリートシリーズで、広角から望遠まで着脱可能、手振れ補正がついたタイプ。
 マニア向けに結構、売れると思う。

お礼状等2008/07/07 22:58

○佛教大学の通信大学院に在籍していた関係で、なんやかやと、いまだに手紙や物品のやり取りが多い。
○そうした、元学友の方々は、みんな一流の仕事や学歴を持っている人が多いので、どうして、佛大の通信大学院等に来られるのかが不思議に思った。
○キャリアを活かしてもっと一流の社会人の人が入れる大学院がいくらでもあるというのに。
○通信院生時代の自分は、こういったことに無頓着であった。
○近世文学のN先生に、「ここには君と違って、レベルの高い人達が大勢いるんだよ。」と言われても、あまり、ピンとこなかった。
○それで良かったのかも知れない。もし、今の自分が通信院生だったら、劣等感に苛まれ続けるだろう。
○今の通信学部本科生は、この点、気楽で良い。こちらが程度が低いことが前提となっているので、容赦なく先生方の瑕疵を非難・中傷することも出来るからだ。(実際には、そんな勇気はなく、心の中で、・・・と思っているだけ。)
○さて、こうした一流の人達は、やはり、成果を挙げられていて、色々な知的・創作活動の成果の賜を私宛に送って下さる。
○大変な努力で立派な本に仕上げて送料をかけて送って下さるので、これから御礼状をかかねばならない。
○本当は、対価に値するものを返礼として差し上げなければならないのだが、こちらが希望したものでもないので御礼状で我慢していただくしかない。
○ところが私は、左利きを右利きに無理矢理矯正した為に、特に、文字が下手で、教師になるのを諦めた人間なんで、手紙・挨拶文という特殊なジャンルの文章・礼法も全く理解しておらず、それだけで気が重くなる。
○特に、俳句関係については、複数の方から句集を送って下さるが、

 私は俳句には全然趣味がない。

○そういえば、坪内先生に面と向かって、「私は俳句なんか嫌いです!」 っていったことが想い出される。
○大体、あのモジャモジャ頭の坪内先生がどんな方か佛大にいくまでは知らなかった。
○佛教大学は最近凄く、俳句づいている。
○そうして、ますます私にとって遠い世界の大学になろうとしている。
○俳句マニアは文学部だけではなくて、社会学部長もそうで、俳句に御執心である。凄い知識の持ち主で、八代集には、紫陽花について読んだ歌はないと佛大通信に書いてあったので、愚かな私は、自作のデータベースで確かめてみたが、それが事実であることに驚いた。
○でも、俳句のどこが良いのか私には全然判らない。
○生まれつきA・・・・症候群を疑われたりする様な性格なので、句会等でお互いの句を面と向かって批判・攻撃しあう、ああいった「座の文化」が一番苦痛である。
○最近の佛大は、俳句や教育学部のH先生等が張り切っていて、学友会の人的・財的資源までも導入して、PR活動を行っている。
○何か攻撃的な怖さを感じるし、教育も俳句も50歳近い年齢でパラサイターしている私には関係はない。
○佛大って前から、こんな潤いの無い殺伐とした大学だっただろうか。


 明日は、仕事の関係で、奈良県の三輪山の麓でお葬式があるので、朝から出かけなくてはならない。

 この時期、本当に病気等で亡くなる方は気の毒だと思う。
 きっと、この絶望的な暑さに耐えられなかったのだろう。

 お礼状は、暑い暑い、お葬式から帰ってから書こうと思う。