葉っぱ ― 2008/12/03 09:00
庭には、山桜、しだれ桜、紅葉、杉などの針葉樹等数本植わっているが、残念ながら地球温暖化の影響か樺の木は枯れてしまった。
そうなると、もっとも目立つのは、梅の木である。白梅で、一番、花が咲くのが遅いくせに、ボウボウと凄い勢いで花の後の若葉から青々とした葉が上に突き出すように伸びている。
この樹も晩秋の冷え込みには、お手上げで、落葉が続いて、毎日のようにやせ細っていく。黄色に紅葉した落ち葉を拾い上げてみると、まんまるの葉っぱの表面側には、細かい毛が一面に生えていてザラザラとしている。
なんとなく愛着を覚えて、スキャンしてみた。不思議なのは、角の様に突き出た部分で、果たしてなんの役割をしているのだろうかと思う。
この樹が真っ裸になる時、寒さの冬本番がやってくる。
そうなると、もっとも目立つのは、梅の木である。白梅で、一番、花が咲くのが遅いくせに、ボウボウと凄い勢いで花の後の若葉から青々とした葉が上に突き出すように伸びている。
この樹も晩秋の冷え込みには、お手上げで、落葉が続いて、毎日のようにやせ細っていく。黄色に紅葉した落ち葉を拾い上げてみると、まんまるの葉っぱの表面側には、細かい毛が一面に生えていてザラザラとしている。
なんとなく愛着を覚えて、スキャンしてみた。不思議なのは、角の様に突き出た部分で、果たしてなんの役割をしているのだろうかと思う。
この樹が真っ裸になる時、寒さの冬本番がやってくる。
巨大なツリーに圧巻 ― 2008/12/03 22:56
ユウタ君をよろしくな! ― 2008/12/03 23:08
時々、自分の分身の夢をみる。どうゆう訳か、顔もなく真っ黒だ。黒い固まりというか人影の様に見えるが、浮遊して、蜘蛛の様にさっと動く。
時々、こちらを見てニヤッと笑っている様にもみえる。
私には、そんな、芸当は出来ないが、コイツは、敏捷だ。夢なので、明らかに自分の分身だということが判る。
時々、奇妙な言葉を話しかけてくる。一番凄いのが、「ユウタ君をよろしくな。」で、なんのことやら判らない。数百回位繰りかえしたろうか。
毎夜の様に、「ユウタ君」と名前が出てくる。
起きてみると汗をびっしょりかいているし、天地が逆に(枕の位置)なっているので、呆れる。
2~3回、そんなことが続いた後で、夢を見なくなって数ヶ月が経過した。
ある木枯らしの吹く日に自宅の下の神社の北側に南向きの地蔵の御堂が建てられている。その中を覗くとぞっとした。
「・・・裕太何歳」地蔵の涎掛けと鐘の引き手の布(名前をなんているのだろうか。)にこの文字が書かれている。
「ユウタ君」とは、この事だったのかと思った。
でも、なんで、こんな夢をみたのか、理由は分からないが、時々、そのことについて考えたりしている。
時々、こちらを見てニヤッと笑っている様にもみえる。
私には、そんな、芸当は出来ないが、コイツは、敏捷だ。夢なので、明らかに自分の分身だということが判る。
時々、奇妙な言葉を話しかけてくる。一番凄いのが、「ユウタ君をよろしくな。」で、なんのことやら判らない。数百回位繰りかえしたろうか。
毎夜の様に、「ユウタ君」と名前が出てくる。
起きてみると汗をびっしょりかいているし、天地が逆に(枕の位置)なっているので、呆れる。
2~3回、そんなことが続いた後で、夢を見なくなって数ヶ月が経過した。
ある木枯らしの吹く日に自宅の下の神社の北側に南向きの地蔵の御堂が建てられている。その中を覗くとぞっとした。
「・・・裕太何歳」地蔵の涎掛けと鐘の引き手の布(名前をなんているのだろうか。)にこの文字が書かれている。
「ユウタ君」とは、この事だったのかと思った。
でも、なんで、こんな夢をみたのか、理由は分からないが、時々、そのことについて考えたりしている。
二季の塔と妙音講・地霊信仰とのつながり ― 2008/12/03 23:34
兵藤先生の佛大国文学会の講演で、地神(心)経というのが出てきた。
非常に興味があるので、家に帰ったら早速調べてみた。
地神というのは、盲神(目が見えない神)で、その神意が盲人(座頭)に乗り移るとある。
その憑依を語るのが、「地神経座頭」であり、近世大和では、祭文等と同様に芸能化している。
この流派を伝える盲僧は、明治時代まで生き残っており、盲人の芸能史を考える上で、要な要素となる。
兵藤先生は、二季の塔だとか、妙音講等を挙げられており、平家語りとの関連について考察されている。
特に地神(霊)にちなむ物語の語り手としての盲人の役割は、たしかに盲人の優れた感性によるものが大きいが、中世以降の地神(霊)信仰の中で、特別な位置を与えられ、芸能として残ってきたのだと思う。
非常に興味があるので、家に帰ったら早速調べてみた。
地神というのは、盲神(目が見えない神)で、その神意が盲人(座頭)に乗り移るとある。
その憑依を語るのが、「地神経座頭」であり、近世大和では、祭文等と同様に芸能化している。
この流派を伝える盲僧は、明治時代まで生き残っており、盲人の芸能史を考える上で、要な要素となる。
兵藤先生は、二季の塔だとか、妙音講等を挙げられており、平家語りとの関連について考察されている。
特に地神(霊)にちなむ物語の語り手としての盲人の役割は、たしかに盲人の優れた感性によるものが大きいが、中世以降の地神(霊)信仰の中で、特別な位置を与えられ、芸能として残ってきたのだと思う。
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