女媧(カ)氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。2009/07/02 00:00

 これらの文庫本は、私の書棚の上から4段目にまとめて置かれている。これ以外には、幾つかの漱石の随筆や漱石書簡集、寺田寅彦随筆集(この本も良いが幾つか紛失してしまった。)

その隣には、捻典先生の句集が配架されている。

 「病気と文学」っていうのは、私の趣味でもある。祖母が生前生きていて、私をみて、何時も、「鬱陶しいねぇ~~」というのが口癖だった。古本の収集も趣味であったので、そんな「「肺病患者」が読んだかもしれない本はさっさと捨てなさい。」とか「図書館の本は汚いので気をつけて読みなさい。」等、細々言われたことが記憶に残っている。

 ジュンク堂、梅田店には、「病気」というジャンルがある。私は、特にガン闘病記ものが好きなので、数冊持っている。

 正岡子規の晩年も病気ということで興味があった。坪内先生の大学院の授業は、病床六尺を中心に読んでいくものであった。

 面白い授業で、担当箇所を指定されて、それぞれ自由に発表しなさいというので、「何をやっても良い・許される」というゼミであった。

 私は、当然、子規の画業について、浮絵等の江戸時代の絵画技法等を含めて発表した。

 病床六尺は、ブログの様なものである。仰臥漫録は、こちらの方がなんか、オープンな感じがするが、実は、これは、病床での備忘録である。墨汁一滴も、日記とは言えない。

 日記と往復書簡というのは、江戸時代以来の文芸の伝統でもある。近世初期には、書簡小説というジャンルがあった。まさに手紙のやり取りを通じてストーリーが展開していくという斬新なアイデアであったが、江戸中期以降は廃れてしまった。

 子規という人は、病床の中で、様々な景物に興味を持って、アイデアを膨らませていて、それを毎日、病床六尺というブログに書きつづっていった。

 いつも通っていた立ち飲みには、手帳を破って漢詩を書いて、それを肴に酒を飲んだりする風流な若者がいるが、その方が子規の和歌を話題にされて面白がっておられた。私は、仰臥漫録から引き合いを出して応じたが、この方の知的レベルにはついて行けず、「野球」の話でごまかしてしまった。

『病床六尺』で子規が最後に苦しんだのは、足の腫れ上がる傷みである。

○足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大盤石の如し。僅かに指頭をもってこの脚頭に触るれば、大地震動、草木号叫、女媧(カ)氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。

『史記』三皇本紀にある女媧補天の話である。天を支える柱が折れて、地をつなぐ綱が切れて天地が傾いてしまった時、なんと、女媧は、五色の石を練って天を補修して、亀の足を切って地の四方をつなぐ柱をたて、葦の灰を集めて大洪水を抑えて、中国全土を救った説話を引いている。

ここでは、そんな女媧でさえも、こんなに大地が鳴動する程の傷みの足を切ることは出来ないだろうというのである。

こんな表現は、大げさかと思うが、痛風でも本当に痛い時は、こんな感じがある。

病床にいると傷み以外に何も感じられなくなる時がある。そうなると傷みが巨大な怪物と化して、苦しめるのである。

痛風の痛みがあんまり痛い時には、足を万力で挟んで骨を砕かれる拷問を受けている様な苦痛であり、この足を切ってしまえたらと思った位である。

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