いよいよG2ですか。2010/03/09 19:27

先日、関西スタンプショウに、関西のパソコン郵趣のお仲間で、郵趣誌にも連載記事を掲載されているTさんに久しぶりに再開。

なんと、あのコンフォートレットのG1が首に。

よく見ると、もう、塗装が剥げる位に使い込まれている。レンズのフォーカス部分には、滑り止めのバンドが巻かれたり、使い込まれている。

僕のG1とエライ違い。

「FZ1、FZ5、FZ18とずっと使ってきて、G1が出た時、これだと思った。毎日、持ち歩いて、全国津々浦々、切手のデザインに取りあげられた土地を回ってあるいている。」

(お仕事大丈夫なんですか。)

「(この人は医師である。)勤務医を辞めてフリーター状態。こうすると週3日は、趣味に没入出来る。」

(奥さん迷惑そうというか大変そう。)

 (なんでGH1を買わなかったんですか。)

「後で、GH1が出て、がっかりしたよ。それにしてもG1を使い出してから、もう他のデジイチは、全然、意味をなさなくなった。G1が出てから生活が変わってしまったんだ。」

 それほど、G1って凄いカメラだったんだと思う。僕は、AFが甘いので、あまり使っていない。ところが、このAFの甘さが解消された新機種が登場!!!!!!!

 これが、LUMIX DMC-G2である。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100309_353603.html

 なんとデジイチで世界最初の液晶にタッチパネル採用。ウインドウズ7で、タッチパネルが常用化する中で、当然のなりゆきか。

 凄いのは、液晶ファインダーで、焦点を合わしたいところをタッチすると自動的に、その部分にピントがある仕組み。

 カメラ撮影の醍醐味は。

 ①撮影空間の把握と構図の想定。
 ②フレーミングと使用レンズの決定。
 ③フォーカシングである。
 フォーカシングによって、フレーミングが生きてくるので、精密なフォーカシングが出来ないカメラは、カメラではないと思う。

 だから、一眼レフなのだが、従来のデジイチは、この肝心なところが苦手であったが、G2は、この問題をなんなくクリア。

 当然、フルハイビジョンの動画撮影もOKという。

 Tさんは、動画撮影用にSONYのハンディカムを買ったが、これからどうするのだろうか。旅行に2つもカメラを持っていくのは大変なので、結局、G2を買うのでは。

 僕は、お金がないので、G1で我慢。というか、銀塩に先祖かえりして楽しんでいる。

教会2010/03/09 21:34

 昨日は、兵庫県庁に出かけた。

 近くには、聖光教会や、兵庫県公館がある。

 聖光教会の尖塔は、震災で壊れたが、見事復興されている。
 付近には、神戸山手女子大等の大学や兵庫県の庁舎等がある地域。
 聖光教会の鐘楼の部分が特に僕は大好きだ。
 天気が良い時に下から眺めると、何やら神様がいそうな雰囲気があるから。

 公館の写真も撮影したが、どうゆう訳か、ネガが汚れて黒い斑点がついてしまったので、使えず、辛うじて、このブロンズ像のみ。


 やはり、現像は、相当、デリケートなものなので、乾燥中に水滴等が付かないように気をつけないと。

 高校の時は、もっと高度な現像や焼き付けをやっていたのに、ここまで駄目になるなんて。

 カメラは、ライカⅢa。ELMAR50㎜。
 50㎜では、風景の写真は少し厳しい。


猛禽類が恐くて、小鳥たちは、なかなか、この土地では表舞台には立てないのだ2010/03/09 22:55

 「アシジの聖フランチェスコ」というリスト作曲のピアノ曲がある。
 聖フランチェスコは、小鳥に説教をするのだが、そんなことよりも、小鳥と自由に対話出来るという可愛らしい奇跡。 

 叔母が好きだった曲である。棺を開けて、最後のお別れの時に流れていた。
 お花に一杯包まれながら、最後にこの曲を聴いていた叔母の姿をみながら、私は、色々と追想していた。

 叔母は、部屋を暗くして、空想詩を読んだ後、その印象を膨らませながら、ピアノを弾くのが好きだった。
 言われる様に肩の力を抜いてみると、本当に空想の世界に旅立てる様な気もした。

 リストのこの曲もそう。小鳥たちの姿が見えてくる。小鳥のさえずりのような細かな律動の後で、コラールが出てくるところでゾクゾクッとくる。コラールの部分がフランチェスコの説教する声なんだろう。

 再び律動が始まる。今度は、前とは少し違っている。そう、教化される小鳥たちの反応を表現しているのだろう。


 私は小鳥達にあって見たくなった。 


 昨日、小鳥用のエサを買って来て、庭に播いてみたが、なかなかやってこない。裏庭には、何時も、お米を炊く前にお釜を洗うが、その時に出たお米の屑を縁石の上においておくと全てなくなっている。特に今日の様に寒い寒い、雪とみぞれ、時には霰が混じる日には、直ぐになくなってしまう。先日、相当大量に置いたが、全てあっというまに食べられてしまう。しかし、残念なことに、僕がいない間に食べてしまうので、恐らく、雀達であろう、小鳥君の姿をみることは出来ない。

 おうぶの家があるこの谷には、猛禽類が住んでいる。こいつが生態系の頂点で、小鳥や小動物を襲って、生きている。雀や小鳥にとっては、厳しい土地である筈なのに、雀や小鳥たちは、貪欲で生き生きとしている。

 猛禽類が恐くて、小鳥たちは、なかなか、この土地では表舞台には立てないのだ。それでも小鳥たちは、負けずに生きている。
 
 自分には、こんな真似は出来ない。何か、もう、現実に負けてしまいそうな気がする。
 一戸建ての一人住まい.....

 これだけの空間があれば、もう、外出する必要もなくなって来た。このまま、何もしないで、そっと、この世からいなくなれればと最高の幸せだ。