国司の親子の死に始まる千年樹の芽生えに始まる歴史ドラマ2010/03/27 16:54

 給料を三宮で銀行で引き出した帰りに久しぶりに購入した文庫本。

 本を買うなんて本当に久しぶり。月額で8万円も支出が生活費に消えていく様になる貧乏暮らしなので、本を読む気力も消失しつつある。

 そんな中で、BOOKS1STで立ち読みして思わず買ってしまった本。

 東くだりの国司が、地方豪族の反乱に合い。居宅を襲撃されて、国司は、左右の脚の腱を切られて、芋虫の様に這いながら、山野を妻子と共に彷徨い、ある小高い丘の上にたどり着く。

 親子は、海を目指して落ち延びていたが、ついに飢えと寒さでたどり着けず、まず、妻が死ぬ。赤子は、死んだ母親から離れようとしない。国司は、山野を食物を探すが、木の根、木の実しか見つけられない。

 やがて、国司も土を掘り返すので、爪も剥がれて血まみれになって息絶える。残された幼子は、飢えの中で、楠の実を口に入れるが、こんなもので助かる筈もなく、やがて冷たくなっていく。

 やがて、千年がたって、幼児の口からこぼれた楠の実が樹齢千年を超える大木となり、神社がつくられ、大木は、「ことりの木」と呼ばれる様になる。

 その木というか、その木にこめられていた親子の怨念が傍観、あるいは、かかわりを持った数百年間の人間の営みが描かれる。

 つまり、最初の国司親子の惨い死、その後の戦国の世、江戸時代の愚君に仕える武士の無駄な死、飢饉に苦しむ貧しい百姓の間引き、あるいは、明治になって女郎屋に売られた女の秘話、B29の爆撃に焼け死んだ少年がこの木の根元にうずめた瓶の物語、虐めにあった中学生の自殺、ヤクザがリンチ殺人の現場等、延々と場面が、この木の根っこの近くで続き、最後は、この木が、たたりの木として伐採される。

 天然記念物になりそこなった楠の大木がいよいよ伐採されるラストシーン。気味悪いアオスジアゲハの幼虫(芋虫)があたり一面に散乱し、ひき潰されながら臭気を発生する。

 それは、楠の枝の匂いと混じりながら、独特の凄みを発生させる。


まず枝が切り払われていく。こうした作業が行われるのを廃屋となった神社の影からひっそりと見つめる3人の人影、それは、あの国司の親子だった。

 むごたらしい国司の親子の死に始まる千年樹の芽生えに始まる歴史ドラマという壮大な着想だが、実際には、この作品は、千年樹を背景にした小場面を描いた短編の寄せ集めに過ぎない。

 それが、この作品の面白さであり、限界である。着想は、非常に良いが、緻密な構成力にかける。平安古典の世界から戦国物、江戸時代小説、近代小説、現代小説、スリラーの文体を書き分ける作家荻原浩の技法は優れているが、今ひとつ、構成に無理があったのか、全作品を読み終わって、残るものが案外すくなかった。

 もう少しで名作にもなる筈の惜しい作品である。この着想で、もうひとつ別の作品を時間をかけて練り上げてほしいものだと思った。

 もう少し、出てくる短編の数や登場人物を整理して緻密に作品を構成していった方が良い作品になったろうと思った。