昨晩の夢の中で、こんな研究構想を思いついた2010/12/05 10:18

 昨晩の夢の中で、こんな研究構想を思いついたので、早速、メモしたものをこのブログで紹介してみる。
 支離滅裂であるが、僕が考えているのは、こんな風。

 私の年齢は、既に50歳を過ぎて、老齢期に入っている。源氏物語等の平安朝では、皇族や貴族でも50歳と言えば、天寿をまっとうしたと言える年齢である。源氏物語の若菜下や幻巻等を読んでいても、その様な記述に行き当たる。

 そうした中で、後、数ヶ月で、私の身辺の経済的な命運も尽きかけている状況なので、これまで研究して来たことをまとめてみようかと思っている。

 ①修士論文「光源氏の言葉」の改訂

  修士論文「光源氏の言葉」は、その研究手法として、統計的な分析手法を用いようとしたが、これは、本来、これは、別の研究ジャンルに属するので、「統計的解析で把握出来る源氏物語の構造」という論文に分けようとと思う。そうして、場面中における発話表現を光源氏と他の登場人物とで、幾つかの要素を設定して、それらを分析、比較する作業を中心に、場面における「光源氏の言葉」と発話表現について考察した論文に書き改めようと思う。

 ②新論文「源氏物語の構造研究の新展開 
             ユニットとしての場面展開の特性について」

 ①を踏まえて、新論文を考えたのが、このテーマである。この論文の基礎研究として、以前、学位論文として制作した「源氏物語の絵画化の手法」の内容を更に発展させて、この論文のもう1本の柱とする計画である。

 これまで、拙論「光源氏の言葉」において、源氏物語の発話表現と場面の構造を分析し、この物語のストーリーは、幾つかの場面の組合せによって、展開していくことについての検証を試みた。

 その場面を成立させている要素として、視覚的表現があり、それに関連して、発話表現等の付随的な要素が配置されている。

 一方、場面表現の視覚性に注目されば、物語絵巻という絵画化メディアにおいて、映像と音読(音声・発話表現)の密接な関わりについても注目されるに至った。

 絵巻物は、画像(映像化)されたストーリーユニットの組合せで、享受者に物語の進行を理解させる機能を持っている。ある意味、源氏物語の構想の時点で、そういった視覚化されたストーリーユニットの組合せで構想された可能性もあり得るということ。つまり、その絵巻物の画面・場面の組合せによっては、違った物語の展開を原作者は、楽しんでおり、その中で、最も効果的な組合せを選択しているのではないかとも考えられるのである。

 つまり、作者、紫式部は平安朝における偉大なゲーム作家でありえたのかも知れないということ。

 こうした研究は、現在のゲームメディアや、今後、考えられるこれまで誰もが考えもつかなかった新ジャンルの創造につながると考えている。

 それは、ようやくIPAD等のメディアツールが登場したことで可能になる。
  
 現代のメディア技術の発展による最大の恩恵は、その「可変性」にある。

 つまり、これまでのメディア享受の形態は、その映像や音声、テキストデータ処理技術の発達によって、自由にストーリーユニットの組合せを楽しむことが出来る様になる訳。

 現代のフィクションの作家は、新時代が到来した中で、新らたな作業を課せられる様になるだろう。

 作家は、予め登場人物や場面設定等のデザインを行い、プラットフォーム的なストーリー環境を読者・享受者に提供(既存型のメディア)し、その後、ストーリーユニットの組合せの選択は、享受者に委ねられて、作品自体で自在な変幻と遂げていく。こんな風にペーパーメディアでは、あり得ない様な、作品を作り上げることが可能となっている。

 20世紀の終わり頃から発生、発展を続け、現在、その先鞭・皓歯となっているのが、いくつかロールプレイゲームである。つまり、これは、享受者(ゲーマー)の意志で、場面の組合せを選択肢、更に画面の展開と共にヒロインの性質や能力も連動して変化していくシステムを楽しめる様になっている。

 現在、小説と言えば、ペーパーメディアが中心であり、読者は、固定化されたストーリーを享受する他はないが、IPAD等の電子メディアでは、一応、基本となる場面、映像、文章の組合せが準備されており、定型的な楽しみ方も出来るし、あるいは、読者の趣味による選択、あるいは、偶然性(シャッフリング)によって、毎回、違った作品展開を楽しくことが出来る様になるのではないだろうか。

 つまり、1つの作品でありながら、1つとして同じものはない作品を作ることが出来る様になる。

 そうした中で、一番重要になってくるのが、源氏物語の研究で取りあげた様な精緻な場面設計と効果的な表現である。まさに、これは、現代の仮想空間技術と融合してくる。享受者は、別に文章を読む必要はないのである。ゴーグルを被り、アパターとして、映像空間に浸透していく、そうして、様々な体験を行う。その行為が、作品享受として成立する様になるし、仮想空間のオンライン化を図れば、複数の参加者で、この作品を楽しむことが出来る。


 僕が住宅に興味を持っているのは、まさに現代人の生活空間・人生の舞台としての「家」なのである。

 源氏物語絵巻や、物語本文にも精緻な家屋構造の描写が登場する。

 こうしてみると、源氏物語って凄いと思う。遙か10世紀の時空・年月を遡って、現代のニューメディアの世界を予見していたかのようだ。

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