家に帰って、母親をみていると、私は、途方に暮れることがある2010/12/25 23:11

 母親に年賀状のことを話したら、叔母がなくなった場合は、欠礼がふさわしいのではないかと言われて、調べたら、結局、2親等までの不幸の場合で、叔母の場合は3親等になるので、年賀状を出しても良いようだ。

 絵描きの叔母がなくなって、とうとう叔母と母親は姉妹なのに20年近く口を聞くことなく、葬式にさえも出なかった。

 それでも、心の中では、悲しんでいるようだ。だから、年賀状の話が出たのだと思う。

 当然、母親は、年賀状、欠礼ということになるが、大体、母親が年賀状を出しているのをみたことがない。だから、喪中葉書等も出さなかった。

 海外に1人だけ友人がいるようだが、クリスマスカードが届いていた。今は、その方も作曲家のご主人を亡くされて、あまり連絡してこられなくなった。

 母親が元気な時には、古典の会というのがあって、木曜日毎に参加していたが、それもいかなくなって、たまに「心配しています。」という葉書が届いたりする。

 家に帰って、母親をみていると、私は、途方に暮れることがある。私よりも頭は、しっかりしていて、タレントの名前とか、時には、自分の言動に対して鋭い指摘をしてくることもある。しかし、ボヤッとしている時もある。身体は、歩くのがやや不自由だが、目も耳も口も達者。

 スローローリスみたいで、夏等は、蚊や蠅を素手でさっと捕まえるといった敏捷な動作もする。

 何時起きて、何時寝るということはなく勝手気ままに暮らしている。

 最近では、本もあまり読まなくなったようだ。ミジンコみたいに肥えているが、そういうと、凄く怒る。昼間は、夜行動物の様に寝ていることが多い。目眩がする時もあるが、医者には行かない。

 どうしたら良いのか、79歳の父親が自転車で坂を上って買い物に行ったり、洗濯をしたり、料理をしたりするが、僕が家にいなくなっても、日常の世話や会話はするが、親しいという状況でもないようだ。むしろ自分の方が良く話す。

 こうした母親の姿をみるのがつらくて、家を出たが、こうして実家にいると、放っておけないと思ったりする。

 父親が先に亡くなって母親1人になったら、僕が面倒をみなければならないが、この家では、自分には無理だ。おうぶの家に来てくれたら、近くに医者も薬局も日常の買い物が出来る場所があるので、実家よりも便利だが、家がぼろいので、母親が嫌がるだろう。

 老人向けにリフォームする経済力等自分にある筈がない。そうなれば、おうぶの家を売り払って、こちらで世話する以外にないだろう。

 母親が先になくなった場合には、父親はしっかりしているので、自分と気が合わないので、1人で暮らしていくだろうが、案外に寂しがり屋の点があるので、結局、弟の家にいくことになるだろう。

 そうなってもらったらありがたいと思う。
 弟とももう、20年近く口を聞いていない。

 滅茶苦茶だと思うが、それが身の回りの状況だ。

 こうした身内の状況を考えると、僕が先に死ぬことが出来ればなぁと思う。独身なので、誰にも迷惑をかけずに死ぬことが出来る。

 出来れば、死にたいものだ。
 今は、それをお酒で誤魔化しているが、それも、無理になってきた。

コメント

トラックバック