もし活せずんば、人に怪笑せられん2011/02/26 22:36

「啐啄同時」ということば、佛大WEBの今月のことばに載っている。
http://subwww.bukkyo-u.ac.jp/view/dsc_tpc.php?id=4126&place=word&from=2011&PHPSESSID=4297cba67257d710ea85a0a06ed4cf05

無学なので、知らなかったが、宋代に成立した『碧巌録』 という仏典にあることばだそうだ。

WIKIってみると、『碧巌録』とは、『仏果圜悟禅師碧巌録』とも呼ばれ、宋時代に圜悟克勤によって著された公案集で、全10巻。

「啐啄同時」
僧、鏡清に問う、学人啐す、請う師、啄せよ
清云く、還って活くることを得るや
僧云く、もし活せずんば、人に怪笑せられん
清云く、また是れ草裏の漢

穿った見方をすれば、つまり、阿呆な学生が、「就職もやっと内定もらいました。お願いですから、卒業させてください。(単位点数の)下駄を履かせて欲しい。」と教授にお願いしているようなことだと思う。

実際には、もっと高尚で、修行をしている弟子に悟りの機会を与えること。

師匠は、外からも内からも無心でつついているので、生まれることが出来るので、意図的に助けたり、助けらたりするものではないことを示唆している。

教育学の先生が如何にも使いそうな「ことば」だが、以前、ビデオでみたが、鶏のヒヨコが内側から殻を突いて、今、生まれて来ようとしてくるヒナ鳥を助けようと、親鶏も懸命に、殻の外から突いて無事、孵化させようとしている。

全て、本能だが、そこには、無意識の親子の愛が感じられる。

今の養鶏業界では、自動孵卵器でヒヨコは生まれてくるので、こんな親の愛も受けられないし、今日も、明日も、多くの鶏達が、鳥インフルの殺処分で、何十万羽、何百万羽と処理されていく。

以前、池の白鳥が、風切り羽を切られて飛べなくされている為に、鳥インフルに感染したと報道されていたが、鳥は、本能で、そういった病気の危険を察知して、飛び立つことで感染を防いでいる。

もともと、元気がない鳥は、逃げ遅れるので、病死する。

ところが、人間の勝手で飼われている鳥は、元気でも弱くても、親がどんなに愛情を注いでいても、鳥インフルに感染して処分されている。

親子の愛を引き裂いて、更に、卵も奪い、鳥を狭いところに閉じこめる罪深い人間の仕打ちを考えると、僕もこういった業界に関わっているので、罪深いことだと日々考えている。

コメント

トラックバック