美しい街2011/02/27 10:22

 ニュージーランドのクライストチャーチの地震の有様は、悲惨の極みである。亡くなられた方には、ご冥福をケガをされた方には、一日も早いご回復をお祈りしている。

 ところで、NHKの番組で、GOOOLEのストリートビューで、大聖堂やキングスエデュケーションのキャンパスの写真を検索したのが、報道されていたので、僕も捜してみた。

 この建物は、大聖堂から左側に迂回する通りを直進したちょうど右手辺りに見えている。

 それにしても、震災前のこの街の美しさには、息を飲むばかり。この街で語学留学されていた学生さんは、20歳代の終わりから、30代前半の方が多かったようだが、震災が無かったら、美しい街で、実に魅力ある勉学生活、あるいは、こんな街で出逢いとか恋愛とか経験されたならば、一生の想い出になったろうに。

 そうして、20~30年を経過して、老夫婦になってこの街を訪問されても、昔の町並みがそのままという様なすてきな街であった。

 1日も早い救出と街の復興を願いたい。

 僕が、犠牲になられた方の年代の頃は、海外留学はおろか生きていくのが精一杯であった。内定取り消し、その後、留年して、就職した出版社を3ヶ月で、試用期間終了後の実質解雇となり、その後は、工場労働者、写植工等、職を転々としていた。

 写植工の給料は、見習い期間(1年)は、10万円前後、朝8時前に出勤して、夜中まで働く。日曜日には、休みたいので、土曜日も深夜まで仕事するが、それでも結局は、日曜日も終日仕事で、深夜労働の連続で、一ヶ月間に2日位しか仕事は休めなかった。特に今頃は、殺人的に忙しかった。同僚も仕事が過密労働への恐怖心とノイローゼで会社に来なくなった人もいた。そうなると、更に自分へのしわ寄せが増えることになる。労働基準法違反だが、当時のこの国や業界では、こういった違法就労は零細企業では、当然であった。

 そんな訳で、結婚の機会も逸すし、ようやく今の会社に拾ってもらってから、、5万円位給料が上がった程度で、その後は、殆ど昇給もなくて、20年間、このままで勤めている。結局、日本の経済大国を支えていたのは、こういった若年労働者(零細下請け)からの労働搾取であったんだ。

 今は、派遣派遣と言いながらも僕のようなケースでは、基準局に摘発されるので、こんな低賃金労働はあり得ない。でも、経済発展を続けている中国では、当たり前の様に行われている。当たり前の人件費を支払わずに済んで、福祉も年金もなければ、国が発展して当然。

 また、若年労働者の賃金が上がっても出生率はむしろ減少しているところをみると、人口が増える国は、貧困層が多くても、子供を作るというか、それだけが生き甲斐になっているから、ピラミッド構造が形成される。


 こんなことをいろいろ考え合わせると、海外留学とか、大学院進学とか、佛大のスクーリングに行っても、若い人たちが、夏スクで青春を謳歌しているのをみると、今でも羨ましくなってしまう。

 しかし、地震で、こんな風になってしまっては、まったく無駄なので、やはり、どんなに貧しくても、生きているのだ大事なんだと思った。

コメント

トラックバック