源氏物語絵巻等も、この様な形に復元してもらいたい2010/08/07 10:00

 今日は、実家でパソコンを開いて、ネットサーフィン。

 偶然にも春日権現霊験記絵巻のデータベースを発見。
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y04/

 楽しいのは、巻毎に実際に絵巻物をみる様に、横にスライドさせて楽しむことが出来る点。

 源氏物語絵巻等も、この様な形に復元してもらいたい。

 この絵巻物が制作された14世紀というのは、国宝源氏物語の時代(12世紀頃)とは、構図も異なってきている。

 吹き抜け屋台の角度も浅くなり、画面構成上の平行構図法の割合大きくなる。逆遠近法も使用されなくなる。

 描画技法は、精緻で優れているが、やや優美さをかく、詞書の書風もやはり、中世風で読みやすいが、物語にもとめられる「おおどかさ」がみられない。但し、翻刻によらず読める位、読みやすい字体である。

 こうしてみると、春日権現霊験記絵巻は、既に次の時代、室町以降のやがては、奈良絵本につながっていく画風を指向しているとみることが出来そうだ。

 そうして、この絵巻物は、源氏物語絵巻の流れを組む、藤原一門の最後かつ最大の文化プロジェクトとして企画された作品であるが、現在に残されているものをみても、その意気込みが彷彿とされる。

河童の嘆き2010/07/31 20:41


 先日の河童忌では、この芥川龍之介の晩年の作品を読んだが、難解であった。

 この短編の原型という原話形は、日本の古典の数々の説話にみられる異境訪問譚であろう。

 つまり、古くは、古事記にみられる黄泉の国説話、あるいは、時代は下って、浦島太郎、あるいは、物語では、宇津保物語の俊陰等にみられる。

 説話の場合は異境訪問に、作家(説話にはもともと考えにくいことだが)の意図は、みられず、伝説、あるいは、民族の創意と呼ばれるものだろう。

 しかし、芥川が昭和時代を迎えた近代小説にこの様な手法をとったのは、やはり、それなりの意図があったろう。

 上高地から穂高に登山の途中に主人公は、河童の国に迷い込んでしまう。昏睡して倒れていた彼を河童の医者が丁寧に手当をする。そこは、人間世界の縮図さながらである。

 表現は、暗喩に満ちていて非常に判りづらいが、印象では、鳥獣戯画等の世界にみられる感じ。

 鳥獣戯画では、恐らくこの作品が書かれた古代から中世の転換期の世相が様々な暗喩をもってイコノグラフィアを構成している。

 公家の文化から武士の文化に移ろう中で、様々なおかしな社会現象が生まれた。旧来の秩序は失われ、あべこべの世界(武士が威張り、公家が従属する)が出現している。

 芥川の作品で、描かれた河童の世界は、大正時代というリベラリズムから、昭和という日露戦争時代に逆戻りのアナクロの世相の中で、希望を奪われた人間世界があたかも「水底の鏡」の様に映し出されていく、自由恋愛とフェミニズムは、河童の無邪気さとも捉えられるが、既に、この作品が描かれた時代は、それを自由に表現できない状況に変わりつつある。それを皮肉る為に河童の世界でもやはり言論弾圧が起きて河童の民衆の反感を得る描写も描かれる。

 芥川の描いた河童の世界の文体は非常に理解しづらい。読者は、譬喩・暗喩の連続なので、それぞれの言葉の裏の意味をつなぎ合わせて河童の世界像を組み立てていかねばならないのである。アナグラム的な表現さえもみられる。

 これとは対照的に、主人公が人間世界に戻ったところでは、平易な文章で表現されており、そこに水道の水を伝ってひょっこりと現れる河童の姿には、実像がなく影として描かれている。

 芥川の晩年の作品の文体のわかりにくさは、彼の初期・中期の作品とは対象的である。この文体の変化を彼の精神病(分裂症)の影響だとの見方もあるが、私は、それは間違っていると思う。

 言論弾圧が厳しさを増す中で、社会批評とか、時代の閉塞感と人間の絶望といったテーマをわかりやすく、直接的に表現出来る時代は、とうに去っていたのである。

摩訶毘廬遮那の2010/07/14 23:03

 今日は、私の40代の最後の1日であった。

 それにしては、無為に過ごした1日の様な感じがある。

 「今日という日はあなたにとってどの様な日でしたか。」と佛大の上野先生がおっしゃられて、ズシッと来たことを記憶している。

 当時、在学していた通信大学院ばかりに熱心になっておらずに、本業の仕事にも精を出さないと行けないことを仄めかされてされていたのだと思う。

 今日も、そういった意味から言えば、無為な1日であった。

 「人間五十年」というが、源氏物語の若菜下巻の最後に朱雀院上皇の五十賀が行われる場面がある。

 御賀は、二十五日なりにけり。かかる時のやむごとなき上達部の重くわづらひたまふに、親はらから、あまたの人々、さる高き御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々にとどこほりつることだにあるを、さてやむまじきことなれば、いかでか思しとどまらむ。女宮の御心の中をぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。例の五十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも摩訶毘廬遮那の。 

 まさに、「摩訶毘廬遮那の」の長生きが、平安時代では、五十歳であった。
 四十歳が本来の長寿祝いなので、五十歳ともなれば、もう神仏のみぞ知るというところなのか。

 とにかく、こうして五十歳まで生きながらえたことについて、神仏はもとより、今も生きていてくれている父母、そうして、これまであらゆる面でお世話になったというか生かされてきた三千世界に遍く衆生に感謝申し上げる他はないと思う。この後、人生は、二河白道をいくが如く、ひとえに阿弥陀の他力にすがって生きるしかない。

 今日は、鈴蘭台をおりておうぶの家に帰る途中は、またまた凄い霧で10メートル先も見えないほど、ところが、すずかぜ幼稚園を過ぎてからは、谷からの涼風に霧も吹き払われて、道がハッキリとみえる様になった。

 残りの僅かな人生もそんな風であればよいなあと思っている。

毎回、読むのを楽しみにしているがブレている2010/06/11 09:00

佛大ワールド6月号が公開された。
http://www.bunet.jp/world/index.html

 毎回、読むのを楽しみにしている。以前は、大学から送られてきた佛大通信のトピックスをまとめたものである。

①月々の名言
 俳句の世の権威であられる坪内稔典先生による田山花袋論である。日露戦争の時代背景の中でも、上昇志向を諦めざるを得なかったこんな若者達がいたこと。結核を病みやがては、力尽きて死んでいく。
 現代の若年層のワーキングプアの悲惨な実態にオーバーラップされる描写である。

 貧乏を覆い隠して、建前、綺麗事のみ拘る政府と企業であったのは、戦前の帝国主義日本も偽善民主主義の現代日本も同様である。

 今朝のニュースでやっていた様にアジアの若者達は、まことに正直である。

 アニメや文化面では、日本を評価しながらも、経済、金融、科学技術は、もはや日本に学ぶべきものは、なくなり、目は中国に向いている。

 綺麗事に拘ってきたツケが回ってきたのである。
 「世界の三流国」への再転落である。

②お散歩京都学
 田中みどり先生の久しぶりの登場である。この人は、日本語の発音は独特であると思っていたが、先日、平安時代の発音を復元した録音を聴いたが、イントネーションは、まるで田中先生の様だった。

 田中先生は、伊勢のご出身なので、決して畿内ではない。しかし、日本語学、特に古代語を熱心に研究されて、その成果がコトバの発音にも現れている。

 先生は、日本語を正しく発音されているのである。

 今回は、雅楽についての取材だが、雅楽について、全てキチンと説明、解説するには、あまりにも紙面が限定され過ぎ、笙についての解説が中心であった。煤竹についてや、あるいは、リードという金属片、演奏中、演奏後、火鉢での乾燥等の説明が面白い。

 雅楽器博物館館長の山田氏へのインタビュー記事であった。僕も行ってみたいと思った。

③私のこの一冊
 『民藝40年』柳宗悦著について、教育学部の先生が解説されている。美術教育と民藝、生活の中での美というのがテーマである。

⑤朝の宗教行事から
 公共政策学科の林先生のお話
 マズローの欲求5段階説を例に、人生の価値観の見つけ方についての考えを述べられている。
 「生き甲斐」をみつける為には、自己認識が必要だが、それが一番難しいことであり、大抵の人間は、僕の様に幻滅を感じるのである。

 これに立ち向かえる意欲、生命力を持ち続けることは非常に難しい。

⑥鷹陵の栞

 斉藤先生の本居宣長についての解説・カンソウ文である。

 斉藤先生も畿内の人間ではないので、関西文化、日本の古代、平安文化を肌で理解することは出来ない。
 従って理屈での理解になる。本居宣長も同様に畿内の人間ではなく、現代よりも江戸時代の文化の落差は大きく、上京して学ぶにも大変なことだったと思う。
 前半は、宣長の京都遊学、後半は、源氏物語の「もののあはれ」について。しかし、この「もののあはれ」というコトバは、源氏物語本文中には出てこない。近世以降の価値観、概念であったことに気づくべき。

 この件については、前述の田中みどり先生も佛大国文学会総会後の懇親会で述べられていたことを記憶している。

 つまり、王朝文学を理屈で理解しようとすると、新たな分析的価値観を導入する必要があり、それは、結局、新たな価値観を象徴する「新造語」を創作する必要があり、江戸時代の人達は、それを旨くやってのけた為に、その理解と解釈に普遍性を獲得し、近世以前には、一部の堂上の人達のものであった源氏物語の庶民的理解を可能にしたのである。

 末尾に書かれている宣長が阿弥陀経を読んでいた話は面白いが、当然である。彼の著作を呼べば判る。漢籍、仏典の詳細の分析と理解に基づいて日本古来のコトバと文化の分析を試みているから当然。

 隠れ仏教徒であったのではない。


 隠れて読んでいたのではない。このことは、「うゐ山ぶみ」にも書かれている。

 この他、学部長の手帳やら表紙ストーリーとか、これだけ盛りだくさんの内容を持っている通信教育の機関誌はないと思う。

 でも、これって、今の佛大通信教育の学生さんのニーズからブレテいるのではないだろうか。大部分が教職履修、資格取得の為に大学に来ているので、もっと現実社会、現代社会に関連する情報、内容について記載された方が良いでしょう。

 例えば、佛教大学と提携している学校で、どの様に生徒達が学習しているかとかどの様な問題が生じているのか。医療の現場とか色々あると思う。

 さっきも裏のおうぶ中学校で、教育実習の先生が期間を終えられて帰られるので、その挨拶が行われていた。

 教育実習は、学生さんにとっては、不安である。実際に実習の現場を取材して、少しでも、その不安を取り除ける様な記事等があれば、実用的だと思う。

 佛大ワールドは、僕にとっては、非常に価値があり面白いが、他の学生さんにとっては、どうだろうか。

 読者アンケート調査でもやってみたら良いと思う。

 恐らく、大部分の学生さんは、読んでおらず、履修に関連する実用的な部分にのみ目を通しておられるのだと思う。

 僕の様な興味本位の部外者が喜んでいてもしかたがない。

バクスターが書いたという2番煎じというか続編2010/06/07 23:54

 スティーブン・バクスター著『タイム・シップ』

 これは、H.Gウエルズの『タイムマシン』の続編をバクスターが書いたという。2番煎じというか続編を別の作家が書くというパターン。

 この様な方法を採った場合には、失敗する場合があるが、源氏物語の『手枕』の様に本居宣長が、既に江戸時代には失われていたか、あるいは、元々書かれていなかったか六条御息所と光源氏の馴れ初めを書いたのだが、やはり、これを読むと擬古文はうまくかけており、係り結びとか、そういった平安時代の構文もそれなりに使いこなされているが、和歌がやはり宣長は下手で、しかもなんとなくぎこちなさが残っており、宣長先生には、失礼だが、失敗作である。

 このタイムシップは、なかなか良く書けている。バクスターという名前がビクトリア時代風のお名前だが、実は、この人は、20世紀の人物だ。つまり、もともとのタイムマシンが書かれてから数十年後に続編が書かれたので、手枕程ではないが、やはり、ウエルズとは時代背景も違うし、タイムマシン自体が、ビクトリア王朝時代の価値観によって成立したアンティークマシン風に描かれている点が洒落ている。

 ウエルズは、実は、タイムマシンで、彼が『世界史』の著作活動通じて直観した、アングロサクソン的な発展史観の限界、あるいは、階級社会への宿命と幻滅について描こうとしている。この作品では、「文明の退廃」というのがテーマであった。

 バクスターは、早川ミステリー文庫に取りあげられるべく、興味本位で、ウエルズの作品を引き継いで書いているが、僕がさっき書いた様な文明への幻滅とか退廃とか、そういった内容も理解しており、見事にその続編に描こうとしている。

 タイムマシンは、悪魔のマシンというかパンドラの箱である。人が時空を超えて移動するということは、「人でなくなる」というテーマをうまく描いている。

 また、バクスターは、20世紀のSF文学史の成果を踏まえて、タイムマシンパラドックスとか、かならずクリアされていなければならない問題点についても触れており、それなりの成果を挙げている。

 但し、残念なのは、タイムマシンのメカニズムであり、量子力学とか、そういった生半可の理論物理学の知識と鉱物学、化学、光学、結晶工学等の理論を無理ヤリにこじつけて、時間の航行を可能にする新物質について叙述している点であり、これは、あまりにもインチキ臭く、HGウエルズの方が、タイムマシンのメカニズムを明らかにしない分だけリアリスティックな印象を読者に与えている面もある。

 そういえば、さっきもNHKでタイムパトロールが、18世紀初頭の江戸時代の宿場町に時間航行して、籠カキと女郎さんとのエピソードを妙にリアリスティックに描いていたが、これも時間航行とかパラドックスについて敢えて目をつぶって問題にしない為に、かえってドラマが面白く仕上がっている。

 バクスターの作品は、このタイムマシンの原理・メカニズムが暴露されることによって、時系列的な激動が起こされて、全く違った世界に、この世界が変わってしまう状況を絶望的に描いている。

 それなりに存在価値はあるかも。

物語の自由間接言説と話末表現の関係2010/01/03 15:12

竹取物語の言説

正月休みは、たまたま手元にあった學燈舎の國文學「竹取物語 フィクションの誕生」を読んで過ごした。

源氏物語、竹取物語は、「物語の出来の祖(おや)」との称号を与えられている。

この「物語」という言葉について、近代における古典文学研究の「物語」のジャンル的定義と捉えて、「古体を残している。」とか、「仮名表現による物語文体のプリミティブな表現」と位置づける考え方が多かった。

私の師であられた清水好子先生も「物語の文体と方法」でその様な観点から竹取物語の文体を「古拙」と評されているし、源氏物語を「物語文学史の発展の頂点」と捉え、以前の作品は、源氏物語の頂点にいたる「経過」として見なす考え方は、現代の大学教授先生方の中にも見受けられる。

私も、大和物語が、伊勢物語を踏まえ、それに説話的要素を融合、源氏物語の様な高度な位置を目指す経過的段階であり、特に、その文末表現の切断様式に注目して論文を書いたが、「発展的経過」という観点は、指導教官からのアドヴァイスによって加えたものである。

物語は、「言辞・ディスクール」である。ディスクールを言語の一部として価値認識した場合に、ディスクールには、優劣、発達・未発達という区別(差別?)は存在しない。

これは、言語学者が共通して持っている観点である。

この考え方は、例えば、民俗学においても中心的位置づけとなり、「中央」に対する「地方」という観点からローカリティについては、対等の位置づけを行う様になっている。

物語は、その成立当初から、「特殊なジャンル」という位置づけから、少なくとも院政期にいたるまでは、名筆によって書かれることはなかった。

平安時代には、無数の物語が成立したが、それらは、一般の宮廷女官階級の間で伝えられて、口承、あるいは、反古紙等の裏に覚え書きとして書き留められてきた。

「ものがたり」の「清書」という概念は、あの紫式部日記を除いては存在しえず、余程、好事家でなければ、あり得なかったのである。

「竹取物語」の断簡は、室町初期以前に遡ることは出来ない。テキストの系統も大きく2系統の分類されるが、残存する伝本では、テキストの系統樹を描くことは不可能である。

 しかし、その構成、文体、ディスクールは、「祖」という見方を越えて完成の域に達している。

 近代における古典文学研究における「物語」とは、仮名表現による文学作品という見方が中心で、単なる口承伝承を書きとどめたものでも、あるいは、漢文の訓読に近い内容のものでも成立した時代等から、「物語」の総称でまとめられてきた。

 清水好子先生は、「物語の作風」の中で、「作り物語」という言葉を初めて使われたが、古来の「物語」と、「作り物語」とは、明確に区別すべきである。

 つまり、古来の「物語」は、伝承であり、「作り物語」は、伝承の話形を活かして再構成し、視覚的・場面的表現に置き換えた新しい文学ジャンルなのである。

 源氏物語の絵合巻での「物語の祖」という言葉は、「作り物語の皓歯」という言葉に置き換えたい。

 竹取物語には、竹取の翁伝承、羽衣伝承、月人降臨伝承、富士山伝承、地名伝承、求婚譚等の複数の「物語」の祖形が巧妙に合成されている。

 そうして、「作り物語」たる最大の所以は文体表現である。それは、場面の視覚的表現が導入されている点である。

 學燈舎のこの本には、「竹取物語と文体」(東原伸明)の論文が掲載されている。この論文には、語り手の位置づけと言説との独自の関係が、この物語の文体の中心的要素として機能していると定義し、「言説の非体系的区分と自由間接言説」の関係の独自性を指摘しており、そこには、登場人物→「いまは昔・・けり」という語り手→「とぞ、言ひ伝えたる」筆録者が存在していると述べられている。

 これは、私がこれまで、様々な論文で展開して来た「場面の視覚的表現」というキーワードにつながっていると考えている。東原氏は、若紫巻の垣間見の場面を例に挙げて、竹取物語の視覚的表現との共通点を指摘されている。

 そうして、「自由間接言説」こそが、この「作り物語」たる「竹取物語」の文体の最大の特徴とされている。

 私の考え方では、「自由間接言説」を伴っていることこそが、「作り物語」と定義づける必要条件であると考えている。

 「自由間接言説」とは裏腹に、「とぞ、言ひ伝えたる」筆録者の存在を強調する文末表現は、「自由間接言説」と今、その場に存在する物語(語り・読み物語)の享受者との関係を明示し、「作り物語」の仮想世界から現実空間への橋渡しを行う重要な役割を示している。

いわば、「春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空」なのである。

定家卿のこの和歌では、夢浮橋巻を暗示している。その文末表現は、「・・とぞ(本にはべるめる)」と言う文末表現への解釈が暗示、あるいは、暗喩されているのかも知れない。

結局のところ、竹取物語も源氏物語の「作り物語」たる表現能力を立派に持っていて、その表現技法の未開・進歩、優劣等を論じること自体が無駄なのである。
既に、「竹取物語」の段階で、「作り物語」の文体表現技法は、完成の域に達していたと私は考えている。

写真は、私蔵の写本、定家卿が書いた「奥入り」の「鈴虫巻」の一部。

11.古風・後世風、世々ののけぢめ2009/12/31 10:05

11.古風・後世風、世々ののけぢめ

○さて又、歌には、古風・後世風、世々のけぢめあることなるが、古学のともがらは、古風をまづむねとよむべきことはいふに及ばず。
○又、後世風をも棄てずしてならひよむべし。後世風の中にも、さまざまよきあしきふりふりあるをよくえらびてならふべき也。
○又、伊勢・源氏その外も、物語書どもをもつねに見るべし。総てみづから歌をも詠み、物がたりぶみなどをも常に見て、いにしへ人の風雅のおもむきをしるは、歌まなびのためはいふに及ばず、古の道を明らめしる学問にもいみじくたすけとなるわざなりかし。

 さて、歌には、古い感じのもの、あるいは、後の世を思わせる様な感じのもの、時代によって作風が異なっているが、古典を学ぶ人達は、必ずしも、古風な歌をまず詠めとは言っておらぬのである。

 また、後世風の歌の価値をも認めて倣って詠むことも必要だ。こうした後の世の歌の中にも良いものもあれば、悪いものもあるので、それを良く取捨選択して学べば良い。

 また、伊勢物語、源氏物語等、物語類をも常々良くみておくことだ。総て、自分で歌を詠んでみたり、物語の文章等を常に見て(学んでおくことは)、古代の人の風雅の趣向を知ることは、歌を学ぶだけではなくて、古代研究の学問の為にも大変、役に立つことだ。

○上件ところどころ圏の内にかたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく、論ひさとしたるを、そこはここと、たづねとめてしらしめん料のしるし也。

 以上の文章のところどころに圏の中に片仮名で印をつけた。それは、いわゆる合印であった、個々の子細、あるいは別にこころみた評論等、それらがどれに対応するかがわかる様にする為の印である。


*以上、『うひ山ぶみ』の総論編である。
ほぼ1年を費やして、ようやく総論の注釈が終わった。恐るべき怠慢さである。『うひ山ぶみ』の各論は、この倍の文章量である。
果たして、同じ様にブログに書く続けることが出来るのか、とにかく、1年の締めくくりとして、ここまで、終えて置きたかったので、こうして、大晦日に、こんな慌ただしいことをしている自分が情けなくなってくる。

リポート笠間の面白い記事2009/12/17 20:46

 大学の偉い先生方にボーナスが支給される時期なので、私にも○○先生と題して書店からセールスが送られてくる。
 ○○先生なんて烏滸がましい。著書はたった1冊で、しかも、なんのまともな職業にもついていない。(業界紙記者はまともではないと思う。)

 笠間書院では、おまけに立派な「リポート笠間」という雑誌をくれる。

 貧乏なので、無料というのは有り難い。

 今回の記事で面白かったのは、「日本」と「文学」を解体するという冒頭の座談記事。
 実際の内容は、「解体」なんて、それこそ烏滸がましい。

 保守的で大人しい内容。三流新聞の見出しとかそんなのに似ている。
 12頁の「古今集」真名序と仮名序で日本は初めて独立を果たしたという発言がみられるが、いかにも日本をナメているガイジン学者いいそうなことだ。

 
 日本は別に古今集が出来る前から、立派な文学表現が出来る国であるし、古今集の真名序という独創を産み出して「一人前になった」というのならば、それもウソで、もともとは、毛詩国風の序文(写真は、その原典写本。たしかキョウダイ図書館の蔵書)に書かれている表現であり、それを模倣したのに過ぎない。

 それよりも真名序があり、仮名序を制作する時に、仮名もじによる表現というスピリット(○○○魂)に目覚めたというのが真相ではないだろうか。
 毛詩国風の序文というのは、結局、男女の間柄と詩文の真髄について書かれた文章だと思うが、古今和歌集の序文の作者は、和歌という限られたジャンルに凝縮する意図を持たせている。
 実は、この毛詩国風の序文のコンセプトは、源氏物語若菜下の光源氏の言葉にも引用されている。
 
 
ここでは、毛詩序文の本来の意味、それは、男女の情愛、芸能、詩歌、物語という広い意味的領域を持たせ、それをこの架空の物語の主人公の述懐の言葉にオーバーラップさせている。

 写真は、拙論、「光源氏の言葉」から。
 
 リポート笠間の記事は、その点、昔の研究を想い出させてくれた点で、まあ、楽しい一時を与えてくれたと思う。
 他の頁をみると、「西行学会」というのが組織されたらしい。面白いのは、国文学に関連する学会の企画・運営が、徐々に大学の手から離脱していっているという現実である。

 国立も私立にも、佛教大学を除いて日本語・日本文学科は、淘汰、消滅してしまい単なる学修コースに成り下がっている現実の中で、もはや大学教育の場で学会を運営する力が失われてきている現実がある。
 こうした「ニッチ」に注目し出しているのが、学術書出版業界で、先生方に換わって知的モチベーションの喚起から、メンバーの募集、学会行事の運営、会員の管理、機関誌の編集と出版、送付という総合サービスを引き受けるという市場が形成されつつある。
 学者先生は「飾り物」、主役は実は、出版社なのである。
 まぁ、規制緩和、「民営化」でこの旧弊な大学教育の中での「国文学のお研究」にすきま風が吹き込んでくれたら良いと思っている。



「腐敗する死体」という論文2009/12/13 12:06

 帰宅してみたら、佛教大学国文学会誌の「京都語文」16号が届いていた。

 毎回、美麗な表紙で日本の大学単独の国文学会の機関誌としては、最も贅沢な装幀であると思う。

 印刷は、身に覚えがある図書印刷同朋舎。

 残念ながら学会はお休みしてしまったが、今回は、中世特集ということで、このブログにも紹介した兵藤先生や黒田彰先生の講演記録や論文が多数掲載されている。

 私が今回、最も興味を持ったのは、「腐敗する死体」という論文で、田中貴子さんが書かれたもの。

 「日本往生極楽記」等の往生伝が多数伝えられているが、この論文では、「おくりびと」をまず例にあげて、「九相図」、「腐らない死体」としては、「往生要集」、「拾遺往生伝」、「後拾遺往生伝」等の数々の「往生」と「死体」の関係を紐解いていく。この他、「源氏物語」、「今昔物語集」等も引用されている。

 黒田先生の「武氏祠画象石の基礎的研究三」はこれだけで、単行本の分量がある。なんと合計112頁が図像を含めて占領されている。

 私もこの京都語文に論文を掲載して欲しくて、何度か応募したが、総てボツ、審査の黒田先生が「君、この論文の頁数、滅茶苦茶だよ。」とボツの理由を述べられたが、やはり業績がある人は、これだけの論文を発表することが出来るのだと思った。

 内容的には、ニラン論文による武氏祠画像石擬刻説への反論である。但し、私は、いきなり、ニラン女史への憤りを文章に書くよりも、淡々と事例を挙げて、総ての画像がこの遺跡に存在する必然性を証明しておいてから、補註、あるは、結語で、ニラン論文についての先生の見解を述べた方が、論文の品格が更に上がる思う。

 この他、上野先生の源氏物語の論文等、面白い読み物が満載である。

 国文学会は、会員数が不足して困っているので、佛教大学国文学会の会員になって欲しいものである。


申込み先

〒603-8301
京都市北区紫野北花ノ坊町96
佛教大学 三谷 憲正研究室内
電話:075-491-2141(代表)

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜半の月かな2009/10/03 23:17

 はやうよりわらは友達なりし人に、年頃経て 行きあひたるが、ほのかにて、十月十日の程 に月にきほひて帰りにければ、

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜半の月かな

    空白部分

 その人遠き所へいくなりけり。秋のはつる日 来て暁に虫の声あはれなり

鳴き弱る籬の虫もとめ難き秋の別れや悲しかるらん

 今日は、中秋の名月。

 折しも、中古文学会秋季大会のシンポジウムが関西大学で開催された。
 今回は、紫式部集を中心とした研究発表を中心に討論が行われた。

 中秋の名月の日に紫式部にちなむ研究シンポジウムを行うとは、さすがに中古文学会だと思ったが、どうせならば、石山寺等の特別会場でやれば、風流だったろうに。

 関大のキャンパスからみた満月だが、やはり、あんまり風情はない。

 和歌は、紫式部集の部分で、この私家集の中ではもっとも重要な和歌である。旧暦の十月十日ということなので、もっと季節は秋の終わりの気配を漂わせていたが、今日、十月三日に比較的近い時節。

 幼友達との別れの時がやってきた。お互いにもう逢うことがないかもしれないと思いながら、歌を贈答したが、その片割れの歌のみが歌集に取りあげられた。

 実践女子大本では、なにか削り取られた様な空白部分がある。その空白部分が何を意味するのかは、諸説あるが、真相は分からない。

 贈答歌の片割れを独詠と見立てることは読み手の自由である。そうすると、その歌の余韻・世界は、歌集全体に広がっていく。

 例えば、この歌集の最後の歌、

なき人をしのぶることもいつまでぞけふのあはれはあすの我が身を(実践女子大本)
 
 と組み合わせてみれば、娘時代に始まるこの歌集の冒頭歌は、結局、亡き人を偲ぶ歌につながってくることになる。

 「雲隠れ」という語彙は、源氏物語の光源氏の死を暗示する「雲隠巻」等の巻名にみられる様に、人生の終わりという意味にも通じる。

 「遠き所」とは彼岸、虫の音は、源氏物語鈴虫巻にある様に、仏の世界に導く働きをするという解釈は、国宝源氏物語巻の鈴虫にも通じる。


 中世以降、紫式部といえば、「夜半の月」のイメージが宗教性を帯びて、更には、この月のイメージが石山寺という名所のイメージとの重合し、湖月抄のイメージへと近世、あるいは戦前の源氏物語解釈までにもダブっていって、どうしようもない状況になるのである。

 清水好子先生による岩波新書「紫式部」では、この様な中世・近世的イメージを払拭し、独自の視点・感性・表現力で、20世紀的な感性に、紫式部・紫式部集のイメージを変化させたのである。

 戦後の新たな女性観、ジェンダー的な視点に立つパラダイムの中で、「娘時代に誰しも持つ感性」の中で、この歌を捉え解釈したことは、画期的な成果であったと言っても過言ではないが、その後の研究は総て、今度は、紫式部ならぬ清水好子先生のイメージに支配されてしまって、その呪縛を解き放つのに21世紀になっても難しいのが、紫式部集の研究の現状だと思う。

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 今回のシンポジウムで最初に「紫式部集の方法 冒頭歌の示すもの」という題目で発表された山本淳子先生の解釈は、源氏物語は、紫式部じしんが自作詠歌をほぼ年代順に配列し、更には、地方への赴任、夫宣孝との結婚と死別等の人生折節の出来事を踏まえて「物語風」にアレンジを行ったもので、想定された物語のイメージに適合する様に一部、改作を行って作品として仕上げたという「自撰・物語(ものがたり)歌説」を主張された。

 一方、「紫式部集 自撰説の見直し」という題目で講演された徳原茂実先生の場合は、紫式部集は、生前の紫式部が読んだ詠歌を後代の子孫(先生は、孫であるかも知れないとその後の質疑応答で回答されていたが、その様な史実は、存在していない)が、作者に纏わる言い伝えやエピソードに基づいて配列・編集を行ったという「他撰説」を主張された。概ね歌の配列には矛盾がないが、最近の紫式部の伝記の研究成果を踏まえてみると錯誤が生じている。本人であれば、間違えない様な過ちを犯していることが「他撰説」の根拠である。

 しかし、自撰説、他撰説共に決定的な証拠は、新たな異本でも出ない限り、現存資料での実証は不可能である。更に、陽明文庫本、実践女子大本ともに善本であるが、大きな欠落や錯誤が存在する。写し間違えとは、例えば、伝定家自筆本の断簡等と照合しても少ないが、仮名遣い等、細かい部分は異なっている。

 つまり、紫式部集が伝写され、「鑑賞の対象となるプライベートな私撰集」という矛盾の中で、伝本の過程の中で、作為・恣意を問わず、配置の変更、改作等が行われた可能性もあり、これを「他撰」として位置づけることが出来るのか、現代の我々は、「自撰」とされるオリジナルの紫式部集の姿を確かめ様がないので、この様な「自撰」、「他撰」を論じること自体がナンセンスだと思う。

 但し、山本淳子先生の「ものがたり歌集」というコンセプトは、ユニークであり、紫式部集の「鑑賞のヒント」としては、新たな視点を提供するものとして注目されるだろう。

 この他、工藤重矩先生の「紫式部集解釈の難しさ」と講演では、

 なくなりし人のむすめのおやのてにてかきつけたりけるものを見ていひたりし

夕霧にみしま隠れしをしのこの跡をみるみる迷はるるかな

 というこの歌集の中で、解釈に幾つも説がある難解な歌を取りあげられているが、私も、佛大通信大学院のスクーリングの演習で、この歌の発表が当たってしまって難儀したことを記憶している。

 結局、紫式部集の成立事情、作品解釈の総ての面において、「必ず、こうでなければならない」という読み方は存在しない訳で、研究等関係ない一般の読み手は、自由に想像をめぐらせて読めばいいので、「こんな些細なことに拘って暇人やのぉ~」と呆れることになってしまう。

 これが、昨今の古典研究の問題点だと思う。あまりにも実証的な厳格な研究姿勢では、あまりにも味気なく、知的創造の芽を摘んでしまうし、「推論」というよりも「想像」といった方が良い山本先生の論も、極端であり過ぎる。

 20世紀後半の国文学の世界は、僅かな天才的な研究者の例外を除き、あまりにも、文献学的側面に束縛され、実証的かつ厳格な研究姿勢であり過ぎた為に創造性を失い、閉塞的な状況に追い込まれてしまった。21世紀に入ってようやくユニークな視点での研究が生まれてこようとしているが、「科学的・学問的な研究」を求めている現代の潮流にそぐわないあまりにも恣意的かつ文学的な実証・推論方法しかない。

 新しい視点に見合った新たな研究・実証手法を今後は、開拓していく必要があるのではないかと考えさせられた。

 帰宅してふと夜空を見上げてみると、中秋の名月は「雲隠れ」してしまって、あっという間の明暗の転換に人生の儚さを感じてしまった。

 それにしても久しぶりに良い「歌の世界の月見」をしたものだと思う。