O let me living die,till death do come.2011/01/30 12:31

 実家にあるクリスキットでは、古楽を中心に聴いている。

 YAMAHAのモニタースピーカーでは、音質が声楽や古楽に適している。管弦楽は、古典派の曲までである。

 特に、最近は、ダウランドがお気に入りである。大学の時には、リコーダーコンソートの伴奏をしていたので、どうしても気に入った曲が多い。

 リコーダーもやっていたので、流れよわが涙も、リュート曲や、ギター編曲版、バン・エイクの無伴奏のリコーダ独奏等、様々なバージョンで楽しんだ。
 
 ここでは、アントニー・ルーリーのコンソート・オブ・ミュージックでは、男声、女声、リュート、ビオラダガンバの組み合わせである。

 クリスキットだと特に、歌い手の顔までもが、表現される感じで、20畳位の部屋で聞くと、本当に生演奏を聴いている様な感じだろう。

 この中で、一番、好きなのは、「暗闇で(暗闇に僕は住みたい」という曲。

 in darkness let me dwell,the ground shall Sorrow be;
The roof Despair to bar all cheerful light from me;
The walls if marble black that moisten'd still shall weep;
My music hellish jarring souds to banish friendly sleep;
Thes wedded to my woes and bedded to my tomb,
O let me living die,till death do come.


何時も、1人で眠る時に、この音楽をかけてから部屋を真っ暗にして、眠りに入るのが日課である。

人は死ぬ前に幼い時のことを想い出す2011/01/27 16:22

 今日はモーツアルトの誕生日。
 彼は、1756年の1月27日にザルツブルクで生まれた。

 OTTAVAでもモーツアルト大特集をやっている。

 モーツアルトの作品で一番好きなのは、やはり、クラリネットコンチェルトである。次いで好きなのは、ピアノコンチェルト第27番である。

 どちらも晩年の作品で、その寂しさは、もう何もかも経験し尽くして、枯れていく人間の境遇とか境地を示していると思う。

 人は死ぬ前に幼い時のことを想い出すというが、将に、27番コンチェルトのロンド楽章は、幼い頃に耳にした旋律なんだろう。ペダルを深く踏んで、フワッとした感じの演奏、そう、もう無くなった井上さんという方の演奏が好きだった。

 ところで、彼の最後のシンフォニーであるジュピター交響曲の最終楽章の主題もフーガであるが、これは、一番、最初に書いた交響曲第1番の第2楽章の主題でもある。

 晩年のモーツアルトが子供の頃を想い出していたのか、あるいは、まだ幼児の様な年齢の彼が、晩年のことを想像して書いたのか、判らない。しかも、この風変わりで印象的な主題をホルンで吹かせている。この時代、ブルックナーでもあるまいし、シンフォニー第2楽章の主題を途中であるとしてもホルンで吹かせるなんて、凄い前衛だったと思う。でも、この楽器の奥深さが、やはり、この少年が、自分が死ぬときのことを考えていたのだと想わせられる。

 モーツアルトが死んだのは、1791年の12月5日。つまり、この人は、冬に生まれ、冬に死んでいる。

 僅か35歳の生涯で、その晩年の作品は、同じ年の人間としては、考えれない程、「晩年らしい」と思う。クラリネット協奏曲は、バセットクラリネットの為に書かれている。つまり、このクラリネットのB♭管で、後にA管向けに編曲されたことが、1967年に元々の作品が発掘されたことでハッキリした。

 このコンチェルトに比べて、ウェーバーのクラリネットコンチェルトがつまらなく聞こえることか。

 モーツアルトの作品に匹敵するのは、唯一、ブラームスのクラリネット五重奏曲である。このロ短調の響きは、モーツアルトのイ長調の曲に比べて、ずっと深刻な筈であるが、モーツアルトの五重奏曲の方が、ずっと哀しげである。

 面白いのは、五重奏曲は、A管で書かれているのに、どうして、コンチェルトの方が、ずっと低い音域のB♭で書かれたんだろう。クラリネットの低音で印象的なのは、あのチャイコフスキーの悲愴の展開部が始まる前のクラリネットのソロであるが、これも底知れぬ低音の不気味な響きである。

 モーツアルトの晩年の作品には、チャイコフスキーの「自殺交響曲」の様な悲惨さはないが、やはり、死というものを意識して書いた作品かもしれない。

 いずれにしても凄く音域の広い曲である。第2楽章が僕は好きである。ウラッハの演奏をよくLPで聞いていた。
 そういえば、「アベ・ベルム・コルプス」も好きである。この合唱曲は、レクイエムよりも本当の死の境地を表していると思う。

 ○寒鴉鳴き声遙かロ短調

花のワルツは終わった2011/01/19 23:57

 神戸の山奥に引っ込んでから、大阪・梅田の様子もだいぶ変わってしまった。

 まず、大好きなお蕎麦屋のツルツル庵がSさんが隠居されて、息子さんがツルツル庵とは、別の店を新たに2月に立ち上げるという。

 Sさんは、クラカメもやられ、更に、オーディオマニアなので、趣味が2つも共通なので、大阪にいる時は、毎日の様に、蕎麦を食べに通っていた。

 また、堂島アバンザのツルタ眼鏡店がなくなって、マッサージの店に変わっていた。ここの眼鏡は、高級品なので、4~5万はする。ここで以前、作ってもらったのがあるが、勿体無くてかけられない。

 このお店でわざわざ高い眼鏡を買った理由は、先代から存じているが、ここの若旦那が、ペーパークラフトの大家で、紙でよくこれだけという彫像とか、昆虫の模型等を作っておられた。向かいのコーヒーショップから、それらのオブジェをみているウチに、眼鏡を買う羽目になってしまった。

 眼鏡は、ちゃんとしたものだが、調整があまりにもシビアで、かけていると疲れるので、結局、普及品の眼鏡の方が気楽になってしまう。だから、お客さんが減ったのでは。どうせなら、ペーパークラフトをキット化して、パーツを含めて販売をしたら、儲かったのにと思う。昆虫シリーズ、特に、カミキリムシはまるで生きているみたいだった。

 最後に閉店となったのが、ワルティ堂島である。

 このお店は、もともとワルツ堂といって、堂島の毎日新聞本社ビルの隣で営業されていたが、現在の場所に移られた。

 僕は、レコード時代からワルツ堂通いで、特に大フィルの定演等で、フェスティバルホール等に行く途中に時間つぶしによく、このお店に来て、中古のレコードを買っていた。

 クラシックとジャズの2本立てで、クラシック専門店としては、最初にDaigaという店が滅び、シンフォニア大月が滅び、更にシンフォニアかDaigaの店員さんがやっていたクラシック専門店も直ぐに潰れた中で、最後の生き残りがワルティ堂島であった。

 当然、マニアのたまり場だし、店員さんもマニアだったので、マニア以外の人が入れない雰囲気だった。外国盤の廉価CD等で面白いものがたまに販売されていた。

 常連さんが多い店は、飲み屋、CD店もカメラ屋も危ない。店員が客と同次元で話をしてはいけない。商品知識等は必要だが、あくまでも店員と客の関係で、どんな客にも平等に振る舞わなかったことが閉店につながった。(僕なんか嫌われていた。また、ジャズの店員とクラシックの店員の仲も悪かった。)

 また、クラシックの黄金時代、巨匠が次々に新譜を出していた時代が終わり、雑魚キャラの新人の新譜が出るが、これもこれも変わり映えがしない。そうこうしているウチに、IPOD、ITUNEが全盛となり、更にAMAZONの通販も台頭して、レコードショップで、CDを買うという行為自体が世の中から廃れてしまった。

 それにしても寂しい。

 ○花のワルツの光消え希望消え

音楽食品2010/12/22 21:46

新開地の福寿でかるーーーく飲んだ後、地下街をうろついていると、なんと、「音楽食品」という看板が。
http://www.lococom.jp/article/A28/01/07/48389/181990/L/

商品は、ピロシキで、このピロシキもパルナスがあった時は、毎日の様に買って食べていたが、今では懐かしい言葉。

このよつばやさんでは、ピロシキの皮の部分をイースト発酵させる時にチャイコフスキーの音楽を聴かせているという。

実際、この日は、チャイコフスキー作曲バレエ組曲くるみ割り人形の第15曲終幕のワルツとアボテオーズ(Valse finale et apotheose)を聴かせていた。

アボテオーズって素晴らしい曲で、少年の頃、フェスティバルホールで、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルハーモニーの来日最終公演のアンコールライブを聴いてから、この部分にくると涙が出る様になった。

その後、ソビエトメロディアのLPレコード(モノラル)を入手して、今でも聴いている。決して、子供の音楽ではない、人生の辛酸を知り尽くした大人が聴いても感動出来る真の「音楽」だと思う。

こんな名曲を聴いて小さな小さなイースト菌君達が熟成した「音楽食品」のピロシキが、どんなに美味しいかって....

新開地まで行って、味わって下さい。

信じられへん!! あの黒田先生がクリスキットハイパーユーザーなんて2010/12/17 21:41

 クリスキットと言えば、桝谷英哉先生の開発したトランジスターアンプ及びスピーカーのシステムである。

 アナログ時代は、MARK8までのプリアンプには、イコライザーアンプが搭載されており、その透明度が高く、ハイフィディリティの音質には、定評があった。

 CD時代には、MARK8Dに変わって、イコライザーアンプの部分が外された。音質的には、それ程、大きな変化はみられない素直な再生特性を持つ。

 パワーアンプは、P35-Ⅲである。これも大きな特色は持たない。残念ながら、僕が持っているのは、後期モデルなので、トランジスターが、当時、安定供給可能な型番に変更されて、かなり音質自体が変わってしまったと聞いている。

 実際の周波数測定を私が行ったデータがあるが、平坦な再生特性なので、安心して使えるし、飽きも来にくい良質なセットだと思う。

http://fry.asablo.jp/blog/2008/12/25/4027163

 パーツセット(完成を保証するキットではない。あくまでも必要な部品をそろえたという建前での販売されていた。)

 電気用品取締法等の制約があり、この方法での販売手法を採られたのだと思う。

 今、発売元の神戸のクリスコーポレーション自体が営業を停止しており、キットの販売は行われていない。従って、このキットを入手したい人は、ヤフーオークションや中古品で入手する以外に方法はない。

 発売が中止されてからそろそろコンデンサ(電解)等の交換時期に来ているが、交換パーツを手に入れることは、難しいので、代替品に置き換えるしかないようだ。

 私も一時期、入れ込んだ時期があって、ホーンスピーカーやチャンネルデバイダー等もそろえてやったが、音質的には、SE-120の120リットル密閉箱とP-610DBの組み合わせがベストと判断して、このシステムしばらく聞き込んでいた。

 その後は、残念ながら、騒音クレーム等が来て、より出力の低い管球アンプ(オリジナル自作回路)に置き換えて、おうぶの家で聞いている。

 従ってクリスキットは、スピーカーボックスだけという状態。アンプ自体は、プリ2台、チャンネルデバイダー1台、パワー2台を保有しているが、休眠状態になってしまっている。

 クリスコーポレーションが操業を停止して、クリスキットの信者を守り続けている殊勝な人は、減ってしまって、それらのシステムがオークションで販売されている。

 ところがというか、悪夢というか、信じられないことが起こった。

 なんと、佛教大学の通信大学院でお世話になった黒田彰先生が、熱心なクリスキットの信者さんであったのだ。驚き。それも恐らく、国内で最高のクリスキットのシステムを現役で最高の環境で運用されている。

 黒田先生は、中世日本文学のご専攻で、同じ関大の同窓生なので、何度もお目にかかったのに、今回、初めて、そのことを知ったのが、佛教大学四条センターの機関誌。

 写真をみるかぎり、ウーハーのシステムは、クリスキットのオリジナル密閉箱ではなくなっているが、アンプ類は、クリスキットを恐らく左右独立で使用されておられるとみえて、チャンネルデバイダーから、アンプまで、通常の倍の数を使用されている。

 あの今の世にも珍しい篤学、学問一筋にやっていらっしゃると思った黒田先生がオーディオマニア、それも、「日本最強のクリスキット愛好者」なんて、悪夢かしら、およそ平家物語や孝子伝の世界とかけ離れている。

 夢であったら覚めて欲しいが、身近な親族から、「隠れキリシタン」あるいは、実は、「アンヌ君、僕は、ウルトラマンなんだ。」と打ち明けられた科学特捜隊の隊員の衝撃に匹敵する。

 でもシステムの音を是非、聞かせていただきたい。

 もっと衝撃的だったのは、黒田先生は、ワグネリアンだったのだ。

 ワグネリアンと平家物語剣巻との関連性って、実は、大ありなんですよ。

校訂者としてあるまじき、汚点・悪名2010/12/13 22:11

 ダニエル・バレンボイムのブルックナー交響曲全集(ベルリンフィルとの演奏)

 ヤフオクで安かったので落札したが、やはり、安いだけのことはあるという感じ。

 録音はライブなので、90年代前半のものにしたらやや落ちるかな。特に分離があんまり良くないので、音のソノリティが活きてこない。

 ブルックナーには、これが致命的だ。

 ベルリンフィルの全集と言えば、オイゲン・ヨッフム(一部、バイエルン放送響)、あるいは、あの帝王カラヤンの残したもので、これらも当然、僕は、全部聞いている。

 残念ながら、これらと比較するレベルではない。特にガッカリなのは、交響曲第2番で、あの初期交響曲の清々しさがまるで感じられず、ずっと曇り空の野原を歩いて居るような第2楽章にはがっかりだ。

 たしかに、この楽章では、曇りや寒い風が吹いたりするのだが、小鳥のさえずりが聞こえたり、梢を風が吹き抜ける音や、やがて雲が晴れて日差しがさっと射して、神々しく、金色に草原が光ったり、あるいは、旅の終わりを暗示する優しく哀しいヴァイオリンとビオラに重奏が聞こえる筈なのに、ほとんど、そんな音は聞こえず、どんよりしたまま。

 キャラガンという人の新しい版だというが、ハース版ではないためか。

 そういえば、この第2番の第2楽章ってハースが「作曲」したという音楽学者、校訂者としてあるまじき、汚点・悪名を残していて、それらの部分を排除したのがキャラガン版というのを聞いたことがあるが、僕が聞いたのは、その改竄の部分だったのか。

 未だ、第3番ニ短調ワーグナーまでしか聞いていない。1877年版とあるが、実際には、ノバーク第3稿である。

 第3番は、何度もベルリンフィルでライブをやっているので、カラヤンと比較しても良いと思ったが、その粘った根暗な感じが、合っているのかも。

 それでも、僕は、この曲は、カール・ベームやインバルの第1稿の演奏が好きだ。

 バレインボイムが専業ピアニストだった時代から知っているが、その頃の彼は、才能があったが、指揮者になってから駄目になってしまった。

 この辺り、アシュケナージと対照的である。

男性合唱曲「ヘルゴラント」(WAB71)2010/12/12 11:10

 アントン・ブルックナーの最後の完成作品である男性合唱曲「ヘルゴラント」(WAB71)は、1893年8月7日完成、初演10月8日冬季ウィーン乗馬学校で初演された。

 ウィーン冬季乗馬学校は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも何回か登場している。

 その後、交響曲第9番に着手して、1894年には、第1~第3楽章を完成するが、1896年の彼の死を持ってフィナーレは、未完に終わった。

 交響曲第9番ニ短調(WAB109)は、交響曲第8番ハ短調(WAB108)の第1稿(1887年版)が完成後、すぐに着手されたが、第1稿の改訂や交響曲第3番の改訂、同第1番ウィーン稿の改訂等に明け暮れしている内に、完成が遅れてしまった。

 従って、ヘルゴラントが、ブルックナー在世中の最後の完成作品となる。第9が未完成に終わる可能性が強まった最晩年には、未完のフィナーレに替わって「テ・デウム」(WAB45)を代わりに演奏する様に指定しているが、作品番号が示す通り、中期の終わり頃で、ようやく後期の作風が出てきた頃の作品なので、晩年の作品である第9に比べて違和感が強い。むしろ、ヘルゴラントの方が、声楽付きになる予定であったフィナーレの作風に近いものを示しているのではないかとみられる。

 未完成のフィナーレについては、器楽部分のいくつかの断片が残されているが、もっとも重要なコーダの部分が残されていないので、20世紀以降に試みられた大部分の補筆完成版では、この部分を編曲者の作曲によるしかない。そうして、ブルックナーのオリジナルではない編曲版のこの部分に来て、聴き手は、違和感と失望感を味わざるを得ないのである。

 こうした中で、ヘルゴラントの終結部の不響和音が響和音に見事に変容して、解決していく見事さをみると、交響曲第9番第3楽章にみられる不響和音が響和音に解決されるコーダをブルックナーが考えていたことが想像され、それは、このヘルゴラントの終結部に近いものであったとも推察される。

 現在、合唱曲ヘルゴラントを聴けるのは、ダニエル・バレンボイム指揮のシカゴ交響楽団とベルリンフィルの2つの音盤であるが、ベルリンフィルの方は、ブルックナー全集に収録されたもので入手が難しかったのをオークションで今回入手して、楽しんでいる。

 聞き比べをすると、残念ながらというかやはりというか、最初に録音したシカゴ交響楽団のヘルゴラントの方が、輝かしさに満ちて見事である。男声合唱団の技量は、ベルリンフィル盤の方が勝っているが、全体の表現、その直裁性については、シカゴ盤の方が、数段勝っていて感動が与えられる。

 「解放されたヘルゴラントに神の全ての賞賛あれ!」(筆者訳)の部分の表現が実に卓越しているのがシカゴ盤である。

 ブルックナーが男性合唱曲ヘルゴラントが作曲されたのは、同港は、もともとイギリス領であったのが、1890年にヘルゴラント・ザンジバル協定によって、ドイツ領となったのを記念する式典用と作曲されたようである。

 切手は、私の19世紀英領・独領の切手コレクションの中で、1867年から1875年に発行されたものをまとめたものである。美しい色調で真ん中には、エンボスでビクトリア女王の肖像が彫り込まれているまるで工芸芸術作品の様な切手達である。

「造る自分」2010/12/09 23:00

『坪内稔典の俳句の授業』(黎明書房)を京都烏丸のじゅんく堂で買った。電車の中で、読んでいたが、第3章の「現代俳句の世界」が面白いというか納得。

飯田蛇笏や飯田龍太、森澄雄、金子兜太等々お歴々の登場、非定型とか前衛俳句等もでてくる。

つまり、大正期から昭和時代に至るまでの近現代俳句史の世界である。

季語や定型の破壊は,何故、行われたのか、そして、その限界とは、そういった問題について、稔典先生なりの考え方で書かれている。

ここで印象的なのは、稔典先生の場合は、子規の写生の忠実な蹈襲者としての辻桃子先生等に比べて、「写生」ということについて一歩、下がって客観的にみている点である。

つまり、俳句づくりは、「写生」そのものではなくて、あくまでも「写生」は、創作の手法の1つであること、金子の初期の前衛俳句は、何故、その様な表現を生んだのか。或いは、同時代の社会派の俳句とは。

そういった問題点に触れており、興味深い。

しかし、何故、金子兜太が、その後、伝統的な俳句に戻り、現代の俳句界も、部外者からみれば、後退・退化とも言える、定型表現の世界に戻ってしまったのかということである。

これについても結論は書かれていない。但し、ヒントになるものはある。
それが、「造る自分」ということで、社会という中で、自分を絶対的存在として、切り離して考えるのか、それとも、融合して存在として考えるのかという点である。

現代の俳句という文芸は、江戸時代の昔に帰ったというか、句会の中での連衆文芸としての集団性をみせる社会的遊戯の1種となっている。つまり、こうした中では、表現理解の共有、つまり表現の普遍性ということが1つの前提条件になってしまうのである。

「造る自分」を社会と切り離した場合には、「同人誌」というメディア媒体を通じて読者、俳句仲間との交流があるが、今の同人というのは、あくまでも句会での直接交流が中心で、同人誌は、あくまでも、「機関誌」としての役割になっているのである。

そうなると、表現は、不定形とか前衛とかそういったものは成り立たなくなっている。

ひらったくいえば、「変わり者」は、排除されるのである。

こうした流れ、現代のクラシック音楽の流れと類似している。つまり、古典派、ロマン派、後期ロマン、ネオロマン、現代、前衛という流れは、実に俳諧・俳句の歴史に非常に類似している。

特に20世紀に入るとクラシック音楽は、王侯貴族の遊戯的側面から離れて、社会と切り離された純粋な自己表現の場となり、普遍性よりも、絶対的表現価値を求める動きに変化していった。

その行き着くところが、1950年~1960年代のジョン・ケージやシュトックハウゼン、あるいは、リゲティとかいった連中で、彼らの音楽は、完全に孤立しており、超俗的であった。しかし、結局は、廃れていったのである。

クラシック音楽の場合は、再び聴衆との交流、社会と融合した自己表現の世界に戻った要因は、音楽メディアの発達であった。つまり、新たな音楽商業主義、メディア融合により、独立的な個性の表現よりも、一般に理解しやすい表現、普遍性が求められる様になっていった。

こうした、調整、あるいはリズムさえも破壊の限りを尽くし、最後には、ジョンケージの様に「音の実在」さえも捨て去り、時間の経過のみが音楽とする「禅」の様な世界から、誰もが理解出来る調性、リズム、歌、和音等の音楽に回帰してしまったのである。

結局、こうした流れの中で、「俳句」、「音楽」も本来の芸術ではなくて、大衆文芸・芸術、第2芸術といった見方もあるが、それは、社会性と芸術・文芸の連携を肯定するか否定するかの立場に違いに他ならない。

 松ぼっくりジョンケージを気取りたる

☆☆☆
今日の俳句、何かエロイイメージが浮かんだので、俳句らしきものを造ってみた。(またまた夢の世界である。)

氷層の緑青蹴散らす冬氷河
ヒーターで色香増したる網タイツ
バニー嬢ワイン注ぐ手寒さ知る
瑠璃色の爪暖炉求めて動くなり
天道虫お日様捜す冬の朝
黄金の隈取りの雲霜降らす
鬼ごっこ鵯(ひよ)の加勢で負けにけり

G大島さんも鶴田真由風の声の女性アナウンサーも無印良品の話ばかり2010/11/16 10:12

 貧弱な我が国のデジタルラジオ放送の番組の中で、Ottavaのみが、唯一の日本語によるクラシック専門局である。

 だから、最初は、バックミュージック換わりに毎日聴いていたが、だんだんと耳につくようになってきた。

 音質等も良く選曲もそれ程悪くはないが、ナレーションのバックが何時も、ポルトガルの16世紀ポリフォニーのアカペラなのは、あの根暗な響きが耳についてくることになる。

 また、ナレーターのG大島さんという方だが、この人も季節の話題が何時も暗い。もっと、楽しい話が出来ないのか。一般のDJではないのは判るが、これではリスナーに飽きられてしまう。

 それとスポンサーが無印良品だけなので、G大島さんも鶴田真由風の声の女性アナウンサーも無印良品の話ばかり。

 無印良品が悪いとは言えないが、コンセプト中心の広告で、何時も同じ言葉の繰り返し。これでは、新興宗教の洗脳と一緒である。

 一番、良くないのは、G大島さん自身が無印良品についてクドクドを話す点でこれだけは辞めて欲しい。

 程度の低いCMでも良いから、番組と区別して欲しい。

 曲もエアチェックされない様に、例えば、ヴァイオリン独奏編曲のトッカータとフーガの場合は、最後の和音が鳴る前に、フィードアウトされてしまうとか実に、せこいカットも施されている。

 まるで感極まっているのに、イケナイ○○○の様な嫌な感じがある。

 そういえば、レコード芸術誌にもそんな風にサンプルが紹介されているが、楽曲への冒涜なので、この雑誌の購読を止めてしまった位。

こんなことで死んで欲しくないなぁ2010/11/03 22:35

 ウィーンフィル団員が富士山8合目から滑落死だって。

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY201011030282.html?ref=rss

 こんなことで死んで欲しくないなぁ。富士山というのは、オーストリアアルプスよりも、ずっと危険な山なので、ヒマラヤ登山のトレーニングに使われている位なのに。

 一度、10月下旬に日の出莊前まで登ったことがあるが、風が強くて、怖くて、引き返したことがある。(エアスーツを着たら、空を飛べる位の常識を越える風。)

 先日、マウンテンバイクの転倒で死んだセンチュリーのOさんとか、なんで、コントラバス奏者の人って無謀なことが好きなんだろう。