150円の価値とは・ブログ紫式部2009/02/03 08:59

 昨日、会社の近くの古書店で、紫式部日記(旧岩波古典大系)を買った。値段は、150円、箱無し特価ということの様だが、「国文学は地に堕ちた。」と思った。

 自宅には、新潮古典集成、小学館の古典全集は、全巻揃えているが、旧岩波古典大系は欲しいと思っているが、購入する機会はない。(新古典大系よりも旧大系の方が、解説・注釈が優秀であること、仏教説話関連の収載情報が多いので、価値がずっと高い。)

 150円の価値と言えば、池田、秋山両先生の「紫式部日記成立論」が掲載されている点で、これだけで1000円以上の価値はすると思う。昭和35年の時点で、紫式部日記の構造的な不審点が明らかになってきている。
 つまり、紫式部集(私家集)と、紫式部日記との関係で、日記歌が収載されていないものがあると言う点で、これらの状況から、紫式部日記は、元々大部であったものの相当部分が失われた状態であるという点、萩谷朴先生が所有している新発見(当時)の日記の断簡(室町期の資料で、現存している日記の近世以降書写のものに比べて遙かに資料価値がある)等を例に挙げて説明している。
 私は、紫式部日記自体が「女房の公開日記(ブログ)」で宮廷パフォーマンスの一部であったと考えており、その結果、当初日記歌として書かれたもの(私家集)からの収載時点で選集作業が行われたと考えている。但し、残欠とかそういった可能性は、不明である。

 下は、佛大の国文学会で発表したレジュメの一部である。発表自体は、源氏物語の文体の「ゆらぎ」について統計学上の考察を加えたもので、センテンス長の分析を主体としている。

 そうして、紫式部日記のセンテンス長と源氏物語のセンテンス長と統計的類似性の検定を行った結果を発表したのである。そうすると、かなりの類似性が検出されたものの、T検定で有意差なしとの判定結果を得ている。

 こうしてみると、源氏物語の少なくともに一部の巻は、紫式部本人かあるいは、紫式部の周辺の女房達を加えたグループのプロジェクト制作であったという可能性が浮かび出てくるのである。

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