外になにやらいるような2009/02/14 00:47

外に何やら居るような荒れようだ。凄い風で雨戸が鳴って恐ろしい。
それよりも梅の花が散ってしまうのが、哀しい。

やはり、暦に書かれていたとおりのことが起こっている。

今日というか昨日は、平泉関係の本を読む。藤原三代のご遺体調査の記録である。ちくま文庫の黄金の棺という本の存在を知り、早速、AMAZONに注文。
(ジュンク堂、旭屋、全て品切れであった。)

無量光院については、宇治平等院の神居先生が、文章を書いておられるが、もし、元和年間に焼失せずに、残っていたら、日本の浄土教美術
の世界は、大きく変わっていただろうと思った。

嵐の翌朝2009/02/14 11:32

Coolpixs S600で撮影。
 昨日の春一番で一番心配だったのが梅の花であったが、幸いにもそれ程、散らずに済んだようで、早速、激しい夜の嵐を耐えたひよどりやメジロ等がやってきて蜜を吸っていた。
 それにしてもこんなに早く春一番で今日も蒸し暑い位なので、体調がおかしくなりそうだ。

 写真は、COOLIXSS600、室内からのデジタルズーム撮影なので画像は悪くなっている。

カバ的日常性は、実はステータスなのだった2009/02/14 11:41

 佛大でお世話になった稔典先生の記事が日経新聞12日夕刊に。

 題して、「カバ的日常」。
 稔典先生は、カバヤ文庫、河馬の俳句等、カバの持つ、のんびりホンワカムードを前面に出されている。
 それは、「甘納豆のウフフ」とも調和し、先生の俳句の雰囲気とのコラボレーションとなっている。

 俳人にとって、ノンビリ、ホンワカムードは、ステータスである。

 多くの中堅の俳人や句会での態度は、戦闘的というか論争的である。弁舌の達人が勝利するので、当然、そういったハードな武装をせざるを得ない。

 私の様に舌にまで脂肪が乗って動かしにくい人間には、不向きな世界である。 

 結局、俳句等は、言語の組合せであり、恣意的な記号性から離れられない為に、どの様にも受け取られるし、優劣を競う必要もない。 それにも関わらず優劣を競うのが句会である。結局、言葉の持つ、最大公約数的な記号をネタにしたディベートに過ぎないのである。

 一方、稔典先生の様な出版界の権威である岩波書店から、どんどん本が出ている人は、論争は必要がない。稔典先生は、国文学会で、「僕が一番エライと思っている。」と発言されたことがあった。

 それが事実なんだから仕方がない。「権威」というのは、全く嫌みなくそういった言葉を発することが出来る人のことを指している。

 まったく論争する必要もなく絶対権威、即ち主催者側なので、その様な態度をとる必要はなく、ノンビリ、マッタリムードをステータスとして、表出することが出来る、特権階級なのである。

 それは、戦国時代の数寄人にも言えることで、何もあんな歪んだ茶碗や割れた竹などは粗大ゴミなのに、ああいった人が、ノンビリムードで、「これもいいじゃあないですか。」と言えば、それが、最も権威を持ったプレミアムアイテムとして生まれ変わるのである。

 私も、カバが好きで部屋にもカバの置物があるが、私等が、カバ好きですと世間に公表したら、「ブタがカバが好きなのかホー。」と莫迦にされるのが落ちである。

 まさにイメージの世界であり、それは、権威と紙一重なのである。だから、秀吉はそういったことを嫌って利休を自害させたのである。

デジタルフィルムの開発へ2009/02/14 18:30

 最近は、めっきり、銀塩カメラを持ち出す機会が減ってしまった。この写真は、PENTAXAF一眼のZ10で撮影したものでレンズは、SMC PENTAX-FA J Zoom 18-35mmF4-5.6

 当然、フルサイズなので、18㎜は本物の広角で撮影出来るので、そういった点では面白い。以前、デジタル一眼レフのPNETAXDLでこのレンズを使用して撮影した写真を紹介したが、やはり、広角の面白さから言えば、これが上である。

 但し、現像やCD-ROMへの焼き付け等は、写真屋さんまかせで、正直言って仕上がりに不満がある。デジタルであれば、全ての工程を自分で管理出来るので、この点、納得できる。また、費用が1回撮影毎にフィルム代+900円かかるが、たった36枚の撮影で、このコスト払うだけのメリットが得られるかということになる。

 最近では、LUMIXG1にライカLマウントレンズも装着出来る様になったので、コンタックスマウント(オールドレンズの方)の写真等以外は、銀塩を使う機会がどんどん減ってくると思う。

 幸い、最後の生き残りのフジフイルムさんとこは、この不景気に善戦されているので、良かったと思う。これが、不況企業であれば、既に日本製の銀塩フィルムや現像システムは姿を消しているかもしれない。

 それにしても銀塩が無くなるのは、時間の問題なので、やはり、根本的な解決策としては、デジタルフィルムの開発だろう。

 つまり、通常のフィルムマウントに入れられるデジタル感光素子+メモリーの組合せである。これが使用出来る様になれば、オールドカメラを面白く活かすことが出来ると思う。

中尊寺経の書写・成立過程等貴重な考察2009/02/14 22:36

IXYDIGITAL70で撮影。
 講談社の「日本の仏像シリーズ」で中尊寺が抜けたが、なんらかの事情があったのだろう。
 中尊寺は、藤原3代の御遺骸を収めた棺の調査が戦後まもなくして行われたが、その際にあくまでも御遺骸の尊厳を守ろうとする調査研究者及び寺側と取材、マスコミとの軋轢が生じた。それは、現代でも希な程の酷いものであったという。
 この様なシガラミが『中尊寺千二百年の真実』(佐々木邦世,2005,祥伝社)の文庫本に記述されている。(120-126頁)
 当然、週刊誌写真誌で世の中を何度も騒然とさせた講談社への警戒心は他社に比べて強いものと考えられる。
 私が、藤原三代の御遺骸の発掘調査のことを初めて知ったのは、それから数年のちの小学生の頃で、少年向けの雑誌、汚い藁半紙の様な紙に見えにくい写真と共に掲載されており、非常に興味を覚え、本がボロボロになるまで読んだことを記憶している。
 それにしても、この佐々木氏の本のユニークなのは、寺側の目線で、中尊寺の歴史と現代の風土・文化の事を述べている点である。
 藤原三代の遺骸調査の一部については、『日本人の骨とルーツ』*(埴原和郎,2002,角川書店)に比較的詳細に記録されており、この記録と照合して読み進めると色々なことが判る。
 結論から言えば、藤原三代の御遺骸は、ミイラとして保存されたものではなくて、奥州人の知恵と信仰の集積である金色堂と、その優れた自然環境によって自然保存されて、現代まで伝えられてきたことである。
 この本には、秀衡公の復元肖像図(御遺骸調査によって複顔された)が掲載されている。埴原氏の著作では、人類学的考察、清衡、基衡、秀衡、泰衡の4代の頭骨測定値と遺伝学的な分析、遺骸及び残留物からのミイラ状遺体への変化した要因についての考察が行われている。

 金色堂の須弥壇は、明治時代に中央政府が派遣した役人の手で改修されているが、それが、文化財の破壊ともいうべきものであった。
 というのは、棺桶には、「種袋」(蓮や極楽往生にちなんだ植物の種子等を入れた袋)や、あるいは、砂(土砂供養)がいれられていたが、明治期のこの「破壊」でこの砂が塵界として捨てられてしまったのである。
 これは、現代の高松塚やキトラ古墳における文化庁の破壊所業に通じるものであり、調査とは、やはり、保存よりも破壊の要素が、どんなに注意を払っても存在することを決して忘れてはならないのである。
 観無量寿経の世界を現世に具現した無量光院の狩猟図は、どの様な意味合いを持っているのか。
 丈六阿弥陀仏や千手観音像の調査結果、中尊寺経の成立・書写過程についても他の文献にはない貴重な考察が成されている。
 読んでいてなかなか面白い本であった。

*木村尚の『日本人の骨』(岩波新書、絶版)に次ぐ、優れた著書である。