まさにカメラ界の「シーラカンス」蛇腹折りたたみ式カメラGF6702009/02/25 00:00

IXYDIGITAL70で撮影。
 写真は、マミヤシックス。
 6*6版で撮影出来る。
 このカメラは、今でも現役(シャッター等を調整してある。)

 仕上がったネガやプリントをみるとやはり、35㎜フィルムに比べて迫力は、全然違う。35㎜サイズも蛇腹カメラを所有している。フォクトレンダービトーⅡである。これに比べてやはり、シックスは、蛇腹が大きい。

 経年変化で既に脆くなっている。蛇腹を開閉する度に継ぎ目が心配になってくる。このマミヤもかなり、危ない状態。
 富士フイルムのフジカシックスもヤフオクで入手したが、蛇腹が既にボロボロでレンズだけ取り外して保管している。

 蛇腹カメラが姿を消していったのは、耐久性とかそういった問題も大きかったと思う。もはや過去の時代の製品である。

 と、ところが、富士フイルムから6×7㎝判 距離計連動式 蛇腹折りたたみ式カメラGF670が発売された。
 120フィルム、220ロールフィルム使用。EBCフジノンレンズ、F=80㎜レンズ。手動式直進ヘリコイド.....凄い!
 オールド技術を現代に蘇らせたカメラ。
 ボデーは,マグネシウム合金、折りたたんだ姿は、昔ながらのレトロな感じもあるが、レンジファインダーの部分なんかは、かなり、新しい感じもある。
 蛇腹もそれなりに精密な感じもするけれども合成樹脂を使ってもどんな素材でも結局は、他のカメラに比べて劣化は速いだろう。

 それにしてもこのカメラを買う人達って、どんな人なんだろうか。120フィルムは、やはり取り扱いにくいし、販売しているお店も少ない。プリントは特注なので、即日仕上げなんて考えもつかない。2~3日待って上がってきたら良い方。

 もう終わったタイプのカメラだと思っていたら、ここへ来て新製品として発売してしまった富士フィルムには脱帽だ。

http://fujifilm.jp/personal/filmcamera/mediumformat/gf670/design.html

 今後もブローニフィルムを発売しつづける覚悟の現れか。
 僕としては、カメラの現像等がカラーも含めて、家庭で、簡単にできるキットや、フィルムスキャナー等にもっと力を入れてくれれば、熱心なファンが、銀塩フィルムを続けると思うので、同社に為にも良いと思うのだが。

 富士フィルムの生産終了品として、DBPforGX680という製品がある。これは、中判カメラ用のデジタルカメラバックであり、有効画素数2068万画素、最大記録画素数7648×5408(4136万画素)を実現している。CCDの大きさ自体が大きいので、画質は最高の製品。これをマイナーチェンジして、GF670や他の中判カメラに装着可能というか、中判フィルムカメラでも使用可能なCCDを開発して欲しい。20万円位だったら飛びついて買うと思う。
http://fujifilm.jp/personal/filmcamera/mediumformat/dbp/index.html

ズレタ大学は学生数が減るばかり2009/02/25 09:05

 最近、書店で本を購入すると、書店の袋の中に、大学通信教育のリーフレット(パンフレットの小型のもの)が入っていることが多くなっている。

 大学通信教育に興味を持つ人間は、当然、書籍にも興味がある人が多いので、不特定多数の人が集合する駅のホーム等で広告を打つよりも有効な手段であると言えるだろう。
 こうした広告をみていると、「判っていないなー」と思うことが多い。それは、大学側の視点で通信制のキョウイクのPRを行っているので、ズレてしまっているのだ。

 特にカルチャー系の学部・学科の場合は、学位・資格よりも、そこで学修することによって、自分の生涯・生活にどの様なメリットがあるのかという点を具体的にPRする必要があると思う。

 例えば、写真系の学科であれば、具体的に学生さんが入学前に撮影した写真と卒業写真を比較するとか、コマーシャルアートの場合は、実際に商品の宣伝に採用された例を示すとか、あるいは、外国文化・芸術で学んだ卒業生が、その後、海外での活動のブログを引用するとか、いくらでも新しい宣伝が可能である。

 しかし、もっとも重要な盲点が、現在の佛教大学や他の大学を含めて、存在している。それは、研究と教育とを混同している点である。同じテーマをみる場合にも教育的視点と研究的視点とは異なる。研究的視点に立てば、新しい事実認識や発見・報告といったことが一番重要になるが、教育の場合は、既存の現象・事実についての認識・分析の方法を教え、新たな価値観の方向性を与えるという点である。

 カルチャー系の教育サービス業の顧客の盲点というか、弱点は、「選択の恐怖」という点にある。つまり、情報自体は、自らの努力でいくらでも収集出来るが、このテーマについて、学ぶ時に、どの情報をどの様な方向性で以て、分析・位置づけるかという場合の基準をつくりあげることが難しいのである。特に大学教育の場合は、新たな事実の発見とかそういったことよりも、学生にそういった「選択力」を修得させることの方が重要であると思う。

 このニーズも年層が若い通学制の場合と様々な年齢層が混在している通信制の場合とでは、異なるので、それぞれの世代・ニーズにあったキョウイクを実現する必要がある。こうした観点でみれば、教員は、必ずしも大学教授である必要はない。キョウイクの視点からそのテーマを学生のニーズに見合った方法で実現させる補助をするということに主眼がおかれるべきである。少なくとも通信教育が通学の大学の代替品であるという認識を改める必要があるだろう。

 優れた研究者が優れた教育者では必ずしもない。文学部の大学院でのキョウイクをみると、研究者を育成するという内容が大部分であり、教育者を育成するといったカリキュラムが殆どない。これは、何故かといえば、教える能力がないからである。

 日本の高等教育のレベル低下が著しくなっているが、こうした点の認識が欠如していることが大きいと思う。入学パンフレットに誤りがあるのは、最低であるとしても、例えば、カリキュラムに***学特講といったネーミングがあるが、これは、完全に大学側が自分の都合で名付けているので、学生の立場を考えれば、具体的に何が学べるのか、少なくともそれがある程度推察出来ることを考慮すれば良いと思う。

 学生数が減少している大学では、今すぐ、間違った認識を改めるべきだと思う。図は、書店の袋にパンフレットが入っていた大学のWEB。ここのWEBは結構、工夫されていて良いと思う。

カルチャーという虚業2009/02/25 21:29

 NHK文化センターで開講される佛教大学文学部教授であられる斎藤英喜先生の「日本神話の世界」の受講申込みに行って来た。受講料は、1万5,250円だが、これに申込金が加わり、合計2万1千円の大金を支払った。

 給料日だったので、おまけにお寿司屋さんで一杯やって気分が良かったので申し込んでしまった。後で、後悔している。

 それにしてもパンフレットを眺めていると伊井春樹先生の枕草子教室(こちらの方が面白そうだが、平日の午前中なので絶対に無理)、この他にも「なるほど昆虫学」とか、まさにカルチャーの百鬼夜行の世界である。

 昔のカルチャー教室は種類も限られていたが、次々と新商品、新企画が生まれており、格差社会の中で、有閑ブルジョア階級の方々を対象にした新しいビジネスだと言えよう。

 ページをめくっていくと、何やら、私と同じ名字の妙な名前が、な、なんと、叔母が絵画教室を開いている。叔母は母よりもたしか2歳年上なので、今年78歳になる筈だが、こんな駅前第4ビルに隔週出かけてきて、老骨に鞭打って生活の資を得ている。

 パリエコールノルマルを出ており、小磯良平門下ということで、生徒さんがつくのだろう。以前、逢った時に、国民年金だけでは暮らしていけず、家賃も支払えないので、NHKのお世話になっているとのこと。

 現代アートというか、現代の西洋画家の人達の中で生前に純粋にゲイジツで食べていけるのは、100人いて数名位。残りは、大学や高校、中学の教員とかカルチャースクール、自宅で開催する子供のための絵画教室等で稼ぐことになる。

 まだ、生前は、時めいていても死んで100年も経てば、忘れられてしまって、むしろ生きている時は、乞食同然の暮らしをしていたものが、もてはやされることもあるので、ゲイジツというかカルチャーというのは、本当に虚業だと思う。

 やはり家で一人本を読んでいた方が、よっぽど文化的だと後悔している。

「黒毛和牛ストラップ」2009/02/25 21:57

FZ28で撮影(コレクションモード)
 業界人も無関係者も必携アイテム「黒毛和牛ストラップ」
寿司屋さんからの帰りに携帯ストラップばかりを専門に販売している店によってゲット。

 実は、黒毛和牛なんて種類はもともとなかった。
 結局、雑種である。

 明治時代に、中国地区でもともと飼われていた在来種に洋種を交配して、「改良和種」という名で呼ばれていたものが、昭和12年に黒毛和種という登録名称が定められたもの。
 最近、産地・品質表示の規制が厳しくなり、例えば、この黒毛和種の雄の精液をホルスタインに種付けして生まれたF1種を黒毛和種という名称でスーパー等で販売したら、摘発されることになるが、元々の由来を考えてみれば、別にどうでも良いことになる。

 特に在来和種の中で純粋性が高いものが銘柄牛として販売されている。この場合は、その認定を受けたもの以外は、登録商標違反になるので、全く別の次元の話だし、我々ショミンの口には入らない贅沢品である。
 F1牛で品質の良いものは、黒毛和種の肉と全然区別がつかない。BSEの影響でトレーサビリティが実施される様になってから、こうしたことがうるさく言われる様になってしまった。

 トレーサビリティ以前は、F1牛で南九州を中心とした産地では、大金持ちが続出。2年間で1億円以上は軽く稼ぐ人も現れてF1牛肥育全盛期を迎えたが、それも長く続かなかった。

 それにしてもこのストラップはグロテスクだ。以前、全畜連というお肉の組織に仕事でお邪魔したことがあったが、これと同じで大きさが数十倍位の模型が支所長の部屋に飾ってあった。

 和牛は、最近は、健全に育てられているが、数年前までは、「動物虐待」そのものであった。特に仕上げ期後半は、「カレタ」エサした与えられず、肉質に影響するので、ビタミンやカロチンを抑制されるので、身体中ボロボロで抜け毛が大量に出たり、と畜場では、検査が実施されるが、その時に肝臓廃棄処分(ビタミン欠乏と偏った栄養肥育で肝臓に膿瘍が出来ているものが多かった。)されるものも多かった。

 牛レバー等が飲み屋さんで出されるものがあるが、時々、それとおぼしきものがあった。別に食べても害はないと思うがやはり、気持ちが悪い。

 今は、肥育期間を短縮することでエサ代を節約させる方が優先されており、ビタミン抑制肥育は殆ど行われていない。

 各種のアミノ酸化合物やプロテインが投与されている。まぁ、結局、ブロイラーとかそんなものと変わりがないと思う。