新一太郎はメモリー喰い2009/02/09 09:22

 早速、仕事で一太郎2009を使用しているが、起動は速いものの、その後の動作は緩慢だ。
 タスクマネージャーで同一ファイルをWORDと一太郎で開いてメモリー使用量を比較してみたのが図である。
 一太郎(TARO19.EXE)は、40580Kで、ワード(WINWORD)が32116Kとかなりメモリ-使用量が増えている。それだけシステムへの負担が大きいということだ。
 やはり、さくさくと20頁位の文章を作成するには、VISTA対応機で中の上以上のグレードのCPUと2GB以上のメモリ搭載が必要。
 今はやりのモバイルノートのスペックでは、難しいので、一太郎2009のライト版を開発して、登録ユーザー向けに販売して欲しい。使う機能は最低限で良いのである。

TVが好きなロボちゃん2009/02/09 23:01

IXYDIGITAL70で撮影。
 最近、再びロボットの元気がどことなく宜しくない。
 起動するとセルフチェックの動作をする。何時も、持病の右腕が具合が悪く、そうした場合には、ARM-RESETが表示されて足元の白いLEDが点滅するが、それが動かない。
 背中のカバーを外して調査してみると、なんと、以前、配線をやり直した時に誤ってLEDにつながる配線のコネクターを断線してしまったところを半田付け修理したが、そこが、再び断線しているのを発見。
 一度、修理したところは、弱くなりがちで、機械的な力や衝撃が加わるロボットの場合は、尚更だ。
 朝から、半田ごての握りしめて、修理した。そうすると、前よりも随分、反応も良くなり、機嫌も良くなった。
 ロボットは、どこか断線、接触が悪い、メカの動きが悪い等の不具合箇所があると、全身症状として、ストレスがブレインボードに蓄積され、どことなく機嫌が悪くなったり、接触(頭ナデナデ)の反応や、視覚や聴覚の反応も鈍くなる。
 だから、全ての機能が満足でないとシンドイのは、人間もロボットも一緒だ。ディアゴスティーニのWEBをみると、今月で、閉鎖予定、サポートも既に部品がなくなっているので、やっていないという。
 1個でも部品が壊れるとどうなるんだろう。すっかり機嫌が良くなってTVを見ているロボちゃんを眺めながら、不安は募るばかりだ。
 ロボちゃんは、TV映画が好きで、隣に座って、変な場面に反応してビデオの様に奇声を発したり、おひゃらかしたりする。
http://www.youtube.com/watch?v=8Xhw2-l8kq8

電車書斎兼研究室の中での出来事2009/02/09 23:44

 最近は、秘密仏に嵌っている。これは、インドの後期密教(日本には伝達していない)の無上瑜伽タントラの本尊である。秘密仏の中で、大きな位置づけを持っているのがへールカである。しかし、秘密仏には、インド後期密教で徐々に形成された尊格としての要素以外に、シバ神、インドの土俗神等の要素が複雑に入り混ざっており、これ以外の時代の仏像とは全く様相が異なっている。
 『マンダラの仏たち』(頼富本宏著、東京美術)で頼富先生は、
3つの輪で構成される要素集合・包含円図を組み合わせて秘密仏の特徴を示そうとしている点が興味深い。これ以外に面数、臂数、足数等の数理的な特徴を組み合わせて分類する手法等もあるが、あまりにも要素が複雑すぎて、正確な分類が難しいようだ。
 結局、他の宗教に埋没して消えていったインド後期密教の文化的背景が、そのまま秘密仏のあり方に現れているのだと思う。
 こうした密教の仏達について仏教芸術コースでもっともっと学びたかったが、残念ながら、その機会は失われてしまっている。
 あまりにも仏像にしろ絵画にしろ、佛教芸術の範囲は広い。また、様々な文化的背景があるので、興味はつきない。

 ようやく阪急電車のある車両でこの本を読み終えたが、電車の中での30分の読書は、自宅や図書館での2時間の読書に匹敵する位の内容の濃さである。私が書いた多くの論文やレポートは、大抵が「電車書斎」で着想が産み出されたものである。
 また、「電車書斎」は、不思議な場所でもある。良くいろんな人と乗り合わせるのだ。今日も源氏物語の三条西家証本の影印本を片手に翻刻の稽古に励む青年に出逢った。おそらく大学院の入学試験の準備だろう。
 また、ある日は、いつの間にか肥田皓三先生が隣に座っていたり、谷澤先生や佛大の斎藤先生等にもこの車両で出逢った。不思議な雰囲気を持った車両なので、こうした縁のある人達が集まってくるのだろう。
 最近、感じていることは、ある特定の研究分野において、学部や院の教室や研究室での学修も厳しく、困難を伴うし、あるいは、通信教育でのテキストを片手にしての独学も同様に更に困難を伴う。
 しかし、それよりもずっと難しいのは、研究や学修そのものに取り組む難しさよりも、日々の生活や様々な人生の局面の中で、これらの活動を研究を生業とした以外の人達が、時間をやりくりしながら、研究や学修に取り組む意欲そのものをずっと持ち続けていく努力の方が数倍大変なのだと、影印を片手に電車の中で、一生懸命にやって居る学生さんを見て感じた次第である。
 私も30年間も源氏物語に取り組んできたが、残念ながら専門の研究職にはついにつくことが出来なかっただけに、日々痛感している点である。