『デジカメに1000万画素はいらない』(たくきよしみつ 講談社現代新書)2009/02/27 00:00

『デジカメに1000万画素はいらない』(たくきよしみつ 講談社現代新書)

 題名の通りの本である。内容的には、私が以前、このブログに書いている記事の内、次の記事の内容に近いことも書かれている。

http://fry.asablo.jp/blog/2009/01/29/4086229

http://fry.asablo.jp/blog/2009/01/12/4054753

http://fry.asablo.jp/blog/2009/01/17/4062092

http://fry.asablo.jp/blog/2008/12/21/4020124

http://fry.asablo.jp/blog/2008/12/08/3998363

 この本は、朝日新聞に連載された記事を元にしてつくられたと書かれているが、私は、朝日新聞は購読していないので、偶然にも同じ考え方にたどり着いただけだ。


第1章 嘘がまかり通るデジカメの世界

 ここで一番の要点は、「デジカメを駄目にした高画素信仰」の項目である。結局、高画素になって発色が駄目になったと著者は書いているが、その通りである。私は、ヌケが悪くなったとか、ホコリっぽい等を指摘して来たが、この人は、色調(階調)も浅くなってしまっていることも指摘している。実際に色調が駄目になると、周波数が低い赤色のものを撮影してみると良く判る。赤いバラの花を撮ってみて欲しい。ただし、色調については、かなりメーカー毎の差がある感じだと私は思っている。

第2章 間違いだらけのカメラ選び

 「本当にデジタル一眼が必要なのか。」ということや、やはり、手振れ補正は、ボデー側が正解等、これも私の考えと一致する。但し、デジタル一眼は必要だと私は思う。それは、今のコンパクトデジカメの画質が高画素化によって、悪くなりすぎたからである。

 デジタル1眼でも600万画素で十分であるというのも私が比較計算で明らかにした通りである。

第3章 デジカメは買ったまま使うな

 ここでは、やはり、自分で様々な設定を試してみることの重要さが書かれている。

 シーンモードでは、今では、流し撮りモードとか赤ちゃんモード、ペットモード等があるが、これは、果たして意味があるのか。赤ちゃんモードは、パナソニックの新シリーズでは、赤ちゃんの年齢等を記録出来る等の補助機能があるが、これは、本来は、カメラの機能ではなくて、カメラの撮影データを整理する機能である。

 また、シーンモードで決めつけて撮影すると、被写体によっては、シーンモードの設定に合わないことがあるので、撮影が失敗してしまうことさえある。

 被写体の性格を自分で見て判断して、試行錯誤を重ねて一番良い撮影条件にカメラをセッティングすることがカメラの使いこなし条件だという。

 この後の章は、付け足しなので、特段、新鮮な部分はないが、それなりに面白い。

 特に作例に注目。
 
 作例に挙げているのは著書が撮影した作品であるが、見事である。「ただ、単に綺麗、ウマい!」というのではなくて、被写体への思い入れや愛情が作品に見事の表出している。

 感性が鋭い人なんだと私は感じた。この人は、プロカメラマンではないらしいが、こうした人がデジカメについて書くとこんな面白い本が出来るのだ。

 結局、カメラなんて、自動車と同様に毎回、新車、新機種を買い換える本質を持った商品ではないのだが、それでは、現在の商業資本主義世界の論理に当て嵌まらないので、メーカーでは、本質と異なるどころか、本質を駄目にすることをしても、新しい機種を販売しようとする訳だ。

 こんな考え方が、サブプライムローンとか自動車ローン、ビッグ3の崩壊、世界同時不況の元凶となっている。

 また、この本で学ぶべきなのは、OEM生産の実態である。結局、オリンパスや、ソニー等のカメラは、台湾の同じ工場で作られているのを別々のメーカーの商品として私たちが購入している。
(これも私が個人で調査したことをキチンと裏付けて書いてくれている。)

 自社工場で生産しているのは、CANON、サンヨー(中国工場で、ペンタックス、NIKONのカメラを生産)、パナソニックだけである。カールツアイスやライカのレンズもコシナやタムロン、京セラオプチックで生産している。

 だから、パナソニックがサンヨーを買収したというのは、デジカメの生産地図が大きく変わることに将来つながってくるのだと思う。