あんさんにもこれあげまっさ2010/05/30 22:54

 今日のお昼頃、例によって実家から梅田の飲み屋に出てからおうぶの家にいく途中、阪急池田駅で、私の載っている車両になんと、肥田皓三先生が入ってこられた。

肥田皓三先生については、私のブログに何度か書いた先生
http://fry.asablo.jp/blog/2008/11/15/3934243

どうゆう訳か、何度も、しかも偶然に先生にお目にかかっていて、これで5回目位か。最悪なのでは、飲み屋を出たフラフラと歩いている時に出逢ったり、これだけ縁というか出逢うというのは、何か不思議な因縁さえも感じる。

暫くたって、電車が十三駅を過ぎた辺り、先生の座られているところにご挨拶にうかがった。
「なんやら、神戸の方に引っ越されたらしいでんな。」と言われたので、年賀状に書いたことをキチンと覚えておられたのには感心するやら、感謝するやら。

「今日は、先生、どちらにいかれますか。」
「何時も、毎月定期に、研究会があるので、そこにいきまんねんや。」
その後、長友先生の話とか、佛大国文の最近の状況等を話題は色々。

電車が梅田について時に、「あんさんにもこれあげまっさ。」と頂いたのが、住吉大社で先生がやっておられる「江戸時代の大阪の子供絵本」という講演のレジュメ。
内容は、「桃太郎」や私が年賀状の図案にも使った「鼠の嫁入り」、「丸つくし」等々。

凄く面白いので一部紹介してみよう。


江戸時代の子供絵本の桃太郎話の内容

1.生まれはなんと伏見の桃山
伏見の桃山付近に住んでいる夫婦で、一人娘はいるが、息子はいない。この為、御香宮にお参りして、7日間が過ぎたら、明神が現れて、大きな桃を1つ賜って家に持って帰ったら、なんと桃から頭や手足がニョキニョキと伸びてたくましい男の子になった。

2.あっというまに成人へ
 その後、男の子は、1年で10年分の成長をして成人した。そこで大人になった桃太郎を節分の日に、恵方の神にお参りしたら、なんと、蓬莱の島にいるという鬼の大将が豆を喰おうと現れた。

3.鬼が姫君をさらって島に連れ帰る
 ところがこの鬼、美しき姫君を垣間見して、引っさらった。近所の人が追いかけたが、恐ろしい鬼なので、恐れて近づけないでいると、そのまま蓬莱の島まで帰ってしまった。

4.桃太郎娘を取り返しに蓬莱の島へ
 もともと御香宮は、神宮皇后を祀ったものである。桃太郎は、神宮皇后の三韓征伐に倣って、住吉大社に詣でて、戦勝を祈願し、出陣となった。「柊の精」、「鰯の精」が加勢した。

 その時、蓬莱島では、姫君は、悲しく泣き沈んでいたので、鬼共は、舞等を演じて慰めようとするが、ますます姫君を恐ろしがって泣く止まない。
 そこに桃太郎が現れた。鬼との戦さでは、鰯の頭から光線が出たり、柊の棘が鬼に刺さったりで、鬼は負けそうになる。

 「このこわっぱ小童と力比べで負けたら娘を返してやる。更に、島の宝である隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌もオマケにつけよう。」

 腕相撲、首引き、枕引き等をやるが、全部、桃太郎が勝った。

5.桃太郎の凱旋
 桃太郎は鬼の大将に娘を背負わせて、鰯、柊の手下を連れて、自分は、宝物を持って帰ってきた。

 もともとのお伽噺の「もも太郎」とは大分異なる。

 まず、注目なのは、安産の社御香宮が桃太郎の出生の舞台になっている。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/gokounomiya/

 御香宮は、神宮皇后は勿論のこと、佛教大学の黒田先生がご研究されている中国二十四孝の楊香、敦巨、唐夫人、孟宗等が祀られている。

 つまり、御香宮は、神宮皇后の三韓征伐(鬼退治)に加えて、幼学のテキストとして、当時用いられた二十四孝にも縁が深い。

 この江戸時代に出版された絵本桃太郎は、幼い子供の為に書かれており、教育的な意味もあったのだろう。更に住吉大社もことも少しではあるが触れられている。

 少し残念なのは、鬼退治と節分とを結びつけたいうことで、現在の御香宮に、節分の行事が行われているかについては、年中行事をみても書かれていない。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/gokounomiya/
 
 また、この絵本に描かれている鬼との力比べは、恐らく江戸時代から続いている神幸祭でのちびっ子相撲大会等にも、その片鱗をみることが出来る。

 室町時代から伝わる桃太郎説話は、江戸時代の幼児の為の絵本に多く取りあげられた。こうした絵本は、草双紙とも呼ばれるが、江戸時代に広く流布し、赤本、豆本、黄表紙等、大人の読み物にも登場する。

 偶然に肥田先生にお逢い出来て、面白い資料を頂いて、実に嬉しいものである。

美味しかったです牛さんありがとう2010/05/30 23:20

口蹄疫の影響なのか国産牛肉の店頭販売価格が大幅に下がっている。

この恩恵を受けて、ステーキ用の国産牛肉が680円で鈴蘭台のダイエーで販売されていたので、早速、購入。

ステーキを1人で楽しんだが、やはりオーストラリア産とかアメリカ産と違って、味は、濃厚で、口当たりは良く、歯ごたえも適度で実に美味しかった。輸入肉にみられる草の匂いとかせず、良質な穀物飼料に特有のまろみがある。

この牛の固体識別番号を頼りに、(独)家畜改良センターのWEBで固体番号を調べてみた。

 そうしたら、この牛は、2年前の8月4日に標茶の農場で生まれ、その後は、釧路の家畜市場で子牛の競りにかけられ、更に上川郡の牧場を経て、芽部群鹿部町の道南ファームいうところで、仕上げの肥育をされた。ここで牛は、美味しい穀物飼料を与えられて、肉が熟成していく。

 生まれて1年9ヶ月後の「運命の日」である5月15日を迎えた。今まで一生懸命育ててくれた農場の人達と別れた。

 丸1日をかけて北海道から関西へと生涯たった1度の旅をした。
 この牛さんは、どんな風に運ばれたのだろう。
 運ばれる途中で何を考えていたのだろうか。


 僕は、全ての動物に心があると信じている。

 姫路市の食肉センター到着。

 と畜場に運ばれて、5月17日、短い命を終えた。


 それから13日後に私の胃袋に収まって、美味しさを与えてくれた。

 履歴等を確認すると食べ物の恵みに感謝して、大事に美味しく調理しないとバチが当たると思った。

 このお肉は、去勢のホルスタイン種なので、和牛ではない。だから、脂肪厚も大きい。肉質の肌理も粗いが、ホルスタインにしては、肥育期間が幾分長い目で、十分に熟成が進んでいて、値段のことを考えれば相当美味しいお肉に仕上がっていた。

 もう1度、「牛さんありがとう。」