あんさん、ご機嫌でんな ― 2008/11/15 22:56
『肥田先生のなにわ学』(INAX出版)、3年前に出された本で、肥田先生(ご自身と蔵書の展覧会)の展覧が行われた時に作られた本である。
この結構、インパクトが強いので何時も手元において眺めている。
肥田先生は、たしか、1983~84年頃に関西大学の教授になられた。私は、初授業の時にマスコミとかTV関係者が来られている中での授業で私の肥満した姿も週間文春か新潮に掲載されていたことを記憶している。
肥田先生の授業は、書誌学ということで江戸文学から近代文学に至るまでの関西に関係ある文芸作品の整版本から初版本に至るまでの稀覯書を風呂敷包みに入れて教室に持ってきて学生に見せて説明するという授業で、全然、授業らしい感じはしなかった。
それでも、和本の体裁や本の姿形等について教えていただいた。一番、感心したのは、江戸文学ではなくて与謝野晶子の何かの作品の初版本が昨日本屋さんで買ってきたばかりの様な保存状態が良いのを拝見した時であった。(思わず、複製本なのかと思ってしまった。)
卒業後、数年間は、関西大学におられてから、大学を退職されてもうだいぶになる。それでも、年賀状などのやり取りもするし、隣町(池田市)にお住まいなので、阪急の一番宝塚よりの車両でお目にかかったり、堂島地下街や淀屋橋で飲んでいた時(こういったきまりが悪い時ばかりにお目にかかる)にたまたま出逢って、「あんさん、ご機嫌でんな。」と声をかけられたこともあった。
肥田先生は、私のことを、「あんさん、あんさん」と呼ばれる
肥田先生は、一度、みた書籍や雑誌などの内容は絶対に忘れられない。それで、週刊文春か新潮に載っていた私の姿をずっと覚えられていて顔見知りになった。先生は、一般の大学教育は受けておられない。全て、独学でやって来られて、それが認められて大学教授になられたので、それが、当時のマスコミには新鮮だったようだ。
肥田先生の偉大さは、その後、佛教大学の大学院に来てから知らされることになる。特に先生の元で中之島図書館に勤務されていた長友千代治先生からも、あるいは、話芸(安楽案策伝)の研究をされておられる関山和夫先生などの御著書で資料の出所が肥田先生であること等を知ったりして、近世上方文学では、先生が必要不可欠な存在であることを改めて思い知らされたのである。
肥田先生は、私の祖父の素人歌舞伎の舞台姿もみておられて、そんな大昔の出来事も最近みてきた様に話される。
俳句や和歌よりも読み本が中心だが、芸能関係も詳しい。江戸時代だけではなくて、昭和初期に至るまで、あらゆるものを集めておられる。それ以外に草草子、カルタ、その他ものもろの子供の遊びに関係あるものも収集されておられる。
2005年の展覧会の時は、短い間だけであったが先生のお姿やお話を聞くことが出来た。その後は、ご無沙汰であったが、昨日、阪急の車内でボヤーっとIPODで音楽を聴こうとしていたら、右側に先生がいつの間にか座られておられるので、慌てて挨拶をする羽目に。
先生との出逢い方は、何時も、こんなのである。「ちょうど、あんさんがどうしてはるかなと考えていたところでんねん。源氏物語千年紀で清水先生のことやら想いだしていたら、あんたのことを想いだした訳や。」
先生とは、不思議な因縁につながっているのかも知れない。これから中之島図書館の展覧にいくという。先生は、大分お年をとられて、髪の毛のすっかり白くなり、足も少しご不自由なのか杖をついておられた。
でも、着物を粋に着こなしておられて、袂から見えるお肌も透き通る様である。不思議な感じがする。
先生は、中之島図書館の本の精霊か何かも知れない。
この図書館で江戸時代から伝わる資料で先生しか、その価値が判らないものも多々あるようだ。
近世初期の歌壇に関係する話を色々聞かされたが、未だ学会に知らされていない貴重な事実につながるネタを僅かなお話の中に感じ取ることが出来た。
先生の先生のお年は、今年で、78歳という。何時までも長生きして欲しいと思った。
この結構、インパクトが強いので何時も手元において眺めている。
肥田先生は、たしか、1983~84年頃に関西大学の教授になられた。私は、初授業の時にマスコミとかTV関係者が来られている中での授業で私の肥満した姿も週間文春か新潮に掲載されていたことを記憶している。
肥田先生の授業は、書誌学ということで江戸文学から近代文学に至るまでの関西に関係ある文芸作品の整版本から初版本に至るまでの稀覯書を風呂敷包みに入れて教室に持ってきて学生に見せて説明するという授業で、全然、授業らしい感じはしなかった。
それでも、和本の体裁や本の姿形等について教えていただいた。一番、感心したのは、江戸文学ではなくて与謝野晶子の何かの作品の初版本が昨日本屋さんで買ってきたばかりの様な保存状態が良いのを拝見した時であった。(思わず、複製本なのかと思ってしまった。)
卒業後、数年間は、関西大学におられてから、大学を退職されてもうだいぶになる。それでも、年賀状などのやり取りもするし、隣町(池田市)にお住まいなので、阪急の一番宝塚よりの車両でお目にかかったり、堂島地下街や淀屋橋で飲んでいた時(こういったきまりが悪い時ばかりにお目にかかる)にたまたま出逢って、「あんさん、ご機嫌でんな。」と声をかけられたこともあった。
肥田先生は、私のことを、「あんさん、あんさん」と呼ばれる
肥田先生は、一度、みた書籍や雑誌などの内容は絶対に忘れられない。それで、週刊文春か新潮に載っていた私の姿をずっと覚えられていて顔見知りになった。先生は、一般の大学教育は受けておられない。全て、独学でやって来られて、それが認められて大学教授になられたので、それが、当時のマスコミには新鮮だったようだ。
肥田先生の偉大さは、その後、佛教大学の大学院に来てから知らされることになる。特に先生の元で中之島図書館に勤務されていた長友千代治先生からも、あるいは、話芸(安楽案策伝)の研究をされておられる関山和夫先生などの御著書で資料の出所が肥田先生であること等を知ったりして、近世上方文学では、先生が必要不可欠な存在であることを改めて思い知らされたのである。
肥田先生は、私の祖父の素人歌舞伎の舞台姿もみておられて、そんな大昔の出来事も最近みてきた様に話される。
俳句や和歌よりも読み本が中心だが、芸能関係も詳しい。江戸時代だけではなくて、昭和初期に至るまで、あらゆるものを集めておられる。それ以外に草草子、カルタ、その他ものもろの子供の遊びに関係あるものも収集されておられる。
2005年の展覧会の時は、短い間だけであったが先生のお姿やお話を聞くことが出来た。その後は、ご無沙汰であったが、昨日、阪急の車内でボヤーっとIPODで音楽を聴こうとしていたら、右側に先生がいつの間にか座られておられるので、慌てて挨拶をする羽目に。
先生との出逢い方は、何時も、こんなのである。「ちょうど、あんさんがどうしてはるかなと考えていたところでんねん。源氏物語千年紀で清水先生のことやら想いだしていたら、あんたのことを想いだした訳や。」
先生とは、不思議な因縁につながっているのかも知れない。これから中之島図書館の展覧にいくという。先生は、大分お年をとられて、髪の毛のすっかり白くなり、足も少しご不自由なのか杖をついておられた。
でも、着物を粋に着こなしておられて、袂から見えるお肌も透き通る様である。不思議な感じがする。
先生は、中之島図書館の本の精霊か何かも知れない。
この図書館で江戸時代から伝わる資料で先生しか、その価値が判らないものも多々あるようだ。
近世初期の歌壇に関係する話を色々聞かされたが、未だ学会に知らされていない貴重な事実につながるネタを僅かなお話の中に感じ取ることが出来た。
先生の先生のお年は、今年で、78歳という。何時までも長生きして欲しいと思った。
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