ワルターのレクイエム2017/06/25 22:49

最近は、ワルターの演奏にまた惹かれている。
ベートーヴェン全集やモーツアルトの後期交響曲集等が、AMAZONで紙ジャケットのボックスで低価格販売されていて、モーツアルトも2000円しないのに、ワルター主要なステレオ録音が揃うので買ってしまった。交響曲等は、音質は良好だと思います。解説も何も入っていないのが残念です。モーツアルトのレクイエムを期待して買ったが、音が凄く悪いのです。ステレオの様に聞こえないこともないが、1956年の録音なので違うかもしれない。ニューヨークフィルの演奏で合唱団もウェストミンスター合唱団。第9も同じコーラスと思うが、この合唱団の感じがあまり好きではない。西海岸に良質な合唱団があれば、第9もコロンビア交響楽団で高音質で録音されていたのにとがっかりしている。
レクイエムも演奏は時代がかっているが、ワルターらしいもので、これが、他のステレオ録音並みの高音質であればと悔やまれる。

電子ピアノ2017/06/25 22:29

昨年の4月のカシオの電子ピアノを1万5千円位で買ったが、梱包が悪く鍵盤の下の部分が割れて届いた、返却するのも大変なので瞬間接着剤で治った。

それから1年2ヶ月が経ったが、モーツアルトの簡単なハ長調のソナタとかハイドンのハ長調のソナタ、モーツアルトのロンドニ長調等が曲がりなりにも弾けるようになって来た。母親が死んでからは、ずっと暗い気持ちでいるが、ピアノを弾いている時はそれも忘れてしまうので、よなよなヘッドフォンをしながらピアノを弾いている。

ベートーヴェンの作品は簡単なソナタは弾けるようになったが、本格的なのはまだ、自分の実力では無理みたい。

佐村河内守の交響曲第1番「HIROSIMA」2013/04/05 17:43

佐村河内守の交響曲第1番「HIROSIMA」

NHKの特集番組をたまたま見て興味を持って早速amazonに注文した。
佐村河内と言えば、バイオハザードや様々なゲームシーンのおどろおどろしい音楽の作曲者として、認識していた。
しかし、今回の彼のシンフォニーを聴いて、正統派の作曲技法を踏まえた作曲家であると認識した。
彼の聴覚はほとんど失われており、楽器を使わずにこれだけの大曲を作曲したというところに驚きを覚える。
健常者でも、このレベルの作品を作曲できる人が日本に果たしているだろうか。それがハンディを克服してこれだけの複雑な音響の作品を描けるとはなんと素晴らしいことだろうか。

作品は、3楽章形式。

第1楽章

導入部のリズム動機は、シンコペーションで、この辺りは、山田耕筰の「勝ちどきと平和」や「曼荼羅の花」等にも似ている。西洋の作曲家では、アランホバネスもこの様な導入技法を用いる。
このシンコペーションの動機が徐々に積み重ねって来て多層の混沌と不安の空気を作り上げていく。
第2主題は、明確な旋律性を持った嘆きの歌である。これがシンコペーションにかき消されて、悲劇が始まる。
様々なモチーフの導入部に打楽器が用いられるのは、リヒャルトシュトラウスのやり方だ。混沌が盛り上がって、第2主題が拡張された悲劇の主題提示がfffで提示される辺りは、ブルックナーの模倣だろうか。
音楽の進行は、和声よりも旋律が優先しているのは、ブルックナーよりも、マーラーやショスターコビッチを想起させる。和声の進行は実に巧みである。
十字架のテーマが出てくる。これは、バッハのフーガの技法、或いは、シェーンベルクの主題と変奏等と同様のテーマである。
かれらは、数学的というか有機的にこの十字架のテーマを発展させていくが、佐村河内は、これをむしろ情念を放散させる形で発展させていく。この点は、まさにあの大楽聖ベートーヴェンの手法でもある。上昇音型に高貴さをもたせるやり方。
そうそう、この作品の主題は、「暗黒から光明へ」というまさにベートーヴェンが交響曲を踏襲している。
管弦楽の構成は3管編成であり、マーラーやブルックナーに比べると比較的小規模であるが、打楽器や低音楽器を重点的に響かせるので相対的に分厚い響きである。

第2楽章

速度はアンダンテである。
第1楽章で絶望の暗さに奈落の底に落とされた後、この楽章も漆黒の闇の中にある。
その中で、一筋の希望をつなげている祈りについて描かれている。ショスターコビッチの第5番の第3楽章を想起させられる。後半のトロンボーンによるコラールの演奏は、効果的である。この辺りは、やはりブルックナー等の作品に似ているのか。しかし、中世のキリスト教音楽の旋法や5度音程が示される辺り、もっと古い音楽を志向しているのかもしれない。この楽章もCDでは、20分は続く、いくつかの場面の繋ぎ合わせであるが、残念なのは、マーラーやブルックナーでもシーン毎に作曲してつなぎ合わせて一つの楽章にまとめていくのだが、その接続部が十分に機能していないので、ちぐはぐな印象がぬぐいきれない。そうした不満足感は、フルトヴェングラーの交響曲第3番のラルゴ楽章にもみられる。

第3楽章

これも混沌とした導入部である。第1楽章の続きの様な感じ。ここでもシンコペーションのリズムが導入部であるが、これを回転する様な弦楽合奏が支えて不安な緊張を盛り上げていく。様々な打楽器や特殊楽器も登場。この楽章が一番佐村河内の本領が発揮されたような。でもゲーム音楽にも聞こえてしまうのは偏見だろうか。
 再び十字架音型がファゴットで歌い上げられてから、混沌は徐々に晴れ上がりをみせ始める。
 短調から長調に色調を徐々に変えていく技法、これは、たとえば、ベートーヴェンの運命のスケルツォ楽章から終楽章への移行部の様な役割を果たしているが、この曲の場合は、そんなに単純ではない。
 いくつもコラールがクラリネット等で繰り返される行程を経て徐々に希望の光が差し始めるといった感じか。
 マーラーの巨人の序奏部にみられるフラジオレットがずっと鳴り響いた後、突如フガートが始まる。ヴァイオリンから徐々にに低音楽器に主題が移っていく。この辺りは、チャイコフスキーのロミオとジュリエットのやり方だ。似たようなクラリネットの旋律が入ってくる。
 その後、再び十字音型が入ってくるが、一部の音程が変えられており、徐々に調声は明るさを持つようになっていく。
 つまり、この作品ではベートーヴェンの様に突如、光明が射すのではなくて、様々な音型の積み重ねを経て「光の生成」を紡いでいく。再び嵐となり、猛烈な打楽器の暴威が繰り広げられる。

 トランペットが再び十字音型を吹き始めて、それが発展して長調のファンファーレに変わる。この辺りは、フルトヴェングラーの交響曲第2番のフィナーレを踏襲しているのだろうか。特にコラールが奏される伴奏にシンバルがなるところ等は、実に類似している。更に、頂点でトランペットが旋律を奏でるところは、ショスターコビッチがまた登場する。ゼクエンツの後の救いと慰めの音楽は、ほとんどマーラーの交響曲第3番のアダージョ楽章そのもの。

 こうしてみると佐村河内の第1番は、実にベートーヴェン、ブルックナー、マーラー、リヒャルトシュトラウス、フルトヴェングラーの作品の影響を強く受けているというよりも、集大成を目指していることが伺える。
オタク的ともいえないことはないが、これだけの作品、たとえば、フルトヴェングラーの第3番交響曲よりもずっと内容的にも構成的にも優れているこの作品を聴覚障害者の東洋人の作曲家が作り上げたというところに偉大さを感じざるを得ない。

 今後、交響曲第2番とか作曲するのだろうか。その場合には、第1番でみられたいくつかの作品を模倣するやり方は、もはや通用しない。本当の独創性が問われることになる。でも、僕は、それを大いに期待している。そうなれば、本当にこの日本においてシンフォニストの巨匠が誕生したことになるからだ。

N響ライブ中継2013/02/20 21:18

今日も、NHKFMのらじるらじるのデジ録に嵌っていた。

N響定期公演のライブ中継なので、音質も佳い。

曲目は、こんなの。

- NHK交響楽団 第1750回 定期公演 -

「交響詩“レ・プレリュード”」 リスト作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)準・メルクル

「ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調」 リスト作曲
(ピアノ)ヘルベルト・シュフ
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)準・メルクル

「交響曲 第3番 ハ短調 作品78」 サン・サーンス作曲
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)準・メルクル

~東京・サントリーホールから中継~

途中、うっかりパソコン操作をして、ノイズ(途切れ)が3カ所入ってしまってもったいないので、サウンドエンジンというフリーソフトで編集。
無事にノイズを分からない程度まで抑えることができた。
やはり、デジタルなので、編集も容易。

これをCD-wに焼いて、よければ、MDにダビングするが、MDがなくなってしまったので、買わなければ。

NHKFMでザルツブルク音楽祭の放送が開始2013/02/19 10:11

今週からNHKFMでザルツブルク音楽祭の放送が開始となった。
インターネット放送のらじるらじるで、高音質で楽しんでいる。

超録というソフトで、WAVファイルで収録し、CDやMDに焼いて保存している。長期保存は、MDが多い。MDがパソコンなしで気楽に楽しめるが、ディスクメディアがゴロゴロするのが困る。

ウェルナー・ヘンツェ逝去2012/10/28 11:18

今日の新聞に作曲家(1926年ザルツブルク生まれ)が逝去されたとの報道が。

現代作曲家のうち、僕は、リゲティに次いで好きな人。この人のギターソナタ等を若い頃に習ったが、複雑な変拍子等に手こずった。

クラシックの作曲家で、特に、現代の一流作曲家で、ギター音楽を本格的につくったのは、ヘンツェと武満徹位か。ヴィラ・ロボス等は、現代作曲家とは言えないし。ブローウェルは、ギタリストだし。

実際、ギタリスト以外の人がギター音楽を作曲するには、あまりには、特異なスコア表現や運指、音域の狭さ等を熟知する必要があるので、なかなか作品が生まれない。

ヘンツェは実にこの点で、秀でていた。こんな人がどんどんいなくなって、クラシック音楽の世界も徐々に消えていくのだろうか。

スクロヴァチェフスキー指揮ザールブリュッケン管弦楽団の演奏で、「ODE AN DEN WESTWIND(1953)他の管弦楽曲を今聴いている。
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ブルックナー交響曲全集を4セット買った。2012/10/18 22:16

お・ぶの家に引っ越して来てから、2年と10ヶ月になるが、その間、ブルックナー交響曲全集を4セット買った。全部ヤフオク。

最近は、CDの値段が信じられない程安くなってしまって、先日買ったペーターノストロのビュルテンブルクフィリハーモニーの値段は、たしか、全部で千円程度だった。CD11枚セットが千円。

信じがたい。
演奏は、これが一番、個性的で中期の交響曲までだと、演奏も録音も十分過ぎる程だが、残念ながら7~9番の演奏も録音も今一つ。だから。ディスカウント販売されていたのだろう。

バレンボイム・ベルリンフィルの全集。これは、あんまり個性というものが感じられず、馴染めない。これだとカラヤンの方がずっと面白い。

スクロヴァチェフスキーの全集は、ザール・ブリュッケン交響楽団という、これも2流の団体だが、さすが、スクロヴァさんの指揮は、個性的でブルックナーの交響曲を細部まで分析的に聞かせてくれる。おそらくCDでは聞こえるが、生演奏では無理な細部、そこに面白さを出して来ている。

リッカルド・シャイー指揮ベルリン交響楽団の演奏は、一番、ロマンチックで、これも初期、中期までの作品の演奏は素晴らしいが、後期の作品は、さすがに個性が薄らいでいく。

どれをとっても長所と短所がある。ブルックナーの全集では、実家においてある、インバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏が、1980年代という古い時代の物だが、演奏の質もよく、初期から後期の作品までの取り組む姿勢が安定しているので、一番良いと思う。

朝比奈隆の全集もほぼ全てを持っているが、残念ながらオーケストラの質が低い。今になって聞けば、東京都響辺りを指揮した演奏がもっともオーソドックスで安心して聞くことが出来る。

優雅なインドの国々2011/03/17 23:56

 そういえば、1984年に就職試験を受けた音楽の友社の入社試験問題に、「ラモーの和声法について解説せよ。」というのがあって、色々と悪戦苦闘して回答したことを記憶している。記述試験は合格だったので、きっと、ある程度正しいことを書いたのだろう。(僕は、A新聞、I書店等の一流の出版社等を受けたが、どれも筆記試験は通るのに、面接試験で落ちてしまう。心理検査というのが大きな会社にはあって、それで頭がおかしい奴と思われるか、容貌が醜怪であるとか、つい本音を話してしまうとか、高校の時に某革新系の文学雑誌に小説を投稿していたり、アカであるとか思われたのかもしれない。まぁ、企業や資本家が諸悪の根源であるという思想を持っておれば、どこも合格しないだろう。)

 このところの震災とか原発事故とか色々な鬱陶しい問題が山積している中で、ドイツ音楽は聴く気にもなれず、フランスバロックをバックミュージックに流しながら原稿を書いている。

 この管弦楽組曲「優雅なインドの国々」も愛聴しているCDである。指揮者は、なんと、ヘレヴェッヘで、あのレクイエムとかクラーイ宗教音楽が得意な指揮者とは思えない楽しく優雅な演奏である。

 ラモーの音楽の面白さは、その動感と和声の変化が呼応している点であり、実に色彩の変化に富んでいる。

 「インド風」というのは、こういった動感のことを示しているのだろうか。

 そういえば、私が敬愛する佛教大学の安藤佳香先生の論文にも「インド風」について論じたものがあった様な気がするが、やはり、重心が落ち着いているよりも何か、今、動こうとする様なバランス、構図がインド的なのだとすれば、案外にラモーの音楽と、インド風の仏像との共通点があるのかも知れない。

O let me living die,till death do come.2011/01/30 12:31

 実家にあるクリスキットでは、古楽を中心に聴いている。

 YAMAHAのモニタースピーカーでは、音質が声楽や古楽に適している。管弦楽は、古典派の曲までである。

 特に、最近は、ダウランドがお気に入りである。大学の時には、リコーダーコンソートの伴奏をしていたので、どうしても気に入った曲が多い。

 リコーダーもやっていたので、流れよわが涙も、リュート曲や、ギター編曲版、バン・エイクの無伴奏のリコーダ独奏等、様々なバージョンで楽しんだ。
 
 ここでは、アントニー・ルーリーのコンソート・オブ・ミュージックでは、男声、女声、リュート、ビオラダガンバの組み合わせである。

 クリスキットだと特に、歌い手の顔までもが、表現される感じで、20畳位の部屋で聞くと、本当に生演奏を聴いている様な感じだろう。

 この中で、一番、好きなのは、「暗闇で(暗闇に僕は住みたい」という曲。

 in darkness let me dwell,the ground shall Sorrow be;
The roof Despair to bar all cheerful light from me;
The walls if marble black that moisten'd still shall weep;
My music hellish jarring souds to banish friendly sleep;
Thes wedded to my woes and bedded to my tomb,
O let me living die,till death do come.


何時も、1人で眠る時に、この音楽をかけてから部屋を真っ暗にして、眠りに入るのが日課である。

人は死ぬ前に幼い時のことを想い出す2011/01/27 16:22

 今日はモーツアルトの誕生日。
 彼は、1756年の1月27日にザルツブルクで生まれた。

 OTTAVAでもモーツアルト大特集をやっている。

 モーツアルトの作品で一番好きなのは、やはり、クラリネットコンチェルトである。次いで好きなのは、ピアノコンチェルト第27番である。

 どちらも晩年の作品で、その寂しさは、もう何もかも経験し尽くして、枯れていく人間の境遇とか境地を示していると思う。

 人は死ぬ前に幼い時のことを想い出すというが、将に、27番コンチェルトのロンド楽章は、幼い頃に耳にした旋律なんだろう。ペダルを深く踏んで、フワッとした感じの演奏、そう、もう無くなった井上さんという方の演奏が好きだった。

 ところで、彼の最後のシンフォニーであるジュピター交響曲の最終楽章の主題もフーガであるが、これは、一番、最初に書いた交響曲第1番の第2楽章の主題でもある。

 晩年のモーツアルトが子供の頃を想い出していたのか、あるいは、まだ幼児の様な年齢の彼が、晩年のことを想像して書いたのか、判らない。しかも、この風変わりで印象的な主題をホルンで吹かせている。この時代、ブルックナーでもあるまいし、シンフォニー第2楽章の主題を途中であるとしてもホルンで吹かせるなんて、凄い前衛だったと思う。でも、この楽器の奥深さが、やはり、この少年が、自分が死ぬときのことを考えていたのだと想わせられる。

 モーツアルトが死んだのは、1791年の12月5日。つまり、この人は、冬に生まれ、冬に死んでいる。

 僅か35歳の生涯で、その晩年の作品は、同じ年の人間としては、考えれない程、「晩年らしい」と思う。クラリネット協奏曲は、バセットクラリネットの為に書かれている。つまり、このクラリネットのB♭管で、後にA管向けに編曲されたことが、1967年に元々の作品が発掘されたことでハッキリした。

 このコンチェルトに比べて、ウェーバーのクラリネットコンチェルトがつまらなく聞こえることか。

 モーツアルトの作品に匹敵するのは、唯一、ブラームスのクラリネット五重奏曲である。このロ短調の響きは、モーツアルトのイ長調の曲に比べて、ずっと深刻な筈であるが、モーツアルトの五重奏曲の方が、ずっと哀しげである。

 面白いのは、五重奏曲は、A管で書かれているのに、どうして、コンチェルトの方が、ずっと低い音域のB♭で書かれたんだろう。クラリネットの低音で印象的なのは、あのチャイコフスキーの悲愴の展開部が始まる前のクラリネットのソロであるが、これも底知れぬ低音の不気味な響きである。

 モーツアルトの晩年の作品には、チャイコフスキーの「自殺交響曲」の様な悲惨さはないが、やはり、死というものを意識して書いた作品かもしれない。

 いずれにしても凄く音域の広い曲である。第2楽章が僕は好きである。ウラッハの演奏をよくLPで聞いていた。
 そういえば、「アベ・ベルム・コルプス」も好きである。この合唱曲は、レクイエムよりも本当の死の境地を表していると思う。

 ○寒鴉鳴き声遙かロ短調