「ボストークアルバム誕生50周年」2012/11/17 15:21

切手収集を始めて45年を過ぎる。

アルバムリーフに整理し始めて41年になる。

スタンプマガジン12月号の特集記事は、「ボストークアルバム誕生50周年」

少年の頃からだが、当時の少年向けの切手収集の入門書をみても、アルバムリーフに整理するところまで書かれている本は少なく、日本郵趣協会が各種刊行していた大人向けの入門書にリーフへの整理が書かれていた程度。

1971年になって、スタンプクラブという雑誌が、切手投機対策として、協会から刊行されて、正しい切手整理の方法として、アルバムリーフへの整理が薦められていた。

僕が最初にアルバムに切手を整理したのは、両親にカラー版切手アルバムを買ってもらってから、かなり高額の切手もヒンジでリーフに貼り付けてもったいないことをしたなと当時は思っていた。そう思っていた大人もいたと見えて、ストックリーフに収納するタイプの日本切手アルバムリーフも一時は、発売されたが、マウントが一般化するにつれて姿を消した。

当時、国別切手収集用に日本郵趣協会代理部(郵趣サービス社の前身)から各国のリーフと専用バインダーが発売されていた。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ等の主要国のリーフが、発行された年から順番に整理可能である。今も、国別リーフは、発売されているが、バインダーは廃止、更に新しい追加リーフは発売されても、過去の切手を網羅して整理出来るほどは販売されておらず、40年位昔の方がよかった。

スコット等のカタログをみても、同じ図版の場合は、図版が省略されており、英語力がない小学生にとっては、図入りアルバムの写真データはカタログ以上に貴重であり、郵趣文献としての価値もあった訳。

トピカル収集を当時から行っており、JPS昆虫切手部会等に入っていたが、切手を整理するのは、ブランクリーフ、つまり、ボストーク方眼リーフに、切手をアレンジして、枠線、キャプションを手書きで書いていくのが本格的な方法だった。これも枠線をインクで引くことの難しさ、誤字、文字そのものが下手ということもあり、苦労をしたもの。

その後は、パソコンリーフが販売されて枠線も印字も全てPCで可能になった。私の場合は、データベースに入力したデータをそのままリーフに出力出来るようにアクセスというデータベースをカスタマイズして使用している。

それにしても感心なのは、50年前に魚木さんがアメリカから、現在のボストークリーフ、バインダーの原型となるホワイト・エースアルバムを我が国に伝えて、それを、国産化したのが、JPSの水原理事長。

その後、紆余曲折があったものの、同じ規格の商品がずっと販売され続けている。そのおかげで、バインダー等は交換しても同じ規格のアルバムリーフが数十冊も一貫性を保ってコレクションを保管・整理しておけるという恩恵を私たちは、享受して来た。

ボストーク、マーキュリー、ルナ等、当時の米ソの宇宙開発競争の世相を反映して命名されたアルバム製品、今後も発売を続けて欲しいと願っている。

ドイツ青少年福祉シリーズ2012/10/22 21:20

ドイツ青少年福祉シリーズ 2012/09/08発行

ドイツの歴史的蒸気機関車、王立バイエルン邦有鉄道「S3/6」型。急行旅客列車用として製造された車軸配置2C1型、同「Ptl2/2」型、レオポルド・フリードリヒ機関車 1800年代製造。

やぁ、久しぶりに切手買いました。昔は、いっぱい集めていました。

イギリスが久しぶりに本格的な蒸気機関車の切手を出した2011/03/22 22:35

今日は、久しぶりに郵趣サービス社から通販で購入したイギリスの蒸気機関車切手のアルバムリーフを作成。

昔は、蒸気機関車の切手を収集していた。それ以外に音楽切手も収集していたが、後半は、蒸気機関車が中心となった。

音楽切手は、JAPEXという全国切手展に出品して銀賞を受賞したが、蒸気機関車は、トピカル展で銀銅賞だった。

蒸気機関車切手の頒布会(郵趣サービス社)も入っていたことがあるが、結局、ケバケバしいデザインの土侯国の切手が多かったので止めた。

最近では、日本がかつての土侯国並みに値段が張る切手を発行して、1年間分の発行切手を全て収集しようと思えば、それで数万円もかかってしまう馬鹿らしい状況となっている。

こういった中で、イギリスが久しぶりに本格的な蒸気機関車の切手を出したというので、郵趣サービス社のネット通販で購入。

早速、切手について調べてみるとこんな具合。

Classic Locomotives of England 1st February 2011

Royal Mail pays tribute to the ‘workhorses’ of the railways; many of which had working lives of several decades before diesel and electric technology completely took over in the 1960s.

と言う訳で、日本同様に1960年代までに大部分が電化されてしまった蒸気機関車の特集。

http://www.royalmail.com/portal/stamps/content1?catId=133700791&mediaId=133800793

切手収集品は、元より、学術論文用に収集した資料や図像等は、全て、マイクロソフトACCESSに分類しており、今では、膨大な分量になっている。

汎用リレーショナルデータベースの良い点は、いくらでもテーブルを改造出来ることと、クエリの設定次第で、実に多様なデータを抽出して出力出来る点であり、マイクロソフトのアプリで唯一評価しているのはACESSである。

オフィスプロフェッショナルにしかついていないので、残念だが、仕事にも論文にも趣味にも活用している。

ただ、今回のFDCは、サイズがレターサイズの切手整理用リーフに大きすぎるので、こんな風に無理に収めている。以前は、画像の図版データまで収録していたが、止めた。

日本の1993年から2003年までの10年間に発行されたJPS初日カバーは、全て図像データベースの形でACESSに入っているが、これも途中で止めてしまった。

整理が大変というよりもお金が続かなくなってしまった為。

男性合唱曲「ヘルゴラント」(WAB71)2010/12/12 11:10

 アントン・ブルックナーの最後の完成作品である男性合唱曲「ヘルゴラント」(WAB71)は、1893年8月7日完成、初演10月8日冬季ウィーン乗馬学校で初演された。

 ウィーン冬季乗馬学校は、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも何回か登場している。

 その後、交響曲第9番に着手して、1894年には、第1~第3楽章を完成するが、1896年の彼の死を持ってフィナーレは、未完に終わった。

 交響曲第9番ニ短調(WAB109)は、交響曲第8番ハ短調(WAB108)の第1稿(1887年版)が完成後、すぐに着手されたが、第1稿の改訂や交響曲第3番の改訂、同第1番ウィーン稿の改訂等に明け暮れしている内に、完成が遅れてしまった。

 従って、ヘルゴラントが、ブルックナー在世中の最後の完成作品となる。第9が未完成に終わる可能性が強まった最晩年には、未完のフィナーレに替わって「テ・デウム」(WAB45)を代わりに演奏する様に指定しているが、作品番号が示す通り、中期の終わり頃で、ようやく後期の作風が出てきた頃の作品なので、晩年の作品である第9に比べて違和感が強い。むしろ、ヘルゴラントの方が、声楽付きになる予定であったフィナーレの作風に近いものを示しているのではないかとみられる。

 未完成のフィナーレについては、器楽部分のいくつかの断片が残されているが、もっとも重要なコーダの部分が残されていないので、20世紀以降に試みられた大部分の補筆完成版では、この部分を編曲者の作曲によるしかない。そうして、ブルックナーのオリジナルではない編曲版のこの部分に来て、聴き手は、違和感と失望感を味わざるを得ないのである。

 こうした中で、ヘルゴラントの終結部の不響和音が響和音に見事に変容して、解決していく見事さをみると、交響曲第9番第3楽章にみられる不響和音が響和音に解決されるコーダをブルックナーが考えていたことが想像され、それは、このヘルゴラントの終結部に近いものであったとも推察される。

 現在、合唱曲ヘルゴラントを聴けるのは、ダニエル・バレンボイム指揮のシカゴ交響楽団とベルリンフィルの2つの音盤であるが、ベルリンフィルの方は、ブルックナー全集に収録されたもので入手が難しかったのをオークションで今回入手して、楽しんでいる。

 聞き比べをすると、残念ながらというかやはりというか、最初に録音したシカゴ交響楽団のヘルゴラントの方が、輝かしさに満ちて見事である。男声合唱団の技量は、ベルリンフィル盤の方が勝っているが、全体の表現、その直裁性については、シカゴ盤の方が、数段勝っていて感動が与えられる。

 「解放されたヘルゴラントに神の全ての賞賛あれ!」(筆者訳)の部分の表現が実に卓越しているのがシカゴ盤である。

 ブルックナーが男性合唱曲ヘルゴラントが作曲されたのは、同港は、もともとイギリス領であったのが、1890年にヘルゴラント・ザンジバル協定によって、ドイツ領となったのを記念する式典用と作曲されたようである。

 切手は、私の19世紀英領・独領の切手コレクションの中で、1867年から1875年に発行されたものをまとめたものである。美しい色調で真ん中には、エンボスでビクトリア女王の肖像が彫り込まれているまるで工芸芸術作品の様な切手達である。

ナチスドイツによるオーストリア併合の歴史的事実2010/10/26 21:21

 折角のモーツアルト死去150周年記念カバーが、ヒトラー切手と混貼とは。

 普通の切手との混貼りだと、このFDCは、かなり良い値段がついたと思われるが、これは、1200円で入手。

 オーストリアのウィーンの消印だが、ドイツ切手が貼られているのは、ナチスドイツによるオーストリア併合の歴史的事実を示している。

 各地で、つくられたナチスのユダヤ人収容所。ここでは、優秀なユダヤ人の弦楽奏者が、モーツアルトの四重奏曲を奏でていたという。

 各地のユダヤ人収容所には、あのアウシュビッツでもそうだが、必ず、ユダヤ人の楽団がいた。これは、収容者の娯楽ではなくて、ナチスの将校達の為の慰めだったという。

 このカバーもそうした悲劇を物語っているかのよう。

 WIPAのカバーに始まり、音楽切手のカバー類(戦前のもののみ)を中心に収集している。なかなか良いものが集まりにくい。

ショパンが生まれてから200年も経っているなんて、信じられない2010/10/07 23:29

 先月末に郵趣サービス社のネット販売で買ったポーランドのショパン生誕200周年記念FDC等を整理する。

 北海道出張なので、なかなか整理出来なかったが、今日の夜遅くになってやってみた。

 切手のデータを入れると、台紙(リーフ)が自動的に印刷される仕組み。

 リーフの下の段にそれぞれの説明が入る様にしてある。

 さすがにポーランドのショパン切手(右)は力が入っているが、昔のショパン切手(スラニアというスウェーデンの彫刻家が凹版を彫った)のに比べると、やはり、今の切手は下品。

 この他、ブルガリアは、ショパンとシューマンの生誕200年記念を発行。これもデザインは今ひとつ。

 さすがにドイツ、オーストリアの切手は普通(他の国の切手に比べると上品に見える)である。でもシューマンの生誕200周年の切手(ドイツ)のは、デザインが悪い。オーストリアのマーラー生誕150年も今ひとつ出来が悪い。ハイドン死去200年(オーストリア)これも今ひとつ、パッとしない。

 21世紀に入っても人物切手が発行されているが、昔の様な品位がどの国の切手にもみられない。

 昔ながらの気品ある凹版の芸術品の様な切手を発行してくれたら、みんな喜ぶと思う。

 それにしてもショパンが生まれてから200年も経っているなんて、信じられない。ショパンの音楽は、そのまま僕の心の中に染みこんでくるし、現代人の感性にそのままつながる音楽を200年前に生まれた人が作曲したなんて信じられない。

 さらに信じられないのは、シューマンとショパンの生年が同じというのも凄い。

 シューマンの音楽を聴くと、シューベルト等の初期ロマン派の系列の音楽の様に聞こえる。ショパンに比べてやはり伝統的で、時代がかって聞こえることが多い。

 ショパンのピアノソナタ第2番の終楽章を聞くと良い。そこには、もはや原子の配列の様なセリ-が聞こえさえしているのだ。

日米安保条約の切手2010/09/27 11:56


会社から給与明細が送られてきた。最近では、経営が悪いので、給与も遅配気味。欠配あると困るがまだ、そこまではいっていない。

何時も記念特殊切手を貼って送ってくれる。

日米安全保障条約で大変な反対運動が起こったこと等は過去の出来事。今の世の中の出来事で、どの様な出来事が切手にされていくのだろうか。

おそらく、その時には、自分は、もうこの世にいないかも知れない。

この女優さん誰だっけ。2010/09/26 23:35

今日、ポストに入っていた手紙。

郵趣サービス社からだが、この切手は面白いと思う。一瞬、ドキッとするね。

この女優さん誰だっけ。

このダイレクトメールの効果ではないが、今日は、ドイツとポーランド、ハンガリーのショパンとシューマンの生誕200年記念切手と郵趣サービス社に注文。この他にも、オーストリアの音楽切手を数種類購入。

最近では、大抵の切手がネットで手軽に買えるので良い。
http://www.stamaga.net/

びしょ濡れです2010/07/30 13:20

 郵趣8月号が昨日届いた。

 大雨の為にポストが濡れていたので、表紙とか濡れてしまって、がっかり。

 ポストをもう少し安心出来るものに替えなければと思うが、昔販売されていた家庭用のポスト
赤色の奴が、今は、販売されておらず、良いものがなかなか見当たらない。

 今のポストの受け口の部分にタラップというか蓋がないので、雨水が吹き込むのだと思う。

 おうぶの雨は、エゲツナイほどに降るので、ほんの少しの隙間から水が染みこむので、住宅の雨漏り対策も苦労している。

 郵趣もようやく乾いたので読もうと思う。少し皺になってしまった。郵趣協会が正会員から通常会員になってからの方が、良く、この雑誌を読む様になり、郵趣会にも参加する様になった。

 郵趣が、例えば、IPADとか、パソコンとかで、みれる様にしてくれたらと思う。最近、文字に目を通すのは、大抵は、ディスプレーなので、紙媒体は、殆ど使わなくなってしまった。

 しかし、切手収集は、紙の趣味なので、紙媒体の拘るのもそれなりに意義はある。

クララ・シューマン2010/07/29 22:57

 デュッセルドルフに赴任している知人からメールが来た。

 「今年は、シューマン生誕200年という記念すべき年なので、ここでも色々な演奏会が開かれているよ。」という。


 誠に羨ましいが、駐在は、僅か1名、それでも欧州各地で、情報収集をしなければならないのも大変なので、そういった息抜きがあっても良いと思う。

 ドイツ切手のパケットを整理していて、やはり、見つけたのが、このクララ・シューマンである。

 クララと出会った当時、ロベルト・シューマンは、駆け出しの音楽家で、ピアニストを志望していた。

 彼は、薬指なにかを痛めて演奏家を断念して、作曲家になったが、クララの父親は、シューマンとの結婚を反対した。

 ピアノの弟子でもあったから、ロベルトの不健康というか、独特の個性にも気づいていて、結婚もうまく行かないと思ったのだろう。

 親の反対を押し切って結婚したクララは、自らも作曲家というか音楽家志望であったが、夢を棄てて、夫に尽くした。

 この辺りは、グスタフ・マーラーの妻、アルマ・マーラーとも似ているが、アルママーラーは、実に奔放な性格だし、夫に作曲を禁じられても、チェムリンスキーの門下生として、歌曲集を発表したり、画家と浮気さえもしている。

 アルママーラーの歌曲集を聴く機会があったが、20世紀初頭の作品としては、時代遅れの感もあるが、当時としては、師匠のチェムリンスキーより優れた領域には達していた。

 「自由な女」、アルマに比べて、クララは実に慎ましかった。

 クララは、ロベルトとの結婚後よりも、ロベルトが、狂い死にしてから、子供たちを食べさせる為に、演奏家として復帰した。

 ブラームスとの親好を深め、彼にとって、クララは、永遠の女性となった。

 ブラームスが晩年に最後に作曲した管弦楽曲である二重協奏曲の草稿をクララに見せたが、「つまらない作品」と批評されて、晩年の彼は悲嘆の底に沈んだ。

 そうして、いかにも陰気なオルガンの為のコラール集等の一連の宗教音楽を作曲したりする訳だ。

 クララは、思ったことを、ずけずけという、気性の強いしっかりとした女性であった。

 ロベルトもこの16歳当時のクララのギリシャ彫像の様な美しさにだけ惹かれたのではなくて、やはり、気丈なところにマザコンを刺激されたのかも知れない。

 話は変わるが、10年位前の夏の日に、偶然にも診察したもらった女医(歯科医)の先生が、クララそっくりの美貌なので驚いた。

 この人は、美貌とは裏腹に、男勝りの歯科医として、時には、残忍・冷酷な腕前をみせてくれる。超音波メスで歯茎を切り裂いた時に、血が出ようが、患者が痛がろうが、外科的治療に集中する。

 クララ・シューマンそっくりだ。

 欧米人の血が流れているのだろうか。

 あまりにも不思議なので、歯科医院が閉まるのを待って、遠くから、この人を観察しようとして、知らないふりをして、医院の前を通り過ぎようとしたことがある。

 歯科の診察は、顔を近づけてやらざるを得ないが、どうゆう訳か、顔には覆いが掛けられなかったので、こんな美しい人を身近にみる幸運に恵まれたのである。

 そんな時に、男ならば、どんな風に感じるだろうか。大理石の彫像の様な白い肌、それが仄かに青白さが、本当に美しいものの不健全さを感じさせる。

 紫式部の歌にも「ちかまさりする桃の花」という表現があるが、近くでみれば、その美しさが際立つ。

 後で知ったことだが、その頃には、最初のお子さんがお腹の中にいたそうだ。そういった時に女性は、最高の美しさが見せるのかも知れない。

 乙女から女に変貌する瞬間にみせる妖しい爛熟である。

 それから、もう10年以上も経っていて、あの不思議な程の目まぐるしい様な美しさからは、幾分、遠のいてしまったが、クララ・シューマンの切手をみる度に、その美しさを想い出さざるを得ないのである。