きっと商売になると思う ― 2011/01/22 11:21
五味は、○○○だから、こんな馬鹿でかい音で聴きよるんか ― 2010/12/19 22:53
炬燵に入ってクラシック音楽等を聴くのが楽しい季節になった。
特にウィーンフィルでカールベームのシューベルトとかモーツァルトのシンフォニーが好き。
今日は、シューベルトの交響曲第5番を聴いた。この曲がシューベルトの交響曲で一番好き。一番嫌いなのが、あのザ・グレート(長いだけの様な気がする。)
装置は、K先生のとは比べものにならない「貧困コンポ」である。
12年前に初めて制作したエレキットのTU870は、良い音がしている。ボリウムにガリが出たので交換したが、基盤に載せるタイプのボリウムなので、アルプス電気等を捜したが、基盤の穴に合うものがなかったので、基盤に電線を這わしてつけている。ついでもツマミも交換した。
このアンプキットはシャブリ尽くした感じ。回路図もあったので、全く、回路でデッドコピーしてタンゴのトランスで作り直したのもある。トランスがタンゴに換わると,さすがにレンジが伸びるから不思議。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/6bm8.htm
右は、真空管式CDプレイヤーで、これもエレキットのもの。最初に販売されたもの。音の方は、真空管を使っている割りには,音が固い。少しでも柔らかい音を出させる為に、12AU7Aをオールド品に交換したいと思っている。
右は、先日、ヤフオクで5千円で落札した、パイオニアのエッジレススピーカー。
エッジレススピーカーは、この会社幾つか販売しており、管球王国にも「球向き」と紹介されていたが、実際、自然な音がして良い。但し、中音域にややエコーがかかった様な音(つまり音像がボヤケ気味)になるのが、気になる。ボーカル等は良いが、器楽では、やや中抜け感にもつながる。低音は凄くなる。ソフトドームが潰れていたので、安かった。
何時も不思議に思うのは、ヨドバシとかの展示品でもソフトドームが潰れたのをみかけるが、あれをどうしても潰したくなる人っているのね。
これもガムテープとか粘着力のあるテープで窪みに何か尖った棒で擦り擦りして、くっつけてから、ボチッと引っ張る様にしていると、徐々に元通りになる。
いずれにしても、こんな貧弱なシステムでも十分に楽しめるので、高価なシステムを買う金があったら、CDとかソフトを買ったり、実際の演奏会等に出かけたりした方が、どっかの先生よりも知的だと思いますが。
この先生は、部屋全体をエンクロージャーにして、80㎝超低音ウーハーを入れているというが、いずれ、コンクリートホーンへと進化を遂げるかも。
そうなると五味康祐の『オーディオ遍歴』という新潮文庫を読んだことが想い出される。
http://toyovax.sakura.ne.jp/audio/tannoy.htm
高城重躬というエライ先生が勧めたんでコンクリートホーンにしたのだが、巨大な噴火口の様なホーンの入り口から空気の様に迫ってくる超低音に感動。まるでバイロイトのオーケストラボックスから上がってくる音の様と最初は思っていたのだが、こういった超低音、大型のホーンやスピーカーから聞こえてくる音は、「実体感」がない。
小林秀雄が五味の家に来て、「五味は、○○○だから、こんな馬鹿でかい音で聴きよるんか。」といったそう。
小林がオーディオ談義しているSP録音を聴いたことがあるが、この人の毒舌ぶりは凄い。
そんな話は別にして、マルチアンプシステムで別々のシステムから音が出てくると、例えば、1人のソリストが数人別々の楽器を演奏している様で、なじめないということで、タンノイのオートグラフに替えたという文章がある。
僕もそう思う。マルチアンプ・スピーカーのシステムは、まだ、ネットワークならば、救いようがあるが、チャンネルデバイダーを介して、別々のパワーアンプで、1個の楽器音が再生された場合、およそ実体感の無い、不気味な音に聞こえる。
また、マルチスピーカーにネットワークを介しても、結局、このネットワークというのが、交流理論を学んだ人は、判ると思うが、アスペクトが狂ってしまうので、正確な音の再生は、難しい。
だから、1階の部屋で、アナログ専用のシステムに使用しているSE-120が、ロクハン1本で、これがベストだと思う。
特にウィーンフィルでカールベームのシューベルトとかモーツァルトのシンフォニーが好き。
今日は、シューベルトの交響曲第5番を聴いた。この曲がシューベルトの交響曲で一番好き。一番嫌いなのが、あのザ・グレート(長いだけの様な気がする。)
装置は、K先生のとは比べものにならない「貧困コンポ」である。
12年前に初めて制作したエレキットのTU870は、良い音がしている。ボリウムにガリが出たので交換したが、基盤に載せるタイプのボリウムなので、アルプス電気等を捜したが、基盤の穴に合うものがなかったので、基盤に電線を這わしてつけている。ついでもツマミも交換した。
このアンプキットはシャブリ尽くした感じ。回路図もあったので、全く、回路でデッドコピーしてタンゴのトランスで作り直したのもある。トランスがタンゴに換わると,さすがにレンジが伸びるから不思議。
http://www.asahi-net.or.jp/~ZZ2T-FRY/6bm8.htm
右は、真空管式CDプレイヤーで、これもエレキットのもの。最初に販売されたもの。音の方は、真空管を使っている割りには,音が固い。少しでも柔らかい音を出させる為に、12AU7Aをオールド品に交換したいと思っている。
右は、先日、ヤフオクで5千円で落札した、パイオニアのエッジレススピーカー。
エッジレススピーカーは、この会社幾つか販売しており、管球王国にも「球向き」と紹介されていたが、実際、自然な音がして良い。但し、中音域にややエコーがかかった様な音(つまり音像がボヤケ気味)になるのが、気になる。ボーカル等は良いが、器楽では、やや中抜け感にもつながる。低音は凄くなる。ソフトドームが潰れていたので、安かった。
何時も不思議に思うのは、ヨドバシとかの展示品でもソフトドームが潰れたのをみかけるが、あれをどうしても潰したくなる人っているのね。
これもガムテープとか粘着力のあるテープで窪みに何か尖った棒で擦り擦りして、くっつけてから、ボチッと引っ張る様にしていると、徐々に元通りになる。
いずれにしても、こんな貧弱なシステムでも十分に楽しめるので、高価なシステムを買う金があったら、CDとかソフトを買ったり、実際の演奏会等に出かけたりした方が、どっかの先生よりも知的だと思いますが。
この先生は、部屋全体をエンクロージャーにして、80㎝超低音ウーハーを入れているというが、いずれ、コンクリートホーンへと進化を遂げるかも。
そうなると五味康祐の『オーディオ遍歴』という新潮文庫を読んだことが想い出される。
http://toyovax.sakura.ne.jp/audio/tannoy.htm
高城重躬というエライ先生が勧めたんでコンクリートホーンにしたのだが、巨大な噴火口の様なホーンの入り口から空気の様に迫ってくる超低音に感動。まるでバイロイトのオーケストラボックスから上がってくる音の様と最初は思っていたのだが、こういった超低音、大型のホーンやスピーカーから聞こえてくる音は、「実体感」がない。
小林秀雄が五味の家に来て、「五味は、○○○だから、こんな馬鹿でかい音で聴きよるんか。」といったそう。
小林がオーディオ談義しているSP録音を聴いたことがあるが、この人の毒舌ぶりは凄い。
そんな話は別にして、マルチアンプシステムで別々のシステムから音が出てくると、例えば、1人のソリストが数人別々の楽器を演奏している様で、なじめないということで、タンノイのオートグラフに替えたという文章がある。
僕もそう思う。マルチアンプ・スピーカーのシステムは、まだ、ネットワークならば、救いようがあるが、チャンネルデバイダーを介して、別々のパワーアンプで、1個の楽器音が再生された場合、およそ実体感の無い、不気味な音に聞こえる。
また、マルチスピーカーにネットワークを介しても、結局、このネットワークというのが、交流理論を学んだ人は、判ると思うが、アスペクトが狂ってしまうので、正確な音の再生は、難しい。
だから、1階の部屋で、アナログ専用のシステムに使用しているSE-120が、ロクハン1本で、これがベストだと思う。
第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ ― 2010/10/12 21:18
仕事が終わると、一杯やりながら、アナログレコードを聴くのが、最大の楽しみである。
音楽室には、オーディオシステムと椅子しか置いていないので、音も良く響く。(今後、鍵盤楽器を置く予定)
CDでは、聴く態度が散漫になってしまいがちだが、どうゆう訳か、アナログレコードでは、シンフォニーが1曲終わるまで、集中して耳を傾けてしまう。
LPを聴くシステムは、増幅素子はイコライザー、ラインアンプ、パワーアンプを含めて全て管球式で、イコライザーアンプが
4本、ラインアンプが2本、そして、写真のパワーアンプが5本、合計11本の真空管を使用している。(1本は、交流→直流変換用)
半導体素子は、イコライザーアンプ及びラインアンプの電源部のダイオードを除いて、使用していない。至って丈夫で、今年で作成して12年を迎えるが、真空管は1回交換したが、まったく故障はおきていない。市販のAV機器は、7~8年が寿命だが、これは、交換部品がある限り稼動し続ける。
今日聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番(アンドレ・クリュインタンス指揮、伯林フィルハーモニー管弦楽団)。
ベートーヴェンの交響曲の中で、以前は、奇数番号を中心に聞いていたが、3、5、7、9番を聴かなくなり、その後、2番も聴かなくなった。今、好んで聴いているのは、1番、4番、8番の3曲である。
別にベートーヴェンが嫌いなのではない。奇数番は、所謂名盤が数多あって、SP時代から、古楽器演奏に至るまで聞き尽くしてしまって、少し食傷してしまった。
しかし、1、4、8番はなんど聴いても飽きない。1番は、第1~2楽章、第4楽章が良い。特に第2楽章を気分が優れない時に聴くと治療効果がある。あの幼児が、トントンと歩いていく様な感じが心の慰めになる。
8番は、第1楽章はしつこい動機の繰り返しが7番並みであるので、少しウンザリだが、あの可憐なメトロノームを模して作曲された第2楽章とユーモラスなホルンのトリオが聴ける第3楽章のメヌエットが出色の出来である。このホルンの演奏が非常に難しい。昔、オットー・クレンペラー、フィルハーモニア菅の演奏会で、デニスブレインの演奏を聴いたが、さすがに上手だった。
しかし、4番は、特別だ。
第1楽章の導入部から主題の開始のワクワクする気分。第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ。第3楽章は少し弱いが、圧倒的な盛り上がり、速度感を持ったフィナーレが最後のコーダに向かって、また、静かな回想に戻り、ふと我に返ったかの様にアレグロで終わるコーダ。素晴らしい。
特に4番で何が優れているかと言えば、楽器法がどの交響曲よりも優れている点である。特にファゴットやビオラ、チェロ等の中低音楽器の用法が、以前のシンフォニーに比べて進歩している。その成果は、第5~第6番にも現れているが、かなり、表面的な効果を狙っているのに対して、第4番では、あくまでもインティメートな効果を狙っている点が素晴らしい。
楽器法の工夫による地味な渋い色彩感が、この曲の静謐な古典性の価値を一層高めていると言っても過言ではない。しかし、良い演奏は少ない。大抵の指揮者は、効果を狙ってあざとく演奏してしまう。
そういった点で、アンドレ・クリュインタンスは、フランスの指揮者の良さと伯林フィルの精緻な表現技術がブレンドされて、なんの作為もなくて、自然な音楽が流れていく。
こうした「自然な演奏」は、やはり、本来のアナログレコードと真空管アンプで聴いてこそ価値が発揮されるのだと僕は思う。
音楽室には、オーディオシステムと椅子しか置いていないので、音も良く響く。(今後、鍵盤楽器を置く予定)
CDでは、聴く態度が散漫になってしまいがちだが、どうゆう訳か、アナログレコードでは、シンフォニーが1曲終わるまで、集中して耳を傾けてしまう。
LPを聴くシステムは、増幅素子はイコライザー、ラインアンプ、パワーアンプを含めて全て管球式で、イコライザーアンプが
4本、ラインアンプが2本、そして、写真のパワーアンプが5本、合計11本の真空管を使用している。(1本は、交流→直流変換用)
半導体素子は、イコライザーアンプ及びラインアンプの電源部のダイオードを除いて、使用していない。至って丈夫で、今年で作成して12年を迎えるが、真空管は1回交換したが、まったく故障はおきていない。市販のAV機器は、7~8年が寿命だが、これは、交換部品がある限り稼動し続ける。
今日聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番(アンドレ・クリュインタンス指揮、伯林フィルハーモニー管弦楽団)。
ベートーヴェンの交響曲の中で、以前は、奇数番号を中心に聞いていたが、3、5、7、9番を聴かなくなり、その後、2番も聴かなくなった。今、好んで聴いているのは、1番、4番、8番の3曲である。
別にベートーヴェンが嫌いなのではない。奇数番は、所謂名盤が数多あって、SP時代から、古楽器演奏に至るまで聞き尽くしてしまって、少し食傷してしまった。
しかし、1、4、8番はなんど聴いても飽きない。1番は、第1~2楽章、第4楽章が良い。特に第2楽章を気分が優れない時に聴くと治療効果がある。あの幼児が、トントンと歩いていく様な感じが心の慰めになる。
8番は、第1楽章はしつこい動機の繰り返しが7番並みであるので、少しウンザリだが、あの可憐なメトロノームを模して作曲された第2楽章とユーモラスなホルンのトリオが聴ける第3楽章のメヌエットが出色の出来である。このホルンの演奏が非常に難しい。昔、オットー・クレンペラー、フィルハーモニア菅の演奏会で、デニスブレインの演奏を聴いたが、さすがに上手だった。
しかし、4番は、特別だ。
第1楽章の導入部から主題の開始のワクワクする気分。第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ。第3楽章は少し弱いが、圧倒的な盛り上がり、速度感を持ったフィナーレが最後のコーダに向かって、また、静かな回想に戻り、ふと我に返ったかの様にアレグロで終わるコーダ。素晴らしい。
特に4番で何が優れているかと言えば、楽器法がどの交響曲よりも優れている点である。特にファゴットやビオラ、チェロ等の中低音楽器の用法が、以前のシンフォニーに比べて進歩している。その成果は、第5~第6番にも現れているが、かなり、表面的な効果を狙っているのに対して、第4番では、あくまでもインティメートな効果を狙っている点が素晴らしい。
楽器法の工夫による地味な渋い色彩感が、この曲の静謐な古典性の価値を一層高めていると言っても過言ではない。しかし、良い演奏は少ない。大抵の指揮者は、効果を狙ってあざとく演奏してしまう。
そういった点で、アンドレ・クリュインタンスは、フランスの指揮者の良さと伯林フィルの精緻な表現技術がブレンドされて、なんの作為もなくて、自然な音楽が流れていく。
こうした「自然な演奏」は、やはり、本来のアナログレコードと真空管アンプで聴いてこそ価値が発揮されるのだと僕は思う。
カミーユ・モラーヌの歌 ― 2010/06/22 21:09
今日は、カミーユ・モラーヌの歌でフォーレの歌曲集を聴いた。
こういった湿気のある風が吹く日の朝に聴くには良い曲かも。
このLP、300円だった。
歌詞カードがついていないから、それとも、あまりにも渋い選曲だからか。
音質は普通。
曲目は、
1.優しい歌op.61~後光に囲まれた聖女さま(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
2.優しい歌op.61~暁の光は広がり(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
3.優しい歌op.61~白い月(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
4.優しい歌op.61~ぼくは不実な道を歩いていた(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
5.優しい歌op.61~ほんとに,ぼくはこわいくらいだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
6.優しい歌op.61~おまえが消えてゆくまえに(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
7.優しい歌op.61~さて,それは在る明るい夏の日のことだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
8.優しい歌op.61~ねえ,どうだい?(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
9.優しい歌op.61~冬は終わった(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
10.伴奏op.85-3(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
11.夜曲op.43-2(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
この中で、白い月は、良く叔母が、ピアノを弾きながら歌っていた。僕は、フランス語が分からないので、なにやら物憂げな曲だなーと思った程度。
フォーレの作品は、レクイエムとかパバーヌ等、あるいは、少し渋くなるが、ヴァイオリンソナタ等もあるが、やはり、本命は、歌曲集だろう。
パンゼラのSPの復刻も良く聴いていたが、モラーヌの方が、現代的というかニヒル。
パンゼラは、甘い声で、メロディーによりかかるが、モラーヌは、歌詞の方に傾斜している。
しかし、サンボリズムの詩は、私には高尚過ぎる。
竹中郁とか、祖父の家に来ていたが、よくサンボリズムについて話していたっけ。
こういった湿気のある風が吹く日の朝に聴くには良い曲かも。
このLP、300円だった。
歌詞カードがついていないから、それとも、あまりにも渋い選曲だからか。
音質は普通。
曲目は、
1.優しい歌op.61~後光に囲まれた聖女さま(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
2.優しい歌op.61~暁の光は広がり(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
3.優しい歌op.61~白い月(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
4.優しい歌op.61~ぼくは不実な道を歩いていた(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
5.優しい歌op.61~ほんとに,ぼくはこわいくらいだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
6.優しい歌op.61~おまえが消えてゆくまえに(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
7.優しい歌op.61~さて,それは在る明るい夏の日のことだ(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
8.優しい歌op.61~ねえ,どうだい?(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
9.優しい歌op.61~冬は終わった(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
10.伴奏op.85-3(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
11.夜曲op.43-2(ガブリエル・フォーレ:歌曲集)
この中で、白い月は、良く叔母が、ピアノを弾きながら歌っていた。僕は、フランス語が分からないので、なにやら物憂げな曲だなーと思った程度。
フォーレの作品は、レクイエムとかパバーヌ等、あるいは、少し渋くなるが、ヴァイオリンソナタ等もあるが、やはり、本命は、歌曲集だろう。
パンゼラのSPの復刻も良く聴いていたが、モラーヌの方が、現代的というかニヒル。
パンゼラは、甘い声で、メロディーによりかかるが、モラーヌは、歌詞の方に傾斜している。
しかし、サンボリズムの詩は、私には高尚過ぎる。
竹中郁とか、祖父の家に来ていたが、よくサンボリズムについて話していたっけ。
最後に演奏されたカリオンの響きだけは、その哀しさを忘れることはできないという ― 2010/04/18 10:39
実家の自分の部屋に戻ると安らぐ。
穴倉みたいなところに本やレコード、収集物に囲まれていると、本当に落ち着き、夜もよく眠れる。
かなりのアナログレコードが置いたままになっているので、聴く。
アンプは、300Bシングル。
フランスバロックの声楽曲が多い。フランスの音楽はその地味な色彩性と歌謡性が特徴で、構造を重視するドイツ、オーストリア系のバロックや派手なイタリアバロックとも違う。
フランスのシャンソンは、ルネサンス時代に発達した。それは、モノフォニーの世俗曲が中心だったが、ポリフォニー曲にも独特の和声の色彩感と共に引き継がれている。
バロック時代には、世俗的歌曲は、廃れるが、むしろ宗教曲に、そのフランス音楽独自の特色が現れており、フランスバロック音楽の1つの特色を示している。
フランスバロックでは、器楽音楽は、宮廷舞踏曲や式典用に作曲されたために派手な側面が強いが、宗教曲は、静謐ではあるが、情熱的な歌謡が独唱、合唱の側面に聞かれるし、フーガの楽章等は、宮廷器楽音楽の華やかな側面もみられ、多様性を持っている。
私がフランスバロック音楽に親しんだのは、中学校位の頃に、バッハのフランス組曲を倣っていて、それを叔母の前で演奏した時に、「フランス風序曲のリズムとしては、重い。」との評価を受けて、手本に、クープランやラモーやリュリ等の曲を弾いて聴かせてくれた。
特にラモーの曲については、これまで聴いたことの無いような響きの深みを持っていた。
その後、ギターも演奏する様になり、ルイ14世の時代の組曲とか、トンボー(死者の墓に捧ぐ音楽)等を演奏する様になった。
フランス人は、死の悲しみの感情を音化するのに熱心だった。それは、死について歌った歌が多かったためかも知れない。
その色彩は、派手ではないが、色調は強く、深みをおびている。その深みは、やはり人生の哀しみを意識した色だったに違いない。
叔母は、高等美術院の近くのパリ郊外の教会で行われた旧貴族の葬儀の様子について話してくれた。それは、葬儀とは思われないような華やかなものであったが、最後に演奏されたカリオンの響きだけは、その哀しさを忘れることはできないという。
そうして、私が死んだ時には、カンプラのレクイエム(写真のCD)を演奏して欲しいといっていた。奉献唱の後にくるフーガの楽章の後半で、カリオンの主題が演奏されるから。
カリオンの響きは死者の気持ちを内在している。その高低の響きを聞いている内に、生者との離別の哀しさや死の苦しみのつらい思い出、孤独の寂しさを忘れて、響きと共に、往生させてもらえるからかもしれない。
カンプラと同じ時代の作曲家、ジルのレクイエムには、カリオンの楽章はないが、このヘルヴェッヘの演奏では、別の作曲家のカリオン曲を最後につけて死者への弔いとしている。
今、聞いているのは、オルランド・ラッソのレクイエムである。これは、ジルやカンプラよりも更に古い時代でしかも、ベルギー国境側の作曲家なので、フランスバロックとはかけ離れているが、それでも、後の作品につながる良さがあるようだ。
それにしても、ここは静かで良いなあ。
穴倉みたいなところに本やレコード、収集物に囲まれていると、本当に落ち着き、夜もよく眠れる。
かなりのアナログレコードが置いたままになっているので、聴く。
アンプは、300Bシングル。
フランスバロックの声楽曲が多い。フランスの音楽はその地味な色彩性と歌謡性が特徴で、構造を重視するドイツ、オーストリア系のバロックや派手なイタリアバロックとも違う。
フランスのシャンソンは、ルネサンス時代に発達した。それは、モノフォニーの世俗曲が中心だったが、ポリフォニー曲にも独特の和声の色彩感と共に引き継がれている。
バロック時代には、世俗的歌曲は、廃れるが、むしろ宗教曲に、そのフランス音楽独自の特色が現れており、フランスバロック音楽の1つの特色を示している。
フランスバロックでは、器楽音楽は、宮廷舞踏曲や式典用に作曲されたために派手な側面が強いが、宗教曲は、静謐ではあるが、情熱的な歌謡が独唱、合唱の側面に聞かれるし、フーガの楽章等は、宮廷器楽音楽の華やかな側面もみられ、多様性を持っている。
私がフランスバロック音楽に親しんだのは、中学校位の頃に、バッハのフランス組曲を倣っていて、それを叔母の前で演奏した時に、「フランス風序曲のリズムとしては、重い。」との評価を受けて、手本に、クープランやラモーやリュリ等の曲を弾いて聴かせてくれた。
特にラモーの曲については、これまで聴いたことの無いような響きの深みを持っていた。
その後、ギターも演奏する様になり、ルイ14世の時代の組曲とか、トンボー(死者の墓に捧ぐ音楽)等を演奏する様になった。
フランス人は、死の悲しみの感情を音化するのに熱心だった。それは、死について歌った歌が多かったためかも知れない。
その色彩は、派手ではないが、色調は強く、深みをおびている。その深みは、やはり人生の哀しみを意識した色だったに違いない。
叔母は、高等美術院の近くのパリ郊外の教会で行われた旧貴族の葬儀の様子について話してくれた。それは、葬儀とは思われないような華やかなものであったが、最後に演奏されたカリオンの響きだけは、その哀しさを忘れることはできないという。
そうして、私が死んだ時には、カンプラのレクイエム(写真のCD)を演奏して欲しいといっていた。奉献唱の後にくるフーガの楽章の後半で、カリオンの主題が演奏されるから。
カリオンの響きは死者の気持ちを内在している。その高低の響きを聞いている内に、生者との離別の哀しさや死の苦しみのつらい思い出、孤独の寂しさを忘れて、響きと共に、往生させてもらえるからかもしれない。
カンプラと同じ時代の作曲家、ジルのレクイエムには、カリオンの楽章はないが、このヘルヴェッヘの演奏では、別の作曲家のカリオン曲を最後につけて死者への弔いとしている。
今、聞いているのは、オルランド・ラッソのレクイエムである。これは、ジルやカンプラよりも更に古い時代でしかも、ベルギー国境側の作曲家なので、フランスバロックとはかけ離れているが、それでも、後の作品につながる良さがあるようだ。
それにしても、ここは静かで良いなあ。
野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある ― 2010/04/07 20:03
オーディオルーム用にオットマン付きパーソナルチェアをヤフオクで落札。価格は、3100円。
肘掛けが欠品で新品であるが、特価での出品という。送料がかかってしまった。
これ以外にくらしのeショップ山善で購入したラック(2個で3560円)とみんな安物の家具ばかり。
LPレコードは、大学時代に買って聞かずに真空パックしていたミントのLP。ブルーノワルター指揮コロンビア交響楽団のマーラーの交響曲第1番「巨人」
真空パックしていなかったのは、ジャケットの色が変わってしまったりしているが、パックをすると保存効果が高まる。
購入して一度も聞かず30年位封印してあるLPが数百枚位あるが、これらの大部分は死ぬまで聴かないつもり。
この「巨人」は、CDでも発売されており、デジタルリマスター盤なので価値が低く、開封して今日聴いた。
さすがにノイズ1つなく音は鮮烈だった。残念ながらデジタルリマスターなので、音の定位感やレンジ感は、オリジナルアナログマスターに比べて落ちる。
1960年代から遅くても1970年代初頭にかけて発売されたコロンビアレコード時代のワルターのLPで殆ど再生されていない状態の良いものの、音は、信じられない程良いと思う。
SCDも期待したが、僕の装置が悪いのか、良質なアナログLPには、音質は劣るようだ。
マーラーの「巨人」を初めて聴いたのは、案外遅くて、14~15歳位。
「なんて青臭い曲なんだろう。」と思ったことを記憶している。それと、春の鬱陶しさ等が良く現れているが、あの、ダサイマーチの後のとってつけた様な終楽章で、勝利のファンファーレが金管楽器で奏されるが、これは、最大の皮肉だと思った。
とってつけた様なイメージ、ライバルとの苦闘の末に、白いコスチュームを着てターバンを巻いた好青年が、タージマハールを背景に、美しい姫君と結ばれる勝利の音楽。(本当にそんなバカらしいイメージを浮かべていた。)
実は、それは、虚構に過ぎない。
この曲は、第3楽章の葬送行進曲で、コントラバスが低く響くところで終わっている。(イボイボしたユダヤのイメージ)
「主人公は実は死んでいる。」というマーラーの作為をこの年齢で理解していて嫌な頭痛と絶望感を10代後半になったばかりの僕が経験したのだっけ。
この葬送行進曲のモチーフは、例えば、ローマ大賞に作品を応募した時に、ブラームスにこき下ろされた。あの「嘆きの歌」と類似したフレーズである。(ブラームスも同じユダヤなのに。)
ところで、当時の私は、フランスに留学していた叔母の影響を受けて、ランボーやラディゲとかそういった文学作品を読みあさっていたが、高校に入学して、数学の教師から教えられたサルトルやカフカの演劇作品を知ってからは、「浪漫派音楽なんてつまらん。」と思う様になって、ストラヴィンスキーやリゲティ、当時、本当の前衛であったシュトックハウゼン等を聞く様になった。
音楽を聴くときは、部屋の窓を閉めて、隣の家に接近している窓は雨戸を閉めて暗くして聴いている。
近所の人に変な目でみられるが、騒音公害よりはマシだと思う。
もうすぐ、この部屋にエアコンを入れるので、夏でも聴けるが、エアコンの音が心配だ。
それと野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある。
へんな笑い声で鳴くような鳥がいるので、少し不気味。音楽を聴いていると鳥が集まってくるのは、なんでだろう。
肘掛けが欠品で新品であるが、特価での出品という。送料がかかってしまった。
これ以外にくらしのeショップ山善で購入したラック(2個で3560円)とみんな安物の家具ばかり。
LPレコードは、大学時代に買って聞かずに真空パックしていたミントのLP。ブルーノワルター指揮コロンビア交響楽団のマーラーの交響曲第1番「巨人」
真空パックしていなかったのは、ジャケットの色が変わってしまったりしているが、パックをすると保存効果が高まる。
購入して一度も聞かず30年位封印してあるLPが数百枚位あるが、これらの大部分は死ぬまで聴かないつもり。
この「巨人」は、CDでも発売されており、デジタルリマスター盤なので価値が低く、開封して今日聴いた。
さすがにノイズ1つなく音は鮮烈だった。残念ながらデジタルリマスターなので、音の定位感やレンジ感は、オリジナルアナログマスターに比べて落ちる。
1960年代から遅くても1970年代初頭にかけて発売されたコロンビアレコード時代のワルターのLPで殆ど再生されていない状態の良いものの、音は、信じられない程良いと思う。
SCDも期待したが、僕の装置が悪いのか、良質なアナログLPには、音質は劣るようだ。
マーラーの「巨人」を初めて聴いたのは、案外遅くて、14~15歳位。
「なんて青臭い曲なんだろう。」と思ったことを記憶している。それと、春の鬱陶しさ等が良く現れているが、あの、ダサイマーチの後のとってつけた様な終楽章で、勝利のファンファーレが金管楽器で奏されるが、これは、最大の皮肉だと思った。
とってつけた様なイメージ、ライバルとの苦闘の末に、白いコスチュームを着てターバンを巻いた好青年が、タージマハールを背景に、美しい姫君と結ばれる勝利の音楽。(本当にそんなバカらしいイメージを浮かべていた。)
実は、それは、虚構に過ぎない。
この曲は、第3楽章の葬送行進曲で、コントラバスが低く響くところで終わっている。(イボイボしたユダヤのイメージ)
「主人公は実は死んでいる。」というマーラーの作為をこの年齢で理解していて嫌な頭痛と絶望感を10代後半になったばかりの僕が経験したのだっけ。
この葬送行進曲のモチーフは、例えば、ローマ大賞に作品を応募した時に、ブラームスにこき下ろされた。あの「嘆きの歌」と類似したフレーズである。(ブラームスも同じユダヤなのに。)
ところで、当時の私は、フランスに留学していた叔母の影響を受けて、ランボーやラディゲとかそういった文学作品を読みあさっていたが、高校に入学して、数学の教師から教えられたサルトルやカフカの演劇作品を知ってからは、「浪漫派音楽なんてつまらん。」と思う様になって、ストラヴィンスキーやリゲティ、当時、本当の前衛であったシュトックハウゼン等を聞く様になった。
音楽を聴くときは、部屋の窓を閉めて、隣の家に接近している窓は雨戸を閉めて暗くして聴いている。
近所の人に変な目でみられるが、騒音公害よりはマシだと思う。
もうすぐ、この部屋にエアコンを入れるので、夏でも聴けるが、エアコンの音が心配だ。
それと野鳥の声が五月蠅くて、音楽が聞こえないことがある。
へんな笑い声で鳴くような鳥がいるので、少し不気味。音楽を聴いていると鳥が集まってくるのは、なんでだろう。
さすがに清々しい音がする ― 2010/03/28 21:42
先日、届いたガラス製ラックにオーディオシステムを配置。
部屋は、白色に塗った壁がひび割れている例の洋間もどきの部屋で、ここは、オーディオを聴く為の専用の部屋に使おうと思う。
部屋には、ソファーとか観葉植物等を配置して、横には、Nゲージの1畳位の大きなのレイアウトを配置してみようかと思う。
音楽を聴きながら、Nゲージが走るのをみるのも楽しそうだ。
こうしてみると、DENONのDP37-Fもそこそこのプレイヤーだと思える。でも、GT-700に比べると、音が軽いというか安っぽい。カートリッジが同じでもアーム、ターンテーブル、筐体等で、こんなに音に差がでる。
右は、自作の2A3シングル無帰還アンプ・交流点火である。カバーを外してみた。キットでは、なくて、シャーシーの穴空けから全て自作。回路図も自分で引いた。もう2度と作れないというか、こんな手間がかかることはやりたくない。もう10年位、動作している。一度、パワー管を交換している。それ以外は、製作時の部品のまま。
中段、左は、SONYのCDプレイヤーとMDデッキ。まぁ、普通の音がする。CDプレイヤーはリモコンで、音量が変更出来るので、自作のリモコンがついていないアンプで再生するには都合が良い。MDがミニコンポサイズなので、ちょうどラックに入りました。
下段、左は、自作の管球プリで、12BH7Aを使用したもの。これもキットではなくて、ケースに穴を開けるところから自作。電源回路に苦労した。これも制作して10年位経過。安定動作だが、ケースを交換した。
右は、左側の箱は、管球イコライザーで、これも筐体から全て自作・12AX7A4本構成。MMカートリッジなので、ゲインを調整してある。CR方式。その右側が、電源ボックスで、ここで、高圧電流を発生させて、イコライザーに送っている。電源ボックスを別にしたことで、ノイズが少ない。これも10年位使用しているが、不具合なく安定動作。
レコードの再生は、イコライザーアンプ、ラインアンプ、パワーアンプともに全て、NFB(ネガティブフィードバック)を使用しておらず、無帰還である。
さすがに清々しい音がする。NFBは、半導体アンプでは、当然の様に使用されており、20~30DBも、発振寸前まで掛けているので、いじけた根暗な音になる。
半導体アンプは、もともと真空管の様に音に透明感がないので、NFB回路を使用することで、SN比やレンジを改善しないと使い物にならないのであるが、球アンプの場合は、その様なことをする必要がない。但し、直熱管以外のGTやMT管のアンプでは、使用されている例が多い。その場合でも、イコライザーアンプは、NFB方式は止めた方が良い。音が面白くないから。
スピーカーは、神戸の某キット品のボックス120㍑にダイヤトーンのロクハン(16㎝)のフルレンジを取り付けている。このSPシステムは、良い音である。箱の板厚が、クレイジーな程に分厚いので、箱鳴りが全くせず、SPユニットの性能を良く引きだしてくれる。以前、ホーンも試したが、ロクハンの方が、球アンプには向いているようだ。
ガラス製のラックは、震動が少なく、重たい球アンプを載せても天板が歪まないので、良い。音は、ガラスっぽいやや余韻が増える様な、この当たりは、評価が分かれるかも。
結局、このセットは、1960~1970年代を思わせる様なレトロなもので、現代的なオーディオシステムではないが、築後34年のこのボロ家のボロボロの部屋を改造した洋室もどきで再生するのに相応しい様な気がする。
本当は、この他にDACも加えると、SONYのCDプレイヤーらしからぬ良いCD演奏が聴ける様になるが、これは、実家の方においてある。
部屋は、白色に塗った壁がひび割れている例の洋間もどきの部屋で、ここは、オーディオを聴く為の専用の部屋に使おうと思う。
部屋には、ソファーとか観葉植物等を配置して、横には、Nゲージの1畳位の大きなのレイアウトを配置してみようかと思う。
音楽を聴きながら、Nゲージが走るのをみるのも楽しそうだ。
こうしてみると、DENONのDP37-Fもそこそこのプレイヤーだと思える。でも、GT-700に比べると、音が軽いというか安っぽい。カートリッジが同じでもアーム、ターンテーブル、筐体等で、こんなに音に差がでる。
右は、自作の2A3シングル無帰還アンプ・交流点火である。カバーを外してみた。キットでは、なくて、シャーシーの穴空けから全て自作。回路図も自分で引いた。もう2度と作れないというか、こんな手間がかかることはやりたくない。もう10年位、動作している。一度、パワー管を交換している。それ以外は、製作時の部品のまま。
中段、左は、SONYのCDプレイヤーとMDデッキ。まぁ、普通の音がする。CDプレイヤーはリモコンで、音量が変更出来るので、自作のリモコンがついていないアンプで再生するには都合が良い。MDがミニコンポサイズなので、ちょうどラックに入りました。
下段、左は、自作の管球プリで、12BH7Aを使用したもの。これもキットではなくて、ケースに穴を開けるところから自作。電源回路に苦労した。これも制作して10年位経過。安定動作だが、ケースを交換した。
右は、左側の箱は、管球イコライザーで、これも筐体から全て自作・12AX7A4本構成。MMカートリッジなので、ゲインを調整してある。CR方式。その右側が、電源ボックスで、ここで、高圧電流を発生させて、イコライザーに送っている。電源ボックスを別にしたことで、ノイズが少ない。これも10年位使用しているが、不具合なく安定動作。
レコードの再生は、イコライザーアンプ、ラインアンプ、パワーアンプともに全て、NFB(ネガティブフィードバック)を使用しておらず、無帰還である。
さすがに清々しい音がする。NFBは、半導体アンプでは、当然の様に使用されており、20~30DBも、発振寸前まで掛けているので、いじけた根暗な音になる。
半導体アンプは、もともと真空管の様に音に透明感がないので、NFB回路を使用することで、SN比やレンジを改善しないと使い物にならないのであるが、球アンプの場合は、その様なことをする必要がない。但し、直熱管以外のGTやMT管のアンプでは、使用されている例が多い。その場合でも、イコライザーアンプは、NFB方式は止めた方が良い。音が面白くないから。
スピーカーは、神戸の某キット品のボックス120㍑にダイヤトーンのロクハン(16㎝)のフルレンジを取り付けている。このSPシステムは、良い音である。箱の板厚が、クレイジーな程に分厚いので、箱鳴りが全くせず、SPユニットの性能を良く引きだしてくれる。以前、ホーンも試したが、ロクハンの方が、球アンプには向いているようだ。
ガラス製のラックは、震動が少なく、重たい球アンプを載せても天板が歪まないので、良い。音は、ガラスっぽいやや余韻が増える様な、この当たりは、評価が分かれるかも。
結局、このセットは、1960~1970年代を思わせる様なレトロなもので、現代的なオーディオシステムではないが、築後34年のこのボロ家のボロボロの部屋を改造した洋室もどきで再生するのに相応しい様な気がする。
本当は、この他にDACも加えると、SONYのCDプレイヤーらしからぬ良いCD演奏が聴ける様になるが、これは、実家の方においてある。
DP-37F修理完了 ― 2010/02/18 22:00
昨日は、実は、日本橋にLPレコードプレイヤー、デンオン(昔、電音、今、デノン)DP37Fの修理部品と半田コテ等を買いにいったが、うっかりと、RCAプラグを間違えてジャックの方を買ってしまって、作業を始めてから気がつく失態。
今日は、仕事で、元町歩きだったので、神戸の電子部品のお店をネットで探したら、僅か1軒だけ存在しているのを発見。もともとは、プロ向けのお店だったのが、最近では、小売りもしてくれて、共立なんかに比べて店舗も小さいが、それだけ、ワンフロアで全ての部品が揃うメリットもある。
プラグのお値段は、380円位。共立だと100円しなかったので、相当高いと思う。ネットにも載っていたが、やはり、近くにお店がないとこの値段でも客はありがたがるので商売になるらしい。
早速、半田コテを久しぶりにもって、作業を始めた。ケーブルの断線なので、一番良いのは、ケーブルごと取り替えれば良いのだが、安物で8千円、高いので、2~3万円。しかも、アームがユニバーサルではないので、片方のコネクターを切って、プレイヤー側に半田で直付けする必要があるので止めた。
ケーブルの途中での断線だと悲惨である。
ユニバーサルタイプのアームではなくて独自仕様なので、部品交換しかないが、もう部品は販売されていない。アームの中には、合成樹脂がケーブル保護剤が使用されているが、これが、プラスティックの可塑変化でべとべとになって、断線するという故障がこの時代のプレイヤーには、実に多い。
事前にコネクタ部分を切り離して、調べたが、幸い、ライン自体は導通があるので、プラグのみの交換を行った。
ユニバーサルタイプのアームではなくて独自仕様なので、部品交換しかないが、もう部品は販売されていない。アームの中には、合成樹脂がケーブル保護剤が使用されているが、これが、プラスティックの可塑変化でべとべとになって、断線するという故障がこの時代のプレイヤーには、実に多い。
事前にコネクタ部分を切り離して、調べたが、幸い、ライン自体は導通があるので、プラグのみの交換を行った。

無事、作業は、終わって、テスターで測定する。ショートが一番恐いので、カートリッジヘッドシェルを外して、信号側とアース側の絶縁を調べて、更に、プラグをプレイヤー内部の基盤にコードが取り付けられている部分の導通を図る。
その後、ヘッドシェルをつけて、カートリッジのリード線を外して、コネクタの出力側との導通を調べて、Okだったので修理完了。

メーカーにだすと1万5千円位はかかるだろう。そうなると、このプレイヤーよりも高くなるので、馬鹿みたい。
僅か数100円の修理代である。
ついでに自作の管球イコライザーアンプの点検を行う。もう10年以上無難に動いている。プレート電流と、ヒーター電源は外部の電源から供給されるので、電源雑音皆無。回路は、CR方式に独自の工夫を加えたもの。アメリカのアンプのNFB方式だが、これは、無帰還なので音の伸びが違う。
NFBのアンプは、マランツでも同様に、根暗な音がするが、これは、暖かい真空管本来の音がする。
本来ならば、位相とか歪みの原因となるコンデンサを使わずにコイルで回路を構成したいところだが、コイルが販売されていないので、コンデンサを回路につかっている。

右側の半固定ボリウムを動かすと増幅率が変化し、MMタイプのカートリッジから、MCタイプまで対応できる。
DL103等を再生しても雑音などでず、解像度の高い音がする。
球イコライザーアンプの音は、スピーディでヌケが良く、滑らかで自然なのが素晴らしい。
DP37Fで早速、スターンのバイオリンで、チャイコンを聴いている。
300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか ― 2009/11/22 22:11
今日は、ちょうど10年前に組み立てた300B真空管アンプに灯を入れてみた。20世紀の最後の年に作られたアンプである。
エレキットのTU-300B(初期バージョン)で、組み立てには、基盤を使用する。価格は、5万円位だったと思う。
基盤に直接、真空管のソケットを半田付けしているキットなので、どうしても真空管の熱の影響を受けてしまう。
熱で膨張と収縮を繰りかえして樹脂の部分が劣化し、基盤に張り付いている銅メッキ部分が剥がれてしまうのである。
だから、耐久性の面で問題があると思ったが、なんとか持ち堪えている。
ただし、1回修理とNON-NFBに改造をしている。
NON-NFBにすると高域特性が落ちるが、より300Bらしい音が聴ける。基盤からNFB回路用の抵抗を抜き取るだけである。
修理は、300Bのバイアスコンデンサがどうゆう訳か電圧に耐えきれず破裂し、高電圧タイプに交換。
もともとの基盤の部品は、ニチコンの耐電圧ギリギリのものだったので、これでは、何か一時的に高電圧がかかった場合に破裂する可能性もあると思った。
その後は、無事に動いていてくれて、修理はしていないが、コンデンサ破裂事故の影響か、中国製の300B(もともとキットについていたもの)の片方の調子が悪くなったので、ソブテック製に交換。ペアでたしか1万5千円位。今では、こんな値段で300Bは買えない。
この修理は、8年位前だから、その後は、ずっと無難で来ていることになる。電圧増幅管のソケットの接触が悪い位のもの。
電子製品で10年位たつと、電解コンデンサーの性能が落ちてくるので交換が必要になってくるが、最近、大阪日本橋のパーツショップでも真空管アンプ用の高電圧タイプのコンデンサが殆ど販売されていないので保守が困難になった。
300Bは、2A3と一緒の直熱管(3極管)と呼ばれるもっとも原始的なタイプで、戦前に開発された。4本足ソケット。この足をソケットに差し間違えると大切な真空管がおしゃかになる。
直熱管の音は、GT管やMT管等の近代真空管に比べて、素直で素朴であると言える。
僕たちの世代は、子供時代は、真空管時代でGT管、MT管全盛期で、カラーTVでさえ真空管で動いていた時代。
だから、GT管、MT管の方がいわゆる「真空管の音色」でレトロ感があるが、直熱管・ST管の音は、最近の製造技術・回路技術(特に直流点火・IC等を利用した定電圧回路)のおかげで、こちらの方が何か、新しく聞こえる。
2A3も、こちらは、回路設計からシャーシー加工まで完全自作のものを組み立てた。ちなみにこの300Bも2A3もシングル回路。これ以外に高級品・大出力タイプで、プッシュプルという電力増幅管をステレオで4本使用したタイプもある。
2A3も300Bも開発年代は近く、どちらも直熱管であるが、そのスタイル、音色から、2A3は、「球女王」、300Bは、「球王」と呼ばれている。
2A3は、この写真の300Bよりもスラリとしたタイプである。同じ楓マークのソブテック(ロシア製)を使用しているが、繊細(分解能が良い)、レンジ感が広く、ややハイ(高音)のバランスが高く、ハイファイな音がする。
一方、300Bは同じソブテックでも、高音の繊細さやレンジ感はないが、重心が下の方にあるグラマラスかつゴージャスな音が特徴。300Bは昔からトーキー映画のアンプに映画館等で使用されていたが、たしかに映画や映画音楽、ジャズ等に向いた感じだと思う。
ジャズは絶対300Bだと思う。
私の場合、最近、部屋が狭くなって、やむなくデノン製の小型SPを使用しているので、トーンコントロールでバランスを補正しないとクラシック音楽等はまともに聴けないので、デノンのプリメインアンプからプリアウトの出力を300Bアンプにつないで聴いている。
やはりLPレコードを聴きたいもので、DL103RというDENON製カートリッジなので、自作の昇圧トランスを通して、デノンのプリメインのフォノイコライザーで増幅されてライン出力させている。
さすが、総て同一メーカー、デノンのカートリッジ、プリアンプ、SPシステムなので、バランスが採りやすく落ち着いた再生音である。
その中で、300B管球パワーアンプが縁の下の力持ちで音楽を支えている。今日は、LPレコードは、3枚位聴いた。雨の日なので、江藤俊哉さんのヴァイオリンによるブラームスのヴァイオリンソナタ1番等を最初に聴いた。
やはり、ヴァイオリンの再生音は、LPレコードに限る。1979年の録音だが、エルマンを彷彿とさせるガルネリウス・デルジェスの音が部屋一杯に広がる。
300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか。少し、疑問に残った。
その後、フルトヴェングラーのブライトクランク(疑似ステレオ)のベートーヴェンのシンフォニーやリストの交響詩レ・プレリュードを聴く。
フルトヴェングラーの命日が近づいている。
実に雄大、深遠な音場が広がる。ステレオよりもずっとステレオらしい。
その後、音源をCDに切り換えて色々と聞いた。エルネスト・アンセルメによるサンサーンスとフランクの交響曲。ノリントン指揮のモツレクやアベ・ベルム・コルプス、葬送行進曲、ムラビンスキー レニングラード交響楽団のショスターコビッチの交響曲第4番や第6番(戦後直ぐのモノラルでメロディア盤)を聴く。
CDの場合は、LPに比べてやはり、音の広がりが今ひとつ。案外にノリントンの演奏が300Bでは、メリハリ良く再生されていた。
このアンプを今後も大事に使用していこうと思っている。
エレキットのTU-300B(初期バージョン)で、組み立てには、基盤を使用する。価格は、5万円位だったと思う。
基盤に直接、真空管のソケットを半田付けしているキットなので、どうしても真空管の熱の影響を受けてしまう。
熱で膨張と収縮を繰りかえして樹脂の部分が劣化し、基盤に張り付いている銅メッキ部分が剥がれてしまうのである。
だから、耐久性の面で問題があると思ったが、なんとか持ち堪えている。
ただし、1回修理とNON-NFBに改造をしている。
NON-NFBにすると高域特性が落ちるが、より300Bらしい音が聴ける。基盤からNFB回路用の抵抗を抜き取るだけである。
修理は、300Bのバイアスコンデンサがどうゆう訳か電圧に耐えきれず破裂し、高電圧タイプに交換。
もともとの基盤の部品は、ニチコンの耐電圧ギリギリのものだったので、これでは、何か一時的に高電圧がかかった場合に破裂する可能性もあると思った。
その後は、無事に動いていてくれて、修理はしていないが、コンデンサ破裂事故の影響か、中国製の300B(もともとキットについていたもの)の片方の調子が悪くなったので、ソブテック製に交換。ペアでたしか1万5千円位。今では、こんな値段で300Bは買えない。
この修理は、8年位前だから、その後は、ずっと無難で来ていることになる。電圧増幅管のソケットの接触が悪い位のもの。
電子製品で10年位たつと、電解コンデンサーの性能が落ちてくるので交換が必要になってくるが、最近、大阪日本橋のパーツショップでも真空管アンプ用の高電圧タイプのコンデンサが殆ど販売されていないので保守が困難になった。
300Bは、2A3と一緒の直熱管(3極管)と呼ばれるもっとも原始的なタイプで、戦前に開発された。4本足ソケット。この足をソケットに差し間違えると大切な真空管がおしゃかになる。
直熱管の音は、GT管やMT管等の近代真空管に比べて、素直で素朴であると言える。
僕たちの世代は、子供時代は、真空管時代でGT管、MT管全盛期で、カラーTVでさえ真空管で動いていた時代。
だから、GT管、MT管の方がいわゆる「真空管の音色」でレトロ感があるが、直熱管・ST管の音は、最近の製造技術・回路技術(特に直流点火・IC等を利用した定電圧回路)のおかげで、こちらの方が何か、新しく聞こえる。
2A3も、こちらは、回路設計からシャーシー加工まで完全自作のものを組み立てた。ちなみにこの300Bも2A3もシングル回路。これ以外に高級品・大出力タイプで、プッシュプルという電力増幅管をステレオで4本使用したタイプもある。
2A3も300Bも開発年代は近く、どちらも直熱管であるが、そのスタイル、音色から、2A3は、「球女王」、300Bは、「球王」と呼ばれている。
2A3は、この写真の300Bよりもスラリとしたタイプである。同じ楓マークのソブテック(ロシア製)を使用しているが、繊細(分解能が良い)、レンジ感が広く、ややハイ(高音)のバランスが高く、ハイファイな音がする。
一方、300Bは同じソブテックでも、高音の繊細さやレンジ感はないが、重心が下の方にあるグラマラスかつゴージャスな音が特徴。300Bは昔からトーキー映画のアンプに映画館等で使用されていたが、たしかに映画や映画音楽、ジャズ等に向いた感じだと思う。
ジャズは絶対300Bだと思う。
私の場合、最近、部屋が狭くなって、やむなくデノン製の小型SPを使用しているので、トーンコントロールでバランスを補正しないとクラシック音楽等はまともに聴けないので、デノンのプリメインアンプからプリアウトの出力を300Bアンプにつないで聴いている。
やはりLPレコードを聴きたいもので、DL103RというDENON製カートリッジなので、自作の昇圧トランスを通して、デノンのプリメインのフォノイコライザーで増幅されてライン出力させている。
さすが、総て同一メーカー、デノンのカートリッジ、プリアンプ、SPシステムなので、バランスが採りやすく落ち着いた再生音である。
その中で、300B管球パワーアンプが縁の下の力持ちで音楽を支えている。今日は、LPレコードは、3枚位聴いた。雨の日なので、江藤俊哉さんのヴァイオリンによるブラームスのヴァイオリンソナタ1番等を最初に聴いた。
やはり、ヴァイオリンの再生音は、LPレコードに限る。1979年の録音だが、エルマンを彷彿とさせるガルネリウス・デルジェスの音が部屋一杯に広がる。
300Bでは、ブラームスのソナタは確かに説得力があって聞こえるが、フランス近代とかバッハ等は、どうだろうか。少し、疑問に残った。
その後、フルトヴェングラーのブライトクランク(疑似ステレオ)のベートーヴェンのシンフォニーやリストの交響詩レ・プレリュードを聴く。
フルトヴェングラーの命日が近づいている。
実に雄大、深遠な音場が広がる。ステレオよりもずっとステレオらしい。
その後、音源をCDに切り換えて色々と聞いた。エルネスト・アンセルメによるサンサーンスとフランクの交響曲。ノリントン指揮のモツレクやアベ・ベルム・コルプス、葬送行進曲、ムラビンスキー レニングラード交響楽団のショスターコビッチの交響曲第4番や第6番(戦後直ぐのモノラルでメロディア盤)を聴く。
CDの場合は、LPに比べてやはり、音の広がりが今ひとつ。案外にノリントンの演奏が300Bでは、メリハリ良く再生されていた。
このアンプを今後も大事に使用していこうと思っている。
聞き比べ ― 2009/05/30 11:07
昨日は、夜遅くまでかかってフルトヴェングラーウィーンフィルのベートーヴェン交響曲第1番ハ長調の盤オコシの作業をする。夜中に完成した。
翌日、聴いていると、同交響曲第3番に比べて1番の方が音質が良好というか、高域のレンジが伸びているような感じするが、低域がやや物足りない。第3番のLPは何度も聞いているので、やはり盤にダメージが生じており、若干、ノイズが多い目(大きなノイズはないが)となっているのも少し気になる。
それでも、良い音で復刻出来たので悦に入って暫く鑑賞。
その後、思いついて、最初に東芝EMIが発売した交響曲第3番のCD(写真右)を比較して聴いてみる。音質は、中央にこじんまりとまとまり、上品である。それなりの気品もあり美しいが、高音にカスレがみられ、全般に音像・スケールが小さめになりがちで、これでは、聴いていても楽しくない。
次ぎにブライトクランクでステレオ化されたもの(写真左)を聴く。音は、自宅のやく2メーター離れて設置されたフロアスピーカー一杯に広がって、凄い迫力。あんまりCDやレコードを聴いたことがないひとは、オリジナルステレオかと思うかもしれない。
しかし、何か違和感を感じる。特にヴァイオリンの超高音域は、右側から、中高音域は左側、コントラバスの低音は右から聞こえるが、弦が擦れる高音の音は、左側と楽器の種類と音の定位がバラバラでしかもエネルギーバランスが右に寄りすぎているので、不自然な感じがある。しかし、この方が、前者のオリジナルモノラルCDよりもずっと聞きやすい。
最後に再び私の盤オコシCDを聴くが、ブライトクランク程、音像は広がらないが、リスニングポイントからみて、50㎝位の範囲に音像が展開し、レンジも良好。これでサーフェースノイズがなければ良いと思うが、これを除去すると音に艶がなくなるので、このままの方が良いことを何度かの経験で知っている。
オリジナルのLP(全集版)と比較すると、オリジナルの方がややマッタリとした感じがあって良いが緊張感に欠く。デジタル化するとややマッタリした感じがやや後退し、レンジ感が出てくる。また、波形処理を加えているので、レゾナンス等の感じも少し変わってしまった。
LPの方が聴いていると毎回新しい発見があるが、何度も聞いていると痛んでくるので、このオリジナル盤オコシCDを日頃は聴くことにする。
翌日、聴いていると、同交響曲第3番に比べて1番の方が音質が良好というか、高域のレンジが伸びているような感じするが、低域がやや物足りない。第3番のLPは何度も聞いているので、やはり盤にダメージが生じており、若干、ノイズが多い目(大きなノイズはないが)となっているのも少し気になる。
それでも、良い音で復刻出来たので悦に入って暫く鑑賞。
その後、思いついて、最初に東芝EMIが発売した交響曲第3番のCD(写真右)を比較して聴いてみる。音質は、中央にこじんまりとまとまり、上品である。それなりの気品もあり美しいが、高音にカスレがみられ、全般に音像・スケールが小さめになりがちで、これでは、聴いていても楽しくない。
次ぎにブライトクランクでステレオ化されたもの(写真左)を聴く。音は、自宅のやく2メーター離れて設置されたフロアスピーカー一杯に広がって、凄い迫力。あんまりCDやレコードを聴いたことがないひとは、オリジナルステレオかと思うかもしれない。
しかし、何か違和感を感じる。特にヴァイオリンの超高音域は、右側から、中高音域は左側、コントラバスの低音は右から聞こえるが、弦が擦れる高音の音は、左側と楽器の種類と音の定位がバラバラでしかもエネルギーバランスが右に寄りすぎているので、不自然な感じがある。しかし、この方が、前者のオリジナルモノラルCDよりもずっと聞きやすい。
最後に再び私の盤オコシCDを聴くが、ブライトクランク程、音像は広がらないが、リスニングポイントからみて、50㎝位の範囲に音像が展開し、レンジも良好。これでサーフェースノイズがなければ良いと思うが、これを除去すると音に艶がなくなるので、このままの方が良いことを何度かの経験で知っている。
オリジナルのLP(全集版)と比較すると、オリジナルの方がややマッタリとした感じがあって良いが緊張感に欠く。デジタル化するとややマッタリした感じがやや後退し、レンジ感が出てくる。また、波形処理を加えているので、レゾナンス等の感じも少し変わってしまった。
LPの方が聴いていると毎回新しい発見があるが、何度も聞いていると痛んでくるので、このオリジナル盤オコシCDを日頃は聴くことにする。








最近のコメント