逃避行2009/05/14 10:09

Cybershot DSC-P1で撮影
 痛風が痛むのでじっとしていても我慢出来ないので、ヤフオクで落札したLPレコードのダビングを行う。

 機材・ソフトは、カートリッジがDENON-DL103R(YAMAHAGT750)→イコライザーアンプ(12AX7A4本構成、3段増幅)→サウンドブラスター→PC(録音ソフト、超録)→SSW6.0(WAV編集)、WINCDR(CD焼き付け)

モニター機材

 プリアンプ 12BH7A(SRPP回路・自作)、パワーアンプ 2A3シングル(自作、ロシア球使用)、ダイアトーンP610、クリスキット120㍑密閉箱

 この構成で何時もLPのCD化をやっているが、非常に結果は良好であり、ほぼLPの再生音がCDにそのまま活かされている。市販の復刻CDやオリジナルテープ使用のものよりも良好な場合もある。(レコード盤の状態にもよる。)

 今回、CD化を図ったのは、フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル、ブラームス交響曲第2番ニ長調(1945年1月28日録音)でブルーノワルター協会のLPOW-7821-BS。

 今回、ヤフオクで、フルベンばかり6枚のLPを僅か500円で落札(送料を入れると1000円を超える)。盤のコンディションは、これまで落札したものの中で、もっとも良好で、ノイズの修正等の必要がなかった。ほとんど雑音は聞こえない。

 この演奏は、フルトヴェングラーが、1945年にアドルフ・ヒトラーの暗殺計画に加担していたとの嫌疑からゲシュタポに逮捕令状が出たとのヒムラーの配下の関係者から忠告を経て、決死の脱出を行う直前に録音されたもの。既に夫人はスイスに脱出させることに成功。

 1945年1月28日の朝方は、寒い日で、路面も凍結。屋外を散歩していたフルトヴェングラーは、転倒し、頭を強く打ち、脳震盪を起こしたが、ムジークフェラインでのウィーンフィルのコンサートを敢行。

 その日の演目は、前半がフランクの交響曲ニ短調(これもライブがグラモフォンから復刻CD化されている。)、そして、後半が、このブラームス交響曲第2番であった。

 演奏の内容は、やはり、第1楽章の暗い沈みがちな曲想から、アレグロの主部に入る時の加速と輝き、雄大な起伏が素晴らしい。第2楽章の沈鬱な感じも良いし、中間の随想の部分、特に後半のチューバの響きがこれほど、意味深い演奏はみられない(戦後のベルリンフィルよりも解釈や音も良い)。そして、インティメートなこみ上げた心情が吐露されるクライマックスの部分の凄さ、第3楽章のスピード感.......
 最終楽章は、圧巻で、スピードレースで徐々にギアを入れていく様な加速、そして、コーダにかけての圧倒的な盛り上がりは、まるでニトロを噴射した様な感じでもはや誰にも真似が出来ない。バイロイトの第9のコーダーよりも凄い。

 これからの「命がけの逃避行」で頭が一杯であったフルトヴェングラーがどうして、こんな凄い演奏が出来たのか判らない。恐らく、これが生涯で最後の演奏になるかも知れないと思い、誠心誠意の演奏を心がけたのであろう。

 演奏が終わり、楽屋に戻ると、ゲシュタポが数名、彼を見張っていた。「逃避行が発覚したのか。」

 なんとか、彼らをやり過ごした彼は、スイス領事館に駆け込み、かねてから頼んであったビザを受け取る。」

 ここにも数名の監視の目があった。地下組織の協力の先導で、どこをどうやって歩いたかは判らない。ようやく国境に向けた列車に乗り込んだ。

 ところが、ビザが効力を発揮するのは、2月1日で、今日は1月28日の深夜である。3日間も暗闇の中で、潜伏しなければならなかった。この3日間がどんなに長かったか皆さんには想像がつくだろうか。

 こうして命からがら脱出したフルトヴェングラーは、連合軍の監視下に置かれ、1947年まで指揮活動を再開出来ず、自作の交響曲第2番の作曲に没頭する以外には生き甲斐はなかったのである。

 逃避行のスリルは、彼にとって生涯の刻印を残した。

 この恐怖の感覚は、フルトヴェングラーの代表作、交響曲第2番のスケルツォ楽章に見事に音化されている。その中間部の緩やかな歌と、このブラームスの交響曲第2番の第2楽章の演奏とどこか共通点を感じるのは、私だけだろうか。

 ブラームス第2番の録音は、これ以外にロンドン交響楽団、ベルリンフィルの演奏があるが、これが一番だと思う。