GFP遺伝子 クラスター爆弾よりもずっと凶悪な兵器2009/05/28 09:12

 科学が発達していない中世には、人々の暮らしは、穏やかで安息に満ちたものであった。

 たしかに科学は、人間の生存力を高め、疫病や飢饉が蔓延して、ある意味、厳しく恐い時代であったが、人々の精神生活は豊かであり、優れた文学や芸術作品が生まれた。
 都市の人口は、周辺の農村が支えていた。
 人口が増加し過ぎた都市では、一定の期間で疫病や飢饉が発生し、淘汰を繰りかえすことで過剰人口が防げていた訳で、もし、疫病が流行らない場合には、食糧不足という非常事態が起こっただろう。
 こうして、自然が人間に対して過剰人口の調節と世代間の人口バランスの是正のチャンスを「神の意志」によってもたらされてきた訳だ。
 人々は、感謝祭の日には、自然の恵みに感謝し、その謙虚さを美徳にして生きて来た訳だ。
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 18世紀に入って科学が発達して、都市人口が急激に増加した為に、欧州では、人口爆発が起こり、自然環境を切り崩していかないと暮らして行けないライフスタイルが始まった。森林を破壊し、食料を増産する為の小麦畑に変えられていった。
 特に国土が小さい国の資源は枯渇していき、他国の侵略を行わないと自給が困難になる状態となり、結果として、20世紀前半まで続いた世界大戦の状況を産み出した。

 現在でも人々は、科学の成果である人口過剰の状況に脅えている。科学の発達は、実は、人間の生活を便利に豊かにするが、同時に大きな災いにつながるパンドラの箱である。
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最近、恐ろしいニュースを発見した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090528-00000009-jij-soci

 ついに人間が霊長類の遺伝子組換えを効率的に行う実験手法の開発に成功したという報道で、そのキャリヤーとしてウイルスを利用する方法である。

 これまでは、受精卵に変異をおこさせた遺伝子を組み込む作業は1つ1つ手仕事であり、成功率も低かった。しかし、この方法では、その100倍以上も遺伝子組換えの効率をあげることが出来るのである。 

 実験に利用されたウイルスは、増殖力が強く、感染力が強い為に、GFP遺伝子(遺伝子組換実験に用いられる蛍光細胞をもった形質を持つ遺伝子)の発現に成功したという。

 こうして、ヒトの遺伝子組換えを容易に工業的に量産可能な手法が発明された。産業革命に匹敵する業績・進歩である。

 既にヒトゲノムは、解読されており、現在は、遺伝子の個々の部分がどの様に発現しているのかの関連性の調査の段階に入っているが、その実験速度が急速に速まることが期待されている。

 癌や老化、脳障害につながる遺伝子の実験について、遺伝子形質との特徴発現の関わりを簡単に調査できる様になった成果は、ノーベル賞級であると思う。

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 一方、悪用、事故等で、実験中のウイルスが外部に漏れた場合には、1975年の豚インフルエンザの流行の様に、人為的にこれまで人類が経験したことの無い、遺伝子伝染病という危機的な状況に陥る可能性もある。

 例えば、遺伝子に蛋白代謝障害の形質を組み込み、ウイルスを蔓延させると、驚異的な生物兵器となる。

 バイオハザードの様な状態を発生させることも理論的は、可能になってくるだろう。今後、世界の安全・安心の大きな障害になるのは、核兵器よりも、むしろ、この様な新しいバイオ技術を悪用された場合に大量殺戮兵器になるという状況を懸念される。

 折口信夫の身毒丸という小説があるが、古い浄瑠璃をモチーフに実は、遺伝病(業病)を扱った作品である。これは、自然に発生した遺伝障害であり、ある特定の年齢を超えると、形質出現というのがテーマになっているが、実際に、一度、人間の遺伝子に異常な形質が人為的に組み込まれてしまったら、数代に亘って作用し続ける。

 昔は、この様な状態を「祟り」と呼ばれた。
 実に恐ろしい状況になるだろう。

 生命倫理に関わる研究・開発を制限・禁止・規制することが、必要な事態に既に入っているが、国や行政では、放置しているのが実体である。

 少なくともクラスター爆弾よりもずっと凶悪な兵器として、使用される懸念があるという訳だ。

 現代の「異端審問」を行うことも必要だと思う。
 現代科学や医療には、「倫理」という概念がかけていると思う。頭でっかちな科学者連中に物騒なことをやらせるのを放置する危険性に早く目覚めて、仏教やその他の宗教や倫理が連合して、この様な動きに1日も早く歯止めをかけることが必要である。

うっかり咳き込もうならば、咎める様な鋭い視線が....2009/05/28 21:18

CyberShotDSC-W120で撮影
 神戸市東灘区の工場に取材に出かける機会があったが、新型インフルエンザの「爆心地」であるにも関わらず、殆どマスク等している人はおらず、マスクをしている方が意外というか気色悪がられたりする様な感じ。

 取材が終わって、EeePcで原稿を作成して会社に送信する為に住吉のマクドに入ったが、男子高校生だらけ、此奴らも、マスク等は、当然せず、ガヤガヤと辺り構わず、ウイルスを広げている。

 一方、大阪市内や阪急宝塚線、能勢電鉄では、マスクを大部分の人がしていてしておらず、うっかり咳き込もうならば、咎める様な鋭い視線が....

 ニューヨークでも殆どマスク等している人はいないという。神戸人の気質は、ニューヨーク的なのか。だから、アメリカ並みに病気が流行る結果になってしまったのだろうか。

 マスクを手に入れてしまうと、車に乗っている人間(マスク者)が歩行者(非マスク者)を見る目線になってしまう。立場でものの見方が変わるって人間とはいい加減なものだ。

 神戸の人は殆どマスクを買わないので、通常価格でいくらでも薬局でサージカルマスクを買うことが出来る。

 大阪の店やコンビニでは相変わらず売り切れだ。「神戸土産」にマスクを買って帰る。

 仕事なので仕方がないが、痛風による親指の関節痛が異常に長引いて、工場がある足場が悪い土地を歩いたので、一層、悪化してしまった。全然痛くないときと時折、猛烈に痛む時がある。これは、どうゆうことなんだろうか。

 写真は、東灘の人達のライフラインである六甲ライナーで、結局、高速に動く。大阪のニュートラムよりも乗り心地は良い。