「俳句」と「農」の関係2007/03/01 09:06


 一昨日のことか、俳人の飯田龍太さんが亡くなられた。今年は季節の変わり目が早い目にやって来て、こうした時期に亡くなられる方が多いのには、心が痛む。
 晩年は俳句の世界から遠ざかっておられたが、きっと心の中では、色々な句が浮かんでは消えていたに違いない。
 1990年代の初め頃に日本海から東海に抜ける旅行をした時に立ち寄ったのが、山梨近代文学館だった。
 近代文学館と言えば堅苦しい印象であったが、マルチメディアを駆使した斬新な展示が行われていた。
 この展示を見て、PC9801をやめてLC630(マック)へと機種を換えるきっかけとなった位である。
 飯田隆太のお父さんの飯田蛇笏さんの展示が中心であった。山梨の独特の風土を活かした農業と俳句の関係等が良く理解できた。
 『日本の詩歌』19巻には、蛇笏さんの句が含まれている。父子の句の傾向は、山梨の風土に根ざしている点で似ているが、蛇笏さんの句は、「深み」を目指しているのに対して、龍太さんの句は、「軽み」も見られ、甲府盆地に広がる桃畑の春の様子の様な明るさ、広がりも感じられる。
 龍太さんは、蛇笏さんの想い出を語られているが、農業技術の分野でも新しい施肥法の発明等の貢献をされておられた。
 「俳句」と「農」は、季節観(感)との関係で共通した点も多く見られる。晴れた日は、畑を耕し、遠くの富士山を眺め、雨の日は、句作や読書に親しむ毎日が、句風を醸成していったと思う。
 春陽堂の俳句文庫が創刊された時、最初に購入したのが、飯田龍太の句集であった。当時、句集を収めた文庫は、文字づらだけのページ構成の地味なものであったが、この俳句文庫では、見開きの片側を写真、もう片側に句を載せてみせると言う、当時としては、斬新なマルチメディア風の工夫がされている。
 俳句とマルチメディアの関係について、飯田蛇笏さんと龍太さんに教えられたのかも知れない。

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