蓮華座の上に垂直に立ち上がった蛇の図像2009/05/26 21:17

 以前、仏教芸術コースのスクーリング授業で、蓮華座の上に垂直に立ち上がった蛇の図像を見せられた。
 神仏習合が進むとこんな奇怪なことも行われるといった趣旨であったと記憶している。

 これがアマテラスオオミカミの正体であるという。

 斎藤先生のアマテラス神話と中世伊勢信仰(5月23日京都府丹後郷土資料館)でも同じ図がプリントされて配られた。

 中世の時代には、門外不出の絵図であり、一般の目に触れる様になったのは、最近のことである。

 蓮華座からアマテラスが蛇体で立ち上がっているというイコノロジーの解釈を仏教芸術コースの安藤先生や私と一緒に学んだ方達は、どの様に解釈されるだろうか。

 蓮華座というのは、仏の「化生」の根源となるものである。これは、古代インド神話のビシュヌ神の説話にも出てくる思想である。

 これは、以前に『読替えられた日本神話』の記事でも紹介した大和葛城宝山記に、天地の成り立ちのこととして、「十方の風至りて相対し、相触れテ能く大水ヲ持ツ。水上ニ神化生して、千ノ頭二千ノ手足有り。」とある様に、中世神道の世界では、本来仏教の生命力を現すコンセプトの「化生」という語を使う様になる。

 斎藤先生が丹後記念資料館での講演のレジュメに挙げてある『御鎮座伝記』の中に、天御中主神(アマノミナカヌシノカミ)の項に「古語曰、大海之中有一物。浮形如葦牙。其中神人化生、号天御中主神」と天御中主神の出生も「化生」するものとして扱われている。

 天御中主神は、中世伊勢信仰では、トヨウケと称され、アマテラスと一体の神として扱われる。現在は、伊勢の外宮の神様であるが、その以前には、丹後国一社(現在の丹後一宮の籠神社のことである。)に遷座されていた。つまり、籠神社の石碑に天御中主大神宮とあるのは、この様な中世伊勢神道から脈々と受け継がれて来た元伊勢信仰に根拠がある訳だ。

  最近の考古学調査により、特に中世以降には、丹後国分寺も再建され、丹後国一社と伽藍が並び立ち、地域の神仏習合文化の中心的な役割を担っていたと考えられる。その後、戦国時代には、国分寺は焼け、籠神社は残った。斎藤先生によれば、明治の神仏分離令の洗礼を受けながらも中世以来の神仏習合思想が生き残っている数少ない神社だという。

  


 ところで、天御中主神は、古事記では、「神世七代」とは別格の神として扱われ、「原宇宙神」とも言う存在であり、古事記では、冒頭に高天原に元々鎮座されていた神である様に記述されている。つまり、古事記の世界ではアマテラスと一体なんてことは、絶対にあり得ない。アマテラスは、イザナキが黄泉の国から無事戻って来た時に、禊(みそぎ)を行うが、その時に左目から生まれた神である。この禊の時に太陽、月、航海の神と天体・天文関係の神が一度に誕生している。

 イザナキがイザナミに逢いに黄泉の国に行き、その結果、逃亡するのだが、これは、生と死の世界の戦を象徴している。結果として、生と死とは永遠に隔てられることになる。生と死の世界の隔たりは、そのまま太陽と月の運行、つまり、時間という概念が生まれたことを意味しているのだと私は考える。

 一方、日本書紀では、アマテラスの誕生は、「(イザナキとイザナミが)於是、共生日神。号大○貴(オオヒルメムチ)一書曰天照大神」と記されており、つまり、イザナキとイザナミが一緒にアマテラスを生んだことになっている。 

 つまり、日本書記では、イザナミが死なない為にこの様にアマテラスは、天地創世の時に、同時に誕生した神の様に扱われている。これが古事記とは大きく異なる点である。古事記では、アマテラスは、イザナキから矮生した様な生まれ方であるが、日本書紀では、世界の「構造」を形成する一翼を担っているのである。

 従って、天御中主神と同等に扱われるということも可能になる。こうなると仏教の元々の思想概念である「化生」のコンセプトを日本神話の世界に活かし易くなるのだと思う。この様な経緯もあり、『古事記』は中世以降の神道の世界からは、意図的に消し去られたのか、あるいは、忘却されたのか神道の表舞台から姿を長い間隠していた。

 『古事記』は、中世以降の神仏習合の影響をあまり受けていない純粋性の高いテキストであることになる。この点が、本居宣長等が古事記を重んじた理由にもなると考えられる。アマテラスが蛇神であるという僻事(ヒガゴト)は、宣長には、許せなかったのだと思う。

 ところで、写真に挙げている『地図とあらすじでわかる古事記と日本書紀』(坂本勝著,2009,青春新書)は、非常にこうした古事記と日本書紀の日本神話の構造が完結に図示されており、更に、あらすじも判りやすく、古事記や日本書紀を精読することで初めて理解出来る日本の神々の構造と系図を明らかにしている非常に良い本である。一番の見所は、ヤマトタケルの征討が一番のその特色が現れているが、他の神話についても地図によって、地域的にどの様な変遷を経て展開していったが、一目瞭然で理解出来る様になっている。

 阪急梅田のブック1STで購入し、能勢口に着く頃には、大部分を読み終えてしまっていた。

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