社会学のスクーリングで、四角く机を並べる理由 ― 2009/05/30 23:25
明日から佛大の春季スクーリングが開始となる。インフルエンザによる休校が解除されて本当に良かったと思う。
当然、私は関係ないが、それでも、もし、「明日スクーリングだったらどうしよう、痛風だしな。」といったトラウマというか被害妄想に駆られることもある。
スクーリングは、後から想い出せば楽しかったが、実際に授業を受けている間は大変だった。
仏教芸術コースは、講義形式が多かったので、それほどではないが、応用社会学科の時は大変だった。
机をこんな風に四角く配置しなおすだけで、疲れたことを覚えている。
http://www.bunet.jp/topic/news/020914/020914_sb20.html
写真の先生は、富田先生で、佛大を辞められて関大におられる。応用社会での富田先生の授業は比較的楽だった。色々な映画をみせてもらって、それについて意見を述べ合ったり、そんな感じの授業も多かったと思う。
社会学のスクーリングで、四角く机を並べる理由は今になって判った。コミュニケーションが第1歩であり、話し合えること、これが社会学の方法論の第1歩なのだ。
実際に討論になると意見が言えなくて、困った。後になればいくらでも出てくるのに自分の発言の順番になると駄目になってしまう。
佛大のスクーリングで一番苦労したのは、この点でディスカッションという習慣が大昔に卒業した大学はともかく、現在の仕事や職場でもあまりなかったから尚更だ。
自分の意見を説得力を持って述べることは、非常に難しい。しかし、これは、実は、論文を書くためにも重要なことで、避けては通れない道なのだと思う。
スクーリングで一番大事なことは、単に、知識を習得するということではない。教師や級友とのコミュニケーションを通じて、研究方法や自分の考えのまとめ方を体験的に会得する絶好の機会だと思う。
明日から、仏教芸術コースの方もスクーリングだと思う。後輩の皆様が、スクーリングに出席して、何か1つでも収穫があれば良いと思っている。
当然、私は関係ないが、それでも、もし、「明日スクーリングだったらどうしよう、痛風だしな。」といったトラウマというか被害妄想に駆られることもある。
スクーリングは、後から想い出せば楽しかったが、実際に授業を受けている間は大変だった。
仏教芸術コースは、講義形式が多かったので、それほどではないが、応用社会学科の時は大変だった。
机をこんな風に四角く配置しなおすだけで、疲れたことを覚えている。
http://www.bunet.jp/topic/news/020914/020914_sb20.html
写真の先生は、富田先生で、佛大を辞められて関大におられる。応用社会での富田先生の授業は比較的楽だった。色々な映画をみせてもらって、それについて意見を述べ合ったり、そんな感じの授業も多かったと思う。
社会学のスクーリングで、四角く机を並べる理由は今になって判った。コミュニケーションが第1歩であり、話し合えること、これが社会学の方法論の第1歩なのだ。
実際に討論になると意見が言えなくて、困った。後になればいくらでも出てくるのに自分の発言の順番になると駄目になってしまう。
佛大のスクーリングで一番苦労したのは、この点でディスカッションという習慣が大昔に卒業した大学はともかく、現在の仕事や職場でもあまりなかったから尚更だ。
自分の意見を説得力を持って述べることは、非常に難しい。しかし、これは、実は、論文を書くためにも重要なことで、避けては通れない道なのだと思う。
スクーリングで一番大事なことは、単に、知識を習得するということではない。教師や級友とのコミュニケーションを通じて、研究方法や自分の考えのまとめ方を体験的に会得する絶好の機会だと思う。
明日から、仏教芸術コースの方もスクーリングだと思う。後輩の皆様が、スクーリングに出席して、何か1つでも収穫があれば良いと思っている。
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