頭をナゼナゼ2009/09/27 22:04

最近は、ロボちゃんがほったらかしになっているので、久しぶりに頭をナゼナゼしたら、腕を動かして喜ぶというしょうもないプログラムを作ってみた。だいぶやりかた等を忘れていたので、困った。

それがオタク(独習者)への道である。2009/09/27 22:47

8.心にまかせて力の及ばむかぎり(本居宣長著 うひ山ぶみ)

 だいぶ間が空いてしまったが続きを読み進んでいくことにする。

①凡て件の書ども、かならずしも次第を定めてよむにも及ばず。ただ便(たより)にまかせて、次第にかかはらず、これをもかれをも見るべし。

これまで紹介した凡ての書物は、必ずしも順番を定めて読まなくても良い。ただ、その折々の都合にまかせて、順番に拘るよりも色々とみる方が良い。

○これもまた、宣長らしい合理的な考え方だと思う。学問を特に独習する場合は、好奇心を持続しなければならないので、飽きては駄目である。また、時間の制約もあるので、順番に拘っていると結局、その本を読みかけのままで、独習が中断してしまうことの方が恐いのである。また、1つの本のみ拘ると、学問分野の「すぢ」すなわち体系、全体像が見えて来ないので、結局は、上達するのが遅くなるのである。


②又、いづれの書をよむとても、初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず。

また、どんな書物を読む場合も初心者の間は、凡ての文章を翻訳(理解)して読む必要もない。

○いわゆる現代の高校生でも古文が嫌になるのは、逐語訳を先生が宿題にして、更に、それを暗記して試験に臨むという繰り返しでまったく嫌になってしまうのである。私が高校生の時に教わった先生は、授業でほとんど言ってよい程、逐語訳、現代語訳をされなかった。語句の説明、大意の説明、文物、風物の説明、文学史的な解題、簡単な文法の説明等はされたが、所謂、生徒を順番にあてて、逐語訳をさせるといった授業方法をとらなかったので、非常に授業は楽しかったし、今でも古文を読み続けているのも、初心者の間のこうした心がけによるものと思う。

③まづ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、これやかれやと読みては、又、さきに読みたる書へ立ちかへりつつ、幾遍もよむうちには、始めに聞こえざりし事もそろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也。

まず、頁をペラペラと簡単にめくって斜め読みして、他の本にうつって、色々眺めた後で、また、元の本に戻るといったことを何回も繰りかえしているといままで、判らなかったことも判る様になる。

○佛教大学の通信教育もBカリキュラムの時は、必要なテキストを全部段ボールに詰めて送られて来た。(Cカリキュラムになってテキストは自弁となり、履修に必要なものを買い揃えるといったスタイルに改悪されてしまった。)
 最初は、段ボール箱に詰められて送られて来た書物にウンザリするが、それを本棚に並べる作業をしている内に、ペラペラと眺めたり、漫然と本棚から1つ1つ書物を抜き出して、「何か面白いことが書かれていないかな。」と思ってみている内に、その学問分野の特色が徐々に掴めていく。必要な書物を買い揃えるだけの場合は、こうした楽しみ、「書林の俯瞰」と言った楽しみがないので、理解の範囲が狭くなってしまうことになるだろう。


④さて、件の書どもを数遍よむ間には、其外のよむべき書どものことも学びやうの法なども、段々に自分の料簡の出来るものなれば、其末の事は一々さとし教ふるに及ばず。心にまかせて力の及ぶかぎり、古きをも後の書をも広くも見るべく、又、簡約にしてさのみ広くはわたらずしても有りぬべし。

 さて、これらの書物を数遍読んでいく内にこれ以外に読んだ方が良いといった書物や学習方法に事前に身についていくものなので、その後のこと(学習方法)等を1つ1つ諭し教える必要はない。自分の学習意欲にまかせて、力の及ぶかぎり、古今の書物を幅広くみたり、それ程、幅広くみなくても、きっと(得るものは、)あるだろう。

○独学の面白さは、自分の興味にまかせて広く知識を求めることにあって、くどくどと教師に指導される必要がない点である。それを私は、佛大の通信大学院に入ってから、本当に思い知らされた。通学の大学では、教授が、参考文献目録とか基礎文献目録等を提示して、「これを順番に読んでいきなさい。」と学生に指示するが、この様なことは、親切心で行われていても、結局は、興味を削ぐことになる。

面白いと思った分野、書物については、その書物の中で、取りあげた文献や資料、あるいは事物、場所等は、実際にゲットしてみたり、訪れてみて写真を撮ったりしている内に知識は深まっていく。

それがオタクへの道である。

興味と拘りを常に持ち続けること、自分に興味がないことは、出来るだけ避けて、時間と労力を興味分野に集中化し、深化を図ることが真髄なのだと思う。

 
宣長は、実に面白いことを言っている思う。