「遊星からの物体X」 怖いモノ見たさ2010/06/10 18:12

 小惑星探査機「はやぶさ」の帰還
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/trj.shtml

 推進器の故障等の幾多の困難を乗り越えて遅れながらも地球に13日に帰還する小惑星探査機「はやぶさ」。

 探査機と言っても、これこそが、自律系を備えた探査ロボっトであり、小惑星への軟着陸から軌道制御まで、自動で行ってきた。

 月以外の惑星から探査機が直接サンプルを地球に持ち帰る。しかも、打ち上げからカプセル回収までの、「完全探査」に成功するのは、世界で初めてで日本の宇宙探査技術の凄さを世界に思い知らせることになる。

 また、今回の「はやぶさ」には、イオンエンジンが搭載されており、このエンジン自体の実用も世界で初めてである。

 小惑星イトカワのサンプル採取の時、回収時にサンプルを収めた容器の蓋が空いていたので、サンプルが果たして入っているかどうかは不明。

 宇宙生命体等がサンプルに入っていたら、どこかのSF映画の様に、生物に適した地球環境で、瞬く間に増殖して、人類を攻撃する可能性もある。

 「遊星からの物体X」である。

 怖い半面、楽しみ。
 怖いモノ見たさというのは、こうゆうことか。

恐ろしい正体が明らかに2010/06/10 21:02

 この間から、「家鳴り」について色々書いて来た。

 屋根の修理後、「家鳴り」の場所が変わったり、おかしなことが続くと思っていた。

 この家に越してきてからおかしな夢をみていた。

 以前から、肩を叩かれたり、そういった夢であるが、もっと奇妙というか、恐ろしい夢に魘されて(うなされて)目が覚める。

 ハッと飛び起きて、電灯をつけると何者かがスルスルスルと。

 先日、上田秋成の「蛇精の淫」等の話を読んだり、「しんとく丸」の説教浄瑠璃本を読んだりした為か、美しい女の淫らな夢、あるいは、「しんとく丸」の母親の残酷な前世の説話の夢をみる。

 可哀想なウグイスの親子がいる。蛇が巣を狙っている。親の空しい抵抗にもかかわらず、ヒナは飲まれてしまい。最後には、母鳥までもが犠牲になる。

 しんとく丸の両親の長者の家には、子供が生まれなかったのは、この様な前世の因果応報によるものだった。

 あるいは、美しい女が誘惑するが、実は、○○だったりするとか。

 「性欲かな。」と思っていた。

 こんな夢ばかりみる。今朝起きると、毎日、ウルサイ程鳴いていたウグイスの声が消えている。

 今朝、雀に毎日の様にエサをやっていると、尾無しのチーちゃんとか常連の姿が消えているし、12~13羽もやってきたのが数羽に減っている。

 それでもエサをやり続けていると、家の中から「バスッ」という音が聞こえて、シュルシュルと何者かが、家の窓から飛び出していった。(気味が悪いなぁと思っていたがほったらかしていた。)

 そうしたら、今日の夕方にM谷中が大騒動になった。

 「キャーっとかウワァーー」とか騒がしい。熊でも出たのか、それともなんだろうかと思っていると、市の係員が飛んできた。

 ガタガタバタバタとそこら中の大騒ぎとなって、何事かと家の中から、外をみると、係員の人が、何やらぶっとく細長いものを振り回していた。

 良くみると、体長1メートル数十㎝位もある蛇である。
 灰色っぽい茶色でシルシルと舌を出していた。

 オロチともいっても良い程。
 M谷のオロチ騒動だ。

 僕は怖くて、怖くて、怖くて、家から外に一歩でも出れなかった。

 「大丈夫ですよ。これはアオダイショウです。」っと言っている。

 コイツの仕業かと思った。夜な夜な家の中を歩き回る様な気配。これは、蛇が家の中を鼠や就寝中の小鳥等を求めて這い回っていた。

 僕の身体にも触れたのかもしれない。目覚めると不快な生臭い匂いがしたりしたが、天井裏で何かが死んでいるのかもとか思ったりしただけ。

 「バキッ」という音は、蛇が飲み込んだ獲物を砕く音。

 この家、数年間も葎の宿(空き屋)だったので、コイツが住み着いてヌシになっていたのだ。

 屋根工事等で、通風が悪くなって蛇が家から出て行ったのかも。

 実に恐ろしい。

 それよりも蛇神様の祟りの方が怖い。

 みーさんは家の守り神でもあるので、これを追い出してしまったら、どうなるか判らない。

毎回、読むのを楽しみにしているがブレている2010/06/11 09:00

佛大ワールド6月号が公開された。
http://www.bunet.jp/world/index.html

 毎回、読むのを楽しみにしている。以前は、大学から送られてきた佛大通信のトピックスをまとめたものである。

①月々の名言
 俳句の世の権威であられる坪内稔典先生による田山花袋論である。日露戦争の時代背景の中でも、上昇志向を諦めざるを得なかったこんな若者達がいたこと。結核を病みやがては、力尽きて死んでいく。
 現代の若年層のワーキングプアの悲惨な実態にオーバーラップされる描写である。

 貧乏を覆い隠して、建前、綺麗事のみ拘る政府と企業であったのは、戦前の帝国主義日本も偽善民主主義の現代日本も同様である。

 今朝のニュースでやっていた様にアジアの若者達は、まことに正直である。

 アニメや文化面では、日本を評価しながらも、経済、金融、科学技術は、もはや日本に学ぶべきものは、なくなり、目は中国に向いている。

 綺麗事に拘ってきたツケが回ってきたのである。
 「世界の三流国」への再転落である。

②お散歩京都学
 田中みどり先生の久しぶりの登場である。この人は、日本語の発音は独特であると思っていたが、先日、平安時代の発音を復元した録音を聴いたが、イントネーションは、まるで田中先生の様だった。

 田中先生は、伊勢のご出身なので、決して畿内ではない。しかし、日本語学、特に古代語を熱心に研究されて、その成果がコトバの発音にも現れている。

 先生は、日本語を正しく発音されているのである。

 今回は、雅楽についての取材だが、雅楽について、全てキチンと説明、解説するには、あまりにも紙面が限定され過ぎ、笙についての解説が中心であった。煤竹についてや、あるいは、リードという金属片、演奏中、演奏後、火鉢での乾燥等の説明が面白い。

 雅楽器博物館館長の山田氏へのインタビュー記事であった。僕も行ってみたいと思った。

③私のこの一冊
 『民藝40年』柳宗悦著について、教育学部の先生が解説されている。美術教育と民藝、生活の中での美というのがテーマである。

⑤朝の宗教行事から
 公共政策学科の林先生のお話
 マズローの欲求5段階説を例に、人生の価値観の見つけ方についての考えを述べられている。
 「生き甲斐」をみつける為には、自己認識が必要だが、それが一番難しいことであり、大抵の人間は、僕の様に幻滅を感じるのである。

 これに立ち向かえる意欲、生命力を持ち続けることは非常に難しい。

⑥鷹陵の栞

 斉藤先生の本居宣長についての解説・カンソウ文である。

 斉藤先生も畿内の人間ではないので、関西文化、日本の古代、平安文化を肌で理解することは出来ない。
 従って理屈での理解になる。本居宣長も同様に畿内の人間ではなく、現代よりも江戸時代の文化の落差は大きく、上京して学ぶにも大変なことだったと思う。
 前半は、宣長の京都遊学、後半は、源氏物語の「もののあはれ」について。しかし、この「もののあはれ」というコトバは、源氏物語本文中には出てこない。近世以降の価値観、概念であったことに気づくべき。

 この件については、前述の田中みどり先生も佛大国文学会総会後の懇親会で述べられていたことを記憶している。

 つまり、王朝文学を理屈で理解しようとすると、新たな分析的価値観を導入する必要があり、それは、結局、新たな価値観を象徴する「新造語」を創作する必要があり、江戸時代の人達は、それを旨くやってのけた為に、その理解と解釈に普遍性を獲得し、近世以前には、一部の堂上の人達のものであった源氏物語の庶民的理解を可能にしたのである。

 末尾に書かれている宣長が阿弥陀経を読んでいた話は面白いが、当然である。彼の著作を呼べば判る。漢籍、仏典の詳細の分析と理解に基づいて日本古来のコトバと文化の分析を試みているから当然。

 隠れ仏教徒であったのではない。


 隠れて読んでいたのではない。このことは、「うゐ山ぶみ」にも書かれている。

 この他、学部長の手帳やら表紙ストーリーとか、これだけ盛りだくさんの内容を持っている通信教育の機関誌はないと思う。

 でも、これって、今の佛大通信教育の学生さんのニーズからブレテいるのではないだろうか。大部分が教職履修、資格取得の為に大学に来ているので、もっと現実社会、現代社会に関連する情報、内容について記載された方が良いでしょう。

 例えば、佛教大学と提携している学校で、どの様に生徒達が学習しているかとかどの様な問題が生じているのか。医療の現場とか色々あると思う。

 さっきも裏のおうぶ中学校で、教育実習の先生が期間を終えられて帰られるので、その挨拶が行われていた。

 教育実習は、学生さんにとっては、不安である。実際に実習の現場を取材して、少しでも、その不安を取り除ける様な記事等があれば、実用的だと思う。

 佛大ワールドは、僕にとっては、非常に価値があり面白いが、他の学生さんにとっては、どうだろうか。

 読者アンケート調査でもやってみたら良いと思う。

 恐らく、大部分の学生さんは、読んでおらず、履修に関連する実用的な部分にのみ目を通しておられるのだと思う。

 僕の様な興味本位の部外者が喜んでいてもしかたがない。

絶対効果が期待出来る口蹄疫対策法とは2010/06/12 09:18

都城市まで口蹄疫が拡大となった。

ここには、日本を代表する畜産農家、それも企業化されて、自前の飼料工場を持ち、数万頭以上の経営規模のところもみられ、こういったところに拡大した場合には、もう感染拡大を防ぐことは困難になるだろう。

①ワクチン接種を少なくとも九州全域の家畜に、その後、国内の全家畜に実施しなければならない。但し、遺伝子変異で免疫が効かない場合もある。今回も一部でワクチン接種を行ったが、試験用に数頭は活かしておき、免疫試験を行うべきであった。

②消毒ポイントの設置で、感染拡大を食い止めることは出来なかった。みていると、タイヤ周りの洗浄が中心だが、実際には、ウイルスは空気に蔓延しているので、車両全体の洗浄が必要。ガソリンスタンドにある様な洗浄設備が必要。

③また、車内消毒が実施されていなかったのもおかしい。

数年前に宮崎県の農家を飼料会社のセールスマンと一緒に数件回ったが、ちょうど、この時期、会社に戻ってみると、車内がハエの死がいで一杯だった。つまり、感染地域のハエを運搬してしまう恐れがあり、この方がタイヤに付着したものよりも怖い。ハエは死んでいる様にみえても気絶しているだけのもあり、生きかえる恐れがある。

畜産農家でクルマのドアを数十秒、数回開け閉めしただけで、ひどいところでは、10匹以上のハエがフロントガラスの下などにたまっている。また、ガラスにもハエの唾液で白いシミが出来る。

全て感染源である。

クルマでの移動はなるべくやめよう。
クルマに乗った時は、車内にハエがいないか、点検、殺虫剤をまこう。

④当然、人間も感染源であり、手足の洗浄、強力なエアーカーテンを通ってもらって身体中のウイルスを吹き飛ばす。


⑤飼料も感染源になり得る。

国産、輸入ともにリスクは同等である。国産稲ワラを奨励する動きもあるが、日本は、既に口蹄疫不浄国なので、感染していない北米、豪州など、ストロー類は安全である。十分な乾燥処理が行われ、植物検疫が行われているのでもっとも安全である。中国から稲ワラが輸入されている。これらは、農水省の監督工場で熱殺菌処理が行われているとされているが、最近では、コスト競争から、殺菌処理が省略されていたケースもあるのでは、との噂も流れており、用心した方が安全。

高級和牛の肥育には、稲ワラが必要であるが、米国産の安全な稲ワラを解禁すべき。いまは、稲の害虫が含まれているということから禁止されているが、実際には、乾燥、滅菌処理されるので、害虫はみんな死んでいる。また、稲の害虫よりも口蹄疫による被害の方が、ずっと甚大で深刻なので、安全な国からの稲ワラが自由に輸入可能にすべきだ。


乳牛、肉牛には、TMR飼料と呼ばれ、各種原料を混ぜて発酵させた飼料があるが、これは、ハエやウイルスそのものに汚染、増殖する可能性もある。また、養豚用では、最近では、食品リサイクルからリキッドフィードというのが行われているが、これも液状であり、危険。


⑥ハエの蛆等がわかないように十分に気をつけて、更に使用時には熱殺菌処理を行うべきだろう。
同様に水源についても衛生調査を実施すべき。また、自動給水器、ニップルについても、数時間毎に消毒を行う。

⑦そのほか、飼料槽についても毎日洗浄、消毒しよう。
⑧自動給餌機、ローラー等、自家配合工場についても毎日、朝夕、清掃を徹底させる。

⑨当面は、堆肥の流通をやめる。堆肥保管設備の消毒、管理を強化する。これから梅雨入りとなり、更にウイルスにとっては、好適な環境になるので、雨水の流入、外部への流出に気をつけよう。

 以上は、個人的な見解に基づき意見だが、農水省、宮崎県畜産課で、少なくとも、これくらいの注意点を農家に告知し、感染を食い止める「本当の努力」を行うべきだと思う。

この本は実に手強かった。読了までに5ヶ月以上かかった2010/06/12 10:39

 『仏教の思想4 認識と超越(唯識)』(角川ソフィア文庫)
 この本は実に手強かった。読了までに5ヶ月以上かかった。それでも理解出来たとは言えない。
 通信教育を受けていたら、先生に質問すれば良いがそれも出来ず、様々な問題点を自ら解決する以外にはない。
 仏教の思想3「空の論理」(中観)については、「一切空」という仮定に基づいて思想が演繹的に構築されているので、順を追って理解していけば誰にでも出来る。
 しかし、『「一切空」とはなんぞや。』という問題点を解明する為の様々な試行錯誤の結果、唯識が登場した。結局、アーラヤ識という、一切が消滅してしまう「識」を超越した「識」が存在すると仮定することで、この難題を切り抜けようとした。
 ところが、様々な学僧が「アーラヤ識」の証明に明け暮れたが、決定的な回答をみつからず、「一切空」に「アーラヤ識」という新たな仮定・仮説が加わることになって、当時のダルマ研究は行き詰まるのである。
 ある意味で、思想の「パンドラの箱」である「空」という「論自体の存在否定」の考え方が登場しなければ、インド仏教史は、原始仏教から、部派仏教、そして、その発展上の大乗仏教へと順調な道のりを歩んだ筈だが、その論理的な礎をついに完成しえなかった。
 ヴァイシェーシカ学派が始まったのは、2世紀頃で、当時は、大乗仏教思想が登場しだした初期である。その後、「般若経」、「維摩経」、「法華経」、「華厳経」そして、「無量寿経」が当時した時期は、まさに大乗仏教思想の黄金時代であった。理論的な危うさあったものの、人々は、自らの仏教理論にほとんど矛盾を感じなかった。
 ところが、3世紀にはいって龍樹が「中論」を発表してからは、事態は豹変する。「仏性」の根本である「論(ダルマ)」の実在自体が疑われるに至った。
 4世紀から5世紀に入って、唯識思想が、「実在しない筈」のダルマが何故、存在しているのかを実証しようとして登場する。また、同時に「仏性」自体の分析、考究が行われ、如来蔵等の思想も登場してくる。
 
 この本では、マイトレーヤ(弥勒)、アサンガ(無着)、ヴァスバンドゥ(世親)、ディクナーガが登場し、説一切有部を研究、批判することで、新しい「仏性」の分析法を編み出そうとするが、結局は、「空」の矛盾に突き当たり、超えることが出来なかった。
 結局、折り合いというか妥協というか、「止観」という修行法登場した。
 つまり、「識」の存在を証明するには、「識」自体を止めれば、真実の「識」である「アーラヤ識」の存在が認知され、実在すると認めることが出来るのではないかということになる。

 こうして、「空」は、唯識の世界で、一定の範囲にとどまる。アーラヤ識が存在する様な仏性と直接つながる部分については、折々の現象の中では、消滅しても、輪廻につながる次の現象には受け継がれていく。だから、「止滅」を行い、アーラヤ識から煩悩の要素を排除すれば、人は輪廻からの解脱にいたるということで、喩伽行中観派が登場する。
 しかし、これも苦肉の策で、矛盾の決定的な解決策には至らなかった。
 喩伽派の登場は、結局、仏教の実践・修行の中でも矛盾のあるものも認めていくいう密教的な考え方に結びついていく。
 こうして10世紀には、インド仏教の密教化が進むことになり、仏教哲学、思想の論理性が失われる。
 インド仏教の滅亡の原因は、イスラム勢力の進出だとか侵略と言われるが、合理性を失った密教・仏教は、イスラムの合理主義の敵ではなかったのだ。つまり、インド仏教の滅亡要因は、その原因は、自らの理論的矛盾によるものである。
 つまり、赤色巨星が大爆発をして、白色矮星となり、更に、自らの重力で萎み、ブラックホールになっていく様な道筋を歩んだのだと思う。
 それよりも15世紀も遅れて、18世紀のヨーロッパ哲学も、「存在の認識自体の証明」の問題に突き当たるが、やはり、ヘーゲル等思想にみられる様に、命題の解決の妥協的な方法を避けることが出来ず、インド仏教哲学の限界を超えることは出来なかった。それが、ヨーロッパのキリスト教・神聖ローマ帝国世界の崩壊、王政の崩壊、近代化へとつながっていくので、インド仏教の崩壊の歴史的必然が繰り返されたのだと思う。

 こうして、1つの巨大な思想的な帝国が滅亡したのである。
 
 ところで、これまで述べてきたインド仏教哲学の解決し得なかった問題点の提起に、批判的な先生もいらっしゃって、ヴァイシェーシカ学派の研究をハーバード大学でなさった佛教大学の森山清徹先生は、まず、「識」思想が先行するのでは、話されていた。つまり、 

「空」→「色」→「識」の順番ではなくて、「色」→「識」→「空」の順番であると、

話されたことを記憶している。
(誤解であれば、申し訳ないが1通信学生の屁理屈なので、許してください)

 これならば、「空」によるダルマ自体の存在否定も「識」の世界に限定され、「アーラヤ識」は、「空」思想が規定する世界の外側に位置することになり、一切の矛盾は瓦解する。

 森山先生は、「アーラヤ識」は、泥沼の上に咲く美しい蓮の花であるとおっしゃた。

 人間界の思想的迷い、混濁等の影響を受けずに、美しく開花する「仏の花」である。

 ところで、「止観」と対局にあるのが、「観相」である。
 一切の五蘊を絶ち、仏の存在を認識するのが「止観」であり、「観相」は、あくまでも「識」の世界で仏をみようとしているので、相対立するコンセプトである。

 中国浄土教では、「観相」ということになり、喩伽行とは、異なる。
 この為、おそらくは、アーラヤ識の中で、「仏を観る」というのは、「観相」であると解釈すれば良いのだろうが、それは屁理屈である。
 観相の行為は、当麻曼荼羅に描かれているアジャセ王の悲劇にも描かれているが、やはり、部派仏教的な部分に大きな起源を持っていると思う。
 
 「識」世界の範疇で「仏」をみるという行為は、果たして、極楽往生につながるのだろうか。
 法然上人が、「観相念仏」から「専修念仏」すなわち、名号を唱える行為に限定されたのは、あくまでも「止観」の中で、極楽往生を直接目指すという修行法であり、その点で、インド仏教学の理論を矛盾なく実践されているのだと思う。

 つまり、「お念仏」は、「識」の世界を遙かに超えた広い仏の世界を目指すのだと思う。
 



お二人とも優しく、慈愛に満ちた表情をされている2010/06/13 21:42

 このお二人の図像は、天台智顗と最澄である。

 殆ど同一人物にみえる程、類似している。あるいは、わざと似せて描いたかもしれない。

 お二人とも優しく、慈愛に満ちた表情をされているので、眺めていてホッとする。とても、あの厳しい、台密の祖師様とは思えない程。

 仏教学史のお勉強もいよいよ、インド仏教を終わって、天台宗に入った。その中で、注目したいのは、密教化したインド仏教の中国化と日本化である。隋の時代に栄えた天台密教を何故、日本に広めようとしたのかとか色々な問題もありそうだ。

 『仏教の思想5 絶対の真理(天台)』(角川ソフィア文庫)

 冒頭の梅原猛先生が述べられているが、天台思想は、日本の仏教の根本であるとされている。何が根本なのか、これから読み進んでいこうと思う。

 出来れば、経典や注釈書の原文等も読まないと、この様な概説書では、換えって判りづらいと思う。

 中論とか唯識では、いろいろと注釈書を注釈した書物等諸々の参考書があるが、それも参照して理解出来ればと思う。

 実家に帰ってもこれらの本を読んでいると、「お前、坊さんにでもなる気か。」と馬鹿にされたが、仏教史ほど、宗教史の中で面白いものはない。

 まず、インド、中国、日本と三国に渡っている。更に、仏陀から中世鎌倉仏教までの実に長い期間に様々な理論や論争が行われた点や、あるいは、仏教芸術にもこの様な思想背景が象徴されたものもある等、ビジュアルの要素も多い。

 「こんなに仏教が面白いとは」というのが最近の感想で、出来れば、佛大通信の浄土・仏教コースに入り直したいが、お金がないので、独習をする以外にないが、それもそれで面白いと思う。

「はやぶさ大気圏再突入!」果たしてライブ中継がみられるだろうか2010/06/13 21:55

和歌山大学 宇宙教育研究所
はやぶさカプセルの帰還ライブ中継
http://www.wakayama-u.ac.jp/ifes/news/news20100613.html

果たしてライブ中継がみられるだろうか。

恐らくアクセス満員で無理かも。
でもみてみたい。

探査機本体からカプセルは既に切り離されており、2人で地球に向かって飛行している。

地球が画面一杯に今や広がっているだろう。帰還最後の地球の写真等を撮影してくれたら良かったのに。

「ああ地球だ。戻って来たんだよ。」
と言っているかも。

これまでカプセルを優しく守ってきた探査機本体は、大気圏に突入する時白熱して蒸発してしまう。

きっと、燃えながら、これまでの長い旅を回想しているのだと思う。

残念みえず。2010/06/13 23:14

残念みえず。

和歌山大学の現地チームの中継は、凄かったと思う。

ストリーム自体の受信は成功して、「見えた」とか色々言っていたけれど、僕のパソコンのディスプレーでは見えなかった。

念の為にビデオ撮影画像をチェックしているが、やはり確認出来ず。

但し、一瞬画面が明るくなったので、これかな。

パラシュートが開き、ビーコンの受信にも成功したので、回収出来ると思う。

「はやぶさ」ミッション自体は、成功だと思う。

後は、「遊星からの物体X」の有無のみ。

それにしてもNHKさんもつまらんサッカーなんかよりもこちらをライブ中継して欲しかった。

日食よりも凄いと思う。日本の惑星探査科学技術の勝利の瞬間なのに、
こういった価値がワカラン人ばかりなんだろうな。


追伸*録画画像がアップされました。
素晴らしい、はやぶさが真っ赤に輝いています。
お帰りなさい!

http://www.ustream.tv/recorded/7634995

昨夜のあのハヤブサの天の川を照らした輝きは、完全国産固体燃料ロケットの最後の輝きでもあった2010/06/14 10:00

完全国産固体燃料ロケットの最後の輝き

 昨夜のあのハヤブサの天の川を照らした輝きは、完全国産固体燃料ロケットの最後の輝きでもあった。

 西欧のロケットとは違う日本独自の斜め打ち上げ方式は、もともと日本の衛星打ち上げ技術が、「重力ターン方式」を採用していたことによるが、M型の場合は、誘導技術が進歩しているので、斜め打ち上げ方式の必要がないが、その「伝統」が踏襲されている。

 日本の宇宙ロケット技術は、東京大学の糸川先生を中心に長さ数十センチのペンシルロケットから、遠大な国産ロケット開発プロジェクトの最終機種であるM-Vロケットで打ち上げられた。

 ペンシルロケットが開発された背景には、占領国アメリカの指令により、一切の武器転用技術の開発が禁止され、航空機等の開発も出来なくなった日本に残された最後の技術研究余地であった事情がある。

 このペンシルロケットの末裔というか偉大な子孫であるはやぶさの構成は、M-14 + M-25
+ M-34b + KM-V2で、4段目にキックモーター搭載して、第2宇宙速度を得る実験と工学実験衛星として打ち上げられた。

 M-Vロケットは、低軌道打ち上げ能力が1.85屯もあり、固体燃料式ロケットでは、世界最大クラスであったが、低軌道打ち上げ能力を開発事業団のH-ⅡAの10屯には遙かに及ばず、打ち上げ費用もM-Vロケットは、屯当たり21-25億円もかかるのに対して、H-ⅡAは、8.5~9.6億円で済む等の経済性の観点から廃止されたとみられる。

 日本独自技術であるMロケットを存続させる為に、小型衛星の打ち上げに特化された機種の開発も検討されたが、結局、小型衛星は、H-ⅡAで打ち上げられる大型衛星や探査機に相乗りさせた方が経済的である為に、経済的な必要性がなくなった為に、結局、廃止が余儀なくされた。

 日本独自のロケット技術の産みの親である糸川英夫先生の名前が冠せられた小惑星イトカワの探査という輝かしい実績で、この一連のロケットプロジェクトが幕を引くことになったことは、ある意味感慨深いものがある。

 昭和40年代前半以降、国産人工衛星打ち上げの機運が高まり、Mロケットの先祖であるλロケットでの打ち上げと、何度も何度も続いた打ち上げの失敗の様子は、TV中継されたが、それをみていた少年時代の私にとっては、懐かしい想い出でもある。

 H-ⅡA型ロケットは、国際水準のロケットであるが、基本技術は、アメリカのソー型大陸間弾道弾の技術を基本にあり、未だに製造工程、技術でブラックボックス化されている。一部の日本で開発された技術もあるが、基本的には、アメリカ開発のロケットであり、「日本人独自の技術の結晶」という輝きはない。

 宇宙ステーションやシャトルへの「相乗り」が日本の宇宙開発になってしまった現在の日本には、M型ロケットが開発された世界の技術大国としての輝きは失われてしまった。

デスクトップの壁紙2010/06/14 21:04

 デスクトップの壁紙を変えてみました。

 鎌倉時代の光明曼荼羅図。

 なかなか宜しいと思います。
 どこかでみたようなと言う人がいらっしゃったらお許しを。

 展覧会等で、仏画、図像をずっと見続けていると、その画面の退色等から大体の時代が判る様になる。

 この程度の退色であれば、本来ならば、室町末期位と思うけれど、なんと、それよりも、3世紀は古い作例。

 余程、保存が良かったのだと思う。図像をみていて残念なのは、平安時代の美しい仏画や曼荼羅の成れの果てで、元々は、素晴らしい作品であったと思うけれど、1000年位経つと、退色、変色以外にディテール、輪郭線がぼやけてくるので、人物の顔等が良く見えなくなること。

 時代がそうなんだから仕方がないと思うけれど。

 さぁ、真言を唱えてみようかな。
 でも、右にいらっしゃるマイトレーヤさんに失礼かな。

 松ぼっくりも棄てずに置いてあります。