同じ俳句とは思えんな2011/03/06 10:02

 今日は、朝から胃腸の具合も悪く、また、熱が出てきた。スタンプショーは欠席することにした。

 最近、何をするにも面白くなく、カール・ベームのモオツアルト等を聴きながら、だらだら俳句ばかり作っている。


○大滝は滔々と三月生まる

○おぶの山おろかなる雪積もりたる

○春時雨夕焼け滝に我一人

○渡り鴨帰りそびれて藪の中

○流氷はかくやとばかり氷割り

○夕焼けの寺に帰れば春寒し

○蕗の薹捜して歩く母子かな

なんせ、「伝統俳句」なんで、こんな古くさい句を作らねば。一度、船団を覗いてみれば、判るけれど、まるで別世界。

同じ俳句とは思えんな。

最近、ドラマに嵌っている。2011/03/06 21:09

 最近、ドラマに嵌っている。

 中年主婦みたい。

 自分の様な人並みの青春時代から中年にかけての人生をクリアして来なかった人間にとって、人生の疑似体験みたいでそれなりに面白い。

 「そうか、一流企業に務めて、家庭があって、子供いる親ってこんな風に物事を考えているんだ。」とか、僕には、全く知らない世界だ。多くの人は、自分の人生と重ね合わせて共感を持ってみるのだろうが、自分の場合は、こういった人生もののドラマと、源氏物語等と、全然差がない「夢幻の世界」である。

 最近、一番気になるのは、私の様な50歳を中心とした世代の人に日中、休日を除いて、あるいは、休日でさえも、出遭わない点である。大学の同窓の人達も同様。

 きっと、忙しいのだろう。

 また、キチンとした企業に務めている人は、自分の様に、50歳にもなってドサ回り、丁稚外回りの様な仕事をせずに管理職でデスクワークを中心にしているらしいし、仕事を終えたら、自分が行くような場末の立ち飲みではなくて、座ってキチンと飲める店、あるいは、料亭等での接待、あるいは、家庭に帰って家族との団らんなんだろう。

 大学の通信教育のスクーリングとかカルチャーには、殆ど、同世代の男性は、来られない。だから、こういったところにいくと、「あんた、暇ねぇ」と言われる。

 暇だけだったら良いが、貧乏なんである。

 僕があと、30歳位若ければ、どうなるか。

 今、20歳位の人達で、ワーキングプアの人が全体の40%位は存在している。この人達は、結局、親も貧困層が多く、一流大学に入ることが出来ない人で、下流社会の固定化が一層、進行した世代である。

 人生の中で、一番、自己投資にお金を掛けなければならないこの時期であるが、自分の収入では、そういったことは出来ず、生活に精一杯なので、親のスネが20代後半でも囓れる階層に限定される。

 親が貧困であれば、住宅ローンの頭金の援助とかも受けられず、この様な人達は、経済的な理由で、結婚も子供、住宅も持てないので、そのままアラフィフを迎えたら、貧乏・金無し・暇ありの人が増えるかも。

 それでも、どうなんだろうか、カルチャーとか教育・教養、自己啓発には、相当お金がかかるので、精神的なゆとりや好奇心がある人は限られてくるだろう。

 自分もある人から、「畜生」だと言われる程、40代から50歳まで親の脛というか骨まで囓ることが出来たので、通信の大学院にも行けて、こうして、ブログにつまらない俳句を書き込むことが出来ている。

 「親への恩返し?」

 僕には、そんなことできっこない。

 今日も、実家から家に帰る時に、今年で、79歳になる父親が急な下り坂を自転車をブンブン言わして漕ぎ上がってきているのをみて、

 「凄い元気やな。僕よりも、長生きかも。」と思った。
 筋トレとかサプリメントとか、美容とかいろいろやっている。
 
 まぁ、何時までも元気でいて欲しいが、もし、仮に親が寝たきりになった場合、僕には、面倒みる甲斐さえもない。

 ドラマに話は戻るが、結局、ドラマのコンセプトって、 「限りある人生なので、一生懸命生きんとあかん。」というのが多い。

 これも、自分とは無縁の世界である。