「古典文学と京都」2006/09/23 23:39

講座には、関係ないが、京都には、この様な古典文学に関連のある場所を身近に見いだす事が出来る。

 佛教大学四条センターで「古典文学と京都」と言う講座が開かれた。平安京・京都と風土、そこに展開された生活文化と古典文学の関係を知る良い機会となった。

第1回目は、7月14日に開講され、榎本福寿先生が、平安京と言う一体が「葛野」と称された時代、古事記、日本書紀を取りあげられた。

第2回目は、7月28日に開講され、上野辰義先生が平安文学作品に平安京の自然がどの様に描かれているか万葉集等と比較して、その特質を探った。枕草子、源氏物語等が取りあげられた。

第3回目は、8月18日に開講され大阪大学名誉教授島津忠夫先生が古典文学と京都・中世について講義された。(私は残念ながらスクーリング後の疲労で体調崩して欠席)

第4回目は、9月8日に開講され、長友千代治先生が江戸時代の古典文学の普及と題して、名所図絵の刊行事情、内容、実物を示しながら、図絵物の出版と古典文学との関連性について説かれた。

第5回目は、三谷憲正先生が「明治草創期の京都」をテーマに、菊池三渓『西京伝新記』を取りあげられた。明治維新の近代化の波に洗われ、東京遷都後、西京と喚ばれた京都の有様について、講義された。私は、この西京と言う地名は、1871年に郵便制度が新設されて、龍切手と言う手彫切手が発行されるが、そのエンタイヤ(切手を貼った封筒)に「西京」とあった消印が押されていた事を記憶しており、「ああ、この時代だったのか。」と親しみを持った。

 佛教大学の国文学の先生方が、同一テーマで時代毎の文学の特色を語られると言う事は、これまでになかった面白い企画であり、非常に興味深いシリーズであった。

 感想としては、京都と言う地域性が文学作品に描かれる時、その時代の社会や歴史的環境、時代の人の感性によって大きく異なってくると言う点に興味が持たれた。

 上代は、平安京が無かった時代であったが、大和からの勢力が次第にこの地に及び始め、その拡大に渡来人(和爾氏)が大きな役割を果たした事。上代人は、土地や地名にも神性を認め、地名についても歴史的な逸話との関連づけながらも、葛野と言う地域が、古代人の精神世界の中で、どの様な位置を占めていたかを知る事が出来た。平安京遷都後も和爾は、琵琶湖西岸の由良山系の麓で勢力を持ち、地名にも残されている点が興味深い。


 平安時代の文学に描かれた京都は、その当事者にとっては、都の中が「世界」であり、ヒナ(鄙)として地方を捉えながらも京都の地域性をそれ程、意識していなかったのか、上野先生の講義も自然観を中心に取りあげていた。万葉集に比べて概念化された描かれ方は、一つの洗練を見せるが余りにも形式主義的であった。辛うじて日記文学にありのままを記述した自然描写が見られる程度である。その理由について私なりに考えてみれば、平仮名文字が自由な表現手法を獲得し、自然や風景、心の描写が文字で記される様になった。万葉仮名は、「歌」「話言葉」を記録したが、平安時代には、和歌が「仮名文字」による始めから文字を中心とした「言葉遊び」の思考で産み出されていった点に大きな違いがあると考える。つまり、文字によって洛中の自然が再構築された時、その優美な様式や技巧が中心になっていったのである。

 時代は飛び、近世に入ると、印刷メディアが庶民に古典文学や地誌の情報を広く提供する様になる。名所図絵も最初は、危ぶまれた企画であったが、実際に版を重ねてみれば、ヒットし、逆に読者→本や→版元→作家・絵師へとフィードバックし、次々に新しい出版が行われていった。つまり、メディアの双方向性がこの時代に初めて実現した訳である。

 しかし、これらの名所図絵がそのまま正確に地誌情報を伝えていた訳ではない。古典文学や歴史的に由緒ある風景をことさら取りあげ、デフォルメを交えて絵師は描いている。つまり、洛中と言う地域性が印刷メディアと言う媒体によって産み出された。しかし、これまでに無い共通性を持って京都がこの時代の人達に地域意識を植え付けたその意義は大きい。

 明治維新となり、京都は、全国に先駆けて庶民階級が近代教育に向けて取り組んだ地域であった。遷都後の衰えはあったものの、新取の気風は、東京(旧江戸)を凌いだと見られる。『西京伝新記』は、漢文によって当時の学校の有様や地域行政、産業の実体等を描いているが、漢文調の擬古文、風景描写についても漢詩を引用する等、未だ近代的手法を獲得していない。つまり、新しい時代の動きに比べて、文学と言う媒体は未だ追いついていないのである。区・戸と言う京都の地域行政の仕組みが形作られたのは、この時代であり、戦災を受けなかった京都では、戦後にもこの住民自治の仕組みは受け継がれていく。京都では、福祉行政やまち起こしや地域再生運動が住民主導で行われていくが、その際にも学区制(区・戸)が未だに地域住民のアイデンティティと結合している事を考えれば、菊池三渓の『西京伝新記』は地域の社会文化史の観点から見ても興味深く、重要な資料であると言えるだろう。

 今後の国文学研究は、戦前の流れを受け継いだ中央集権的な発想から、地域文化の中で文学作品がどの様な状況で生まれ、享受され、地域社会の中での文化的機能を果たして来たかを考察する方向に変化してくるだろう。今回の試みは、この様な観点から見ても大いに評価出来ると私は考えている。

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