自己嫌悪2008/05/27 23:02

 昨日の夕方は、四条センターで安藤先生のキジル千仏洞の講演を拝聴する。
 この仏教遺跡は、敦煌などより、遙かに歴史が古いらしいが、窟内の写真撮影は厳禁なので、インターネットの画像検索でも石窟の外見のみの写真しか見つからない。
 ところが、安藤先生は、特別な許可を得て撮影した今まで紹介されていない窟内のスライドを見せて下さった。
 露光が不足して撮影できなかった涅槃図等もあるようで、高感度のカメラを持っていった欲しかった。やはり、露光時間が延びてブレている写真もあるので残念。
 しかし、大部分はクリアな見事な写真ばかりだ。
 10世紀に侵入したイスラム教徒の破壊の跡や20世紀の欧州の探検隊が残した爪痕が痛々しい。
 崩落直前のものもある様で、早急な保存が必要だ。
 印象は、やはり、まばゆいばかりのブルーで少し怪しげな感じさえする。あのブルーは天空を表しているのだろうか。
 飛行するブッダや見たことのない異形の化鳥や妖怪等の姿も見える。仏教とは異質な、どちらかと言えば、東方キリスト教と中央アジアの土着信仰が結びついたものに、更にインド(チベット?)密教が融合した様な不思議な世界。
 何か説明がつかないことばかりだが、最も印象に残ったのは、やはり荘厳であり、特に流麗な流水紋や、菱形の山を象徴する造形にジャータカが描かれている等。

 今日は、仕事の外出先の喫茶店や電車の中で論文の校正を行う。
 山ほど訂正箇所が見つかって、自己嫌悪に陥る。
 校正をする時は、私の価値観を全て否定する様な敵対する人物像を自分の心の中にイメージして、ソイツになりきって、草稿を読んでいく。
 以前、佛大の修論研究発表会で、「こんなことをやって何の意味がある?」と完全否定型の質問が出たときには、さすがに、キレタが、やはり、こんな文章や考察に意味あるのかという自己否定の繰り返しで、自らをむち打つことで、論文の弱い部分を削除していかざるを得ない。
 最強の敵に備えること、それが勝てる論文の秘訣だとか、なんとか、そういった本に書いてあるが、自分の場合は、Mになりきってしまう。
 本当につらい作業だ。
 真っ赤になった草稿をワープロで打ち直すのも大変な作業。特に文章の順番が替わったりした場合には、註や目次を打ち直さなければならない。
 独力で論文を書くときは、こうしたこともあるので、補註作業は1番最後に回すが、指導教官は、応用社会の時も仏教芸術の時も註を付けなさいと指導されるので、従わざるを得ないが、註の番号がずれると全部ずれてしまうので、その修正が一番手間が折れる作業になる。
 こんな訳で、明日には、ファイルに綴じて提出にこぎ着けられそう。
 年々論文を書くのがしんどくなる。やはり50歳までに大きな論文は書いてしまわないと、これ以上年齢が高くなると、論理思考能力や注意力、視力、持久力等全て衰えてくるので無理。
 佛大の通信も30歳代に入っておれば、学部論文でも、早い時期から訓練できるので、業績を残しやすくなるのだが、もう、手遅れの様な感じもする。
 写真はキジル千仏洞近くの風景googleEarthで検索したもの